街道歩きの人名辞典

街道・旧道を歩いてみよう

ぬねの

らりる


足利義尚
あしかが よしひさ
寛正6年〜延徳元年(1465〜1489):25歳
 室町幕府第9代将軍。足利義政&日野富子の長子。
長享1 1487 六角征伐のため近江国の鈎に本陣を置く 23
在原業平
ありはら の なりひら
天長2年〜元慶4年(825〜880):56歳
 平安時代前期の歌人で六歌仙・三十六歌仙の一人。イケメンの歌人として『伊勢物語』の主人公となっている。
承和14 847 聖観音像を刻んで不退転法輪寺を創建する 23
応和1 961 業平が主人公となる『伊勢物語』がこの頃成立する 没後81
井伊直政
いい なおまさ
永禄4年~慶長7年(1561〜1602):42歳
 徳川家康の家臣で徳川四天王の一人。関ケ原の戦いで功を立て、近江国佐和山城主となる。関ケ原の傷が元で死去。
慶長3 1598 上野国の和田に入封して、地名を「高崎」と改める 38
石出吉胤
いしで よしたね
天文元年~元和4年(1532〜1618):87歳
 江戸時代初期の名主。千葉氏の一族で、千住の掃部(かもん)宿を開発する。子孫が同宿の名主を代々務めた。
慶長3 1598 千住で新田開発を始める 67
慶長15 1610 千住掃部宿に源長寺を開創する 79
元和2 1616 千住掃部宿に堤を築く 85
元和4 1618 死去 87
伊藤博文
いとう ひろぶみ
天保12年〜明治42年(1841~1909):69歳
 明治時代の政治家で初代内閣総理大臣(初代を含め4回就任)。旧千円札の人。周防国出身で吉田松陰の松下村塾に学び、尊王攘夷運動の志士として明治維新を迎える。
明治12 1879 熊谷堤完成の記念碑の題字を篆字で書く 39
明治20 1887 金沢八景の料亭東屋で憲法の草案を起草する 47
伊奈忠次
いな ただつぐ
天文19年〜慶長15年(1550~1610):61歳
 江戸時代初期の代官頭。37歳で徳川家康の近習(きんじゅ)となる。家康の関東移封後は、治水事業や新田開発などで活躍。江戸幕府の政治・経済基盤の拡充に重要な役割を果たす。
文禄3 1594 荒川(現在の隅田川)に(千住)大橋を架ける 45
慶長15 1610 死去 61
伊奈忠治
いな ただはる
文禄元年〜承応2年(1592〜1653):62歳
 江戸時代前期の関東郡代。父忠次・兄忠政の死後、伊奈家の郡代職を継ぎ、利根川・江戸川・荒川などの治水事業や新田開発で業績を残す。領内に飢民のない功績を賞されている。
寛永5 1628 中山道のルートを付け替え、大宮宿を移転させる 37
寛永6 1629 武蔵国の久下村に堤防を築き、荒川の瀬替えを行う 38
承応2 1653 死去 62
今井兼平
いまい かねひら
仁平2年~元暦元年(1152〜1184):33歳
 平安時代後期の武将で木曾四天王の一人。源義仲の乳母の子で、義仲の挙兵以来各地を転戦し、義仲と運命をともにする。
寿永3 1184 討ち死にした源義仲の後を追い自害する 33
上杉憲英
うえすぎ のりふさ
?~応永11年(?~1404):?歳
 南北朝・室町時代前期の武将。深谷上杉氏の祖。
康応2 1390 庁鼻和城内に国済寺を開創する
応永11 1404 死去
歌川広重
うたがわ ひろしげ
寛政9年~安政5年(1797~1858):62歳
 名作連作版画『東海道五十三次』を生んだ江戸時代後期の浮世絵師。幕府定火消同心の安藤家に生まれる。
 15歳で歌川豊国に入門しようとしたが満員のため断られ、代わりに歌川豊広に入門。16歳で豊広の「広」と、広重の本名・重右衛門(じゅうえもん)の「重」で、「広重」の名を与えられる。27歳で家業の火消同心を辞し、絵師を本業とする。
天保4 1833 『東海道五十三次』(保永堂版)が刊行される 37
天保5 1834 『東海道五十三次』(保永堂版)が完結する 38
天保8 1837 『木曽海道六十九次』の制作を渓斎英泉から引き継ぐ 41
天保12 1841 広重・英泉合作の『木曽海道六十九次』が完結する 45
 安藤広重と表記されることがあるが、「安藤」は本姓なので、画名は「歌川広重」が正式名称。
江川英龍
えがわ ひでたつ
享和元年~安政2年(1801〜1855):55歳
 伊豆韮山の世襲代官。当主は太郎左衛門を称する。江川家は大和源氏の流れを汲む名家で、英龍は36代目。高島秋帆に西洋砲術を学び、品川の台場を築造。韮山反射炉の生みの親。
応神天皇
おうじんてんのう
?年〜?年:111歳?
