2002年11月17日(日) 気になる旧道を歩く「1歩2歩散歩」第1回目は、歌川広重の東海道五十三次「戸塚 元町別道」に描かれた道標「左りかまくら道」。 ここでいう“かまくら道”というのは吉田道のことで、戸塚→鎌倉を歩きます。
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08:45 「戸塚 元町別道」
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広重が描いた「左りかまくら道」は、「左」じゃなくて「左り」ってのが面白いので、今回のタイトルにしてみました。 大山道はまだ正確なルートが分からないので、いつか挑戦します。 9:00JR戸塚駅地下通路の広重「戸塚」レリーフ前で待ち合わせて、スタート前に鎌倉道道標のある妙秀寺に寄る。 東海道を歩いた時は山門を撮っただけだったので、今日は道標を撮ろうと思ったら…ガーン! 時間が早かったのか? 閉まっている…。
9:15吉田大橋のたもと、こめや跡の案内板から「1歩2歩散歩」の第1回目がスタート。 柏尾川沿いの市道を進む。 ここで右手のJR豊田川架道橋をくぐって寄り道。 柏尾川を渡り、戸塚区役所入口交.左手に宝永七年(1710)製の鎌倉道道標。 ここは吉田道と東海道を結ぶ道で、往時は八坂神社に突き当たっていたけど、追分にあった道標が現在の場所に移された。
旧道に戻り南に進む。 左手が山なので、本来旧道は迂回するように右側のJR線路内を通っていた。 9:55左手の蔵田寺に元禄十三年(1700)製の戸塚本宿道道標がある。
右手に天明八年(1788)製の面懸阿弥陀如来江ノ道道標。 この先に親鸞ゆかりの永勝寺があるので、そのための道標みたい。 右面に「めんかけ如来道 かさこひ太子道」とある足下に、オマケみたいに「右かまくら」と、小っちゃく彫られているのが面白い。
K203に合流。 本来旧道は県道を横切るんだけど、もっと南にある派出所前交.まで行かないと右側に入る道はない。 交差点左手に横浜市地域有形民俗文化財の南谷戸の大わらじ。 道祖神や常夜灯が並んでいるので、ちょっとした名所みたい。
旧道はK203を横切って左側に移るんだけど、消えている。 はす向かいの路地を入ると、消えているのは入口だけで、確かに旧道がある。 県道に合流して環状3号線の高架をくぐると左に旧道。
県道に合流すると、左手の高台に慶長十年(1605)創建の長沼八幡社。 境内に横浜市指定名木古木の欅と石仏群。 県道となった旧道は貝殻坂で、だんだんと上っていく。 県道が右カーブする横で、旧道が直角に曲がっているけど、これはやっぱり「蛇行」跡? 峠左手に「かいがらざか」と記した標柱。
少し進むと右手の高台に石仏や無縫塔が並んでいるので、廃寺跡? 右横に「えんま坂」と板書。 飯島跨線橋入口交.手前のHONDA屋を左折すると旧道。 般若院本堂境内に庚申塔。
新橋交.左手に元禄四年(1691)製の戸塚道道標。 この場所は鎌倉古道鎌倉道中道との追分で、右面には「ぐミやうじ道」と刻まれている。 吉田道(戸塚道)も枝道の1つだけどね。
左手に宝永七年(1710)製の今泉村不動道道標。 文字が白く塗ってあるけど、最後の「道」だけ塗り忘れ? 『横浜の古道』によると、この付近の路地に石仏があるようなので探してみたけど見つからない。 あきらめて進むと旧道右手に石仏群…ガクッ。 この先は旧道が横浜市と鎌倉市の市境を通っていたけど、今は芝浦メカトロニクス屋の敷地なので、ターミネーターのようにビルをぶち壊して進まなければならない。 それは無理なので、大船局前交.を右折して砂押川沿いを進み、バス通りから1本JR大船駅寄りの道が旧道。 大船駅東口は商店や銀行でゴチャゴチャしているけど、少し離れると区画整理されていて、町並みはキレイ。
