江戸伝馬制以前:
(古代) |
飛鳥時代まで | 奈良時代 | 平安時代 | ||
江戸伝馬制以前:
(中世・近世) |
鎌倉時代 | 南北朝・
室町時代 |
安土桃山時代 | ||
江戸伝馬制時代:
(近世) |
江戸時代初期 | 江戸時代前期 | 江戸時代中期 | 江戸時代後期 | 幕末 |
伝馬制廃止時代:
(近代) |
明治時代 | 大正時代 | 昭和時代 | 平成時代 | |
伝馬制遙か遠く:
(現代) |
令和時代 |
飛鳥時代まで |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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欽明13 | 552 | w:百済の使節より欽明天皇に仏像・経典が献上される | 蘇我氏vs物部氏で崇仏論争 |
推古3 | 595 | 日:突然地中から山が出現!(待乳山聖天のおこり) | 筑紫に送った任那復興軍が帰還 |
推古36 | 628 | 日:江戸浦で観音像が発見され郷司の土師真中知が祀る | 蘇我蝦夷が境部摩理勢を殺害 |
大化2 | 646 | 中大兄皇子が「改新の詔」発表、駅馬・伝馬を定める |
薄葬令を定め、巨大墳墓終焉 |
天智7 | 668 | 東:高麗王若光一族が相模国の余綾に移住する | 中大兄皇子が即位し天智天皇に |
天智8 | 669 | w:鏡女王が夫の大病平癒を祈願して山階寺を建立する | 藤原鎌足(56)死去 |
天智10 | 671 | 東:天智天皇(47)崩御 | 漏刻を飛鳥より大津宮に移築 |
天武1 | 672 | 東:大海人皇子が吉野を脱出、伊勢国の桑名で宿営する 東:瀬田の唐橋が壬申の乱の最後の決戦場となる |
都を飛鳥浄御原宮に遷都 |
天武8 | 679 | ・大和国の龍田山・大坂山に関が設置される | |
天武9 | 680 | w:天武天皇によって飛鳥に薬師寺が創建される | 国の大寺(官寺)を制定 |
朱鳥1 | 686 | 東:三河国の伊奈に菟足神社が創建される 東:行基によって大岡山山頂に大岡寺が創建される 東:大友氏の氏寺が天武天皇より「園城」の勅願を賜わる |
天武天皇(56?)崩御 |
文武2 | 698 | 東:三河国の岩屋山に大岩神明社が勧請される | 大和国の薬師寺がほぼ完成 |
大宝1 | 701 | 大宝律令が完成し、駅馬・伝馬制が成文化される |
33年ぶりに遣唐使を派遣 |
大宝2 | 702 | ・持統太上天皇が三河国に行幸する ・美濃国で岐蘇(木曽)山道の工事が始まる |
大宝律令が諸国に頒布される 持統太上天皇(58)崩御 |
奈良時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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和銅3 | 710 | w:都を平城京に遷都する w:藤原不比等が飛鳥の厩坂寺を平城京に移転する w:藤原不比等が鹿島神宮の武甕槌命を御蓋山に勧請する |
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和銅4 | 711 | ・平城京と東海道・山陽道に新駅が7カ所設置される | 蓄銭叙位の法で私鋳銭を禁止 |
和銅5 | 712 | 東:長屋王が大般若経600巻を写経させる(和銅経) | 太安万侶が『古事記』を完成 |
和銅6 | 713 | ・美濃国・信濃国を結ぶ岐蘇(木曽)路が開通する | 元明天皇が風土記編纂を命じる |
雲亀1 | 715 | w:大和国の施基皇子の山荘跡に白毫寺が創建される | 里(り)を郷(ごう)と改称する |
養老1 | 717 | ・元正天皇が美濃国の美泉(養老の滝)に行幸する | 僧尼令により行基の活動を禁圧 |
養老2 | 718 | ・南海道のルートを阿波国→土佐国に改定する w:飛鳥の薬師寺を平城京に移す |
法興寺(元興寺)を平城京に移す |
養老5 | 721 | e:善無畏三蔵法師によって弘明寺が開創される w:行基によって平城京に菅原寺が創建される |
信濃国から諏訪国が分国 |
神亀3 | 726 | 東:泰澄によって伊勢国に石薬師寺が創建される | 豊作によりこの年の田祖を免除 |
神亀5 | 728 | w:聖武天皇が金鐘山寺を建立する | |
天平1 | 729 | e:泰澄によって尾張国に観音寺(荒子観音)が創建される | 長屋王(54)が謀略により自害 |
天平2 | 730 | 中:武蔵国に神田明神が創建される | 諸国の防人を廃止する |
天平3 | 731 | w:光明皇后によって平城京に海龍王寺が創建される | 大伴旅人(67)死去 |
天平7 | 735 | 東:良弁によって近江国に常善寺が創建される | 吉備真備・玄ムが唐から帰国 |
天平8 | 736 | 東:尾張国に笠覆寺の前身小松寺が創建される | |
天平12 | 740 | 東:聖武天皇が伊勢国を行幸し鏡ヶ池に立ち寄る | 藤原広嗣が筑前国で反乱 |
天平13 | 741 | w:聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔を発表する 東:行基によって伊勢国の関に地蔵院が開創される |
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天平17 | 745 | w:光明皇后が父藤原不比等の邸宅跡を宮寺とする | 聖武天皇が都を平城京に戻す |
天平19 | 747 | w:光明皇后によって新薬師寺が創建される 東:良弁によって珪灰石の上に石山寺が創建される |
東大寺大仏の鋳造開始 |
天平 勝宝1 |
749 | w:行基(81)入寂 | 陸奥国から黄金献上(国産初) |
天平 勝宝8 |
756 | w:光明皇后が夫聖武天皇の遺品を正倉に収める | 鑑真・良弁を大僧都に任命 |
天平 宝字3 |
759 | ・諸国の駅路に果樹を植える w:鑑真によって平城京に唐招提寺が創建される |
大伴家持が『万葉集』を編纂 |
天平 神護1 |
765 | w:称徳天皇によって平城京に西大寺が創建される | 道鏡が太政大臣禅師となる |
神護 景雲2 |
768 | w:称徳天皇によって御蓋山に春日大社が創建される | 道鏡の弟弓削浄人が大納言に |
宝亀2 | 771 | ・東海道のルートで武蔵国を東山道から東海道へ変更する | 東大寺大仏の造営が完了 |
平安時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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延暦4 | 785 | w:早良親王が藤原種継暗殺事件に連座して憤死する | 最澄が比叡山に庵を構える |
延暦8 | 789 | ・桓武天皇が三関(鈴鹿・不破・愛発)を廃止する | 多賀城で蝦夷攻撃を開始 |
延暦9 | 790 | 東:坂上田村麻呂が遠江国に善光寺を建立する | 畿内に天然痘が流行 |
延暦14 | 795 | 東:桓武天皇によって逢坂山関が廃止される 日:素盞雄大神&飛鳥大神を祀る社が創建される |
東国出身者による防人を廃止 |
延暦15 | 796 |
東:伊勢国の和田に石上寺が開創される | 京都で東寺・西寺・鞍馬寺建立 |
延暦16 | 797 | 東:坂上田村麻呂が駿河国の豊積神社に戦勝報告をする | 『続日本紀』完成 |
延暦19 | 800 | w:桓武天皇よって早良親王が崇道天皇と追称される | 富士山が噴火する |
延暦21 | 802 | ・富士山の噴火で足柄路が不通となり、筥荷(箱根)路開設 | 蝦夷の総帥阿弖流為が坂上田村麻呂に降伏 |
延暦22 | 803 | ・富士山の噴火で不通となっていた足柄路が復旧する | 坂上田村麻呂が志波城造営 |
延暦24 | 805 | w:崇道天皇の墓が淡路国から大和国へ移葬される | 平安京の造営が中止される |
大同2 | 807 | 東:坂上田村麻呂が事任神社を本宮山より遷座する 中:坂上田村麻呂が飯玉社で造営舞楽を奏上する |
桑・漆の栽培が奨励される |
弘仁3 | 812 | 東:嵯峨天皇の勅によって二子嶺に田村神社が創建される | 嵯峨天皇が初の花宴を催す |
弘仁5 | 814 | w:嵯峨天皇によって大和国に弘仁寺が創建される | 嵯峨天皇の皇子女が源姓を賜る |
弘仁13 | 822 | 東:二子嶺の田村神社が現在の場所に移転する 東:近江国の逢坂に関明神が創建される |
最澄(56)入寂 |
天長1 | 824 | w:弘法大師によって大和国に長岳寺が創建される | 勘解由使が復活 |
天長3 | 826 | 日:弘法大師が観音像を置いた枯れ井戸から清水が湧く | 藤原冬嗣(52)死去 |
承和2 | 835 | ・東海道・東山道の主要河川に浮橋・渡船が設置される | 空海(62)入定 |
承和5 | 838 | 奥:宇都宮大明神が創建の地より臼ヶ峰に遷される | (ハレー)彗星が現れて大騒ぎ! |
承和14 | 847 | w:在原業平が聖観音像を刻んで不退転法輪寺を創建する | 遣唐僧円仁が弟子を連れて帰国 |
嘉祥2 | 849 | w:小野篁が1本の桜から6体の地蔵菩薩を刻む | 唐商人53人が太宰府に来着 |
天安1 | 857 | 東:高見王の娘・平政子が相模国の平塚で死去 | 藤原良房が太政大臣となる |
貞観4 | 862 | w:山城国御諸神社の境内から香りのイイ清水が湧き出る | 京の市中組織が強化される |
貞観16 | 874 | w:山城国宇治郡に醍醐寺が創建される | 薩摩国の開聞岳が噴火 |
仁和2 | 886 | 東:鈴鹿峠に阿須波(あすは)道が開通する | 菅原道真が讃岐国司として着任 |
昌泰2 | 899 | ・相模国に足柄関、上野国に碓氷関が設置される | |
延長4 | 926 | 日:渡良川(後の隅田川)のほとりに稲荷社が創建される | 豊受大神宮の境界を決定 |
延長8 | 930 | w:醍醐天皇(46)崩御 | 清涼殿の落雷で公卿2人即死 |
天慶3 | 940 | 東:平将門が藤原秀郷に討たれる | 瀬戸内海沿岸で藤原純友の乱 |
天慶5 | 942 | 日:浅草寺の風雷神門(雷門)が建立される | |
天慶9 | 946 | 東:逢坂山の蝉丸神社に蝉丸が主神として祀られる | |
天徳1 | 957 | 中:上野国に一国一社の八幡宮が建立される | 日延が呉越から宝篋印塔を請来 |
応和1 | 961 | 東:この頃に現存の『伊勢物語』が成立(丸子宿)(岡崎宿) | 小野道風が内裏施設の額を書く |
天禄2 | 971 | ・出羽守橘時舒が東山道を使わず東海道を利用して着任 | |
正歴2 | 991 | w:山城国宇治郡に隨心院の前身曼荼羅寺が創建される | 円融天皇(33)崩御 |
長保3 | 1001 | 東:三河国の赤坂に関川神社が建立される | 公卿・女官らの美服を禁止 |
寛仁4 | 1020 | ・上総介菅原孝標が東海道を3カ月かけて帰京する | 藤原道長が無量寿院を建立 |
万寿1 | 1024 | ・勢多の唐橋が焼失する | |
永承6 | 1051 | 中:源頼義・義家父子が上野国に八幡宮を建立する | 前九年の役が始まる |
天喜5 | 1057 | 東:源頼義・義家父子が武蔵国に六郷神社を建立する | 源頼義が安倍頼時を討つ |
康平5 | 1062 | 東:源頼義が事任神社に石清水八幡宮を勧請する | 源頼義が安倍貞任を討つ |
康平6 | 1063 | 日:源頼義・義家父子が浅草今之津に石清水八幡を勧請 | 源頼義が鎌倉鶴岡八幡宮を建立 |
延久1 | 1069 | 東:遠江国の池田に行興寺が創建される | 記録荘園券契所が設置される |
承暦2 | 1078 | 東:近江国石山寺の本堂が雷災のため焼失する | |