 仲哀天皇の第四皇子で誉田別尊(ほむたわけのみこと)。母は神功皇后。応神の系統を河内王朝と称し、王朝交替があったという説がある。後世になって八幡宮の祭神として祀られている。
大海人皇子
おおあまのみこ
天武天皇(てんむてんのう)
大河内輝貞
おおこうち てるさだ
寛文5年〜延享4年(1665~1747):83歳
 江戸時代中期の高崎藩主で5代将軍徳川綱吉の側用人。8代将軍徳川吉宗の老中格も務める。
元禄11 1698 源頼政を祀るため、石上寺境内に頼政神社を創建する 34
太田道灌
おおた どうかん
永享4年~文明18年(1432〜1486):55歳
 室町時代の武将で扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の重臣。諱は資長(すけなが)。江戸城を築いた武将として有名。30回以上の合戦を戦い、めざましい活躍で扇谷上杉家の勢力を拡大させたが、主君定正に暗殺される。
大友皇子
おおとものみこ
弘文天皇(こうぶんてんのう)
小笠原信嶺
おがさわら のぶみね
天文16年〜慶長3年(1547~1598):52歳
 戦国時代の武将。信濃国松尾城主から本庄城主となる。
天正19 1591 武蔵国本庄城下に開善寺を開く 45
慶長3 1598 死去 52
元和9 1623 妻の久旺院死去 没後25
岡部忠澄
おかべ ただずみ
?〜建久8年(?~1197):?歳
 鎌倉幕府初期の御家人。通称は六弥太。
元暦1 1184 一ノ谷の戦いで平忠度を討ち取る
建久8 1197 死去
沖田総司
おきた そうじ
天保13年〜明治元年(1842〜1868):27歳
 新選組の一番隊組長。池田屋事件などで活躍する。
明治1 1868 死去 27
小野篁
おの の たかむら
延暦21年〜仁寿2年(802~852):51歳
 平安時代前期の公卿・歌人。『古今和歌集』に6首が入集。
嘉祥2 849 1本の桜から6体の地蔵菩薩を刻む 48
鏡女王
かがみのじょおう
?~天武12年(?~683):?歳
 万葉歌人。藤原鎌足の正室&藤原不比等の母。
天智8 669 夫藤原鎌足の大病平癒を祈願して山階寺を建立する
梶原景時
かじわら かげとき
?~正治2年(?〜1200):?歳
 鎌倉幕府初期の御家人。源頼朝挙兵時は敵だったが、石橋山で頼朝のピンチを救い、その後頼朝に従い要職を歴任する。
 讒言(ざんげん)源義経を失脚させたことは有名。しかし、頼朝の死後、讒言の行き過ぎで景時自身が失脚する。
寿永2 1183 上総広常を暗殺し、血の着いた太刀を湧き水で洗う
文治3 1187 頼朝から讒言の罰として鎌倉中の道路整備を命じられる
正治1 1199 讒言が行き過ぎて源頼家に鎌倉を追放される
上総広常
かずさ ひろつね
?~寿永2年(?~1183):?歳
 平安時代末期の豪族的武士。通称は上総介(かずさのすけ)
寿永2 1183 梶原景時との双六の最中に暗殺される
和宮
かずのみや
親子内親王(ちかこないしんのう)
片岡庄兵衛
かたおか しょうべえ
?年〜?年:?歳
 大津算盤の始祖。中国式算盤を改良して大ヒットさせる。
慶長17 1612 近江国の大谷で大津算盤の製造を始める
金沢貞顕
かねざわ さだあき
弘安元年〜元弘3年(1278~1333):56歳
 金沢顕時の三男で鎌倉幕府第15代執権。幕府の要職を歴任し、金沢北条氏の最盛期を築く。
嘉元3 1305 六浦荘金沢郷の平潟湾の入り江に瀬戸橋を架ける 28
金沢実時
かねざわ さねとき
元仁元年〜建治2年(1224~1276):53歳
 鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の要職を務め、幕府の中枢である評定衆にも加わっているが、ホントは学問が好き。
正嘉2 1258 六浦荘金沢郷の居館内に持仏堂を建立する 35
河合曾良
かわい そら
慶安2年〜宝永7年(1649〜1710):62歳
 江戸時代中期の俳人。信濃国上諏訪出身で、本名は岩波正字(まさたか)。37歳頃松尾芭蕉に入門する。芭蕉十哲の一人。
元禄2 1689 松尾芭蕉に同行して「おくのほそ道」に旅立つ 41
鑑真
がんじん
嗣聖5年~天平宝字7年(688〜763):76歳
 唐の高僧で日本律宗の開祖。日本への渡航を懇願されたものの、渡航は5回失敗。失明を乗り越え、6度目の渡航で来日。
天平宝字3 759 平城京に唐招提寺を創建する 72
桓武天皇
かんむてんのう
天平9年~大同元年(737~806):70歳
 平安時代最初の天皇。長岡京・平安京の造営、蝦夷(えみし)討伐などで民が疲弊したが、平安な時代の基礎を築く。
延暦19 800 憤死した早良親王に崇道天皇の尊号を追贈する 64
北政所
きたのまんどころ
高台院(こうだいいん)
行基
ぎょうき
天智7年~天平勝宝元年(668〜749):82歳
 奈良時代の僧。河内国(後の和泉国)大鳥郡蜂田郷の生まれ。布教と共に治水・架橋や布施屋設置などの社会事業を展開する。初めは朝廷から弾圧されるが、76歳で東大寺大仏造営の勧進に起用され、78歳で初代大僧正に任命される。
朱鳥1(白鳳14) 686 近江国の大岡山山頂に大岡寺を創建する 19
養老5 721 平城京に菅原寺を創建する 54
天平13 741 伊勢国の関に地蔵菩薩を安置する 74
天平勝宝1 749 入寂 82
空海
くうかい
宝亀5年~承和2年(774〜835):62歳
 言わずと知れた、弘法大師&真言宗の開祖。讃岐国多度郡屏風浦の生まれ。嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆の一人。
 31歳で遣唐使の留学僧として入唐。43歳で嵯峨天皇から高野山が下賜され、総本山金剛峯寺を創建する。
天長1 824 大和国の山辺郡に長岳寺を創建する 51
天長3 826 枯れ井戸に観音像を置き護摩祈願すると清水が湧く 53
 弘法大師への崇敬と、故郷の満濃池改修がドッキングして?湧き水・井戸・温泉など、水に関する伝説が多い。
熊谷直実
くまがい なおざね
永治元年~承元2年(1141〜1208):68歳
 鎌倉幕府初期の御家人。一ノ谷の戦いで平敦盛を討ったことは有名。養父久下直光と所領争いとなり、訴訟対決中に出家する。53歳で法然に帰依し、蓮生(れんせい)と号する。
建久3 1192 源頼朝の御前で訴訟対決中に出家する 52
建久6 1195 蓮正が開山となり藤枝宿の蓮正寺が創建される 55
渓斎英泉
けいさい えいせん
寛政2年〜嘉永元年(1790〜1848):59歳
 江戸時代後期の浮世絵師。美人画を得意とする。名所絵にも定評があり、『木曽海道六十九次』を手がけたが、途中で放棄して、歌川広重に引き継がれる。晩年は文筆業に専念する。
天保6 1835 『木曽海道六十九次』が刊行される 46
天保8 1837 『木曽海道六十九次』の制作を歌川広重が引き継ぐ 48
天保12 1841 英泉・広重合作の『木曽海道六十九次』が完結する 52
孝謙天皇
こうけんてんのう
養老2年~ 神護景雲4年(718~770):53歳
