式内社調神社 狛兎は阿形も吽形も口を閉じています
中山道歩きの3日目。出発の前に、前回閉まっていた式内社調(つき)神社へ。鳥居がないので寺と間違えそうだけど、狛犬の代わりに並んでいる狛兎がカワイイ。しかし、阿形の兎の口が閉じているので寂しい。手水舎で龍の代わりに口から水を出している兎もカワイイ。しかも、後ろ姿がセクスィ〜(笑)。開門時間の9時を待って、御朱印をお願いしてから拝殿でお参り。こちらも兎の彫刻がカワイイ。境内は兎づくしで、兎は何羽いるのかな?
手水舎の兎
調神社旧本殿
兎の噴水がある池の奥に
稲魂社。社殿が享保18年(
1733)に建立された
調神社旧本殿で、市指定文化財。やはり兎の彫刻がカワイイ…ってゆーか、当社は“狛狐”が並んでいるお稲荷さんなので、兎はミスマッチのような…。現在の本殿とは安政年間(1854〜60)にバトンタッチした。調神社の現本殿は文化財に指定されていないので、兎の彫刻があるのか?気になるところ。
調神社を出て北上すると、蕨宿の
今井茶屋のご主人に教えていただいた、老舗の鰻屋
満寿家。明治21年(1888)創業で、メニューにある「坂東太郎」ってのが気になる…。
中山道浦和宿碑を過ぎると浦和駅西口交差点。この場所は往時から
追分で、左は引又
(ひきまた:現在の志木市)宿に、右は鳩ヶ谷宿に通じていた。
9:20 浦和駅西口交差点
ポツンと道路元標
9:20浦和駅西口交差点を出発。街路灯に浦和レッズのペナントが並んでいる。左手のさくら草通りのベンチの横に道路元標がポツン。
門前通りを入ると正面に
玉蔵院。平安時代の創建という古刹で、県指定有形文化財
木造地蔵菩薩立像や市指定有形文化財
地蔵堂など、文化財がいっぱい。しかし、何といっても旬の
枝垂れ桜がキレイ。イイ時期に来たね〜。
09:25 本堂の前にある枝垂れ桜
右手に
山崎屋。こちらも今井茶屋のご主人に教えていただいた鰻屋で、江戸時代から続く老舗。浦和駅西口に「浦和うなこちゃん」が建っているだけに、浦和宿は老舗鰻屋が多い(まだ2店なんだけど…)。しかし、寒い! 天気予報で最高気温が14℃となっていたので薄手のジャケットを着てきたけど、薄曇りで寒い。手袋も持ってきていないので手がかじかんでいる。ふぃ〜。
09:35 行在所址碑と本陣の案内板 デカッ!
仲町交差点で路地に入ると、
仲町公園に市指定史跡
浦和宿本陣跡。
星野本陣の跡で、デッカい
明治天皇行在所(あんざいしょ)址碑がヤケに目立つ。
明治天皇は明治元年(
1868)&明治3年(
1870)大宮氷川神社行幸の際、星野本陣に宿泊した。
本陣跡を過ぎると歩道がなくなる。常盤公園の入口にイモ持ったオバさん…ってゆーか、
野菜売りの農婦像。案内板によると、この通りの北側にある慈恵稲荷で市
(いち)が開かれていたので、その歴史をしのぶためにこの通りが
市場通りと名付けられたんだって。う〜む、市があったのは北側にあるお稲荷さんで、この場所で市が開かれていたわけじゃないんだけど…。こういったノリっておらは嫌い。
09:40 野菜売りの農婦像 その1
気の毒なキャラ 昔は高さ4mあったそうです
野菜売りの農婦像 その2
常盤公園は御殿跡。特に見るものはないけど、公園の中央にあるキャラがほとんど枯れて、気の毒な状態。市指定天然記念物なんだけど…。
公園を出たらまたイモ持ったオバ…ってゆーか、2つめの野菜売りの農婦像。今度はサツマイモじゃなくて大根を持っている。しかも、さっきの農婦像にはカボチャが置かれていたけど、こちらにはハクサイが置かれ、芸が細かい♪ こういったノリがおらは好き♥
マンションが途切れると
慈恵稲荷神社。境内が市指定史跡
浦和宿二・七市場跡で、市
(いち)が2と7の付く日=月6回開かれたため、
六斎市とも呼ばれた。歴史は古く、戦国時代に開かれたそうで、天正18年(
1590)喧嘩口論などを禁じた禁制が「浦和市
(いち)」に出されている。さっきの野菜売りの農婦像はここに置かれていればマッチしているのにね〜。
09:45 浦和宿二・七市場跡の慈恵稲荷神社
市場定杭(さだめくい)&市神様
大山道標! ここから大山へGO?
