2003年11月23日(日) 元々は中世の鎌倉道下道の一部で鎌倉と鎌倉幕府の外港:六浦を結ぶ六浦道。 また塩を運ぶ「塩の道」として、朝比奈切通を物資が行き来したそうだけど、今はひっそり。 鎌倉→金沢八景を歩きます。
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08:35 流鏑馬道をスタート
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1年ぶりの鎌倉。 前回の吉田道は鶴岡八幡宮三の鳥居が終点だったけど、『旧鎌倉街道(下道編)』によると、参道と流鏑馬道が交差する地点が鎌倉道の始点とあるので、8:35今回は流鏑馬道からスタート。 しかし、期待した今年の大銀杏もまだ緑…。
東鳥居を出た角に畠山重忠邸跡。 突き当たりを右折してK204に合流。 流鏑馬道が始点というのに真っ直ぐじゃないのね。 信号右手に鎌倉十橋の1つ筋替橋。 川は暗渠になっている。
旧道に戻ると岐れ路交.の左手に大正三年(1914)製の大師道道標。 右が旧道で、進むと左手の路地が大倉の辻。 天文十七年(1548)北条氏康が関所を設置した関取場跡で、荏柄天神社の社殿造営のため、人馬から関銭を徴収した。
ふと気がつくと、もう山深い。 明治四十五年(1912)製の大師道道標を過ぎると、板東三十三所観音霊場第一番札所の杉本寺。 受付のある踊場に、何故か?大山道標がある!
明石交.を横断すると、滑川とGS(エネオス)の間にある路地右手に大江広元邸跡。 この先の橋を渡って県道に合流する。 県道は左手の崖が迫って歩道が右側にしかなく、その歩道は滑川上に出っ張っているので、かなり険しい道。 車道と分かれた歩行者専用舗道を進み、名前のない交差点に出る。 信号下のお地蔵さまを横目に、左手の十二所神社に寄る。 弘安元年(1278)の創建という村社で、社殿の背後は切り立った崖。 旧道に戻ると緩やかな上り坂。 舗装道路が終わって土の道に変わると両側が崖になって、切り通しらしい風景。 追分手前左手に細い竹筒からチョロチョロと太刀洗水。 ホントは崖から湧き出ているんだけど、竹筒がなければ見過ごしちゃう。 寿永二年(1183)源頼朝の命で上総広常を暗殺した梶原景時が、血の着いた太刀を洗ったという伝説がある。
追分の左が旧道で国指定史跡朝夷奈(朝比奈)切通。 叉のところに三郎の滝。 朝比奈義秀が太刀で一夜にして道を切り開いたという伝説がある。 『旧鎌倉街道【下道編】』によると、追分右手は切通開通以前の古道で、この先に上総広常邸があったそうだ。
追分から10分ほど進むと峠で、壁のようにそそり立つ崖。 鎌倉と横浜の市境で、右手には仏さまのレリーフや幾つもの小っちゃいケルンがある。 せっかく積み上げたのでケルんじゃないよ。 …。
旧道に戻って坂を下ると、岩肌が少なくなって土の登山道。 土が乾いているので歩きやすい。 鎌倉市街はスゴい雑踏なのに、切り通しでは旅人3組とすれ違っただけで、訪れる人は少ないみたい。 県道を横切ると、車1台分の幅でいかにも旧道らしい道。 県道にあるバス停「朝比奈」に新しめの上総広常供養塔。 左手の崖の上に見える屋根が常林寺と思って小径を上ると、お堂があるだけで畑になっている。 もう廃寺になっているみたい。
県道に合流して左側を歩く。 さっきまで山道だったのにもうすっかり平地。 鎌倉・三浦半島の特徴で、砂岩と泥岩のサンドイッチ層でできた崖が多い。 海岸が隆起した不思議な風景。
県道の右側を歩いていると右手に宝樹院。 石柱に「小泉純一郎謹書」とあり、なかなか達筆。 横須賀の人なのに、こんな所で何やってんだろ?と思ったら、並びのPに小泉又次郎誕生地碑が!