 聖武天皇光明皇后の第一皇女で阿倍内親王。僧道鏡を寵愛した。淳仁天皇に譲位した後、重祚して称徳天皇となる。
天平神護1 765 称徳天皇が平城京に西大寺を創建する 48
神護景雲2 768 平城京東の御蓋山に春日大社を創建する 51
高台院
こうだいいん
天文18年~ 寛永元年(1549~1624):76歳
 豊臣秀吉の正室で北政所(きたのまんどころ)。幼名はねね(おね)。秀吉の死後は高台院と称し、京都東山に高台寺を建立。
慶長4 1599 三井寺の金堂を再建する 58
 北政所は摂政・関白の正室に対する称号なので、「高台院」が正式名称。しかし、一般的には北政所=ねねとなっている。
弘文天皇
こうぶんてんのう
大化4年~天武元年(648~672):25歳
 天智天皇の長子で大友皇子。壬申の乱で叔父の大海人皇子と王位をめぐって争うが敗死。天智の死後に即位したのかは不明だが、明治天皇によって「弘文天皇」と追号された。
天武1 672 瀬田の唐橋で大海人皇子と壬申の乱最後の決戦となる 25
弘法大師
こうぼうだいし
空海(くうかい)
光明皇后
こうみょうこうごう
大宝元年〜天平宝字4年(701〜760):60歳
 藤原不比等の三女で安宿媛(あすかべひめ)聖武天皇皇后。夫聖武と共に仏教に篤く帰依し、天平文化の発展に寄与する。
天平19 747 夫聖武天皇の病気平癒を願って新薬師寺を創建する 47
天平勝宝8 756 夫聖武天皇の七七忌に遺品を正倉に収める 56
後白河天皇
ごしらかわてんのう
大治2年〜建久3年(1127~1192):66歳
 鳥羽天皇の第四皇子。即位3年で子の二条天皇に譲位し、院政を行う。武士の時代が始まり、平清盛・源義仲源頼朝を相手に、朝廷の権威の安定に努める。
保元2 1157 伏見六地蔵を京の街道入口6カ所に分置させる
山城国の山科に六地蔵を分置した六角堂を設置する
31
建久1 1190 源頼朝を引見して権大納言・右近衛大将を任ずる 64
小林一茶
こばやし いっさ
宝暦13年〜文政10年(1763~1827):65歳
 江戸時代後期の俳人。信濃国柏原出身で、本名は信之。3歳で実母と死別。15歳で江戸へ奉公に出され、39歳で父が病死し、継母と遺産相続で争った苦労人。51歳で郷里に定住。
文化7 1810 新町宿の高瀬屋で夜更けに起こされ12文寄進する 48
近藤勇
こんどう いさみ
天保5年~慶応4年(1834~1868):35歳
 幕末の幕臣。武蔵国多摩郡石原村の農家の生まれ。近藤家の養子となり、天然理心流4代目を襲名。30歳で幕府が募集した浪士組に参加して京に上り、新選組を組織して局長となる。
慶応4 1868 板橋宿の刑場で斬首され、胴体が埋葬される
三条大橋で晒された首が法蔵寺に埋葬される
35
西行
さいぎょう
元永元年~文治6年(1118~1190):73歳
 歌集『山家集』を生んだ平安時代後期の僧侶・歌人、そして旅人。藤原秀郷の子孫として生まれ、俗名は佐藤義清(のりきよ)。生涯に2回旅した陸奥国の藤原秀衡とは遠縁にあたる。
 鳥羽上皇の「北面の武士」の職を辞し、23歳で出家。高野山を拠点に奥州や中国・四国などを旅する。
文治2 1186 東大寺勧進のため2度目となる奥州への旅に出る 69
元禄2 1689 西行を敬愛する松尾芭蕉がおくのほそ道に旅立つ 没後499
 『新古今和歌集』には最多の94首が入集し、『小倉百人一首』86番にも選ばれている。松尾芭蕉の『おくのほそ道』はリスペクトする西行の足跡をたどる旅といわれている。
嵯峨天皇
さがてんのう
延暦5年~承和9年(786〜842):57歳
 桓武天皇の第二皇子。治世中は太平が続き、宮廷文化(弘仁文化)が花開く。空海・橘逸勢と共に、三筆の1人。
弘仁3 812 近江国に坂上田村麻呂を祀る田村神社を創建する 27
弘仁5 814 大和国に弘仁寺を創建する 29
坂上田村麻呂
さかのうえ の
たむらまろ
天平宝字2年~弘仁2年(758~811):54歳
 平安時代初期の武将で第2代征夷大将軍。光仁朝以来の悲願であった“まつろわぬ”蝦夷(えみし)を討伐し平定する。
 戦功によって昇進を重ね、征夷大将軍をはじめ、53歳で大納言となる。古代のヒーローとして数多くの伝説を持つ。
延暦9 790 遠江国佐野郡に善光寺を建立する 33
延暦16 797 1回目の征夷大将軍となる
大晦日に駿河国の豊積神社へ戦勝報告をする
40
大同2 807 遠江国の事任神社を本宮山より遷座する
東征凱旋の途中に飯玉社で造営舞楽を奏上する
50
弘仁3 812 嵯峨天皇の勅によって田村神社が創建される 没後1
佐佐木信綱
ささき のぶつな
明治5年~昭和38年(1872〜1963):91歳
 三重県出身の歌人&国文学者。唱歌「夏は来ぬ」を作詞。
明治29 1896 「夏は来ぬ」が『新編教育唱歌集』で発表される 24
薩摩義士
さつまぎし
リーダー:薩摩藩家老 平田靱負(ひらた ゆきえ)
宝永元年~宝暦5年(1704~1755):52歳
 薩摩藩が江戸幕府に木曽三川の「御手伝普請」を命じられ、1年半に及ぶ難工事の末に完成。「宝暦治水」と呼ばれる。
 病気や事故、幕府への抗議の切腹などで80名以上の藩士が犠牲となる。周辺地域では「薩摩義士」として祀られている。
宝暦3 1753 薩摩藩が江戸幕府に木曽三川の御手伝普請を命じられる 50
宝暦5 1755 治水工事が完成し、
平田靱負が巨額の費用と犠牲者の責任を取り自害
52
 御手伝普請は幕府が工事の設計・監督し、工事を請負う藩が費用を負担する、外様大名の経済力を抑えるためのシステム。
早良親王
さわらしんのう
天平勝宝2年〜延暦4年(750~785):36歳
 桓武天皇の同母弟。桓武の即位に伴い皇太子となる。しかし、無実の罪?で捕らえられ憤死。その後怨霊となった。
延暦4 785 藤原種継暗殺事件に連座して憤死する 36
延暦19 800 桓武天皇より崇道天皇の尊号を追贈される 没後15
延暦24 805 親王の墓が淡路国から大和国へ移葬される 没後20
三ノ宮卯之助
さんのみや うのすけ
文化4年~嘉永7年(1807〜1854):48歳
 江戸時代後期の力持ち。各地で興行を行う。
嘉永5 1852 桶川宿の稲荷神社で力石を持ち上げる 46
シーボルト
Philipp Franz von
Siebold
1796年〜1866年(寛政8〜慶応2):70歳
 ドイツの医学者&植物学者。長崎で蘭学を教えた。
文政9 1826 江戸参府の帰りに近江国栗太郡の善性寺を訪問する 30
施基皇子
しきのみこ
?〜霊亀2年(?〜716):?歳
 天智天皇の第七皇子。万葉歌人として6首の歌を残す。
雲亀1 715 大和国の山荘跡に白毫寺が創建される
十返舎一九
じっぺんしゃ いっく
明和2年〜天保2年(1765~1831):67歳
 滑稽本『東海道中膝栗毛』を生んだ江戸時代後期の戯作(げさく)者。駿河国府中の同心重田家に生まれ、本名は貞一。
 町奉行の転勤に従った大坂で浄瑠璃の修行をした後、奉行所勤めを辞し、江戸の版元「蔦屋」の食客となる。弥次喜多の道中記『浮世(東海)道中膝栗毛』が大ヒットとなり、約20年間も『膝栗毛』シリーズを書き続ける。