永保1 | 1081 | w:白河天皇が神嘉殿を大和国の石上神宮に移築する | 延暦寺僧徒が園城寺を焼き討ち |
永保3 | 1083 | 東:源義家が後三年の役で奥州に向かう途中、藤枝に寄る 東:源義家が奥州に向かう途中、矢作神社に参拝する |
富士山が噴火 |
永長1 | 1096 | 東:雷災のため焼失した石山寺の本堂が再建される | 京で田楽が大流行 |
永久3 | 1115 | 大:相模国の渋谷郷に渋谷城が築城される | |
久安3 | 1147 | e:源頼朝が尾張国の熱田で誕生する | 平清盛に祇園社騒乱の罪で贖銅30斤が下される |
保元2 | 1157 | w:伏見六地蔵が京の街道入口6カ所に分置される 東:山城国の山科に六地蔵を分置した六角堂が設置される |
大内裏が完成 |
平治1 | 1159 | e:源義朝が平治の乱で敗れ、尾張国の荷之上に上陸 | 源頼朝が二条天皇の蔵人に任命される |
永暦1 | 1160 | w:常盤御前が宇治川の河原で平氏に捕らえられる 東:源頼朝が伊豆下向の際に建部大社で前途を祈願する |
平清盛が厳島神社に初参詣 |
承安4 | 1174 | 東:源義経が奥州に向かう途中、三河国矢作宿に宿泊する | 千僧供養を禁じられた上人が京都舟岡野で焼身自殺 |
治承4 | 1180 | e:源頼朝が鎌倉郡大倉郷に屋敷を建てる(大倉幕府) e:源頼朝が伊豆三嶋明神を勧請し、瀬戸神社を創建する 東:源頼朝が富士川の合戦で平家軍に勝利する 東:源頼朝が弟義経と黄瀬川で出会う |
平重衡が南都を攻め、東大寺・興福寺炎上 |
寿永2 | 1183 | e:梶原景時が上総広常を暗殺し、血の着いた太刀を洗う | 源義仲が京に入る |
寿永3 | 1184 | 東:源義仲が近江国の粟津で討ち死にする 東:今井兼平が討ち死にした源義仲の後を追い自害する 中:一ノ谷の戦いで岡部忠澄が平忠度を討つ |
源頼朝が問注所を設置 |
鎌倉時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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文治1 | 1185 | 源頼朝が「駅路の法」で京・鎌倉往還に伝馬制を定める
東:平清宗が野路口で斬首され、首を六条河原に晒される |
壇ノ浦の合戦で源義経が勝利 |
文治2 | 1186 | 東:武蔵国に牛頭天王社(現橘樹神社)が創建される 東:西行が奥州へ旅立ち、小夜の中山を通る |
静御前が鶴岡八幡宮で舞を奉納 源頼朝が鎌倉で西行と出会う |
文治3 | 1187 | ・梶原景時が讒言の罰で鎌倉中の道路整備を命じられる ・源頼朝が美濃国に新しい宿を設置することを許可する ・源頼朝が京・鎌倉往還の飛脚程を早馬で7日間と定める |
源義経が藤原秀衡の元に逃れる |
文治5 | 1189 | 東:源義経(31)が藤原泰衡に討たれる 東:源頼朝が駿河国の麻利子宿設置を許可する |
奥州藤原氏が滅亡 |
建久1 | 1190 | 東:源頼朝が上洛のため遠江国の菊河宿に宿泊する 東:源頼朝が上洛のため遠江国の橋本宿に宿泊する 東:源頼朝が上洛のため近江国の野路宿に宿泊する 東:源頼朝が上洛の途中、近江国の建部大社に立ち寄る |
源頼朝が後鳥羽天皇、後白河法皇に謁見 |
建久3 | 1192 | 東:北条政子が安産祈願を相模国内で行う 中:源頼朝の御前で熊谷直実vs久下直光が所領争い |
源頼朝が征夷大将軍となる 熊谷直実が源頼朝の面前で出家 |
建久4 | 1193 | ・富士の巻狩りで曽我兄弟が仇討ちを果たす | 源頼朝が弟範頼を伊豆に幽閉し殺害 |
建久5 | 1194 | 東:近江国の石山寺に多宝塔が建立される | 幕府が東海道に新駅を増設 |
建久6 | 1195 | 東:蓮正(熊谷直実)が開山となって蓮正寺が創建される 中:武蔵国牧西村に八幡宮が勧請される |
源頼朝夫妻が東大寺再建落慶供養に出席 |
建久8 | 1197 | 中:岡部忠澄(?)死去 中:源頼朝が上野国碓氷郡の八幡宮に立ち寄る |
幕府が九州諸国に図田帳作成を命令 |
建久9 | 1198 | 東:源頼朝が相模川でまさかの落馬! 東:熊野御前(33)死去 |
法然が『選択本願念仏集』を著す |
正治1 | 1199 | e:源頼朝(53)死去 | 源頼家が梶原景時を追放する |
建仁2 | 1202 | 東:伊勢国の浜田に信濃国から諏訪神社を勧請する | 源頼家が征夷大将軍となる |
元久2 | 1205 | 中:武蔵国に陽雲寺の前身満願寺が創建される | 北条時政が伊豆に追放される |
建保1 | 1213 | e:謀反人渋河兼守が罪を赦され報謝として橋を架ける | 源実朝の『金槐和歌集』完成 |
建保3 | 1215 | 中:武蔵国の勅使河原村に大光寺が創建される 奥:宇都宮頼綱が下野国の宿郷に念仏堂を建立する |
栄西(75)入寂 |
承久3 | 1221 | 東:藤原宗行らが承久の乱で討幕の罪により処刑される | 北条政子が御家人を前に涙の名演説 |
貞永1 | 1232 | e:親鸞が相模国の能満寺(現正安寺)に宿泊して布教する e:成仏によって相模国に成福寺が創建される 東:親鸞が相模国の国府津に立ち寄り、7年間滞在する |
鎌倉に人工港和賀江島が完成 北条泰時が御成敗式目を制定 |
仁治1 | 1240 | e:北条泰時によって山内の道路が切り開かれる | 幕府が公家と結婚した娘への所領譲渡を禁止 |
仁治2 | 1241 | e:執権北条泰時が六浦路の工事で土石を運び汗を流す | 藤原定家(80)死去 |
寛元1 | 1243 | 中:和田城主和田正信が相模国より熊野社を勧請する 中:松井田の地名の由来となる不動寺が開創される |
道元が大仏寺(永平寺)を開山 |
建長4 | 1252 | 東:鎌倉幕府6代将軍宗尊親王が鎌倉に下向する | 鎌倉の大仏の鋳造が始まる |
建長5 | 1253 | 東:日蓮が帰郷の途中、駿河国の藤枝で松を植える | 日蓮が安房国清澄寺で日蓮宗を開く |
正嘉2 | 1258 | e:金沢実時が居館内に持仏堂を建立する(称名寺) | 伯耆国東郷荘で下地中分を行う |
弘長1 | 1261 | ・幕府が各宿場ごとに早馬2疋を常備させる | 幕府が日蓮を伊東に配流 |
文永3 | 1266 | 東:近江国石坐神社の本殿が建立される | 幕府が将軍宗尊親王を追放 |
文永7 | 1270 | 東:近江国の建部大社に石灯籠が建立される | 幕府が朝廷のモンゴルへの返書を押収 |
文永11 | 1274 | 東:日蓮が酒匂川増水のため法船寺に宿泊する | 元軍来襲(文永の役) |
建治3 | 1277 | 奥:宇都宮大明神に鉄製狛犬が奉納される | 阿仏尼が訴訟のため鎌倉に向かう |
弘安1 | 1278 | e:相模国の大倉郷に十二所神社が創建される | 蘭渓道隆(66)入寂 |
永仁4 | 1296 | 東:遠江国の菊河宿に接待所が設置される | 宗教界を風刺した『天狗草紙』完成 |
正安2 | 1300 | 東:遠江国の橋本宿に教恩寺が創建される | 東大寺領櫟本郷の農民が夫役を拒否 |
嘉元3 | 1305 | e:金沢貞顕が平潟湾の入り江に瀬戸橋を架ける | 嘉元の乱で北条宗方が討たれる |
徳治2 | 1307 | 日:千葉氏によって牛田に氷川社が創建される | 日本商人が元の寧波で放火略奪 |
延慶2 | 1309 | 中:武蔵国の神田明神が平将門を祀る | |
正和1 | 1312 | 奥:宇都宮貞綱が亡母の供養に鉄塔婆を建立する | 京極為兼が「玉葉和歌集」撰進 |
正和3 | 1314 | 東:駿河国清見寺の梵鐘が鋳造される 日:武蔵国足立郡に慈眼寺が創建される |
江戸重道・政重が先祖伝来の品で争い、幕府が裁決 |
正和6 | 1317 | w:大和国の不退転法輪寺に南大門が建立される | 近江の葛川・伊香立で境界紛争 |
正中2 | 1325 | 東:相模国に時宗総本山清浄光寺(遊行寺)が創建される | 出雲大社の新社殿が完成 |
元弘1 元徳3 |
1331 | 東:日野俊基らが元弘の乱で討幕の罪により捕らえられる | この頃に吉田兼好『徒然草』完成 |
元弘2 正慶1 |
1332 | 東:日蓮の両親の出身地遠江国に妙日寺が創建される | 楠木正成が千早城を死守 |
元弘3 正慶2 |
1333 | 大:新田義貞が鎌倉道たつ道を駆け抜ける | 鎌倉幕府が滅亡 |
南北朝・室町時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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建武2 | 1335 | e:武蔵国の岩井ノ原に福聚寺が開創される 東:護良親王(28)が足利直義に暗殺される 東:新田義貞が三河国矢作宿の矢作神社に参拝する |
北条時行が挙兵(中先代の乱) 足利尊氏が鎌倉を奪回 |
延元3 暦応1 |
1338 | 東:新田義貞(38?)が越前国で敗死する | 足利尊氏が征夷大将軍となる |
興国2 暦応4 |
1341 | 中:新田義貞の家臣畑時能(?)が足利方に討たれる | 足利直義が天竜寺船の元派遣を決定 |
正平1 貞和2 |
1346 | ・幕府が私関の新設や港での通行料徴収を禁止する | |
正平4 貞和5 |
1349 | 東:京都の鈍翁了愚によって近江国の常明寺が再興される | 足利直義と高師直が対立 |
正平7 観応3 |
1352 | 中:上野国の不動寺に自然石の塔婆が造られる | 足利尊氏が鎌倉で弟直義を毒殺 |
康応2 | 1390 | 中:武蔵国の国済寺が上杉憲英によって開創される | 幕府が美濃守護土岐氏を滅ぼす |
応永3 | 1396 | 中:上野国郷原で宝篋印塔が造られる | 延暦寺で大講堂供養が行われる |
永享12 | 1440 | 中:深谷城の鎮守として富士浅間神社が勧請される | 幕府が永平寺造営のため北陸道に段銭を課す |
応永11 | 1404 | 中:上杉憲英(?)死去 | 奥州の国人が仙道一揆 |
応永32 | 1425 | e:尾張国の青大悲寺に鉄製の観音像が建立される | 5代将軍足利義量(19)死去 |
永享4 | 1432 | 東:足利義教が富士遊覧の途中、橋本宿紅葉寺に寄る | 6代将軍足利義教が遣明船を派遣し日明貿易復活 |
嘉吉3 | 1443 | 中:上野国郷原で宝篋印塔が造られる | 幕府が徳政一揆の主導者を斬る |
康正2 | 1456 | 中:上杉房憲が武蔵国に深谷城を築く | 幕府が内裏造営のため段銭・棟別銭を課す |
長禄1 | 1457 | ・河内国の土一揆で国内の関所616カ所が破壊される ・この頃淀川に関所が400! 中:武蔵国の鴻巣郷に法要寺が開創される |
太田道灌が江戸城を築城 |
長禄4 | 1460 | 大:相模国の岡津郷に西林寺が開創される | 幕府が東海道の諸関を廃止 |
寛正2 | 1461 | w:総本家駿河屋の前身鶴屋が船戸の床で商いを始める | 鴨川が飢饉による死者で埋まる |
文明1 | 1469 | ・この頃伊勢国に関所が120! ・そのうち桑名・日永間だけで約60! |
備中国で地頭の入部を拒み土一揆が蜂起 |
文明2 | 1470 | 東:田原忠秀によって浜田城が築城される | 幕府が朝鮮から軍需米を輸入 |
文明7 | 1475 | 中:児玉党の一族・本庄雪茂が安入庵を創建する | 蓮如が越前吉崎を退去し、河内出口に入る |
長享1 | 1487 | 東:足利義尚が六角征伐のため近江国の鈎に本陣を置く | 今川氏親が印判状に黒印を使用 |
明応7 | 1498 | 東:地震と津波により淡水湖だった浜名湖が海とつながる | 田代三喜が明から李朱医学を伝え円覚寺に入る |
明応9 | 1500 | e:武蔵国の龍華寺に木造の弥勒菩薩坐像が造られる | 応仁の乱で途絶えた祇園会が約30年ぶりに復興 |
