とらぞうのおかち日記
 1歩2歩散歩 
東日本編


Vol.01
〜左りかまくら道(戸塚→鎌倉)〜
11.2km

画像 2002年11月17日(日)
気になる旧道を歩く「1歩2歩散歩」第1回目は、歌川広重の東海道五十三次「戸塚 元町別道」に描かれた道標「左りかまくら道」。 ここでいう“かまくら道”というのは吉田道のことで、戸塚→鎌倉を歩きます。

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08:45 「戸塚 元町別道」

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09:30 左に旧道@上倉田

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09:40 140cmでドーン!

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10:05 月山?右かまくら?

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10:10 道標三連発!

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10:20 南谷戸の大わらじ

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10:50 正安寺山門

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11:05 気になる「蛇行」跡

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11:35 三嶋神社の社殿

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11:50 いつかは中道も…

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12:00 お不動さまは新しい

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12:20 砂押川プロムナード

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12:35 彷徨のお地蔵さま

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12:45 成福寺山門

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12:50 水堰橋の観音道標

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13:15 玉子とじうどん

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13:35 ひっそりと旧道

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13:55 巨福呂坂洞門

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14:05 行き止まりだよん

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14:05 石仏がいっぱい

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14:10 ハァハァ…石段キツい

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14:35 まだまだ緑色

 広重が描いた「左りかまくら道」は、「左」じゃなくて「左り」ってのが面白いので、今回のタイトルにしてみました。 大山道はまだ正確なルートが分からないので、いつか挑戦します。
 9:00JR戸塚駅地下通路の広重「戸塚」レリーフ前で待ち合わせて、スタート前に鎌倉道道標のある妙秀寺に寄る。 東海道を歩いた時は山門を撮っただけだったので、今日は道標を撮ろうと思ったら…ガーン! 時間が早かったのか? 閉まっている…。

 9:15吉田大橋のたもと、こめや跡の案内板から「1歩2歩散歩」の第1回目がスタート。 柏尾川沿いの市道を進む。
 以前喜多さんが、昔の柏尾川の川幅が現在より狭いことに気付いて、こめや跡近くにある小林牛乳店屋のご主人を訪ねたら、「柏尾川はよく氾濫していたので、戦後川幅を広げた」そうです。 そんなわけで、ホントのこめや跡は柏尾川左岸の“空中”にある。
 左手の日立製作所屋工場は戸塚競馬場跡。 上倉田交.からK203となり、しばらくすると左に旧道。 左手に子之八幡社。 石段を上ると右手に石仏群。 旧道部分は短く、すぐ県道に合流。

 ここで右手のJR豊田川架道橋をくぐって寄り道。 柏尾川を渡り、戸塚区役所入口交.左手に宝永七年(1710)製の鎌倉道道標。 ここは吉田道と東海道を結ぶ道で、往時は八坂神社に突き当たっていたけど、追分にあった道標が現在の場所に移された。

 旧道に戻り南に進む。 左手が山なので、本来旧道は迂回するように右側のJR線路内を通っていた。 9:55左手の蔵田に元禄十三年(1700)製の戸塚本宿道道標がある。
 バス停「上倉田」前に寛政十年(1798)製の鎌倉道道標兼三山碑。 しばらくすると、県道は真っ直ぐ進むけど、下倉田交.で旧道は左折。 「倉田」ってな地名だけに、往時は一面田んぼや湿地で、旧道は山の辺を歩いていたんだね。

 右手に天明八年(1788)製の面懸阿弥陀如来江ノ道道標。 この先に親鸞ゆかりの永勝寺があるので、そのための道標みたい。 右面に「めんかけ如来道 かさこひ太子道」とある足下に、オマケみたいに「右かまくら」と、小っちゃく彫られているのが面白い。
 道標を右折。 本来旧道はもっと右側にあったそうだけど、旧道の名残のように商店が並んでいる。 突き当たりに延命地蔵。 その後ろにあるマンションのおかげで歩道ができて、道路がキレイ。

 K203に合流。 本来旧道は県道を横切るんだけど、もっと南にある派出所前交.まで行かないと右側に入る道はない。 交差点左手に横浜市地域有形民俗文化財の南谷戸の大わらじ。 道祖神常夜灯が並んでいるので、ちょっとした名所みたい。
 派出所前交.を横断すると栄区。 旧道は左手にある豊田小学校校庭を横断するんだけど、校庭ではイベント真っ最中。 裏門が閉まっているので遠慮して、校庭の周りにある道を歩く。
 10:30県道に出ると右手にサンクス茶屋。 15分休憩。

 旧道はK203を横切って左側に移るんだけど、消えている。 はす向かいの路地を入ると、消えているのは入口だけで、確かに旧道がある。 県道に合流して環状3号線の高架をくぐると左に旧道。
 丁字路をすぐ右折して、県道を横切り、枡形のように突き当たりを左折すると、右手に正安寺。 貞永元年(1232親鸞が宿泊して布教したそうだ。 親鸞のことはよく知んらんないんだけど、地元に旧跡があると身近に感じるね。 …。