享和2 1802 『浮世(東海)道中膝栗毛』出版 38
文政5 1822 『続膝栗毛』完結 58
 著作で得たお金で生計を立てた最初の人物とされる。
持統天皇
じとうてんのう
大化元年~大宝2年(645〜702):58歳
 天智天皇の第二皇女&叔父である天武天皇の皇后。天武即位後は中央集権体制の推進を助け、天武死後は孫の文武天皇に譲位するため自ら即位して天皇となる。
天武9 680 天武天皇が病気平癒を祈願して飛鳥に薬師寺を創建する 36
聖武天皇
しょうむてんのう
大宝元年~天平勝宝8歳(701~756):56歳
 文武天皇の第一皇子で首(おびと)皇子。母は藤原不比等の娘・宮子で、皇后も不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ)。天災・疫病が続いたり、藤原氏台頭に頭を痛めたのか?仏教に篤く帰依する。
神亀5 728 皇太子基王の菩提を弔うため金鐘山寺を建立する 28
天平12 740 東国行幸を始め、伊勢・美濃・近江を5年かけて巡幸 40
天平13 741 国分寺・国分尼寺建立の詔を発表する 41
天平19 747 妻光明皇后が病気平癒を願って新薬師寺を創建する 47
称徳天皇
しょうとくてんのう
孝謙天皇(こうけんてんのう)
白河天皇
しらかわてんのう
天喜元年〜大治4年(1053~1129):77歳
 平安時代後期の天皇。譲位後も政権を握る「院政」を創設。
永保1 1081 宮中の神嘉殿を大和国の石上神宮に移築する 29
親鸞
しんらん
承安3年〜弘長2年(1173~1262):90歳
 鎌倉時代初期の僧&浄土真宗の開祖。山城国宇治郡の日野に生まれ、日本仏教史上初めて僧として妻子を持つ。
 比叡山で修行後、29歳で浄土宗の法然に入門。大ブレイクした念仏は弾圧され、越後国に流罪となる。流罪後は約20年ほど関東で布教活動を行う。60歳を過ぎてから帰京し、著作活動に励む。
貞永1 1232 相模国の能満寺(現正安寺)に宿泊して布教する
相模国の国府津に立ち寄り、その後7年間滞在する
60
菅原道真
すがわら の みちざね
承和12年~延喜3年(845〜903):59歳
 平安時代前期の学者&政治家。幼少の頃から優秀で、55歳で右大臣となったが、讒言により太宰府へ左遷。死後は祟りのために天満天神として祀られたが、今は学問の神さま。
崇道天皇
すどうてんのう
早良親王(さわらしんのう)
角倉了以
すみのくら りょうい
天文23年〜慶長19年(1554〜1614):61歳
 近世初頭の豪商で、朱印船貿易&河川土木事業で繁栄した。
慶長12 1607 富士川の舟運を開く 54
慶長19 1614 伏見の高瀬川を開削して水運を開通する 61
蝉丸
せみまる
?年~?年:?歳
 平安時代の伝説的歌人&盲目の琵琶奏者。逢坂山に暮らす。
天慶9 946 近江国逢坂山の蝉丸神社に主神として祀られる
仙石秀久
せんごく ひでひさ
天文20年~慶長19年(1551〜1614):64歳
 戦国時代の武将。豊臣秀吉徳川家康に仕え、40歳で小諸城主となる。勇猛果敢で石川五右衛門生け捕り伝説がある。
慶長19 1614 江戸からの帰国途中に鴻巣宿で死去 64
宗長
そうちょう
文安5年〜享禄5年(1448〜1532):85歳
 室町・戦国時代の連歌師。『武士(もののふ)の矢橋(やばせ)の舟は速くとも急がば回れ瀬田の唐橋』を詠む。
永正1 1504 駿河国丸子の宇津ノ谷に庵・柴屋軒を結ぶ 57
醍醐天皇
だいごてんのう
仁和元年〜延長8年(885~930):46歳
 平安時代前期の天皇。菅原道真を左遷した天皇だが、律令制の維持を図り親政を行ったので、「延喜の治」と称えられた。
延長8 930 崩御 46
泰澄
たいちょう
白鳳11年?〜神護景雲元年(682?~767):86歳?
 越知(おち)山・白山を開山した山岳信仰の祖。越前国麻生津(あそうづ=福井市浅水町)に生まれ、越知山で入寂する。
神亀3 726 伊勢国三重郡に石薬師寺を創建する 45?
天平1 729 尾張国愛知郡に観音寺(荒子観音)を創建する 48?
平清宗
たいら の きよむね
嘉応2年~文治元年(1170~1185):16歳
 平宗盛の長男&清盛の孫。壇ノ浦の戦いで敗れ、源義経によって鎌倉へ護送された後、義経の郎党に斬首される。
文治1 1185 近江国の野路口で斬首され、首を六条河原に晒される 16
平将門
たいら の まさかど
?~天慶3年(?〜940):?歳
 平安時代中期の武将。一族間の争いをきっかけに、自らを新皇と称して関東の独立を図ったが、朝敵として討たれる。国家の悪政に反抗したヒーローとして、霊魂伝説が生まれる。
天慶3 940 下総国で朝廷軍の藤原秀郷に討たれる
延慶2 1309 武蔵国の神田明神に祀られる 没後369
高島秋帆
たかしま しゅうはん
寛政10年〜慶応2年(1798〜1866):69歳
 江戸時代後期の砲術家。長崎港の防備をした関係で、オランダ人より西洋砲術を学ぶ。幕府の軍事の近代化に寄与した。
弘化3 1846 この年より7年間武蔵国の岡部藩に幽閉される 49
慶応2 1866 死去 69
滝川一益
たきがわ かずます
大永5年〜天正14年(1525~1586):62歳
 安土桃山時代の武将で織田四天王の一人。織田信長に仕えて戦功を上げたが、信長死後は後継者争いにも敗れて散々。
天正10 1582 神流川の戦いに敗れ、本領の伊勢長島に逃げ帰る 58
武田信玄
たけだ しんげん
大永元年~天正元年(1521~1573):53歳
 言わずと知れた、甲斐武田家第19代当主。諱は晴信。39歳で出家して「信玄」と号する。
 「風林火山」の旗印の下、上杉謙信と5回にわたる川中島の戦いをはじめ、戦い続けて領国を拡大。上洛の途中で病死。
永禄11 1568 駿河国の上原延命子安地蔵尊に本陣を設置する
駿河国の興津川で今川氏真と戦う
48
元亀3 1572 遠江国の木原畷で徳川家康と対峙する 52
親子内親王
ちかこないしんのう
弘化3年〜明治10年(1846〜1877):32歳
 仁孝天皇の第八皇女で孝明天皇の異母妹。江戸幕府第14代将軍徳川家茂(いえもち)の正室。公武合体のため降嫁し、中山道を下向した。名前は幼称の「和宮」の方が有名。
文久1 1861 板鼻宿の木嶋本陣に宿泊する
倉賀野宿で和宮の行列が通るため本殿の工事が休みとなる
本庄宿の田村本陣に宿泊する
桶川宿の府川本陣に宿泊する
蕨宿の岡田加兵衛本陣で休息する
板橋宿の縁切榎を避けて回り道をする
16
天智天皇
てんぢてんのう
推古34年~天智10年(626~671):46歳
 舒明天皇の第二皇子で中大兄(なかのおおえ)皇子。母は皇極(斉明)天皇で、天武天皇(大海人皇子)の同母兄とされる。
 大化の改新の中心人物で、改新の詔を発表。駅馬・伝馬を定める。百済復興を図った白村江の敗戦後、大津に遷都する。
天智7 668 中大兄皇子が即位して天智天皇となる 43
天智10 671 崩御 46
天武天皇
てんむてんのう
舒明3年?〜朱鳥元年(631?~686):56歳?