市場跡とは別に、おらのお目当ては参道の奥に鎮座。太いイチョウのご神木ではなく、玉垣の前にたたずむ
庚申道標。天保13年(
1842)製の庚申塔で、右面に「富士山/大山/
引又 道」と刻まれている。えっ?ということは、ここが「府中通り大山道」の追分? う〜む、こんな奥まった場所に置かれても、道標として役に立ってはいないので、別の場所から移されたんだろうね。
さいたま市教育委員会に問い合わせたら、大山道の道筋は比定しておらず、道標の元あった場所についても分からないと、素っ気ない。う〜む、おらは今日のスタート地点:浦和駅西口交差点が
府中通り大山道の
追分と思っています。資料の①『中山道分間延絵図』&②迅速測図を見ると、浦和駅西口交差点から延びる道は①「野道 是ヨリ引又町江出ル」&②里道で「引又道」と記載があるけど、慈恵稲荷右側の路地は①野道&②小径で、「引又道」とはすんなりとつながらない。しかし、道標を兼ねた庚申塔が、浦和駅西口交差点からだと調神社の方が近いのに、何で?わざわざ調神社より遠い慈恵稲荷に移動させているのかは謎。
鉄道模型トレインショップ屋の踏切信号を横目に
浦和橋。この浦和橋付近が
浦和一里塚跡だそうで、前回立ち寄った
辻一里塚から地図で計測すると、浦和橋の手前になる。橋を渡ると歩道が復活して、車を気にしないで安心して歩ける。迅速測図ではこの付近が並木になっているので、きっと松並木だったと思うけど、今は松の代わりにビルやマンションが建ち並んでいる。
10:00 日本橋から6里目の浦和一里塚跡
北浦和駅を過ぎると
廓信寺(かくしんじ)。案内板によると、北浦和
(旧木崎村針ヶ谷)はサツマイモの女王
紅赤の発祥地で、明治31年(
1898)
山田いちによって発見された。なるほど!立派な
三門(仁王門)が赤いのは、サツマイモの色に合わせているんだね〜。さすがは廓信寺、おらはそう確信している。…。三門に安置されている
木造金剛力士立像は元和2年(
1616)に建立されたもので、市指定有形文化財。本尊の県指定有形文化財
木造阿弥陀如来坐像など、文化財がいっぱい。ベンチがあるので、市指定天然記念物の
カヤを眺めながら10分休憩。
10:15 4年前の修理でピカピカの三門
大原陸橋東交差点に正徳4年(1714)製の
庚申塔。道路に挟まれた狭い三角地帯にひっそりと建っているけど、屋根が付いて大事にされている。ここが中山道のアイドル:てっしー(勅使川原郁恵)の浮世絵ポイント@大宮宿だけど、おらの浮世絵ポイント@浦和宿すらまだこれからなんだけど…。しかも、おらの浮世絵ポイント@大宮宿はまだまだ先で、
大宮宿のはずれだよ〜ん。う〜む、2宿連続でてっしーと同じ場所じゃないのが残念(涙)。
10:40 正徳4年の庚申塔
10:45 一本杉の標石
しばらくすると一本杉の標石がポツン。仇討ちがあった場所だけど、石碑が車道に向いているし、目立たないので通り過ぎてしまいそう…。
スクランブルの与野駅東口交差点にデッカい
ケヤキ(
TOPの画像)。一里塚と一里塚との間にある
半里塚ということで、この付近が
六国見(ろっこくみ)の立場。富士山・浅間山など、6カ国の山々が見える名所で、やっとおらの浮世絵ポイント@浦和宿! 「くたびれた奴が見つける一里塚」と川柳にあるくらいなので、立場で休む旅人の客数を伸ばすために、一里塚もどきを造ったのかな?
与野駅東口交差点を過ぎると民家が減って、ビルがデーン!と建っている。江戸時代の風景を想像しながら歩いているのに、近未来都市を歩いているみたい。県道159号をくぐると、昭和42年(
1967)埼玉国体の際に植えられた
ケヤキ並木が続き、大宮区となる。
11:00 ケヤキ並木 松並木の代わり?
ケヤキ並木を過ぎると歩道に祠ぐゎっ! 天保6年(
1835)製の
お女郎地蔵&寛政12年(
1800)製の
火の玉不動がツーショット。新しくできたばかりのビル街で、お地蔵さまもお不動さまも、江戸時代からタイムスリップしてきたみたい。
11:05 祠がポツン ずっとこの場所にいます
さいたま新都心駅の下を流れる高沼用水路
その手前が
英泉の「浦和宿」に描かれている
高台橋だけど、橋は見えない。左手に
高沼(こうぬま)用水路の残骸?が金網越しに見えるだけ。右手は暗渠で
高沼遊歩道になっている。往時この付近は刑場で、明治時代の迅速測図を見てもこの周辺には家はなく、ずいぶん寂しい場所だったのに、今や東京のベッドタウンと化してピカピカの街並み。農業に適さない台地を潤した農業用水路も不要なものとなり、人知れず消えてしまうんだね。ずっとこの地を見守ってきたお地蔵さまもお不動さまも、劇的な変わりようにビックリしていることでしょ。
平成12年(
2000)に開業したさいたま新都心駅もピカピカ。ここで浦和宿を終えて休憩しようと思ったけど、改札がある2階のコンコースはベンチが満席。日が当たるベンチしか空いていない。与野駅東口交差点を過ぎてから歩道を歩く人はあまり見かけなかったのに、どこから人が湧いてきたのか? ため息をついて空を見上げると、「城西大学」の広告が描かれた飛行船がのんびりと飛んでいる。少子化の影響で大学もため息つきたいよね〜。
11:10 新都心から大宮方面を臨む
エスカレーターを下りると、バスターミナルにベンチとトイレ。居心地が悪いけど、ありがたいことです。11:10浦和宿の旅はこれでおしまい。
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