県道が左カーブする右手のサンデーサン茶屋を右折して左手の諏訪之橋を渡る。 本来旧道は真っ直ぐ橋を渡っていたけど、手前の大道小学校校庭を横断していた道筋がK23に付け替えられた。 橋の前は浦賀道との追分なので、往時も茶屋があったかも。
上行寺南側の蛇行している旧道を進んで、京急架道橋の前で県道に合流。 県道に横断歩道がないので、架動橋をくぐってR16側の歩道橋で北側の歩道に移動。 寄り道のために再び架道橋をくぐって、線路を右に見て大長屋に向かう。 R16に戻ると金沢八景南口交.を左に旧道。 商店街の道幅が旧道のままだね〜。 11:55昼!ということで、昔の雰囲気漂う八景食堂(瀬戸16-35)茶屋でカレー丼735円。 喜多さんたちの注文はバラバラなので割愛(笑)。 食後のお茶!というので、向かいのカフェ・アオキ(瀬戸17-10)茶屋で一服。 1時間5分も休憩(汗)。 13:00金沢八景駅前をスタート。 工事中のバス・ターミナルを横目に、R16沿いに広すぎる歩道。 国道から逸れた旧道を歩道に取り込んだ格好で、瀬戸神社の前もやけに広い。 国道を挟んで向かいの歩道も広いので、瀬戸神社交.の歩道橋から見渡すと、旧道がR16と斜めに交差しているのが分かる。 瀬戸神社は治承四年(1180)源頼朝が伊豆の挙兵以来、崇拝している三嶋大社を勧請したもので、北条政子が奉納したという木造舞楽面が国指定重要文化財。 向かいにある市地域史跡琵琶島には、政子が琵琶湖の竹生島弁財天から勧請した琵琶島神社。 海に突き出しているので、シーサイドラインからの眺めがイイかも。 参道入口に頼朝が服を掛けたという福石がある。
旧道に戻るため瀬戸神社交.を右折すると、金沢八景の1つ瀬戸の秋月である瀬戸橋。 嘉元三年(1305)金沢貞顕が架橋したのが初めで、海に架かる橋としては日本最古といわれる。 交差点から北上すると右手に洲崎神社。 その隣りが龍華寺で、境内に保土ヶ谷道道標がある。 県指定重要文化財となっている天文十年(1541)製の梵鐘をはじめ、明応九年(1500)製の木造弥勒菩薩坐像・大永四年(1524)製の木造地蔵菩薩坐像など、仏像3躯が市指定文化財! 洲崎町の宝石箱やー!
13:40寺前八幡神社から鎌倉道下道と分かれ、右手の赤門通りを進み、金沢八景の1つ称名の晩鐘である称名寺に向かう。 歌川広重が描いた『金沢八景』のプレートが並ぶトンネルをくぐって、県立金沢文庫に寄る。 感激して絵はがきを購入(笑)。 ついでにパンフ「金沢歴史散歩」をもらって中を開くとビックリ! 中世の金沢八景周辺の地図が載っていて、さっきの上行寺前はもちろん、金沢八景駅の南北は海! 入り組んだ入り江だったんだね。 埋め立て前の「金沢八景」を見てみたいな〜。
『横浜の古道』に載っている参道の道標チェックを忘れ、ふみくら茶屋(金沢町173)でまったりと一服してから、金沢文庫駅に向かう。 赤門前を西に進むと近道だけど、次回は六浦道の続き、保土ヶ谷道を歩くので、15:05寺前八幡神社から旧R16をスタート。
後日、天明三年(1783)製の称名寺道標を撮りに行ったけど、参道には見当たらない。 『横浜の古道』を読み直したら、地図上では道標の場所が参道にあるけど、本文では赤門前とあるのでガクッ。 資料は斜め読みしないで、しっかり読まないと…。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 5時間15分(約4時間) |
万歩計の歩数 | 18,505歩 |
喜多さんの歩数 | 18,464歩 |
経費 | |
往路:JR横須賀線戸塚駅→鎌倉駅 | 210円 |
帰路:京急金沢八景駅→上大岡駅 帰路:横浜市営地下鉄上大岡駅→戸塚駅 |
230円 230円 |
参考図書&LINK | |
『旧鎌倉街道 探索の旅【下道編】』芳賀善治郎 『相模大山街道』大山阿夫利神社 『横浜の古道』横浜市教育委員会 |
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