 舒明天皇の第三皇子で大海人(おおあま)皇子。母は皇極(斉明)天皇で、天智天皇の同母弟。しかし、天武天皇の誕生年が『日本書紀』に記載されていないため、正確な年齢は不明。
 1カ月に及ぶ壬申の乱で、日本史上まれな王位(皇位)簒奪を行う。即位後は中央集権的な律令国家の確立を目指す。
天武1 672 吉野から脱出して伊勢国の桑名で宿営する
瀬田の唐橋で大友皇子と壬申の乱最後の決戦となる
42?
天武9 680 持統天皇の病気平癒を祈願し飛鳥に薬師寺を創建する 50?
 「天皇(すめらみこと)」の称号は、天武天皇が始めたとする説が有力。
常盤御前
ときわごぜん
?年~?年:?歳
 河内源氏の棟梁源義朝の愛妾&義経(牛若)の母。平治の乱で夫義朝の死後捕らえられ、平清盛の愛妾となる。
永暦1 1160 源義朝敗死後、宇治川の河原で平氏に捕らえられる
徳川家光
とくがわ いえみつ
慶長9年~慶安4年(1604~1651):48歳
 徳川秀忠の次男で江戸幕府第3代将軍。幼名は祖父家康と同じ竹千代。20歳で秀忠が隠居し、第3代将軍となる。
 家康を崇拝し、生涯10回の日光社参を行う。東照宮の造営も諸大名の献納を受けず、幕府の支出だけで行った。死後も家康に仕えるため、遺言により日光山輪王寺に埋葬される。
元和9 1623 相模国梅沢の藤巻寺に立ち寄る 20
寛永3 1626 上洛のため脇往還佐屋路が整備される 23
寛永11 1634 上洛のため脇往還佐屋路が開設される
上洛のため土山宿に土山本陣が設置される
上洛のため水口城に御殿が設置される
31
慶安2 1649 三社権現(浅草神社)の社殿を建立する 46
徳川家康
とくがわ いえやす
天文11年〜元和2年(1542~1616):75歳
 言わずと知れた、江戸幕府初代将軍&東照大権現。三河国岡崎城主松平広忠の長男で幼名は竹千代。
 3歳で母と生き別れとなり、6歳で今川氏に人質として送られる途中で奪われて織田氏へ送られたり、その後今川氏に送られて桶狭間の戦いまで駿府で過ごしたり、幼少期から波瀾万丈。19歳で岡崎城に戻って三河国支配の回復に務め、着々と勢力を拡大する。49歳で豊臣秀吉より関東への転封を命じられ、豊臣政権下で最大の大名となる。秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利して天下人となる。
 駿府城で死去。遺言により駿河国の久能山に葬られ、一周忌を経て下野国の日光山に改葬された。死後も神(東照大権現)となり、“関八州の鎮守”として江戸(東京)を見守っている。
天文11 1542 三河国の岡崎城で誕生する 1
永禄6 1563 三河一向一揆で山中八幡宮の鳩ヶ窟に隠れる 22
元亀1 1570 遠江国の引馬城を改修して浜松城を築城する 29
天正10 1582 駿河国の蒲原に御茶屋を建立する 41
天正13 1585 駿河国の駿府に駿府城を築城する 44
天正15 1587 遠江国見付の宣光寺に釣鐘を寄進する 46
天正20 1592 伊勢国関の御茶屋御殿で休息する 51
文禄4 1595 江戸に金座を開き小判を鋳造させる 54
慶長5 1600 掛川城主山内一豊から久延寺で接待される
上洛の途中近江国の常善寺に宿陣する
59
慶長10 1605 山城国御香宮神社の本殿を建立する 64
元和2 1616 死去 75
 日本橋を五街道の起点と定め、一里塚・並木などを設置したり、宿場を整備してくれたおかげで、街道歩きが楽しめています。街道界の重要人物…ってゆーか、街道界の大権現さま。
徳川忠長
とくがわ ただなが
慶長11年~寛永10年(1606〜1633):28歳
 徳川2代将軍秀忠の三男&3代将軍家光の弟。駿河大納言。
寛永10 1633 失脚し、高崎城下の大信寺で自刃する 28
延宝3 1675 43回忌にあたり大信寺に墓が建てられる 没後42
巴御前
ともえごぜん
?年〜?年:?歳
 平安時代後期の武将で源義仲の愛妾&今井兼平の妹。義仲没後は和田義盛の妻となり、朝比奈義秀を産んだとされる。
豊臣秀吉
とよとみ の ひでよし
天文6年~慶長3年(1537〜1598):62歳
 言わずと知れた、太閤殿下。織田信長に仕え、草履取りの“猿”から身分制度を乗り越え大出世。37歳で長浜城主となる。本能寺の変で信長の死後、最大のライバル徳川家康を従え、みごと天下人となる。
天正17 1589 淀城を改築して淀殿の御殿として与える 53
天正18 1590 増田長盛に命じ鴨川に京都三条(大)橋を架ける
伊豆国の山中城を攻め半日で落城させる
相模国の石垣山に一夜城を築城する
宇津ノ谷の石川家に陣羽織を与える
54
天正19 1591 尾張国の津島神社に楼門を寄進する 55
文禄3 1594 大友宗麟に命じ宇治川に豊後橋を架ける 58
慶長3 1598 山城国醍醐寺に700本の桜を植え花見をする 62
 秀吉自身は百姓から身を起こして天下人となったが、百姓に対して太閤検地・刀狩りなどで武装解除・耕作専念義務を定めた。その結果、近世封建制度の基礎を確立する。
豊臣秀頼
とよとみ の ひでより
文禄2年〜元和元年(1593~1615):23歳
 豊臣秀吉淀殿の次男。関ケ原の戦い後に65万石の大名となる。大坂夏の陣で自害し、豊臣氏が滅亡する。
慶長5 1600 山城国醍醐寺の金堂を再建する
永谷義弘
ながたに よしひろ
天和元年〜安永7年(1681~1778):98歳
 宇治製煎茶の創始者。宇治茶を諸国に広めた。
元文3 1738 青製煎茶製法を考案し宇治茶が普及する 58
長屋王
ながやおう
天武13年~天平元年(684~729):46歳
 奈良時代の皇親の政治家で天武天皇の孫。藤原氏と対立。
和銅5 712 大般若経600巻を写経させる(和銅経) 29
名倉直賢
なぐら なおかた
寛延3年〜文政10年(1750~1827):78歳
 江戸時代後期の接骨医。武術柔術を学び接骨術を習得した。
明和7 1770 千住宿で接骨医を開業する 21
新島襄
にいじま じょう
天保14年~明治23年(1843~1890):48歳
 明治時代の宗教家&教育家。18歳で米国に密航し、理学・神学を学ぶ。宣教師として帰国後、33歳で京都に同志社英学校(のちの同志社大学)を創設する。
明治7 1874 龍昌寺で帰国後初めてキリスト教の講演をする 32
明治11 1878 便覧舎で有田屋の湯浅治郎を洗礼する 36
大正8 1919 新島襄召天30周年を記念して礼拝堂が建てられる 没後29
ニコライ
Nicholai Aleksandrovich
Romanov
1868年〜1918年(明治1~大正7):50歳
 ロシア帝国最後の皇帝でニコライ2世。皇太子時代に来日。
明治24 1891 来日中の滋賀県大津町で襲撃され負傷する 23
新田義貞
にった よしさだ
正安3年?〜延元3年[暦応元年](1301?~1338):38歳?