少し進むと住宅地。 以前は左手が離山という小っちゃな山脈だったので、左側の民家の庭は道路より高く、右側は低くなっている。 はなれ山通りに出る。 昔の地名が残っているのがウレシい。 車道を横切り旧道を進むと、JR横須賀線第1鎌倉踏切の左手に成福寺。 茅葺屋根の山門がイイ感じ。 貞永元年(1232)創建で、親鸞に師事した成仏が開基。 鎌倉市内で唯一の浄土真宗の寺院で、木像聖徳太子立像・木造虚空蔵菩薩座像などが市指定重要文化財。 境内には笠智衆の墓もある。
水堰橋でK302と合流。 右手に享保十二年(1727)製の観音道標。 ここは江の島道との追分で、「右とつか道 左藤さわ道」と刻まれていて、市指定有形民族資料として手厚く保護されている。
ここから北鎌倉までは、もう一直線。 小袋谷交.からK21に替わり、旅人が急激に増える。 「古い民家がある!」って喜んでも「やっぱり鎌倉だからなぁ…」と変に納得してしまう。
25分の休憩で出発。 目の前の北鎌倉駅前交.で進行方向右に旧道。 往時は左手の鎌倉五山第二位円覚寺の参道が旧道まで延びていたらしい。 しかし、旧道部分は短く、すぐ県道に合流。
建長寺は鎌倉五山第一位だけに旅人はウジャウジャ。 車は上り下りと列をなしている(渋滞)。 山門前の信号を過ぎると巨福呂坂洞門。 洞門の上部が旧道で、鎌倉七口の1つ巨福呂坂切通だけど、県道を拡幅したため消滅している。 両側の崖はかなり切り立っているけど、道幅が広いうえ、平成五年(1993)に完成したアーチ状の梁で半トンネルになっているせいか、スゴさを感じない。 とりあえず巨福呂坂洞門の近くまで上って、引き返しながらゆっくり沿道を見ようと思うけど、坂を上ると旧道らしい道幅で、沿道の民家は敷地の広い邸宅が目立つ。 左が崖で、右に民家と続くと、最後の民家が正面に現れ、旧道は途切れてしまう。
さあ!ここから国指定史跡巨福呂坂≒巨福呂坂切通跡を進む! 仁治元年(1240)北条泰時によって切り開かれた。 吾妻鏡には「“山内”の道路を造らる」とあるので亀ヶ谷坂も該当するけど、鶴岡八幡宮から鎌倉道中道へ“真っ直ぐ”続く巨福呂坂の方が軍事的に重要と思うので、巨福呂坂=正、亀ヶ谷坂=副と考えています。
市指定文化財青梅聖天社の石段を上ると、砂岩と泥岩のサンドイッチ層の崖が社殿に覆い被さるようで、難工事だったことを窺わせる。 遠く鎌倉アルプスまで見渡せる景色がキレイ。
K21に戻ると相変わらず人と車がウジャウジャ。 巨福呂坂では旅人と出会わなかったけど、旧道もひっそりとしてイイのにねぇ。 人をかき分け、右手鎌倉十井の鉄ノ井を横目に左カーブ。 一服するのは戸塚に戻ってからにしようということで、小町通りも人をかき分けサッサと帰る。 15:08鎌倉発新宿ラインで座わって帰り、JR戸塚駅のBECK’S茶屋で余韻に浸ってから解散する。
後日、再度妙秀寺に寄ってみました。 午後なのに、やはり山門が塞がれているのでおかしい…。 右手にPがあるので行ってみると、何と!Pから境内に入るようになっている…ガクッ。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 5時間15分(約4時間35分) |
万歩計の歩数 | 21,390歩 |
喜多さんの歩数 | 20,099歩 |
経費 | |
帰路:JR横須賀線鎌倉駅→戸塚駅 | 210円 |
参考図書&LINK | |
『横浜の古道』横浜市教育委員会 『旧鎌倉街道 探索の旅【中道編】』芳賀善治郎 |
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