 県道に合流すると、左手の高台に慶長十年(1605)創建の長沼八幡社。 境内に横浜市指定名木古木の石仏群。 県道となった旧道は貝殻坂で、だんだんと上っていく。 県道が右カーブする横で、旧道が直角に曲がっているけど、これはやっぱり「蛇行」跡? 峠左手に「かいがらざか」と記した標柱
 飯島交.を過ぎると左手は鬱蒼とした飯島市民の森だけど、右手の山は禿げ山になって、近々住宅地になるみたい。 往時は山深い場所だったと思うけど、どんどん宅地化して景観が変わってしまう。

 少し進むと右手の高台に石仏無縫塔が並んでいるので、廃寺跡? 右横に「えんま坂」と板書。 飯島跨線橋入口交.手前のHONDA屋を左折すると旧道。 般若院本堂境内に庚申塔
 そして隣が三嶋神社って分かっているけどショートカットしないで、旧道である県道に一度出てから鳥居をくぐる。 元和元年(1615)の創建で、石段の両側に石仏が並んでいる。 ここからしばらくは県道と同じ道筋で、蛇行もしていないのであまり面白くない。

 新橋交.左手に元禄四年(1691)製の戸塚道道標。 この場所は鎌倉古道鎌倉道中道との追分で、右面には「ぐミやうじ道」と刻まれている。 吉田道(戸塚道)も枝道の1つだけどね。
 鎌倉道中道と合流して、新橋でいたちを渡る。 渋滞で有名な笠間十字路交.を歩道橋で越えると、旧道は市道になる。 この道は交通量が多い割に、歩道がないのでかなりコワい。

 左手に宝永七年(1710)製の今泉村不動道道標。 文字が白く塗ってあるけど、最後の「道」だけ塗り忘れ? 『横浜の古道』によると、この付近の路地に石仏があるようなので探してみたけど見つからない。 あきらめて進むと旧道右手に石仏群…ガクッ。
 青木神社交.手前左の高台に青木神社。 見学しようと石段の下まで来たものの…え〜と、石段は…う〜む、パス。 何で?吉田道沿いの神社って、どこも山の上にあるのか?

 この先は旧道が横浜市と鎌倉市の市境を通っていたけど、今は芝浦メカトロニクス屋の敷地なので、ターミネーターのようにビルをぶち壊して進まなければならない。 それは無理なので、大船局前交.を右折して砂押川沿いを進み、バス通りから1本JR大船駅寄りの道が旧道。 大船駅東口は商店や銀行でゴチャゴチャしているけど、少し離れると区画整理されていて、町並みはキレイ。

 少し進むと住宅地。 以前は左手が離山という小っちゃな山脈だったので、左側の民家の庭は道路より高く、右側は低くなっている。 はなれ山通りに出る。 昔の地名が残っているのがウレシい。
 広い道に出ると、左手に離山富士見地蔵尊。 離山の南地蔵山にあったものが、昭和十三年(1938)山頂が崩された時に移転し、昭和五十八年(1983)にこの場所に移されたそうだ。 標柱左面に「旧鎌倉街道中ノ道」とあることだし、お地蔵さまにはこの場所に落ち着いてもらって、吉田道&鎌倉道を見守っていてほしいね。

 車道を横切り旧道を進むと、JR横須賀線第1鎌倉踏切の左手に成福。 茅葺屋根の山門がイイ感じ。 貞永元年(1232)創建で、親鸞に師事した成仏が開基。 鎌倉市内で唯一の浄土真宗の寺院で、木像聖徳太子立像・木造虚空蔵菩薩座像などが市指定重要文化財。 境内には笠智衆の墓もある。

 水堰橋でK302と合流。 右手に享保十二年(1727)製の観音道標。 ここは江の島道との追分で、「右とつか道 左藤さわ道」と刻まれていて、市指定有形民族資料として手厚く保護されている。
 道標と水堰橋の間に「せゐ志くばし」と彫られた石柱発見。 水堰橋って「すいせきばし」って読むと思ったら、『旧鎌倉街道 探索の旅【中道編】』によると、この場所が鎌倉道中道の起点(終点)! 鎌倉武士が鎌倉入りの準備で“勢揃い”したので、せいぞろい→せいしく→すいせき、となったとある。 変わりすぎ。(@o@)

 ここから北鎌倉までは、もう一直線。 小袋谷交.からK21に替わり、旅人が急激に増える。 「古い民家がある!」って喜んでも「やっぱり鎌倉だからなぁ…」と変に納得してしまう。
 そんなことより、昼が過ぎている! 13:05左手のJR北鎌倉駅前にあるやま本(山ノ内501)茶屋で昼食。 玉子とじうどん650円。 喜多さんたちの注文はバラバラなので割愛(笑)。