 鎌倉・南北朝時代の武将。上野国新田荘出身。33歳で挙兵。鎌倉道上道(かみつみち)を駆け抜け、鎌倉幕府を滅ぼした。その後は南朝方の侍大将として、転戦に次ぐ転戦の生涯。
元弘3(正慶2) 1333 鎌倉道たつ道を駆け抜け鎌倉に入る 33?
建武2 1335 三河国の矢作神社に参拝する 35?
延元3(暦応1) 1338 越前国で敗死する 38?
仁徳天皇
にんとくてんのう
?年~?年:83歳?
 応神天皇の第四皇子で大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)。『古事記』では大雀命。民家から炊飯の煙が立ち上らないのを見て、3年間の課役を免じたので「聖帝」と呼ばれる。嫉妬深い皇后に悩む人間臭い天皇。
畑時能
はた ときよし
?〜興国2年[暦応4年](?〜1341):?歳
 南北朝時代の武将。新田義貞の側近で、新田四天王の一人。
興国2(暦応4) 1341 越前国で足利方に討たれる
普寛
ふかん
享保16年~享和元年(1731~1801):71歳
 江戸時代中期の修験者。木曽御岳講の祖。
享和1 1801 故郷の秩父へ行く途中、本庄宿の米屋弥兵衛宅で入寂 71
藤原秀郷
ふじわら の ひでさと
?年〜?年:?歳
 平安時代中期の武人で俵藤太と号する。下野国の土豪だったが、平将門の乱を平定した功績により、下野守に任命される。その豪勇ぶりによって、中世ではヒーローとなり、百足退治伝説が生まれる。
天慶3 940 平貞盛に協力して下総国で平将門を討つ
藤原不比等
ふじわら の ふひと
斉明5年~養老4年(659~720):62歳
 奈良時代の政治家で藤原鎌足の次男。持統天皇以後の信任が厚く、皇室と姻戚関係を結んで、藤原氏繁栄の基礎を築く。
和銅3 710 遷都の際に飛鳥の厩坂寺を平城京に移転する
平城京東の御蓋山に鹿島神宮の武甕槌命を勧請する
52
ブルーノ・タウト
Bruno Julius Florian
Taut
1880年〜1938年(明治13~昭和13):58歳
 ドイツの建築家。ナチスに追われ、日本に亡命する。
昭和9 1934 達磨寺境内の洗心亭で生活を始める 54
北条氏綱
ほうじょう うじつな
長享元年~天文10年(1487〜1541):55歳
 戦国時代の武将で北条早雲の嫡男。氏を伊勢から北条に改め、相模・武蔵を支配して後北条氏を戦国大名に成長させた。
大永4 1524 渋川氏が築いた蕨城を攻めて破壊する 38
北条氏康
ほうじょう うじやす
永正12年~元亀2年(1515〜1571):57歳
 北条氏綱の嫡男で相模国小田原城主。扇谷上杉氏を滅ぼし、甲斐の武田信玄・駿河の今川義元と三国同盟を結び、関東統治を安定させる。民政も充実し、後北条氏の全盛期を築く。
天文17 1548 荏柄天神社社殿造営のため関所を設置する 34
天文24 1555 娘の嫁ぎ先である今川氏真に千貫樋を贈る 41
永禄1 1558 領国内の伝馬制を確立する 44
天正18 1590 氏康が築城した山中城が豊臣秀吉に攻められ落城 没後19
北条政子
ほうじょう まさこ
保元2年~嘉禄元年(1157~1225):69歳
 北条時政の長女で鎌倉幕府初代将軍源頼朝の正妻。父時政の反対を押し切り、深夜豪雨の中を伊豆山権現で待つ頼朝の元に走った、という逸話は有名。頼朝死後は尼将軍と呼ばれ、幕府の実権を将軍から北条氏による執権政治の確立に尽力する。
建久3 1192 安産祈願(実朝を妊娠)を相模国内で行う 36
正治1 1199 夫源頼朝が死去 43
承久3 1221 御家人を前に頼朝の恩義を説く名演説 65
 上洛で京・鎌倉往還を2度通っている。1度目は頼朝に伴い東大寺再建法要、2度目は頼朝死後朝廷との和解工作のため。
北条泰時
ほうじょう やすとき
寿永2年〜仁治3年(1183~1242):60歳
 北条義時の嫡子で鎌倉幕府第3代執権。承久の乱で朝廷に勝利し、初代六波羅探題北方に就任。義時の死後に執権職を継いで、最初の武家法典である御成敗式目(貞永式目)を制定。
貞永1 1232 御成敗式目(貞永式目)を制定する 50
仁治1 1240 鎌倉山内の道路(巨福呂坂)を切り開く 58
仁治2 1241 六浦路の工事で土石を運び、トップ自ら汗を流す 59
 鎌倉の都市整備・道路整備を行った。街道界の重要人物。
誉田別尊
ほむたわけのみこと
応神天皇(おうじんてんのう)
松尾芭蕉
まつお ばしょう
寛永21年〜元禄7年(1644~1694):51歳
 名作俳諧紀行文『おくのほそ道』を生んだ江戸時代前期の俳人、そして旅人。言葉遊びだった俳諧を文学にまで高めた功績で、「俳聖」と呼ばれる。
 伊賀国上野の無足人(準武士的な農民で苗字帯刀を許された)松尾家に生まれ、本名は宗房(むねふさ)。29歳で江戸に下り、32歳で「桃青(とうせい)」号、39歳で「芭蕉(はせを)」号などの俳号を使用する。旅の途中の大坂で死去し、遺言により近江国大津宿の義仲寺に埋葬される。
「旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る」
貞享1 1684 『野ざらし紀行』の旅に出る 41
貞享2 1685 東海道伏見宿の西岸寺に訪れる 42
貞享4 1687 『笈の小文』の旅に出る 44
元禄2 1689 弟子の河合曾良を伴い『おくのほそ道』に旅立つ 46
元禄7 1694 最後となる旅で佐屋宿に宿泊
大坂で客死し、義仲寺に葬られる
51
元禄15 1702 『おくのほそ道』刊行 没後8
文政3 1820 千住の牛頭天王飛鳥社に碑が建立される 没後126
平成16 2004 祝!生誕360年! 矢立初芭蕉像が建てられる 没後310
 帰郷や『野ざらし紀行』『笈の小文』などで数多く行き来しているためか、東海道には句碑が多い。
三井高利
みつい たかとし
元和8年〜元禄7年(1622~1694):73歳
 江戸時代前期の豪商で三井家事業の創業者。江戸に呉服店、京に仕入店を持つ兄の元で14歳より働き、商才を発揮した。生涯を通じて秀でた商才と、たゆまぬ努力で成功した人物。