文亀2 | 1502 | 中:武蔵国の巣鴨に庚申塔が建立される | 茶人の村田珠光(80)死去 |
永正1 | 1504 | 東:宗長が駿河国の丸子に庵・柴屋軒を結ぶ | 立河原で上杉顕定が上杉朝良に勝利 |
永正2 | 1505 | 東:吉田城の前身である今橋城が築城される | 幕府が京で流行の盆踊りを禁止 |
永正6 | 1509 | 東:知立神社の多宝塔が再建される 中:武蔵国の勅使河原村に石幢が建立される |
宗長が東海・関東をまわり鎌倉に入る |
大永1 | 1521 | 東:北条氏綱が後北条氏の菩提寺・早雲寺を建立する | 今川氏親の武将福島正成が武田信虎と戦い敗死 |
大永4 | 1524 | ・北条氏綱が小田原城・玉縄城から武蔵国石戸・毛呂を往復する者に伝馬掟を定める e:龍華寺所有の木造地蔵菩薩坐像が造られる 中:蕨城が北条氏綱に攻められ破壊される |
武田信虎が猿橋を拠点に上杉憲房と戦う |
天文3 | 1534 | 中:熊野社(のちの高崎神社)に鰐口が造られる | 安房国の里見氏の内紛が決着 |
天文5 | 1536 | e:尾張国観音寺の多宝塔が再建される 大:相模国の岡津郷に三嶋神社が創建される |
京の日蓮宗寺院を焼く(天文法華の乱) |
天文6 | 1537 | e:犬千代(前田利家)が尾張国の荒子城で誕生する 東:増誉が駿河国の沼津に乗運寺を開く |
今川義元が武田信虎と甲駿同盟を結ぶ |
天文10 | 1541 | e:武蔵国龍華寺の梵鐘が鋳造される | 武田信玄が父信虎を追放する |
天文11 | 1542 | 東:徳川家康が三河国岡崎城で誕生する 東:蟹坂で山中城主山中秀国が伊勢国司北畠具教と戦う 大:相模国の岡津郷に永明寺が開創される |
齊藤道三が土岐頼芸の大桑城を襲う |
天文15 | 1546 | 中:武蔵国の桶川郷に浄念寺が開創される | 足利義藤が13代将軍となる |
天文17 | 1548 | e:北条氏康が荏柄天神社社殿造営のため関所を設置する | 長尾景虎が越後守護代となる |
天文19 | 1550 | 東:伊勢国の日永で笹井屋が営業を始める | 宣教師ザビエルが平戸で布教を開始 |
天文23 | 1554 | ・三河国御油宿で伝馬に1里10銭の駄賃銭が認められる | 北条氏康が古河公方を幽閉 |
弘治1 | 1555 | 東:北条氏康が今川氏真に千貫樋を贈る | 厳島の戦いで毛利元就勝利 |
弘治2 | 1556 | 中:児玉党の一族・本庄実忠が本庄城を築く | 斎藤道三(63)死去 |
永禄1 | 1558 | 北条氏康が領国の伝馬制を確立させる |
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永禄2 | 1559 | 東:織田信長が今川義元の侵攻に備え中島砦を築く 中:安中忠政が安中城を築き、熊野三社を勧請する |
織田信長が京に上り将軍足利義輝に謁見 |
永禄3 | 1560 | e:織田信長が桶狭間の勝利祝に熱田神宮に塀を奉納する 東:織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利する 東:桶狭間の戦いで鳴海(根古屋)城が落城する |
松平元康(徳川家康)が岡崎城に帰り独立 |
永禄6 | 1563 | 東:徳川家康が三河一向一揆で危機一髪! | 毛利元就が佐東銀山を朝廷・幕府に献上 |
永禄11 | 1568 | ・織田信長が領国の尾張・美濃・南近江の関所を撤廃する 東:武田信玄が上原延命子安地蔵尊に本陣を設置する 東:武田信玄と今川氏真が興津川で戦う |
織田信長が将軍足利義昭を奉じて入京 |
永禄12 | 1569 | ・織田信長が伊勢国の関所を撤廃する 東:多摩川六郷橋が武田信玄の小田原城攻めの際焼失 東:箱根湯本の地蔵尊が小田原板橋に移される |
織田信長が将軍義昭の二条御所を造営 |
元亀1 | 1570 | 東:相模国の藤沢に養命寺が創建される 東:徳川家康が引馬城を改修し、浜松城を築城する |
姉川の戦いで織田信長が勝利 |
元亀3 | 1572 | 東:遠江国の木原畷で武田信玄と徳川家康が対峙する | 加賀越中一向一揆が上杉謙信に勝利 |
安土桃山時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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天正1 | 1573 | 東:武田勝頼によって諏訪原城が築城される 奥:宿郷村の念仏堂が奥大道沿いに移され清厳寺となる |
足利義昭が織田信長に降伏し、室町幕府が滅亡 |
天正3 | 1575 | ・織田信長が東海道・東山道の改修と並木植樹を命じる ・織田信長が越前国の関所を撤廃する ・織田信長が瀬田の大橋を10日で建造する 東:織田信長が浜の道(熱田〜笠寺)を整備する |
織田信長・徳川家康連合軍が長篠の戦いで武田勝頼に勝利 |
天正4 | 1576 | ・駿河国棠沢宿で私用伝馬に1里1銭の駄賃が認められる | 北条氏康が古河公方を幽閉 |
天文9 | 1581 | e:尾張国荒子の荒子城が廃城となる | 武田勝頼が甲斐国韮崎の新府城に移住 |
天正10 | 1582 | ・織田信長が甲斐国・信濃国の関所を撤廃する 東:徳川家康が駿河国の蒲原に御茶屋を建立する 中:神流川の戦いで滝川一益が北条軍に敗れる |
織田信長(49)が本能寺の変で自害 |
天正13 | 1585 | 東:徳川家康が駿河国の駿府に駿府城を築城する | 大坂城天守が完成 |
天正14 | 1586 | ・羽柴秀吉が島津氏討伐のため山陽道から九州にかけて道路を建設する | 羽柴秀吉が太政大臣に任じられ豊臣姓を賜る |
天正15 | 1587 | 東:徳川家康が遠江国見付の宣光寺に釣鐘を寄進する | 豊臣秀吉が京都北野で大茶会を開催 |
天正17 | 1589 | w:豊臣秀吉が淀城を改築して淀殿の御殿として与える | 伊達政宗が会津に侵攻 |
天正18 | 1590 | ・豊臣秀吉が小田原から会津まで幅3間の道普請を命じる w:山城国の伏見に西岸寺が創建される 東:京都三条(大)橋が日本初の石柱橋として架けられる 東:豊臣秀吉が伊豆国山中城を攻め半日で落城する 東:豊臣秀吉が相模国石垣山に一夜城を築城する 東:尾張国出身の堀尾金助(18)が小田原の陣で死去 東:豊臣秀吉が宇津ノ谷の石川家に陣羽織を与える 東:尾張国鳴海(根古屋)城が廃城となる 東:岡本良勝によって亀山城が築城される 中:浦和の市に喧嘩口論などを禁じた禁制が出される 中:豊臣秀吉の関東攻めにより本庄城が落城する |
後北条氏が滅亡 徳川家康が関東に転封される 豊臣秀吉が聚楽第で朝鮮使節から国書を受け取る |
天正19 | 1591 | e:豊臣秀吉が尾張国の津島神社に楼門を寄進する 中:本庄城主小笠原信嶺が開善寺を開く |
千利休(70)が豊臣秀吉の命により自害 |
天正20 文禄1 |
1592 | 東:徳川家康が伊勢国関の御茶屋御殿で休息する | 文禄の役が始まり小西行長らが釜山に上陸 |
文禄2 | 1593 | 中:小池氏によって武蔵国の鴻巣郷に御殿が建立される | 豊臣秀吉が蠣崎慶広に蝦夷地経営の朱印状を与える |
文禄3 | 1594 | w:豊臣秀吉の命で大友宗麟が宇治川に豊後橋を架ける 日:伊奈忠次によって荒川に(千住)大橋が架けられる |
太閤検地が本格的に実施される |
文禄4 | 1595 | 中:徳川家康が江戸に金座を開き小判を鋳造させる | 豊臣秀吉が秀次に切腹を命じる |
慶長1 | 1596 | 東:駿河国の丸子宿で丁子屋が営業を始める | 豊臣秀吉が宣教師・キリスト教徒を長崎で処刑 |
慶長2 | 1597 | 甲:三河国の秦宝寺が徳川家康の命によってお引っ越し | 慶長の役が始まる |
慶長3 | 1598 | w:豊臣秀吉が醍醐寺に700本の桜を植え花見をする 中:小笠原信嶺(52)死去 中:井伊直政が和田に入封して、地名を高崎と改める 日:石出吉胤が千住で新田開発を始める |
豊臣秀吉(62)死去 |
慶長4 | 1599 | 東:高台院(北政所)によって三井寺の金堂が再建される 中:箕輪城下の下ノ社を高崎城下に勧請する |
前田利家(63)死去 |
慶長5 | 1600 | w:豊臣秀頼により醍醐寺の金堂が再建される 東:多摩川六郷橋が再建される 東:掛川城主山内一豊が徳川家康を接待する 東:浜名湖の今切口に新居関所が設置される 東:徳川家康が近江国栗太郡の常善寺に宿陣する |
関ヶ原の戦いで東軍勝利 法隆寺の修築開始(1606まで) |
江戸時代初期 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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慶長6 | 1601 | 徳川家康が東海道に伝馬制を定め、各宿場に伝馬36疋を常備させる
・前田利長が加賀国内に松並木を植える甲:北町奉行所が呉服橋門内に設置される(その後移転) |
山城国伏見に銀座を設置 佐渡の金銀山を幕府直轄とする |
慶長7 | 1602 | 中山道に伝馬制を定める
東:東海道に大津宿が設置される |
小早川秀秋(21)死去 |
慶長8 | 1603 | 中:江戸に日本橋が架けられる | 徳川家康が征夷大将軍となる |
慶長9 | 1604 | ・日本橋を五街道の起点と定める ・東海道・中山道・北陸道の3街道に一里塚を設置し、並木を植えさせる 東:東海道に戸塚宿が設置される 中:板鼻宿が山寄りのルートから現在地に移される 甲:甲州道中の日本橋〜甲府間が整備される |
徳川秀忠に竹千代(家光)が誕生し、逆臣の娘お福が乳母に |
慶長10 | 1605 | e:相模国の長沼村に長沼八幡社が創建される e:尾張国津島神社の本殿が建立される w:徳川家康によって御香宮神社の本殿が建立される |
徳川秀忠が2代将軍となる |
慶長11 | 1606 | ・駿府に銀座が設置される 東:尾張国富部神社の本殿が建立される |
江戸城本丸完成 |
慶長12 | 1607 | ・将軍徳川秀忠が朝鮮通信使を引見する 東:角倉了以が富士川の舟運を開く 東:駿府城天守閣が完成する(江尻宿)(府中宿) |
出雲阿国が江戸城で歌舞伎踊りを披露 |
慶長13 | 1608 | 東:東海道に間の宿有松宿が設置される | 京都四条河原で女歌舞伎が興行 |
慶長14 | 1609 | 薩摩藩が琉球出兵首里城陥落 | |
慶長15 | 1610 | 中:伊奈忠次(61)死去 日:石出吉胤によって千住掃部宿に源長寺が開創される 甲:甲府までの甲州道中が中山道下諏訪宿まで延長される |
名古屋城の築城を開始 |
慶長16 | 1611 | 東:江尻宿の巴川に稚児橋が完成 | 京都方広寺の大仏殿が完成 |
慶長17 | 1612 | ・徳川家康が鷹狩りのため東金街道を新設する ・幕府が東海道の木賃宿料を人3文・馬6文と定める 東:駿府の銀座が江戸に移される 東:近江国の大谷で片岡庄兵衛が算盤の製造を始める 中:この頃中山道に蕨宿が設置される |
幕府が直轄領のキリスト教を禁止 幕府が江戸新開地の町割りを実施 |
慶長18 | 1613 | ・幕府が山城国宇治に最初の宇治採茶使を派遣する | 幕府が「切支丹禁教令」を公布 |
慶長19 | 1614 | w:角倉了以が高瀬川を開削して水運を開通する 東:徳川家康が方広寺大仏鐘銘にクレームを唱える 中:仙石秀久(64)が江戸からの帰国途中に鴻巣宿で死去 |
大坂冬の陣 |
元和1 | 1615 | ・江戸・大坂間の公用飛脚「継飛脚」が始まる e:相模国の飯島村に三嶋神社が創建される e:徳川家康が大坂夏の陣の際に佐屋経由で大坂に向かう 東:水口宿の鵜飼家が本陣職を務める |
大坂夏の陣で豊臣氏滅亡 幕府が武家諸法度を布告 大坂に道頓堀川が完成 |