 25分の休憩で出発。 目の前の北鎌倉駅前交.で進行方向右に旧道。 往時は左手の鎌倉五山第二位円覚寺の参道が旧道まで延びていたらしい。 しかし、旧道部分は短く、すぐ県道に合流。
 それにしても想像以上の人・人・人…そして車・車・車。 さすが大観光地の古都鎌倉。 右を見ても左を見ても寄ってみたい場所ばかりだけど、コンセプトが「旧道歩き」なので、観光地としての神社仏閣名所旧跡は地元の方にお任せする(笑)。 北鎌倉からは鎌倉七口の1つ亀ヶ谷切通入口しか撮ってないもんね(しかもボツ)。

 建長寺は鎌倉五山第一位だけに旅人はウジャウジャ。 車は上り下りと列をなしている(渋滞)。 山門前の信号を過ぎると巨福呂坂洞門。 洞門の上部が旧道で、鎌倉七口の1つ巨福呂坂切通だけど、県道を拡幅したため消滅している。 両側の崖はかなり切り立っているけど、道幅が広いうえ、平成五年(1993)に完成したアーチ状の梁で半トンネルになっているせいか、スゴさを感じない。
 洞門をくぐると右手に道があるので、「通じているのか?」と思ったら、月極Pの出入口で行き止まり。 県道を下って右カーブすると左手は鶴岡八幡宮。 右手の県立近代美術館鎌倉別館を過ぎると旧巨福呂坂の入口。 本来は洞門の入口付近から右にカーブして出てくる場所なので、行き止まりを探検だ!

 とりあえず巨福呂坂洞門の近くまで上って、引き返しながらゆっくり沿道を見ようと思うけど、坂を上ると旧道らしい道幅で、沿道の民家は敷地の広い邸宅が目立つ。 左が崖で、右に民家と続くと、最後の民家が正面に現れ、旧道は途切れてしまう。

 さあ!ここから国指定史跡巨福呂坂≒巨福呂坂切通跡を進む! 仁治元年(1240北条泰時によって切り開かれた。 吾妻鏡には「“山内”の道路を造らる」とあるので亀ヶ谷坂も該当するけど、鶴岡八幡宮から鎌倉道中道へ“真っ直ぐ”続く巨福呂坂の方が軍事的に重要と思うので、巨福呂坂=正、亀ヶ谷坂=副と考えています。
 民家の間から崖下にあるさっきの月極Pを見ると、高度差があるので旧道とつながらない。 右手(上りの左手)に石仏群。 その中に天明八年(1788)製の道造供養塔なんてものがあるので、崖っぷちの修復って、いつの時代も大変なんだね。

 市指定文化財青梅聖天社の石段を上ると、砂岩と泥岩のサンドイッチ層の崖が社殿に覆い被さるようで、難工事だったことを窺わせる。 遠く鎌倉アルプスまで見渡せる景色がキレイ。
 巨福呂坂洞門の手前にもあった、横須賀水道トンネル巨福呂坂送水管路ずい道の出口に「史跡巨福呂坂」の標柱。 国の史跡だけど、巨福呂坂の「切通」が現存しないので、寂しい。

 K21に戻ると相変わらず人と車がウジャウジャ。 巨福呂坂では旅人と出会わなかったけど、旧道もひっそりとしてイイのにねぇ。 人をかき分け、右手鎌倉十井ノ井を横目に左カーブ。
 14:30鶴岡八幡宮三の鳥居でゴール。 人出としては初詣よりも少ないと思うけど、とにかく人・人・人。 せっかく八幡宮まで来たので県指定天然記念物の大イチョウを見学。 葉がもう黄色くなっていると思ったけど、まだ緑だった…ガクッ。

 一服するのは戸塚に戻ってからにしようということで、小町通りも人をかき分けサッサと帰る。 15:08鎌倉発新宿ラインで座わって帰り、JR戸塚駅のBECK’S茶屋で余韻に浸ってから解散する。


 後日、再度妙秀寺に寄ってみました。 午後なのに、やはり山門が塞がれているのでおかしい…。 右手にPがあるので行ってみると、何と!Pから境内に入るようになっている…ガクッ。
 文字の上部が欠けているけど、ようやく延宝二年(1674)製の「左りかまくら道」道標の写真が撮れたので、ホッ。 妙秀寺の北東にある東峯八幡大神にも鎌倉道道標があります。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 5時間15分(約4時間35分)
万歩計の歩数 21,390歩
喜多さんの歩数 20,099歩
経費
帰路:JR横須賀線鎌倉駅→戸塚駅 210円
 
参考図書&LINK
『横浜の古道』横浜市教育委員会
『旧鎌倉街道 探索の旅【中道編】』芳賀善治郎
歴散加藤塾(http://homepage2.nifty.com/katohjuk/)

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