延宝1 1673 江戸本町一丁目に呉服店越後屋を開業する 52
源実朝
みなもと の さねとも
建久3年~建保7年(1192~1219):28歳
 源頼朝北条政子の次男で鎌倉幕府第3代将軍。兄頼家が伊豆に幽閉されたため、12歳で将軍職を継ぐ。しかし、実権は母政子をはじめ北条氏が握っているため、和歌に心を傾ける。
建保1 1213 謀反人渋河兼守が詠んだ歌を気に入り罪を赦す
私家集『金槐和歌集』が完成する
22
源範頼
みなもと の のりより
?〜建久4年(?~1193):?歳
 源義朝の六男で頼朝の異母弟&義経の異母兄。母は池田宿(磐田市)の遊女。遠江(とおとうみ)国蒲御厨(かばのみくりや=浜松市)生まれなので蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれる。
 伊豆で挙兵した頼朝に呼応し参戦。合戦後、頼朝に謀反の嫌疑をかけられ、伊豆修善寺に幽閉される。その後自害。
源義家
みなもと の よしいえ
長暦3年~嘉承元年(1039~1106):68歳
 平安時代後期の武将&頼義の長子。石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で元服したので八幡太郎と称する。後三年の役の鎮圧後は私財をもって将士に報い、東国武士の信望を集めた。
永承6 1051 頼義・義家父子が上野国八幡荘に八幡宮を建立する 13
天喜5 1057 頼義・義家父子が武蔵国に六郷神社を建立する 19
康平6 1063 頼義・義家父子が浅草今之津に石清水八幡を勧請する 25
永保3 1083 奥州に向かう途中、矢作神社に参拝する
後三年の役で奥州に向かう途中、藤枝に寄る
45
源義経
みなもと の よしつね
平治元年~文治5年(1159〜1189):31歳
 源義朝の九男で頼朝の異母弟。母は常盤御前。幼名は牛若丸で、九郎判官とも呼ばれる。幼少時に鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、藤原秀衡の庇護を受ける。
 伊豆で挙兵した頼朝に呼応し参戦。平家を滅ぼし功績を挙げたが頼朝と不和となり、奥州平泉で最期を遂げる。悲劇のヒーローとして各地に義経伝説が生まれた。
永暦1 1160 宇治川の河原で母常盤と共に平氏に捕らえられる
承安4 1174 奥州に向かう途中、三河国矢作宿に宿泊する 16
治承4 1180 兄源頼朝と黄瀬川で出会う 22
源義朝
みなもと の よしとも
保安4年~永暦元年(1123〜1160):38歳
 河内源氏の棟梁で、頼朝範頼義経の父。鎌倉を本拠として南関東の武士団を統合する。保元の乱で戦功を挙げ左馬頭に昇進したが、平治の乱で敗死する。
平治1 1159 平治の乱で敗れ、その後の逃走中に二之江に上陸する 37
源義仲
みなもと の よしなか
久寿元年〜寿永3年(1154〜1184):31歳
 平安時代後期の武将で、「木曾義仲」とも呼ばれる。頼朝の従兄弟。以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け、頼朝より先に入京を果たす。しかし義仲の政治性は低く、京の治安悪化もあり孤立した。頼朝の命を受けた範頼義経軍に討たれる。
寿永3 1184 近江国の粟津で討ち死にする 31
源頼朝
みなもと の よりとも
久安3年~正治元年(1147〜1199):53歳
 言わずと知れた、イイクニ作ろう鎌倉幕府。河内源氏の棟梁源義朝の三男で、母は熱田神宮の大宮司藤原季範の娘。
 母の身分が低い長兄義平・次兄朝長と違い、12歳で皇后宮少進就任、13歳で上西門院蔵人、さらに二条天皇の蔵人に就任するなど、華やかな少年時代を送る。平治の乱では源家の嫡男として初陣を飾ったが、平清盛に敗れ父&兄2人を失う。
 平家に捕らえられ、斬罪になるところ、清盛の義母池禅尼が早世した子平家盛に頼朝が似ているからと助命嘆願。奇跡的に命を助けられる。14歳で伊豆配流。約20年に及ぶ流人生活の後、以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け、挙兵。源家ゆかりの地である鎌倉で武家政権を開く。
久安3 1147 尾張国愛知郡熱田で誕生する 1
永暦1 1160 伊豆配流で下向する際に建部大社で前途を祈願する 14
治承4 1180 富士川の戦い翌日、黄瀬川で弟義経と出会う
鎌倉郡大倉郷に屋敷を建てる(大倉幕府)
伊豆三嶋明神を勧請して瀬戸神社を創建する
34
建久1 1190 上洛のため遠江国の菊河宿に宿泊する
上洛のため遠江国の橋本宿に宿泊する
上洛のため近江国の野路宿に宿泊する
44
建久8 1197 上野国碓氷郡の八幡宮に立ち寄る 51
建久9 1198 相模川の橋落成供養に出席した際に落馬する 52
正治1 1199 死去 53
 伊豆配流や鎌倉幕府開設後2度の上洛で京・鎌倉往還を通っている。また、奥州藤原氏討伐のため、鎌倉から「中路」を通り、陸奥国岩井郡厨河(岩手県盛岡市)間を往復している。
源頼政
みなもと の よりまさ
長治元年〜治承4年(1104〜1180):77歳
 平安時代後期の武将&歌人。75歳で源氏としては異例の昇進で従三位に叙せられ、源三位(げんざんみ)と称された。
元禄11 1698 頼政神社が高崎藩主大河内輝貞によって創建される 没後518
源頼義
みなもと の よりよし
永延2年~承保2年(988〜1075):88歳
 平安時代後期の武将&河内源氏の2代目。相模守・武蔵守・下野守を歴任し、東国に源氏の基盤を築いた。
永承6 1051 頼義・義家父子が上野国八幡荘に八幡宮を建立する 64
天喜5 1057 頼義・義家父子が武蔵国に六郷神社を建立する 70
康平5 1062 事任神社に石清水八幡宮を勧請する 75
康平6 1063 頼義・義家父子が浅草今之津に石清水八幡を勧請する 76
宮沢賢治
みやざわ けんじ
明治29年〜昭和8年(1896~1933):38歳
