とらぞうのおかち日記
 1歩2歩散歩 
東日本編


Vol.02
〜六浦道(鎌倉→金沢文庫)〜
9.1km

画像 2003年11月23日(日)
元々は中世の鎌倉道下道の一部で鎌倉と鎌倉幕府の外港:六浦を結ぶ六浦道。 また塩を運ぶ「塩の道」として、朝比奈切通を物資が行き来したそうだけど、今はひっそり。
 鎌倉→金沢八景を歩きます。

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08:35 流鏑馬道をスタート

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08:50 “鎌倉殿”源頼朝の墓

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09:00 今はコンクリ製です

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09:10 何故だー?杉本寺ー!

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09:30 塩って美味いよね〜

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09:50 十二所神社の崖

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10:05 広常の怨念は?

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10:05 切り通し入口に滝

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10:15 切り立った切り通し峠

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10:45 出口に佇む石仏群

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10:50 蛇行具合がイイ感じ

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11:05 ホントにお地蔵さま?

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11:15 小泉首相の祖父

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11:25 上行寺の山門

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11:45 張りぼてと思えない

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12:10 “丼”なのに皿…

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13:05 瀬戸神社拝殿

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13:10 今は陸続きです

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13:15 三角な公園?

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13:30 宝石より道標(笑)

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13:50 称名寺の赤門(総門)

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金沢文庫発行のパンフ

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15:05 こちらのイチョウは…

 1年ぶりの鎌倉。 前回の吉田道鶴岡八幡宮三の鳥居が終点だったけど、『旧鎌倉街道(下道編)』によると、参道と流鏑馬道が交差する地点が鎌倉道の始点とあるので、8:35今回は流鏑馬道からスタート。 しかし、期待した今年の大銀杏もまだ緑…。

 東鳥居を出た角に畠山重忠邸跡。 突き当たりを右折してK204に合流。 流鏑馬道が始点というのに真っ直ぐじゃないのね。 信号右手に鎌倉十橋の1つ筋替。 川は暗渠になっている。
 県道を進むと左手に「左源頼朝墓」の標柱。 鎌倉のことは鎌倉在住の方にお任せしようと思うけど、頼朝がいなかったら鎌倉幕府も鎌倉道もない、旧道界?の超重要人物なので迷わず寄り道。
 住宅地の中を進むと、右手の清泉小学校角に治承四年(1180)に建てられた頼朝の屋敷跡で大倉幕府跡。 正面の高台に正治元年(1199)に亡くなった源頼朝。 国指定史跡。 墓石には何故か?島津家の家紋がある。 石段左手に法華堂跡

 旧道に戻ると岐れ路交.の左手に大正三年(1914)製の大師道道標。 右が旧道で、進むと左手の路地が大倉の辻。 天文十七年(1548北条氏康が関所を設置した関取場跡で、荏柄天神社の社殿造営のため、人馬から関銭を徴収した。
 本日2本目の鎌倉十橋歌の橋。 建保元年(1213)謀反の罪で捕らえられた渋河兼守が、処刑前日に詠んだ歌が将軍源実朝に賞賛され赦免となり、恩に報いるため架橋した。

 ふと気がつくと、もう山深い。 明治四十五年(1912)製の大師道道標を過ぎると、板東三十三所観音霊場第一番札所の杉本寺。 受付のある踊場に、何故か?大山道標がある!
 報国寺入口交.を過ぎると、左手に鎌倉五山第二位の浄妙寺があるけど、地名は何故か?「浄明寺」。 右手に青砥藤綱邸跡。 左手の民家脇の足利公方邸跡を横目に明石交.。
 後日知ったんだけど、足利公方邸跡・泉水橋を過ぎたら明石交.手前を左に旧道。 二ツ橋の手前、の左岸にある二ツ橋児童遊園の脇に、歩道として残っている!

 明石交.を横断すると、滑川とGS(エネオス)の間にある路地右手に大江広元邸跡。 この先の橋を渡って県道に合流する。
 旧道は左カーブして上り坂になるけど、右手(ってゆーか正面)に光触。 境内の塩嘗地蔵は元は旧道沿いにあったそうで、六浦の塩売りが初穂として供えた塩が帰りにはなくなっていたという言い伝えがある。 信号脇の荒川酒店屋の前で10分休憩。

 県道は左手の崖が迫って歩道が右側にしかなく、その歩道は滑川上に出っ張っているので、かなり険しい道。 車道と分かれた歩行者専用舗道を進み、名前のない交差点に出る。 信号下のお地蔵さまを横目に、左手の十二所神社に寄る。 弘安元年(1278)の創建という村社で、社殿の背後は切り立った崖。

 旧道に戻ると緩やかな上り坂。 舗装道路が終わって土の道に変わると両側が崖になって、切り通しらしい風景。 追分手前左手に細い竹筒からチョロチョロと太刀洗水。 ホントは崖から湧き出ているんだけど、竹筒がなければ見過ごしちゃう。 寿永二年(1183源頼朝の命で上総広常を暗殺した梶原景時が、血の着いた太刀を洗ったという伝説がある。