元和2 | 1616 | ・幕府が伝馬・駄賃荷物の法令を出す ・東海道の伝馬が75疋に改定される ・幕府が利根川流域の16定船場に舟渡定めを発令する ・林道春『丙辰紀行』刊行 東:東海道に袋井宿が設置される 東:東海道に石薬師宿が設置される 中:武蔵国の廓信寺に木造金剛力士立像が建立される 日:徳川家康(75)死去 日:石出吉胤によって千住掃部宿に堤が築かれる |
幕府が石高に応じた軍役令を公布 |
元和3 | 1617 | ・日光東照社(のちの東照宮)に朝廷が例幣使を派遣する ・幕府が東海道の木賃宿料を値上げし、人4文・馬8文 日:日光東照社(のちの東照宮)が竣工する |
吉原に遊郭設置を許可 |
元和4 | 1618 | ・日本橋が再建される 東:東海道に箱根宿が設置される 東:松平正綱が箱根路に杉並木を植える 中:武田信玄の夫人陽雲院(?)死去 日:石出吉胤(87)死去 |
雲谷等顔(72)死去 石清水八幡宮が造営される |
元和5 | 1619 | ・幕府が中山道沿道の農民に助郷を命じる 東:箱根に関所が設置される 中:高崎藩主安藤重信が良善寺にハナモクレンを植える |
徳川頼宣が紀伊国に転封となる 幕府が伏見城代を廃止し、大坂を直轄地とする |
元和6 | 1620 | 東:大磯宿で市右衛門(尾上本陣の祖先)が大名宿を開始 日:浅草の浅瀬を埋め立て浅草御蔵が造営される |
都市計画の一環として神田川を開削 |
元和7 | 1621 | 利根川の大改修工事が始まる | |
元和8 | 1622 | ・中院通村『関東海道記』刊行 w:御香宮神社に伏見城の大手門が移築される |
幕府が長崎で切支丹55人処刑 |
元和9 | 1623 | ・徳川家光が日光東照社に参詣する w:淀藩主松平定綱によって新たな淀城が築城される 東:東海道に川崎宿が設置される 東:徳川家光が相模国梅沢の藤巻寺に立ち寄る 中:荒川の洪水によって玉の池が誕生する 中:小笠原信嶺の妻久旺院(?)死去 |
徳川家光が3代将軍となる 小堀遠州が大坂城本丸仮殿を造営 |
江戸時代前期 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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寛永1 | 1624 |
・将軍徳川家光が朝鮮通信使を引見する 東:猿若(中村)勘三郎が江戸で歌舞伎興行を行う 東:箱根路がハコネダケで整備される 東:熱田宿に東浜御殿が造営される 東:東海道に庄野宿が設置される |
桂離宮の庭園が完成 豊臣秀吉正室高台院(北政所)死去(76) |
寛永2 | 1625 | ・幕府が伝馬・駄賃馬の規定を強化する ・松平正綱が日光道中に杉並木を植える(1648まで) ・日本橋に魚会所が開設される 日:千住宿が日光道中の初宿と定めらる 奥:宇都宮宿で青木屋が創業する(青源の始まり) |
天海が上野忍ヶ岡に寛永寺を建立 |
寛永3 | 1626 | ・幕府が東海道の道橋修繕・維持を義務づける e:東海道の脇往還として佐屋路が整備される 東:桑名宿に上水道の桑名御用水が敷設される |
後水尾天皇が二条城を行幸 |
寛永4 | 1627 | 富士山が噴火し江戸に降灰 | |
寛永5 | 1628 | 東:川崎宿で田中本陣が本陣職を務める 東:石部宿で三大寺本陣が本陣職を務める 中:伊奈忠治によって中山道のルートが付け替えられる |
江戸で女歌舞伎が流行 |
寛永6 | 1629 | w:大和国弘仁寺の本堂が再建される 東:石薬師宿石薬師寺の本堂が再建される 中:武蔵国の久下村で荒川の瀬替えが行われる |
幕府が女歌舞伎を禁止 切支丹摘発の絵踏開始 |
寛永8 | 1631 | 幕府が関所の通過規則を強化する | 浅間山が噴火し江戸に降灰 |
寛永9 | 1632 | 中:上尾宿に鍬大神宮が創建される | 徳川秀忠(54)死去 |
寛永10 | 1633 | ・茶壺道中が制度化される 東:大地震が起こり、小田原宿が全壊する 中:徳川忠長が高崎城下の大信寺で自刃する |
幕府が日本人の海外往来を禁止 |
寛永11 | 1634 | e:東海道の脇往還佐屋路が開設される e:佐屋宿に御殿が建立される 東:将軍徳川家光が上洛し、三島御殿に宿泊する 東:将軍徳川家光が上洛し、蒲原御殿に宿泊する 東:将軍徳川家光上洛のため、土山宿に本陣が設置される 東:将軍徳川家光上洛のため、水口宿に御殿が設置される |
元岡山藩士渡辺数馬が伊賀上野・鍵屋の辻で河合又五郎を討つ(日本三大仇討ち) |
寛永12 | 1635 | ・幕府が「武家諸法度」を改正し参勤交代が制度化され、私関が禁止される ・東海道に盗賊が横行し、小田原・駿府など5カ所に懸賞金を出して査検させる 東:大磯宿で小島本陣が本陣職を務める 東:小田原藩主稲葉正則が菩提寺紹太寺を建立する 東:田中城主水野忠善が下青島に千貫堤を築造する 東:遠江国府八幡宮の楼門が建立される 東:伊勢国町屋川(員弁川)に町屋橋が架けられる 東:草津宿で田中七左衛門本陣が本陣職を務める |
外国船の入港・貿易を長崎1港に限定 幕府が寺社奉行を設置 全国で切支丹でないことを証明する寺請制度が広まる |
寛永13 | 1636 | ・日光東照宮で遷宮式が行われる ・将軍徳川家光が朝鮮通信使を引見する e:佐屋路に岩塚宿が設置される 甲:江戸城の外堀が開削され石垣が築かれる(丸の内) 甲:伊達政宗(70)死去 甲:江戸城の外堀が開削され石垣が築かれる(四谷) |
長崎の出島が完成 |
寛永14 | 1637 | ・幕府が「道中助馬の制」を定める(助郷制度のはじめ) | 島原の乱が蜂起 |
寛永15 | 1638 | ・五街道の内、東海道の伝馬が100疋に改定する ・中山道は50疋・三道中は25疋 |
島原の乱が終結 |
寛永16 | 1639 | ・大坂の飛脚業者が町飛脚「三度飛脚」を始める 中:小笠原忠貴が金鑚神社の社殿改修の際に献木する |
幕府が宗門改役を設置し、切支丹改めを強化 |
寛永17 | 1640 | ・幕府が各宿場の常置人馬数を改定し、助人馬を命じる | 幕府が長崎に来航したポルトガル船乗務員61人を処刑 |
寛永19 | 1642 | ・幕府が宿場助成として伝馬100疋に米200俵を貸与する 大:朝岡丑之助が長後天満宮に石燈籠を奉納する |
寛永の大飢饉深刻化 |
寛永20 | 1643 | ・幕府が宿場困窮のため駄賃値上げを認める ・将軍徳川家光が朝鮮通信使を引見する 東:将軍徳川家光の乳母、春日局(65)死去 |
幕府が田畑永代売買を禁止 俵屋宗達(?)死去 |
正保2 | 1645 | 東:岡崎宿で早川久右ヱ門が八丁味噌の販売を始める | 浅間山噴火 宮本武蔵(62)死去 |
正保3 | 1646 | ・朝廷が日光東照宮に例幣使を派遣し、以後通例とする | 江戸市中での凧上げ禁止 |
正保4 | 1647 | ・この頃今切れ渡しの定船84艘・漁船37艘・与板船3艘 e:佐屋路に神守宿が設置される |
小堀遠州(69)死去 |
慶安1 | 1648 | ・将軍徳川家光が日光東照宮に参詣する ・甘縄藩主松平正綱が日光杉並木の寄進を終える ・三島で大火、民家600戸と三島大社などが焼失 ・関所通行用の女手形の発行元を定める 東:保土ヶ谷宿の東海道が今井川沿いに付け替えられる |
幕府が「市中法度」を公布 相模国浦賀・三崎に灯台を設置 |
慶安2 | 1649 | 東:赤坂宿で旅籠伊右ヱ門鯉屋が営業を始める 日:三社権現の社殿が徳川家光によって建立される |
幕府が郷村に「慶安の御触書」を公布 |
慶安3 | 1650 | ・お蔭参りが江戸期初の大ブーム(3月中旬〜5月で1日平均2千人!) 東:坂下宿が洪水の被害に遭い、現在の場所に移転する |
幕府が江の島弁財天岩本院に条目を下す |
慶安4 | 1651 | ・急飛脚以外の夜中往来、渡海を禁じる 東:品川にお仕置場が設置される(鈴ヶ森刑場) 東:府中宿で由井正雪が自害する(慶安事件) 中:上野国の落合村&笛木村に伝馬役が命じられる |
徳川家光(48)死去 徳川家綱が4代将軍となる |
承応1 | 1652 | 東:石部宿で小島本陣が本陣職を務める | 幕府が若衆歌舞伎を禁止 |
承応2 | 1653 | ・幕府が諸大名に参勤交代の従者の減員を命じる e:佐屋宿に舟番所が設置される 中:伊奈忠治(62)死去 |
風呂屋の営業時間が定められる(明六〜暮六) |
承応3 | 1654 | ・幕府が関所通行規則を出す 東:熱田宿に西浜御殿が造営される 東:近江国白川神社の祇園祭花傘神事が復興される |
玉川上水が完成 利根川の大改修工事完成 |
明暦1 | 1655 | ・幕府が東海道各宿場の鐚銭の両替率を改定する ・将軍徳川家綱が朝鮮通信使を引見する ・小型堅本の『道中記』刊行 東:さった峠に朝鮮使節を迎えるため中道が開設される |
幕府が市中法度で町人に処分令を発布 |
明暦2 | 1656 | 東:日永の追分に小っちゃい追分道標が建立される | 吉原遊郭が浅草寺裏への移転を決定 |
明暦3 | 1657 | ・盛岡藩が領内に松並木を植える 東:舞坂宿で北雁木の建設が始まる(1661まで) 中:武蔵国巣鴨の庚申塔が再建される |
明暦の大火で江戸市中6割が灰(江戸の3大大火) |
万治1 | 1658 | ・幕府が木賃宿料を人6文・馬10文と定める ・浅井了意『東海道名所記』刊行 ・山本恭順『山城名所記』刊行 日:掃部宿が千住宿に加宿される |
中川喜雲『京童』刊行 |
万治2 | 1659 | ・幕府が道中奉行を設置する ・東海道の宿場に遊女禁止令が出される |
隅田川に武蔵・下総を結ぶ両国橋完成 |
万治3 | 1660 | ・幕府が東海道の城下宿駅に各300両を貸与する | 幕府が防火のため市中に家屋建築規制を出す |
寛文1 | 1661 | ・中山道各宿駅が往来増加のため幕府に拝借金を願い出る ・伊勢参りが盛んに行われる 東:相模国の四ッ谷村に大山道道標が建立される 中:板橋宿に青面金剛像が彫られた庚申塔が建立される 日:荒川南岸の中村町&小塚原町が千住宿に加宿される |
徳川光圀が水戸藩主となる |
寛文2 | 1662 | ・小田原藩が箱根・根府川両関所の女改めの法令を出す 東:多摩川六郷橋の架け替え工事が完成する 東:知立宿の本陣職が峯家から永田家に引き継がれる 中:板橋宿に青面金剛像が彫られた庚申塔が建立される |
京都白木屋が日本橋出店 浅井了意『江戸名所記』刊行 |
寛文3 | 1663 | ・将軍徳川家綱が日光東照宮に参詣する ・大坂・京都・江戸の町飛脚業者が飛脚仲間を結成する |
幕府が武家諸法度を改定し殉死を禁止 |
寛文4 | 1664 | 東:崇雪が大磯宿に草庵を結ぶ(鴫立庵のはじめ) | 幕府が諸大名に領地の判物・朱印状を与える |
寛文5 | 1665 | ・幕府が木賃宿料を主人銭16文・下僕6文と定める ・東海道の人馬賃が値上げする |
江戸市中にゴミ溜場を定める |
寛文6 | 1666 | e:東海道の脇往還佐屋路が道中奉行管理下の街道となる | 幕府が箱根用水の開削を許可 |
寛文7 | 1667 | 東:桑名宿の春日神社に青銅製の鳥居が建立される 日:小塚原に本所回向院の別院として常行堂が創建される |
幕府が関八州を除く全国に巡見使を派遣 |
寛文8 | 1668 | 足利学校が再建 | |
寛文9 | 1669 |
東:小田原藩主稲葉正則が紹太寺を入生田に移す | 蝦夷でシャクシャインの乱 |
寛文10 | 1670 | 大:相模国下柏尾村の追分に大山道道標が建立される | 箱根用水(深良用水)が完成 |
寛文11 | 1671 | 東:多摩川六郷橋が豪雨のため流失する | 河村瑞賢が東廻航路を開く |
寛文12 | 1672 | 東:亀山城下の西端に京口門が築造される | 河村瑞賢が西廻航路も整備 |
延宝1 | 1673 | 東:亀山城下の東端に江戸口門が築造される 中:三井高利が江戸本町一丁目に越後屋を開業する |
岩国の錦帯橋が完成 |