 近代日本の詩人&童話作家。雨ニモマケズ、風ニモマケズ。
大正5 1916 秩父地方の土性地質調査で熊谷に宿泊する 21
明治天皇
めいじてんのう
嘉永5年〜明治45年(1852〜1912):61歳
 孝明天皇の第二皇子で睦仁(むつひと)親王。15歳で孝明天皇が崩御したため、翌年践祚(せんそ)して16歳で天皇となる。
 近代日本国家の君主としてカリスマ的な存在で、行幸した各地に数多くの記念碑が建立されている。
明治1 1868 東幸の際に石部宿の小島本陣に宿泊する
土山本陣で誕生日を迎え、第1回天長節が行われる
東幸&還幸の際に大津宿の大塚本陣に宿泊する
山城国山科の奴茶屋で小休する
大宮氷川神社行幸の際に蕨宿の岡田加兵衛本陣で休息する
氷川神社行幸の際に浦和宿の星野本陣に宿泊する
17
明治2 1869 東京に向かう際に水口宿の鵜飼本陣に宿泊する
山城国山科の奴茶屋で小休する
18
明治3 1870 大宮氷川神社行幸の際に蕨宿の岡田加兵衛本陣で休息する
氷川神社行幸の際に浦和宿の星野本陣に宿泊する
19
明治11 1878 北陸東海巡幸の際に桶川宿の府川本陣に宿泊する
北陸東海巡幸の際に吹上宿の林本陣で小休止する
北陸東海巡幸の際に籠原の立場で小休止する
北陸東海巡幸の際に武蔵国岡部村の源勝院で小休止する
北陸東海巡幸の際に新町宿の行在所に宿泊する
北陸東海巡幸の際に馬車で君が代橋を渡る
北陸東海巡幸の際に小休止で諏訪神社の石に腰掛ける
北陸東海巡幸の際に原市茶屋本陣で小休止する
北陸東海巡幸の際に造られた新道を通行する
北陸東海巡幸の際に五料の茶屋本陣で小休止する
27
八百屋お七
やおやおしち
寛文8年〜天和3年(1668〜1683):16歳
 江戸時代前期の女性で、恋心から放火した悲恋物語のヒロイン。井原西鶴の『好色五人女』で上演されて大ヒット。
天和3 1683 鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられる 16
享保4 1719 お七を供養するほうろく地蔵が建立される 没後36
山崎碩茂
やまざき せきも
明和元年〜文政9年(1764〜1826):63歳
 中山道上尾宿の旅籠屋4代目。上尾宿に学校を開設する。
天明8 1788 有志とともに鍬大神宮境内に二賢堂を建立する 25
文政9 1826 死去 63
山田いち
やまだ いち
文久3年~昭和13年(1863~1938):76歳
 農家の主婦。サツマイモ「八ツ房」の畑から新品種を発見。
明治31 1898 「八ツ房」の畑からサツマイモの女王「紅赤」を発見する 36
日本武尊
やまとたけるのみこと
記紀に登場する架空の人物で、モデルは4世紀頃の人らしい。
 景行天皇の第三皇子で小碓命(おうすのみこと)。またの名を日本童男(やまとおぐな)。『日本書紀』では「日本武尊」と表記されるが、『古事記』では「倭建命」。
 景行天皇の命を受け、九州の熊曾や出雲を平定。三種の神器・草薙の剣を身につけ、古東海道を通り東国平定の旅へと向かう。伊勢国鈴鹿郡能褒野(のぼの)で30歳?の生涯を終えるが、悲劇のヒーローとして数多くの伝説を持つ。
湯浅治郎
ゆあさ じろう
嘉永3年〜昭和7年(1850~1932):83歳
 中山道安中宿の醤油醸造業有田屋3代目。31歳で群馬県会議員となり、廃娼運動に尽力する。
明治5 1872 日本で最初の私設図書館便覧舎を設立する 23
明治11 1878 便覧舎で新島襄から洗礼を受ける 29
養阿
ようあ
?年~宝暦13年(?~1763):?歳
 江戸時代中期の木喰僧。数多くの土木工事を行う。
元文3 1738 3年を費やした日ノ岡峠の改修工事が完了する
吉田松陰
よしだ しょういん
文政13年~安政6年(1830〜1859):30歳
 幕末の勤王家・思想家・教育者。寅兄ぃ。長門国萩で松下村塾を開き、高杉晋作・伊藤博文ら維新の人材を育てる。
安政6 1859 伝馬町牢屋敷で処刑される 30
淀殿
よどどの
永禄10年?〜元和元年(1567?~1615):49歳?
 豊臣秀吉の側室で秀頼の母。浅井長政と織田信長の妹お市の方の長女で、幼名は茶々。大坂夏の陣で秀頼と共に自害する。
天正17 1589 豊臣秀吉より淀城を御殿として与えられる 23?
蓮如
れんにょ
応永22年〜明応8年(1415〜1499):85歳
 室町時代の僧で、浄土真宗中興の祖。43歳で本願寺8世となり、越前・近江・摂津・三河などで布教活動を展開。山科本願寺を再興し、大坂に石山本願寺の礎となる御坊を建立する。
良弁
ろうべん
持統3年~宝亀4年(689〜773):85歳
 奈良時代の僧。相模国または近江国の出身。東大寺の創建に尽力して初代別当となる。東大寺四聖(ししょう)の一人。
天平7 735 近江国栗太郡に常善寺を創建する 47
天平19 747 近江国の珪灰石の上に石山寺を創建する 58

 「街道歩きの人名辞典」です。街道・旧道を歩いていると、神社仏閣・名所旧跡を訪ねた時に、歴史上の人物のプロフィールが分かった方が楽しいんじゃないの?と思い、歴史好きってのも手伝って、プロフを作ってしまいました。(^-^;
 近代くらいまでに登場する人物の年齢は、数え年で表記しています。

 「街道歩きの人名辞典」は、
『日本古代中世人名辞典』平野邦雄・瀬野精一郎編/吉川弘文館
『日本近世人名辞典』竹内誠・深井雅海編/吉川弘文館
『日本近現代人名辞典』臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編/吉川弘文館
kotobank(http://kotobank.jp/)
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/)
各地の案内板や、市町村のホームページなどを参考にして作成しました。

とらぞう
最終更新日:2017年 7月 2日

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