 追分の左が旧道で国指定史跡朝夷奈(朝比奈)切通。 叉のところに三郎の滝。 朝比奈義秀が太刀で一夜にして道を切り開いたという伝説がある。 『旧鎌倉街道【下道編】』によると、追分右手は切通開通以前の古道で、この先に上総広常邸があったそうだ。
 ここからは上り坂じゃなくて“登”り坂。 坂といっても実際は岩だらけの階段で、湧き水が流れてまるで川のよう。 足下は滑りやすく、靴も泥だらけになってしまった(涙)。
 吾妻鏡には、仁治二年(1241)“六浦路”工事は余りにもノロくて、執権北条泰時が自身の馬で土石を運んだとある。 トップ自ら汗を流しているので、火薬のない時代に難工事だったんだね。

 追分から10分ほど進むとで、壁のようにそそり立つ崖。 鎌倉と横浜の市境で、右手には仏さまのレリーフや幾つもの小っちゃいケルンがある。 せっかく積み上げたのでケルんじゃないよ。 …。
 峠を過ぎると右手に熊野神社の案内板があるので、くねくね道を進む。 社殿の裏に上ると、木々の間から東京湾が見える。

 旧道に戻って坂を下ると、岩肌が少なくなって土の登山道。 土が乾いているので歩きやすい。 鎌倉市街はスゴい雑踏なのに、切り通しでは旅人3組とすれ違っただけで、訪れる人は少ないみたい。
 横浜横須賀道路をくぐると視界が広がり、左手に石仏群と朝夷奈切通の案内板。 アッという間にK23(環状4号)に出ると、車が多い! そういえば、峠越えの間、車の音がずっと聞こえていた。

 県道を横切ると、車1台分の幅でいかにも旧道らしい道。 県道にあるバス停「朝比奈」に新しめの上総広常供養塔。 左手の崖の上に見える屋根が常林寺と思って小径を上ると、お堂があるだけで畑になっている。 もう廃寺になっているみたい。

 県道に合流して左側を歩く。 さっきまで山道だったのにもうすっかり平地。 鎌倉・三浦半島の特徴で、砂岩と泥岩のサンドイッチ層でできた崖が多い。 海岸が隆起した不思議な風景。
 そんな崖が歩道に出っ張って、「も〜、狭くて歩きづらい!」と思ったら鼻欠地蔵。 かなり風化しているので、お地蔵さまというより雪だるまかマシュマロマンみたい(笑)。 崖の崩落対策なのか?周りはコンクリートで固められ、鼻欠地蔵の上部だけが辛うじて自然のまま残されている。 この場所は相模国・武蔵国の国境で、鎌倉時代の大動脈が通っていただけに、武蔵国側の地名が「大道」。

 県道の右側を歩いていると右手に宝樹院。 石柱に「小泉純一郎謹書」とあり、なかなか達筆。 横須賀の人なのに、こんな所で何やってんだろ?と思ったら、並びのPに小泉又次郎誕生地碑が!
 後で調べたら、宝樹院は小泉家の菩提寺みたい。 金沢八景に小泉の夜雨ってのがあるので、小泉家は六浦出身なのね。 阿弥陀堂に祀られている木造阿弥陀三尊像は県指定重要文化財。

 県道が左カーブする右手のサンデーサン茶屋を右折して左手の諏訪之橋を渡る。 本来旧道は真っ直ぐ橋を渡っていたけど、手前の大道小学校校庭を横断していた道筋がK23に付け替えられた。 橋の前は浦賀道との追分なので、往時も茶屋があったかも。
 突き当たりを左折して再び県道と合流すると、左手に上行寺。 境内に船繋ぎの松跡なんてあるので、今の風景からは想像できないけど、この付近が六浦港? しかし、海は見えない…。

 上行寺南側の蛇行している旧道を進んで、京急架道橋の前で県道に合流。 県道に横断歩道がないので、架動橋をくぐってR16側の歩道橋で北側の歩道に移動。 寄り道のために再び架道橋をくぐって、線路を右に見て大長屋に向かう。
 上行寺右手の崖上にある中世のやぐら群上行寺東遺跡なんだけど、上行寺側から見えるコンクリの階段がキツそうなので、隣に建っている大長屋側から入ってみたけど、マヌケな遠回りになってしまった…。 素直に上行寺から上った方がイイ。 遺跡自体はレプリカの張りぼてだけど、景色がイイ! しかし、海は見えない…。

 R16に戻ると金沢八景南口交.を左に旧道。 商店街の道幅が旧道のままだね〜。 11:55昼!ということで、昔の雰囲気漂う八景食堂(瀬戸16-35)茶屋でカレー丼735円。 喜多さんたちの注文はバラバラなので割愛(笑)。 食後のお茶!というので、向かいのカフェ・アオキ(瀬戸17-10)茶屋で一服。 1時間5分も休憩(汗)。