延宝2 | 1674 | ・幕府が五街道の宿場に銭14万1700貫文を貸与する e:戸塚宿に「左りかまくら道」道標が建立される 東:戸塚宿に「左りかまくら道」道標が建立される 東:富士川東岸に雁堤が完成する |
紀伊の甚太郎が鰹節の製法を考案 鴻池喜右衛門が難波今橋に両替店を開業 |
延宝3 | 1675 | ・東海道・中山道の人馬賃、宿代が2倍に値上げ(木賃宿で主人32文・従者16文・馬32文、旅籠100〜300文) 中:徳川忠長の43回忌にやっと墓が建てられる |
伊奈忠易が小笠原諸島を探検 |
延宝4 | 1676 | ・幕府が中川関所に厳しい検問を命じる ・東海道筋に大雨・洪水が襲う 東:相模国四ッ谷村の大山道道標が再建される 甲:江戸麹町の心法寺に銅製梵鐘が鋳造される |
藤林保武『万川集海』(忍者の百科全集)刊行 |
延宝5 | 1677 | 東:三河国の庄屋が助郷役免除を願い出て処刑される | 幕府が江戸市中で流行りの踊りを禁止 |
延宝6 | 1678 | ・幕府が茶屋女の人数・服装などを規制し、茶屋の新規営業を禁止する | 幕府が過失による出火者を斬罪と定める |
延宝7 | 1679 | 加賀藩が庭園を造る(兼六園の初め) | |
延宝8 | 1680 | 東:箱根路が石畳で整備される 東:草津宿の追分見附に石造道標が建立される |
徳川綱吉が5代将軍となる 松尾芭蕉が深川に草庵(芭蕉庵)を営む |
天和1 | 1681 | ・甲府宿で茶壺道中のために用意した人馬が人足1,140人・馬161疋! 東:白須賀宿に庚申堂が建立される 東:井上通女が女手形の不備で新居関所で足止めされる |
将軍徳川綱吉が越後高田藩の御家衝動に自ら裁定を下す |
天和2 | 1682 | ・将軍徳川綱吉が朝鮮通信使を引見する ・幕府が東海道の川越賃金を規制する e:保土ヶ谷宿金沢横町に金沢道道標が建立される 東:吉原宿が中吉原から新吉原へ移転する 東:吉原宿で鯛屋與三郎が旅籠屋を始める |
幕府が「天下一」の字句を使用禁止とする 井原西鶴『好色一代男』刊行 お七火事起きる |
天和3 | 1683 | 東:八百屋お七が鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられる 東:土山宿に陣屋が建立される 東:野洲川の氾濫で東海道が不通となり上道が新設される 中:八百屋お七が鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられる |
三井越後屋が駿河町に移転 京都で友禅染が流行 |
貞亨1 | 1684 | ・松尾芭蕉が『野ざらし紀行』の旅に出る | 朝廷が日本人による最初の暦・貞享暦を採用 |
貞亨2 | 1685 | w:伏見宿の西岸寺に松尾芭蕉が訪れる 東:島田宿に大善寺が創建される |
松尾芭蕉『野ざらし紀行』執筆 |
貞享3 | 1686 | 大:相模国下長後村の天満宮に狛犬が奉納される | 幕府が火を使う屋台を禁止 |
貞亨4 | 1687 | ・『諸国案内旅雀』刊行(作者不明) 東:鳴海宿の外れ三王山に松尾芭蕉の翁塚が建立される 東:松尾芭蕉が『笈の小文』の旅の途中、杖衝坂で落馬? |
幕府が「生類憐みの令」を発令 岡山藩が庭園を造る(後楽園の初め) |
元禄1 | 1688 | ・道中奉行が各街道の宿駅に病牛馬の保護令を出す 東:多摩川六郷橋が豪雨のため流失する |
幕府が柳沢保明(吉保)を側用人とする |
元禄2 | 1689 | e:武蔵国の井土ヶ谷村に庚申道標が建立される 日:松尾芭蕉と河合曾良が「おくのほそ道」に旅立つ 日:千住宿仲町の氷川神社に碑が建立される 日:西新井大師總持寺の門前で清水屋が創業する |
本所に江戸で最初の天文台を建設 |
元禄3 | 1690 | ・宿場困窮により人馬賃を値上げする
(東海道1割5分、他は1割)
東:遠近道印・菱川師宣『東海道分間絵図』刊行東:伊勢国鈴鹿郡和田の追分に道標が建立される 中:徳川綱吉が江戸の神田湯島に孔子廟を創建する 中:武蔵国金久保村の追分に地蔵道標が建立される |
徳川光圀引退 富山藩が反魂丹を諸国に販売(富山の薬売り) |
元禄4 | 1691 | e:相模国鎌倉郡の新橋に戸塚道道標が建立される 東:六郷八幡塚村が六郷の渡しを請け負う (1人3文・荷物2文) |
将軍徳川綱吉が湯島聖堂に1,000石を寄進 |
元禄5 | 1692 | ・京都三条大橋が倒壊する | 奈良東大寺で大仏開眼供養が行われる |
元禄6 | 1693 | 日:駒形堂の境内に浅草観音戒殺碑が建立される | 井原西鶴(52)死去 |
元禄7 | 1694 | ・助郷制度が確立する e:松尾芭蕉が最後となる旅で佐屋宿に宿泊する 東:松尾芭蕉が最後の帰郷のため江戸を出立する 東:松尾芭蕉(51)が大坂で客死し、義仲寺に葬られる 東:鳴海宿如意寺に芭蕉供養塔が建立される |
中山(堀部)安兵衛が高田馬場の仇討ちで剣名をあげる 江戸の問屋が結束し十組問屋を結成 |
元禄8 | 1695 | e:佐屋宿に奉行所が設置される 東:江尻宿の追分で追分羊かんが創業する 東:島田宿の大井神社で帯祭りが始まる 中:武蔵国陽雲寺の銅鐘が鋳造される 日:千住宿に問屋場が開設される |
陸奥で大飢饉発生し餓死者8万人(奥羽6大飢饉の1つ) |
元禄9 | 1696 | ・貝原益軒『和州巡覧記』刊行 e:武蔵国久良岐郡大久保村に弘明寺道道標が建立される 東:大井川に川越制度が定められる 東:三河国碧海郡来迎寺村に無量寿寺道標が建立される |
ゴミ対策として永代島付近の埋め立てを推進 |
元禄10 | 1697 |
中:武蔵国の大成村に庚申塔が建立される | 宮崎安貞の『農業全書』刊行 |
元禄11 | 1698 | ・内藤新宿を高遠藩内藤氏屋敷に設置する 中:武蔵国の久下村のはずれに権八地蔵が建立される 中:頼政神社が高崎藩主大河内輝貞によって創建される |
上野寛永寺根本中堂の造営工事が始まり、紀伊国屋文左衛門の利益が50万両! |
元禄12 | 1699 | 東:蒲原宿が大津波の被害を受ける(翌年移転) 東:三河国碧海郡牛田村に八橋への道標が建立される |
江戸でコロリ(コレラ)が流行 |
元禄13 | 1700 | ・幕府が日光奉行を設置する e:相模国の上倉田村に戸塚本宿への道標が建立される |
幕府が鰻・泥鰌など生魚の販売を禁止 徳川光圀(73)死去 富士山噴火 |
元禄14 | 1701 | ・幕府が諸大名に参勤交代の従者の減員を命じる 東:亀山城下で石井兄弟が28年目にして父親の仇を討つ |
赤穂藩主浅野長矩が江戸城中松之廊下で刃傷事件 |
元禄15 | 1702 | ・松尾芭蕉『おくのほそ道』刊行 東:赤穂浪士四十七士が吉良義央を討つ(日本三大仇討ち) 中:新町宿の諏訪大明神に石鳥居が建立される |
都の錦の浮世草子『元禄太平記』刊行 |
元禄16 | 1703 | ・関東地方に元禄大地震が発生し宿場が壊滅状態 東:駿府代官が江尻宿で検地を実施する 東:新居宿の旅籠疋田弥左衛門が紀州藩の御用宿となる 東:近江国甲賀郡市場村に排水路大日川堀割が完成する 東:山城国徳林庵の伏見六地蔵道標が建立される |
幕府が赤穂浪士に切腹を命じる 近松門左衛門「曽根崎心中」竹本座で初演 |
元禄17 | 1704 | ・幕府が宿駅困窮により拝借金を貸与し、問屋場に改役を置く ・幕府が諸大名に参勤交代の従者の減員を命じる |
浅間山噴火 |
宝永2 | 1705 | ・少年少女の抜け参りからお陰参りが大流行
(閏4月〜5月で330〜370万人!)
東:田中藩家老脇田正明が誓願寺に五智如来像を寄進する |
奈良東大寺大仏殿が再建 徳川頼方(吉宗)が紀州藩主となる |
宝永3 | 1706 | ・貝原益軒『京城勝覧』刊行 | 江戸で暴利の豆腐屋7軒摘発 |
宝永4 | 1707 | ・善光寺本堂が再建される ・宿場困窮により人馬賃を値上げする (東海道3割、他は2割)
東:間の宿岩淵宿の移転が始まり東海道も付け替えられる東:白須賀宿が地震&津波の被害を受ける(翌年移転) 東:山城国の山科五条別れに道標が建立される |
幕府が鳥・鰻・泥鰌の商売を禁止 宝永地震発生 富士山の大噴火で宝永山誕生 |
宝永5 | 1708 | ・幕府が乗り馬・引き馬・伝馬などの馬への愛護を命じる 東:新居関所を移転し、宿場間の駄賃銭を改定する |
浅間山噴火 |
宝永6 | 1709 | 東:宿場復興のため、六郷渡し権が川崎宿に移る | 徳川綱吉(64)死去 幕府が「生類憐みの令」廃止 徳川家宣が6代将軍となる |
宝永7 | 1710 | e:戸塚宿の八坂神社向かいに鎌倉道道標が建立される e:相模国鎌倉郡笠間村に今泉不動への道標が建立される 東:六郷渡しの修築が終わる 東:藤川宿に十王堂が建立される 日:武蔵国の東禅寺に銅造地蔵菩薩坐像が建立される |
幕府が諸国巡検使を派遣 貝原益軒『和俗童子訓』刊行 |
宝永8 正徳1 |
1711 | ・幕府が駅法改正で各宿場間の駄賃と人足賃銭を定め、新しい高札を立てる ・幕府が東海道の安倍川・大井川・酒匂川の川越規則を定め、各渡し場に高札を立てる ・幕府が相模の箱根・根府川・矢倉沢、遠江の今切関所の検問強化を命じる ・将軍徳川家宣が朝鮮通信使を引見する 日:火災に遭った石町時の鐘が新たに鋳造される |
徳川家宣(48)死去 |
正徳2 | 1712 | ・幕府が宿駅での人馬通行法規を定める 東:この頃舞坂宿の松並木が920mの間に約1,420本 |
徳川家宣(51)死去 |
正徳3 | 1713 | 大:相模国下柏尾村の追分に大山道道標が建立される | 徳川家継が7代将軍となる |
正徳4 | 1714 | ・幕府が東海道を通るべき諸大名の中山道通行を禁じる 中:この頃武蔵国の真性寺に地蔵菩薩が建立される 奥:清厳寺の参道に青銅製の子育地蔵が建立される |
柳沢吉保(57)死去 |
正徳5 | 1715 | ・日光東照宮で徳川家康100回忌法要が営まれる ・道中奉行が間の宿での宿泊を禁止する |
新井白石が『西洋紀聞』を著す |
江戸時代中期 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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享保1 | 1716 | ・幕府が五街道の呼称を改定し統一する(東海道以外に「海道」を使わない、日光・奥州・甲州は「道中」) 東:新居宿の旅籠疋田弥左衛門の屋号が紀伊国屋となる 東:赤坂宿の旅籠伊右ヱ門鯉屋が建て替えられる 東:近江国甲賀郡の大岡寺が現在地に再建される 中:武蔵国の中宿に熊谷道吉見岩殿道道標が建立される |
徳川吉宗が8代将軍となる 尾形光琳(59)死去 |
享保2 | 1717 | e:北向地蔵の金沢道道標が建立される 東:白隠が京での修行から戻り松蔭寺の住職となる 中:頼政神社が現在地(高崎城南)に遷座される |
大岡忠相が江戸町奉行となる |
享保3 | 1718 | ・幕府が20万石以上の諸大名に参勤交代の従者減員を許可する ・お陰参りが流行する ・宿場の飯盛女を旅籠1軒につき2人以内に制限する ・飯盛女の客引きが目にあまり内藤新宿を廃止する |
幕府が塵芥を堀・河川に捨てることを禁止 |
享保4 | 1719 | ・将軍徳川吉宗が朝鮮通信使を引見する 東:藤川宿橘屋脇本陣の門が立て替えられる 中:八百屋お七を供養するほうろく地蔵が建立される |
松前矩広が蝦夷地の独占交易を許され大名となる |
享保5 | 1720 | 町火消しをいろは47組に再編 | |
享保6 | 1721 | ・幕府が諸大名の在江戸人数を定め、参勤交代の従者減員を許可する ・この頃東海道で伝馬100疋を維持する宿場は8宿のみ |
幕府が初の全国人口調査を実施(江戸の町人人口50万1,394人) 幕府が江戸に目安箱を設置 |
享保7 | 1722 | 東:幕府が大津を京都町奉行の直轄地とする | 新田開発で享保の改革が本格化 幕府が小石川薬園内に養生所を開設 |
享保8 | 1723 | ・お陰参りが流行する ・道中奉行が間の宿での宿泊を禁止する ・茶壺道中の茶壺が経費削減のため3個に限定される 奥:宇都宮藩の刑場に地蔵が建立される |
幕府が足高制を定める |
享保9 | 1724 | 中:本庄宿の金鑚神社の本殿が再建される | 近松門左衛門(72)死去 |
享保10 | 1725 | 大:大山道と星の谷道の追分に庚申道標が建立される | 新井白石(69)死去 |
享保11 | 1726 | ・幕府が新田検地で並木際の田畑年貢に木陰引を認める 東:田中丘隅が酒匂川堤を修築し文命堤が完成する 中:武蔵国の加茂明神に手水鉢が建立される |
津山藩で山中一揆が起こる |
享保12 | 1727 | ・幕府が日光写参の旅行用品の便乗値上げを禁じる ・甲府城が全焼し城下の大半を焼失 e:相模国鎌倉郡の水堰橋に観音道標が建立される 大:相模国下柏尾村の追分に大山道道標が建立される |
幕府が大坂にも目安箱を設置 |
享保13 | 1728 | ・将軍徳川吉宗が日光東照宮に参詣する | 大雨大洪水により両国橋が流失 |
享保14 | 1729 | ・コウチ(ベトナム)の象が将軍徳川吉宗に拝謁する | 田中丘隅(68)死去 |
享保15 | 1730 | 東:田中城主土岐頼稔が正定寺に松を植える | 幕府が深川越中島を塵芥捨て場とする |
享保17 | 1732 | 東:三河国知立神社に石橋が建立される | 享保の飢饉(江戸の三大飢饉) |
享保18 | 1733 | 中:浦和宿にある調神社の本殿が建立される | 江戸で初の打ちこわし 浅間山噴火 |
享保19 | 1734 | ・木食養阿が京都町奉行に逢坂山・日ノ岡峠の改修を願い出る 東:小田原城下で大火し1,131軒が消失する |
青木昆陽さつまいも試作に成功 |
享保20 | 1735 | 千住宿に米市場が開設される e:佐屋宿に芭蕉句碑水鶏塚が建立される |
江戸市中に疱瘡が流行 |
元文1 | 1736 | ・逢坂山・日ノ岡峠の舗装工事が始まり白川石を敷き詰める(軌道舗装の始まり) | 大岡忠相が寺社奉行となる 江戸で染井村の楓がヒット |
元文2 | 1737 | ・幕府が諸大名に参勤交代などで本陣・脇本陣で宿泊のさい宿代を規定どおり支払うように命じる | 王子飛鳥山に桜を植え遊楽地とする |
元文3 | 1738 | ・茶壺道中の復路が中山道経由から東海道経由に替わる w:永谷義弘が青製煎茶製法を考案し宇治茶が普及する 東:安倍川の川越人夫・喜兵衛が財布を落とし主に届ける 東:養阿による日ノ岡峠の改修工事が完了する |
将軍吉宗が穴八幡神社で流鏑馬を催す |
元文4 | 1739 | 東:近江国田村神社の本殿が再建される | 因幡国・伯耆国で大一揆 |
元文5 | 1740 | ・集中豪雨による洪水で三条大橋が損壊する 東:お菊が家宝の皿を紛失したかどで手討ちにされる |
桜町天皇が280年ぶりに新嘗祭を挙行 |
寛保1 | 1741 | 日:小塚原の刑場に首切地蔵が建立される | 姫路藩主遊女身請けで謹慎処分 |
寛保2 | 1742 | ・大風雨による洪水で小諸、松代などの諸城が大破する ・三条大橋が流失する ・大風雨による利根川・荒川の大洪水で、80万石の田畑が水没する |
「公事方御定書」が完成 京都周辺の村が屎尿の他国流出禁止を京都町奉行所に訴える |
寛保3 | 1743 | ・幕府が手形所持の修験者に限り上野・下野・武蔵・相模などの通行を許す ・宇都宮藩が鬼怒川橋賃を2文と定める ・幕府が日光中禅寺湖畔に茶屋の設置を許す 日:千住宿に貫目改所が開設される |
大阪で菜種油が高騰、幕府が増産・輸送強化を命ずる 広島藩が牡蠣株船仲間を新設 |
延享1 | 1744 | 東:宮本武蔵百回忌の記念で笠覆寺に顕彰碑が建立される | 幕府が町人の衣服・調度の華美を禁止 |
延享2 | 1745 | 徳川家重が9代将軍となる | |
延享3 | 1746 | ・幕府が参勤交代の諸大名に中山道利用を制限する | 加賀騒動起こる |
延享4 | 1747 | 東:遠州鈴ヶ森で日本左衛門がさらし首となる | 江戸城で板倉勝該が熊本藩主細川宗孝を殺害 |
寛延1 | 1748 | ・将軍徳川家重が朝鮮通信使を引見する ・『中国九州西国筋道中記』刊行(作者不明) 東:大岡忠相が三河国西大平藩主となる |
安達喜之『金魚養玩草』刊行 |
寛延2 | 1749 | 江戸三座で「忠臣蔵」を競演し人気を博す | |
寛延3 | 1750 | ・浮世絵師宮川長治が日光東照宮に彩色 | 初の有料道路青ノ洞門完成 |
寛延4 宝暦1 |
1751 | ・善光寺本坊が全焼する 中:追分一里塚で高崎屋が営業を始める 奥:宇都宮宿清厳寺の銅鐘が鋳造される |
徳川吉宗(68)死去 大岡忠相(75)死去 |
宝暦2 | 1752 | 中:深谷宿の本陣職を田中家から飯島家が引き継ぐ 甲:江戸麹町の心法寺に庚申塔が奉納される |
大坂の祭礼で即興芸「にわか」が流行 |
宝暦3 | 1753 | ・薩摩藩が幕府に木曽三川の御手伝普請を命じられる 中:武蔵国の加茂明神に石灯籠が建立される |
銚子の醸造家が醤油仲間を結成 |
宝暦4 | 1754 | ・千住大橋が架け直される ・山梨郡善光寺の堂塔が焼失する e:武相国境の鼻欠地蔵に鎌倉道標兼灯籠が建立される 東:三河国聖眼寺山門前に松葉塚標石が建立される |
平瀬徹斎『日本山海名物図絵』刊行 |
宝暦5 | 1755 | ・地震により日光山奥院が崩壊する e:薩摩藩の木曽川・揖斐川・長良川治水工事が完成する |
飢饉により南部藩の死者5万人 |
宝暦6 | 1756 | ・佐野あやめ塚に芭蕉句碑が建てられる 東:鳴海宿瑞泉寺の山門が建立される 東:伊勢国三重郡采女村の杖衝坂に芭蕉句碑が建立される 中:安中宿で丸田屋が創業する |
徳島藩の藍統制に反対し五社騒動起きる |
宝暦7 | 1757 | 中:上野国八幡村の八幡宮本殿が新築される | 各地で洪水が頻発 |
宝暦9 | 1759 | ・『日本輿地新増行程記』刊行(作者不明) 中:武蔵国の加茂宮村に福井石橋供養塔が建立される 中:綱八幡宮に箕田源氏三代を讃える碑が建立される |
伊藤若冲「向日葵雄鶏図」完成 |
宝暦10 | 1760 | 徳川家治が10代将軍となる | |
宝暦12 | 1762 | ・品川宿〜駿河国にかけて並木や街道の手入れが不十分なため、幕府が五街道・脇街道など全国の往還に並木の植樹・修築・掃除を定める ・三ヶ日村などが朝鮮通信使の通行に伴う人馬負担の免除を願う |
清水家が誕生し御三家が成立 |
宝暦13 | 1763 | ・幕府が朝鮮通信使の大坂・江戸間の道中人馬割りつけを対馬藩主宗氏に命じ、費用として9万7千両を与える | 本居宣長が賀茂真淵を訪問する 平賀源内『物類隲』刊行 江戸で鰻の大蒲焼きが流行 |
明和1 | 1764 | ・将軍徳川家治が朝鮮通信使を引見する ・対馬藩通事が朝鮮通信使を殺害する ・幕府が品川・板橋・千住の3宿に限り飯盛女の人数増加を認める ・本坂道(姫街道)と例幣使道が道中奉行の支配となる ・幕府が伊那郡の農民の中馬慣行認可願いに対し、公認の裁許を下す ・中山道の増助郷反対の一揆が起こり、打ちこわしを行いながら江戸へ向かう(伝馬騒動) |
対馬藩の通事が朝鮮通信使を殺害 幕府が江戸人参座から国産朝鮮人参を売り出す |
明和3 | 1766 | 中:石原の追分に秩父道道標が建立される | 越後で鮭繁殖功労者を報償 |
明和4 | 1767 | ・幕府が大坂送り分を除いた関東産綿実の集荷問屋を、江戸小網町と神奈川宿の2カ所に定める ・尾張・三河で、洪水と山津波により、農地と東海道の宿場に被害が出る |
幕府が関八州と甲斐の博徒・遊び人の取り締まりを強化 |
明和5 | 1768 | ・亀山藩領の農民が一揆を起こす(北勢騒動) 東:白隠禅師(84)が原宿松蔭寺に戻り入寂(沼津宿)(原宿) |
賀茂真淵『万葉考』6巻完成 |
明和6 | 1769 | ・筑摩郡尾張藩領の農民が米買い占めに反対し山村代官所へ強訴する(木曽騒動) 東:三河国聖眼寺の芭蕉句碑松葉塚が再建される 中:武蔵国宝珠寺の仁王尊像が建立される |
青木昆陽(72)死去 |
明和7 | 1770 | ・興津宿に朝鮮人13人が漂着し、幕府代官が木綿2反ずつと米15俵を与え大坂へ送る 日:名倉直賢が千住宿で接骨医を開業する |
諸国が大干ばつに襲われ、京都大文字焼きも中止 |
明和8 | 1771 | ・伊勢神宮のお陰参りが大流行(4月〜7月で200万人!) 日:杉田玄白・前野良沢らが小塚原で腑分けに立ち会う |
江戸深川に高級料理店「枡屋」開店 |
安永1 | 1772 | ・幕府が寺社の特権的通行者の不正な人馬使用を禁止する ・幕府が並木植樹の苗木を高さ5〜6尺以上と定める ・幕府が江戸四宿に対し飯盛女の総数を制限する (品川宿500人、板橋宿・千住宿・内藤新宿各150人)
・内藤新宿が再開される東:御油宿で大津屋が営業を始める |
田沼意次が老中に就任 江戸の目黒行人坂の大火で死者1万5千人弱(江戸の3大大火) |
安永2 | 1773 | ・桑名宿が熱田宿から四日市宿への直接海を渡る航路に反対して訴願運動を起こす | 諸国で天然痘が大流行 米沢藩上杉治憲(鷹山)の改革に反発し七家騒動起きる |
安永3 | 1774 | 前野良沢・杉田玄白他『解体新書』刊行 隅田川に私営の大川(吾妻)橋完成(銭2文) |
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安永4 | 1775 | ・幕府が宿駅困窮のため、東海道・中山道・美濃路・佐屋路の人馬駄賃7年間の割り増しを許可する ・幕府が脇道である山崎路を西国大名の参勤交代路として使用することを禁じる |
水戸藩士長久保赤水が日本全図『日本輿地路程全図』完成 |
安永5 | 1776 | ・将軍徳川家治が日光東照宮に参詣する | 平賀源内がエレキテル製作 |
安永6 | 1777 | ・身延山久遠寺が火事に遭う 東:水野忠友が沼津城を築城する 東:三河国無量寿寺に芭蕉連句碑が建立される 中:原市道の追分に三界万霊道標が建立される |
佐渡銀山でストライキ、700人逃散 |
安永7 | 1778 | 東:駿河国有度村に久能寺観音道道標が建立される 東:この年逢坂山の牛車の通行量が15,894輌! 中:本庄宿の金鑚神社の拝殿が再建される |
伊豆大島三原山噴火 江戸市街取り締まり強化で、無宿者60人が佐渡で強制労働 |
安永8 | 1779 | ・幕府が尾張・美濃・伊勢の領主へ河川普請助役を命じ、併せて便乗値上げを禁止する ・北陸道から東海道・関東が洪水に遭う |
桜島が300年ぶりに噴火、大坂にも降灰 平賀源内(50代前半)獄死 |
安永9 | 1780 | ・幕府が相模・伊豆・駿河・遠江の領主へ東海道筋の河川普請を命じる ・諏訪大社下社の春宮幣拝殿が完成 ・秋里籬島・竹原春朝斎『都名所図絵』刊行 中:武蔵国の新島村に忍領石標が建立される |
幕府が鉄座・真鍮座を設置 大坂で近松半次「新版歌祭文」上演 本居宣長『葛花』を著す |
天明1 | 1781 | ・原村の名主が和紙製造を始め駿河半紙の名で江戸へ進出 e:佐屋宿に代官所が設置される 中:上野国原市で真光寺の鐘が鋳造される 日:待乳山聖天に銅造宝篋印塔が建立される |
下総国野田で醤油仲間が結成 |
天明2 | 1782 | ・定飛脚問屋の株仲間が公認される 東:大地震のため小田原宿で城郭から民家まで大被害 東:岡崎宿で備前屋が営業を始める |
天明の大飢饉が始まる |
天明3 | 1783 | ・浅間山噴火による迂回の交通量増加のため、甲州道中へ7年間人馬駄賃2割増を許可、中山道7宿へ2割増・11宿へ3割増を許可 e:保土ヶ谷道(金沢道)に称名寺道標が建立される e:保土ヶ谷宿金沢横町に円海山への道標が建立される |
浅間山が大噴火、江戸に3pの降灰 天明の大飢饉で餓死者増大 |