 13:00金沢八景駅前をスタート。 工事中のバス・ターミナルを横目に、R16沿いに広すぎる歩道。 国道から逸れた旧道を歩道に取り込んだ格好で、瀬戸神社の前もやけに広い。 国道を挟んで向かいの歩道も広いので、瀬戸神社交.の歩道橋から見渡すと、旧道がR16と斜めに交差しているのが分かる。

 瀬戸神社は治承四年(1180源頼朝が伊豆の挙兵以来、崇拝している三嶋大社を勧請したもので、北条政子が奉納したという木造舞楽面が国指定重要文化財。 向かいにある市地域史跡琵琶島には、政子が琵琶湖の竹生島弁財天から勧請した琵琶島神社。 海に突き出しているので、シーサイドラインからの眺めがイイかも。 参道入口に頼朝が服を掛けたという福石がある。

 旧道に戻るため瀬戸神社交.を右折すると、金沢八景の1つ瀬戸の秋月である瀬戸橋。 嘉元三年(1305金沢貞顕が架橋したのが初めで、海に架かる橋としては日本最古といわれる。
 瀬戸橋を渡ると舗道を整備したばかりのようで、街並みがキレイ。 左手に明治憲法起草の地の案内板があり、明治二十年(1887伊藤博文らが憲法の草案を起草した場所で、料亭東屋跡。 洲崎町交.で左折するんだけど、交差点が直角なのに対し、旧道が曲線なので、舗道が三角形状に広くなっている。 舗道の一角に、東屋跡から移動させられた憲法草創之處碑がド〜ン。

 交差点から北上すると右手に洲崎神社。 その隣りが龍華で、境内に保土ヶ谷道道標がある。 県指定重要文化財となっている天文十年(1541)製の梵鐘をはじめ、明応九年(1500)製の木造弥勒菩薩坐像・大永四年(1524)製の木造地蔵菩薩坐像など、仏像3躯が市指定文化財! 洲崎町の宝石箱やー!

 13:40寺前八幡神社から鎌倉道下道と分かれ、右手の赤門通りを進み、金沢八景の1つ称名の晩鐘である称名寺に向かう。
 13:50赤門が本日のゴール。 横浜市民だけど、称名寺を訪れるのは初めてなので(汗)、国指定史跡称名寺境内を散策して紅葉を楽しむ。 称名寺の創建は、正嘉二年(1258金沢実時が居館内に建てた持仏堂とされ、金沢文庫も実時が建立した。 文化財は国宝・重文など多数だけど、詳しくは地元の方にお任せする(笑)。

 歌川広重が描いた『金沢八景』のプレートが並ぶトンネルをくぐって、県立金沢文庫に寄る。 感激して絵はがきを購入(笑)。 ついでにパンフ「金沢歴史散歩」をもらって中を開くとビックリ! 中世の金沢八景周辺の地図が載っていて、さっきの上行寺前はもちろん、金沢八景駅の南北は海! 入り組んだ入り江だったんだね。 埋め立て前の「金沢八景」を見てみたいな〜。

 『横浜の古道』に載っている参道の道標チェックを忘れ、ふみくら茶屋(金沢町173)でまったりと一服してから、金沢文庫駅に向かう。 赤門前を西に進むと近道だけど、次回は六浦道の続き、保土ヶ谷道を歩くので、15:05寺前八幡神社から旧R16をスタート。
 すぐ右に旧道で、「金沢歴史散歩」によると、往時は海岸線沿い! 住宅地を進み、君ヶ崎交.でR16と合流すると、右手に狐がカワイイ君ヶ崎稲荷で、奥では大長屋を建設中。 またすぐ右に旧道なんだけど、蛇行具合がGOOD。 国道に合流すると、昔は海の中だった金沢八景駅。 15:20金沢文庫駅前交.を渡ってゴール。
 約15分で約0.9km。 歩数は1,229歩(喜多さん1,203歩)。


 後日、天明三年(1783)製の称名寺道標を撮りに行ったけど、参道には見当たらない。 『横浜の古道』を読み直したら、地図上では道標の場所が参道にあるけど、本文では赤門前とあるのでガクッ。 資料は斜め読みしないで、しっかり読まないと…。
 個人宅に保管してある道標で、本番当日見せてもらおうと家の前まで行ったものの、結局あきらめた宝暦四年(1754)製の鎌倉道道標を再度訪問。 ご主人のご厚意で撮らせていただきました。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 5時間15分(約4時間)
万歩計の歩数 18,505歩
喜多さんの歩数 18,464歩
経費
往路:JR横須賀線戸塚駅→鎌倉駅 210円
帰路:京急金沢八景駅→上大岡駅
帰路:横浜市営地下鉄上大岡駅→戸塚駅
230円
230円
 
参考図書&LINK
『旧鎌倉街道 探索の旅【下道編】』芳賀善治郎
『相模大山街道』大山阿夫利神社
『横浜の古道』横浜市教育委員会
歴散加藤塾(http://homepage2.nifty.com/katohjuk/)

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