天明4 | 1784 | ・日光道中・奥羽道中の宿場困窮のため、7年間人馬駄賃2割増を許可 東:大火で有松宿が焼失し街道沿いの家は防火構造に改められる |
志賀島で「漢委奴国王」の金印発見 |
天明6 | 1786 | ・大雨による洪水で草加・越谷・粕壁・栗橋の各宿が浸水 e:神宮寺に芭蕉句碑が建立される(後年妙安寺に移転) 中:碓氷川の洪水で松井田宿新堀の段丘崖が崩壊する |
徳川家治(50)死去 田沼意次老中解任 |
天明7 | 1787 | 中:武蔵国勝願寺に芭蕉忌千句塚が建立される | 徳川家斉が11代将軍となる 天明の打ちこわしが全国に広がる |
天明8 | 1788 | e:相模国鎌倉郡下倉田村に永勝寺への道標が建立される e:鎌倉の巨福呂坂に道造供養塔が建立される 中:山崎碩茂らが鍬大神宮境内に二賢堂を建立する |
京都で天明の大火 古川古松軒が北日本を調査した『東遊雑記』を著す |
寛政1 | 1789 | ・幕府が東海道の宿駅・川越の取締りを命じる ・幕府が参勤交代の諸大名に中山道・甲州道中利用を規制する 中:高崎宿の長松寺向拝に天井絵が描かれる |
国後島でアイヌ人が蜂起 |
寛政2 | 1790 | e:熱田宿の追分に三叉の道標が建立される 東:熱田宿の追分に三叉の道標が建立される 中:武蔵国鴻巣宿の市神社に庚申塔が建立される |
幕府が朝鮮人参の栽培・売買を自由化する |
寛政3 | 1791 | 喜多川歌麿考案の大首絵が江戸で大ヒット | |
寛政4 | 1792 | 中:志村追分に大山道道標が建立される | 幕府がアイヌと御救交易を実施 |
寛政5 | 1793 | 東:二川宿の本陣職が後藤家から紅林家に引き継がれる 東:「むらさき麦」を詠んだ芭蕉句碑が建立される 東:知立神社に「木綿市」を詠んだ芭蕉句碑が建立される 中:上野国の岩鼻に代官所が設置される 甲:渡辺崋山が田原藩江戸屋敷の長屋で誕生する |
松平定信が老中・将軍補佐役を罷免される |
寛政6 | 1794 | ・東海道の逢坂山・日ノ岡峠に常夜灯が設置される ・田中藩領で紀州からミカンの苗木を持ち帰り殖産を図る |
東洲斎写楽の役者絵が江戸で大ヒット |
寛政7 | 1795 | 円山応挙(63)死去 | |
寛政8 | 1796 | ・幕府が関所通行手形の記載方法を改め、主人との続柄を書くように定める 中:武蔵国の久下村のはずれに塞神道標が建立される 大:相模国岡津村に庚申道標が建立される |
幕府が薬種として白牛酪(バター)の販売開始 江戸で橘の鉢植えが狂乱的に流行 |
寛政9 | 1797 | 東:秋里籬島・竹原春朝他『東海道名所図会』刊行 中:江戸の神田湯島に昌平坂学問所が開設される |
版元蔦屋重三郎(48)死去 |
寛政10 | 1798 | ・幕府が銭相場安・物価高で各宿困窮のため、東海道・佐屋路に10カ年人馬駄賃2割増、他街道に1割5分増を許可 e:相模国の上倉田村に道標兼出羽三山塔が建立される e:武蔵国久良岐郡の弘明寺に梵鐘が鋳造される 東:二川宿妙泉寺に芭蕉句碑が建立される 東:矢橋道の追分に矢倉道標が建立される |
本居宣長『古事記伝』完成 近藤重蔵が択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる |
寛政12 | 1800 | ・庚申の年を理由に女性の富士登山が許される 東:木喰が岡部宿に滞在し仏像を6体残す 東:瀬田の唐橋東詰めに田上不動道道標が建立される 中:武蔵国の高台橋に火の玉不動が建立される 中:馬喰新田追分に庚申道標が建立される |
伊能忠敬が蝦夷地測量の旅に出発 |
江戸時代後期 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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享和1 | 1801 | 中:木喰普寛(71)本庄宿の米屋弥兵衛宅で入寂 | 本居宣長(72)死去 |
享和2 | 1802 | ・十返舎一九『浮世(東海)道中膝栗毛』刊行(1808完結) 東:車石が大津宿札の辻〜三条大橋に敷き詰められる 中:板鼻宿の木嶋本陣が寒念仏橋供養塔を建立する 中:中宿に一宮街道を刻む庚申道標が建立される |
幕府が蝦夷奉行を設置 |
享和3 | 1803 | ・幕府が勘定方役人山田大吉に「東海道筋分間絵図」の作成を命じる e:武蔵国久良岐郡の能見堂に金澤八景の碑が建立される |
江戸山谷に高級料理店「八百善」開店 |
文化1 | 1804 | ・助郷増加に反対し、河内郡の農民が牛久宿を襲う ・大坂に旅館組合「浪花組」が発足し、優良旅館に看板を交付する 東:府中宿の安倍川東岸で石部屋が営業を始める |
大地震で象潟湖が隆起し陸地となる |
文化2 | 1805 | ・幕府が大津・日ノ岡峠間を改修し車道に車石を敷く ・道中奉行が間の宿での宿泊を禁止する 東:芝神明社でめ組の辰五郎と関取四ッ車大八が喧嘩 東:幕府が銀座以外での灰吹銀・潰銀売買を禁止する 日:西新井大師總持寺の門前で中田屋が創業する |
関東取締出役(八州廻り)を設置 |
文化3 | 1806 | ・『五海道其外分間延絵図』が道中奉行により完成する 中:上野国碓氷郡五料の茶屋本陣が焼失する 甲:移転した北町奉行所が呉服橋門内に戻る |
喜多川歌麿(54)死去 |
文化4 | 1807 | 東:二川宿の本陣職が紅林家から馬場家に引き継がれる 日:千住宿の関屋天満宮に弁天像の庚申塔が建立される |
幕府がロシア船打ち払いを命じる |
文化5 | 1808 | 東:尾張藩の侍医が駿河国立円寺に望嶽碑を建立する 中:上野国郷原に妙義道常夜燈が造られる |
司馬江漢が『刻白爾天文図解』刊行、地動説を紹介 |
文化6 | 1809 | 東:舞坂宿が大火で宿場の大半を消失 大:大山道と鎌倉道支道の追分に庚申道標が建立される |
間宮林蔵が間宮海峡を発見し、樺太が島であることを確認 |
文化7 | 1810 | ・千住宿他6宿が、日光道中が衰微したので鬼怒川船運に制限を加えるよう道中奉行に訴える ・八隅蘆庵『旅行用心集』刊行 中:小林一茶が高瀬屋で見通灯篭の寄付を強要される |
高橋景保『万国全図』完成 |
文化8 | 1811 | 東:浄瑠璃『生写朝顔話』が作られ人気を博す | 朝鮮通信使が対馬に最後の来日 |
文化11 | 1814 | e:保土ヶ谷宿金沢横町に句を刻んだ道標が建立される 東:保土ヶ谷宿金沢横町に句を刻んだ道標が建立される 東:藤川宿の吉良道追分に道標が建立される 中:武蔵国の奈良瀬戸村に石灯籠が建立される 中:倉賀野追分に道標を兼ねた常夜灯が設置される 中:高崎宿新町(あら町)の諏訪社本殿が再建される |
曲亭(滝沢)馬琴『南総里見八犬伝』第1集刊行 |
文化12 | 1815 | 中:神流川の渡し場に見透燈籠が建立される | 杉田玄白が『蘭学事始』を著す |
文化13 | 1816 | ・筑摩郡尾張藩領奈良井宿で打ちこわしが起こる ・信濃の中馬が三州馬の駄賃荷制限を要求し紛争を起こす ・掛川藩領の農民が年貢減免を要求し強訴(横須賀・田中藩領にも波及) 東:草津宿の江戸方見附に横町道標が建立される 東:草津宿の追分にデッカい追分道標が建立される |
太平洋漂流1年5カ月の督乗丸船頭重吉江戸へ帰還 |
文化14 | 1817 | 東:小田原城下の大火で1,264軒が焼失する | 葛飾北斎が尾張西掛院で120畳敷の達磨絵を描く |
文政1 | 1818 | ・幕府が『江戸朱引内図』を作成し御府内を確定する e:武蔵国の弘明寺仁王門前に百番供養道標が建立される 東:二宮尊徳が小田原藩主に表彰される |
伊能忠敬(74)死去 |
文政2 | 1819 | ・伊勢・美濃・近江地方に大地震が起こる | 小林一茶『おらが春』完成 |
文政3 | 1820 | 東:駿河国本市場村の鶴の茶屋に鶴芝の碑が建立される 中:伊香保村と草津村が子育観音に常夜灯を寄進する 日:千住の牛頭天王飛鳥社に松尾芭蕉の碑が建立される |
幕府が芸名披露会を規制する(質素倹約令) |
文政4 | 1821 | ・幕府が大名・公家などの不正な人馬使用を禁止する ・幕府が東海道を通るべき諸大名の中山道通行を禁じる ・本陣困窮のため諸大名の本陣休泊を強化する ・飯盛女の木綿着用と人数制限を強化する ・相模国の鎌倉鶴岡八幡宮が全焼 e:尾張国の「三所の堺」追分に佐屋路道標が建立される |
『大日本沿海輿地全図』完成 京都で駱駝が公開される |
文政5 | 1822 | ・十返舎一九が『続膝栗毛』を完結してシリーズ終了 東:万人講によって横田の渡しに常夜灯が建立される 東:山城国の藤尾に小関越道標が建立される 中:武蔵国の箕田に地蔵道標が建立される 中:見透燈籠が神流川の洪水で倒れる |
西日本でコロリ(コレラ)が流行 |
文政6 | 1823 | 中:新町宿の於菊稲荷に水屋が建立される 中:松井田宿の榛名道に道標が建立される |
摂津河内1007カ村が綿の自由売買を求め国訴 |
文政7 | 1824 | 東:江戸呉服町の加勢屋與兵衛が接待茶屋を運営する | 両国の花屋与兵衛がにぎり鮨を創案 |
文政8 | 1825 | ・幕府が本陣困窮のため諸大名が本陣で休まず茶屋での小休を禁止する | 4代目鶴屋南北作『東海道四谷怪談』初演 |
文政9 | 1826 | 東:シーボルトが江戸参府の帰りに善性寺を訪問する 中:造り酒屋の河村屋が店の平面図を作製する 中:山崎碩茂(63)死去 |
高橋景保がシーボルトに日本地図進呈を約束 |
文政12 | 1829 | ・山田の大火で伊勢神宮の一部を類焼する ・神田より出火し、己丑の大火で日本橋焼失 (江戸の3大大火) |
旗本水野忠暁『草木錦葉集』刊行 |
文政13 天保1 |
1830 | ・お陰参りが大流行(閏3月〜8月で500万人!) ・僧尼綱紀粛正のため京都三条大橋で破戒僧をさらす 中:板鼻宿の榛名道の追分に八幡道道標が建立される |
無人の小笠原父島にアメリカ人が移住 |
天保2 | 1831 | ・十返舎一九(67)死去 | 葛飾北斎『富嶽三十六景』出版 |
天保3 | 1832 | w:六地蔵宿の札ノ辻に長阪地蔵道標が建立される 中:原市道の追分に馬頭観音道標が建立される 中:安中宿で有田屋が創業する |
鼠小僧次郎吉が小塚原で処刑 |
天保4 | 1833 | ・歌川広重の『東海道五十三次』が刊行される | 1年2場所の相撲興行は本所回向院と定まる 天保の大飢饉始まる |
天保5 | 1834 | ・歌川広重の『東海道五十三次』が完結する 中:武蔵国鴻巣宿の太刀屋が営業を始める |
齋藤家3代『江戸名所図絵』3巻刊行 |
天保6 | 1835 | ・東海道・中山道の旅籠屋・茶屋の風俗自粛を命じる ・渓斎英泉の『木曽海道六十九次』が刊行される 中:武蔵国の高台橋にお女郎地蔵が建立される |
国友藤兵衛が太陽の黒点観測を開始 |
天保7 | 1836 | ・甲斐国都留郡の農民が打ちこわしを行う(郡内騒動) 東:火事で焼けた岡部宿の旅籠柏屋が建て替えられる 中:桶川宿で木嶋屋の土蔵が建設される 中:桶川宿に松山稲荷道道標が建立される 中:この年よりお西・お東が1年交代で名主を務める |
天保の大飢饉が深刻化 |
天保8 | 1837 | ・幕府が品川・板橋・千住・内藤新宿の4宿に御救小屋を設置する ・歌川広重が英泉から『木曽海道六十九次』を引き継ぐ |
飢饉対策に抗議して大塩平八郎の乱起きる 徳川家慶が12代将軍となる |
天保9 | 1838 | 東:舞坂宿に現在の茗荷屋堀江清兵衛脇本陣が建築される | 中山みきが天理教を開く |
天保10 | 1839 | ・幕府が中山道追分宿に貫目改所を設置する e:武蔵国の谷津村に保土ヶ谷道道標が建立される |
渡辺崋山・高野長英らが逮捕される(蛮社の獄) |
天保11 | 1840 | 中:深谷宿の上方常夜燈が建立される | 勘定奉行遠山景元(金四郎)が北町奉行となる |
天保12 | 1841 | ・歌川広重・渓斎英泉『木曽海道六十九次』が完結する ・大坂の旅館組合「浪花組」が「浪花講」に改称 e:武蔵国井土ヶ谷村の庚申道標が再建される 東:白須賀宿の庚申堂が再建される 中:高城神社に青銅製の常夜灯が奉納される |
老中水野忠邦が「天保改革令」を発布 |
天保13 | 1842 |
・幕府の取締りで品川宿の飯盛女が1,500人以上! ・『東海木曾両道懐宝図鑑』刊行(作者不明) 東:幕府の不正な検地に抗議して近江天保一揆が起こる 中:浦和宿に道標を兼ねた庚申塔が建立される |
曲亭(滝沢)馬琴『南総里見八犬伝』完結 水戸藩が偕楽園を造る |
天保14 | 1843 | ・小田原藩が二宮尊徳の農村復興運動報徳仕法に着手 ・将軍徳川家慶が67年ぶりに日光東照宮に参詣する ・この頃七里の渡しの定船が宮宿75艘・桑名宿48艘、小渡船42艘 東:蒲原宿東の東海道が七難坂から新坂に付け替えられる |
蘭方医佐藤泰然が佐倉で順天堂開設 |
天保15 | 1844 | ・幕府の取締りで品川宿の飯盛女が1,350人! 中:安中原市杉並木の杉の数が732本 |
間宮林蔵(65?)死去 |
弘化2 | 1845 | e:保土ヶ谷宿金沢横町に富岡芋明神道標が建立される 日:西新井大師の門前で江川屋が掛け茶屋を始める |
アメリカの捕鯨船が浦賀に来航 |
弘化3 | 1846 | 中:天野屋が神田明神の門前で茶屋を始める 中:高島秋帆が武蔵国岡部藩に幽閉される |
牢獄が全焼し、高野長英が逃亡 |
弘化4 | 1847 | ・善光寺平を中心に大地震が起こり死者1万6千人、そのため犀川が決壊し大洪水が起こる e:佐屋路の荒子川の袂に荒子観音の観音道標が建立される 中:石原の追分に宝登山道道標が建立される |
肥後緑川に日本最大のアーチ橋霊台橋が完成 |
嘉永1 | 1848 | 渓斎英泉(59)死去 | |
嘉永2 | 1849 | 東:日永の追分にデッカい追分道標が建立される | 葛飾北斎(90)死去 |
嘉永3 | 1850 | ・伊豆韮山代官が駿河・伊豆・武蔵・甲斐・相模の5カ国で種痘を実施する ・国定忠治が大戸関所で処刑される 中:本庄宿の金鑚神社の弊殿が再建される |
高野長英が江戸で発見され自害 |
嘉永4 | 1851 | ジョン万次郎が米国生活10年ののち琉球に上陸 | |
嘉永5 | 1852 | 中:三ノ宮卯之助が稲荷神社で力石を持ち上げる | 加賀藩が銭屋五兵衛を逮捕 |
幕末 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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嘉永6 | 1853 | ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航 | |
嘉永7 安政1 |
1854 | ・地震・津波のため東海道などで倒壊流失家屋8,300戸、死者1万人あまりに及ぶ e:尾張国の柳街道の追分に道標が建立される 東:大地震のために掛川城・御殿などが倒壊する 中:島村老茶舗が桶川宿で営業を始める 中:武蔵国の中宿に吉見太神の道標が建立される |
幕府が「日米和親条約(神奈川条約)」に調印 |
安政2 | 1855 | 東:地震で倒壊した新居関所の建物が建て替えられる 中:温井川の弁天島に芭蕉句碑が建立される 中:安中藩が藩士を安中城内より碓氷峠まで走らせる 大:相模国岡津村に地神道標が建立される |
江戸で大地震が起こり、余震が1カ月で80回!(安政の大地震) |
安政3 | 1856 | 歌川広重『名所江戸百景』刊行 | |
安政4 | 1857 | ・豊田郡の幕府領の農民1,400人が増税反対の強訴をする 東:ハリスが三島宿世古本陣に宿泊する 中:紅花商人24名が南蔵院に石燈籠を寄進する 中:神流川の洪水で倒れた見透燈籠が復元される 甲:一石橋に迷子探しの告知石碑が建立される |
幕府がハリスと「日米約定(下田協約)」を締結 |
安政5 | 1858 | 東:歌川広重(62)死去 中:石原の追分に秩父観音巡礼道道標が建立される |
徳川家茂が14代将軍となる |
安政6 | 1859 | 東:横浜港開港により鶴見に関門が設置される 東:横浜港開港により神奈川宿に関門が設置される 日:吉田松陰(30)が伝馬町牢屋敷で処刑される |
横浜・長崎・箱館が開港する |
安政7 万延1 |
1860 | 東:勝海舟設計の神奈川台場が完成する 東:日坂宿の伊藤文七(藤文)が問屋役を務める 中:志村の追分に道標を兼ねた庚申塔が建立される 中:与野道の追分に大山御嶽山道標が建立される 中:この年から2年かけ武蔵国岡村に百庚申が建立される 甲:大老井伊直弼が桜田門外で暗殺される 大:相模国和泉村に庚申道標が建立される |
勝海舟の咸臨丸が米国に向けて浦賀を出帆 |
文久1 | 1861 | ・幕府が津・明石・薩摩・浜田・高田の各藩に、美濃・尾張・伊勢および東海道の諸川の修理を命じる 東:神奈川宿宗興寺に宣教医ヘボンが施療所を開設する 東:都田吉兵衛(都鳥)が清水次郎長に殺害される 中:和宮が板鼻宿の木嶋本陣に宿泊する 中:和宮の行列が通るため本殿の工事が休みとなる 中:和宮が本庄宿の田村本陣に宿泊する 中:和宮が桶川宿の府川本陣に宿泊する 中:和宮が蕨宿の岡田加兵衛本陣で休息する 中:和宮が板橋宿の縁切榎を避けて回り道をする 甲:江戸麹町の心法寺に水盤が建立される 大:相模国和泉村に庚申道標が建立される |
対馬に来航したロシア軍艦が退去 幕府が日本最初の新聞『官板バタビア新聞』を発行 |
文久2 | 1862 | ・参勤交代制度が緩和され諸大名の妻子の帰国が許される 東:島津藩士が英国人4人を殺傷する(生麦事件) 東:川崎宿が外国人遊歩区域となり第一関門が設置される |
坂下門外の変 横浜・長崎で写真館が開業 |
文久3 | 1863 | ・将軍徳川家茂の上洛のため箱根路を改修する e:浪人がフランス人3人を殺傷する(井土ヶ谷事件) 東:将軍徳川家茂が上洛し平塚宿の加藤本陣で休息する 東:京都池田屋で新撰組が尊皇攘夷派の浪士を襲撃する 中:深谷の滝澤酒造が現在の小川町で創業する |
長州藩が米国商船を砲撃(下関事件) 薩摩藩が英国艦隊と戦う(薩英戦争) |
元治1 | 1864 | ・将軍徳川家茂が再び上洛する 日:瑞光石の周りに玉垣を築いて浅間神社を祀る |
長州藩兵が幕府軍と交戦(禁門の変・蛤御門の変) |
慶応1 | 1865 | 東:将軍徳川家茂が平塚宿の加藤本陣で休息する 東:京都上賀茂神社の旧本殿を吉御子神社に移築する 日:浅草寺の風雷神門(雷門)が焼失する |
坂本龍馬が亀山社中(海援隊)を結成 |
慶応2 | 1866 | ・江戸市中と五街道に荷物運送用馬車使用が許可される 東:この頃泉縄手の松並木が南側293本・北側248本 中:高島秋帆(69)死去 中:倉賀野宿の飯玉大明神の本殿が完成する 日:浅草寺の風雷神門(雷門)が焼失する 奥:海道新田村に小林清次郎の顕彰碑が建立される 大:相模国岡津村に地神道標が建立される |
徳川慶喜が15代将軍となる 全国で一揆・打ちこわしが江戸時代最大の規模で多発 |
慶応3 | 1867 | ・品川・新宿・下板橋・千住・新井の5関門が廃止される ・幕府が木賃宿料の主従による宿泊料の差別を廃止する ・「ええじゃないか」が全国に広まる ・最後の茶壺道中が東海道を通行する 東:官軍に追われる山岡鉄舟が望嶽亭に助けられる 中:上野国八幡村の八幡宮に唐銅燈籠が奉納される |
坂本龍馬(33)が暗殺される 将軍慶喜が大政奉還を行い征夷大将軍を辞任 |
明治時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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大正時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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明治45 大正1 |
1912 | e:鎌倉の二階堂杉本に大師道道標が建立される 中:深谷町の塚本燃料がレンガ造りの店舗を建てる |
明治天皇(61)崩御 |
大正2 | 1913 | 甲:外濠にアーチ橋の四谷見附橋が架けられる | 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜(77)死去 |
大正3 | 1914 | e:鎌倉の大倉の辻に大師道道標が建立される 甲:辰野金吾設計の中央停車場が東京駅として開業する 大:厚木街道が開通する(今の長後街道) 大:厚木街道(今の長後街道)に高鎌橋が架けられる |
日本楽器がハーモニカの製造を開始 |
大正5 | 1916 | 中:宮沢賢治が秩父の地質調査で熊谷町に宿泊する 中:渋沢栄一が源勝院に明治天皇御車の跡碑を建立する |
工場法が施行される |
大正8 | 1919 | 中:新島襄召天30周年を記念して礼拝堂が建てられる | 東京で乗合自動車が開業 |
大正10 | 1921 | w:東海道本線のルートが変更され山科駅が移転する 東:東海道本線の新逢坂山トンネルが完成する |
栄養菓子「グリコ」キャラメル発売 |
大正11 | 1922 | 日:腑分け立ち会いを記念して観臓記念碑が建立される 甲:一石橋が鉄骨コンクリートの橋に架け替えられる |
物理学者アインシュタイン来日 |
大正12 | 1923 | 東:安倍川安倍川橋が架け替えられる 東:震災で木製の千貫樋が崩壊しコンクリート製となる 中:震災で日本橋魚河岸が壊滅し、その後築地に移転 日:慈眼寺に南北消防組記念碑が建立される 甲:関東大震災の地殻変動で水準点が沈下する 大:震災で永明寺の堂宇が崩壊したためお引っ越し |
関東大震災が発生し死者約10万人 |
大正13 | 1924 | 中:摂政宮裕仁親王の結婚記念に道路を改修する | 甲子園野球場が完成 |
大正14 | 1925 | w:現在の黄桜が蔵元澤屋の分家として創業する 東:丸子一里塚跡の石柱が建立される 中:秩父の達磨石が東竹院前の河原で発見される 奥:古里村(旧白沢宿)の住吉屋が母屋を建てる |
東京放送局がラジオの試験放送を開始 |
昭和時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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平成時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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令和時代 |
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元号 | 西暦 | 街道歩きニュース | 社会のできごと |
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平成31 令和1 |
2019 | ・とらぞうが五街道を踏破する\(^-^)/ | 202年ぶりの譲位で徳仁皇太子が即位 |
「街道歩きの歴史年表」は、
『完全 東海道五十三次ガイド』東海道ネットワークの会/講談社
『中山道を歩く 中山道六十九次・街道宿場ガイド』横山正治 安斎達雄/学研M文庫
『新装版 今昔三道中独案内〜日光・奥州・甲州〜』今井金吾/JTB出版事業局
『日本全史』講談社
『江戸時代館』小学館
『日本交通史』児玉幸多編/吉川弘文館
各地の案内板や市町村のホームページなどを参考にして作成しました。
〜「街道歩きニュース」の略号〜
e:1歩2歩散歩 東日本編
w:1歩2歩散歩 西日本編
東:東海道
中:中山道
日:日光街道
奥:奥州街道
甲:甲州街道
大:大山街道