渡船場跡碑
ずいぶん遠回りさせられたけど、正面から
戸田渡船場跡碑を見学して、土手に座って
荒川をボ〜ッと眺める。のどか〜。土手はアスファルトで舗装されているので、自転車で走ると気持ちよさそう。一度愛輪
ヨハンソン(仮)で走ってみたいね〜。
今日は風が強くて何度か帽子を飛ばされそうになったけど、荒川の川面は流れが穏やか。やはり、今年は冬季オリンピックの年だからなのかな? なのかな? なのかな? 荒川静か。…。
15分休憩して、12:00ブロック塀の丁字路を出発すると、すぐ
地蔵堂。
本堂が戸田市内最古の木造建造物。
12:00 墓地の中にある地蔵堂
はす向かいの川岸ミニパークに中山道の案内板。菖蒲川に突き当たると中山道は消滅して、対岸は住宅地になっている。さっきの川岸1丁目交差点の案内板では、菖蒲川を左折して国道17号を進むようになっていたけど、おらたちはできるだけ旧道の道筋をトレースしたいので、右折する。川岸橋を渡って路地に入り、住宅地の突き当たりを右折。さつき通りに突き当たってから国道17号に出る。
川岸ミニパークの案内板によると、県道68号オリンピック通りと交差する川岸3丁目交差点を過ぎた辺りが
戸田一里塚跡らしい。そこまで分かっているなら、ぜひ一里塚跡碑を建ててほしいね〜。
12:20 旧道復活 この何気ない路地が旧道!
本町1丁目交差点の次の名前のない交差点を右折して、下前公団通りを左折。この付近で中山道復活。消滅した区間は好き勝手に歩けるからイイね。(^-^; 2つ目の名前のない交差点を左斜めに進むと下戸田ミニパーク。ここから国道17号に出るまでの短い一角だけが旧道らしくてイイ感じ。
国道17号に合流するとしばらく歩道歩き。国道17号が片側1車線になった。蕨市に入ると国道17号は左カーブするけど、旧道は真っ直ぐ進む♪
12:35 下の木戸 「ようこそ蕨宿へ」といざなう
12:45 旧金子邸
名前のない交差点の横断歩道の先に中山道蕨宿碑。車道には中山道蕨宿のゲート蕨宿下の木戸が建ち、旅人を迎えてくれる。歩道には中山道の浮世絵のプレートがはめ込んであり、マンホールにも「中山道武州蕨宿」と書かれ、蕨宿のマスコットで、三度笠の旅ガラス「わらじろう」が描かれている。
左手に市立歴史民俗資料館分館。明治時代に建てられた木造平屋寄棟造りの民家を保存…ってゆーか、織物の買継商を営んでいた旧金子邸。庭園には白いタンポポが咲くそうだ。
いかだ 今日は鹿児島産の鰻です
12:50名前のない交差点に老舗の鰻屋今井茶屋。せっかくなのでここで昼食。1日5食限定のいかだ3,200円がいただけたのでラッキー! タレは濃いけど鰻が美味しい。看板に「創業二百数十年」と書いてあるのでご主人に尋ねると、中山道が整備された頃から茶屋を営み始め、鰻屋になってからでも200年くらいということです。資料が残っていないというのが残念だけど、茶屋時代を含めると創業400年!(◎o◎) 今のご主人は18代目。
45分の昼食で、13:35午後の部をスタートすると、左手に
市立歴史民俗資料館。蕨宿のジオラマがある!けど、え〜、館内は撮影禁止だって…ガクッ。文久元年(1861)の蕨宿町並図がベースになっていて、さっきの今井の前身の茶屋を探すと、同じ場所に
茶屋渡世 孫右衛門がある。スゴいことだ。
13:55 モニュメントになっている蕨本陣跡
資料館を出ると、隣が市指定文化財
蕨本陣跡。
岡田加兵衛本陣の跡で、和風のモニュメントになっている。この岡田本陣では、文久元年(
1861)降嫁のために下向した
和宮が休息し、明治元年(
1868)・明治3年(
1870)
明治天皇が大宮氷川神社行幸の際に休息している。もう1軒の本陣
岡田五郎兵衛本陣跡ははす向かいの日本橋寄りで、
高札場もあった。
名前のない交差点を右折して
和樂備(わらび)神社に寄り道。室町時代に渋川氏が蕨城を築いて八幡大神を祀ったのが始まりで、江戸時代には「蕨八幡」「上の宮」などと呼ばれていた。明治44年(
1911)町内の18社を合祀して和樂備神社と改称。境内の
水盤・稲荷社本殿・天神社本殿・宝篋印塔ほかが市指定文化財。
14:00 和樂備神社
14:10 デカい蕨城跡碑
和樂備神社の隣の公園が県指定文化財
蕨城跡。渋川氏が築いた居城で、大永4年(
1524)
北条氏綱に攻められ破壊された。江戸時代には
徳川家康によって
御殿が設置された。
14:30 20種類のオリジナル煎餅
旧道に戻って先を進む。古い民家がポツリポツリと残っている。喜多さんに、
萬寿屋が煎餅の老舗だと説明したら、「煎餅を買いたい!」というので訪店。喜多さんは気前よく?20種類の煎餅を大人買いしている。(◎o◎) 店内に置いてあるパンフに「創業天保年間」(1830〜43)と書いてある。女将さんに尋ねると、往時は茶屋を商っていたけど、明治になってから煎餅屋になったそうです。
買い物を待っていたら、だんだん
抹茶ソフトクリームを食べたくなって、店内の茶房で早くも休憩。(^-^; 買い物含めて30分の休憩。(´-`).。oO(取材はしてるんだけど…)
時計を見るともう15時!なので、急がなくちゃ! しかし、慌てて出発したら、
三学院に寄り忘れちゃった。(T-T) 古い民家を横目に
蕨宿上の木戸。これで蕨宿とはお別れ。国道17号を横切ると旧道をそのまま広げた道なので、蛇行具合を楽しみながら進む。
15:00 車が移動するまで待つ余裕もなく、上の木戸
15:30 日本橋から5里目の辻一里塚跡
さいたま市南区となり、右手に辻一里塚公園。一里塚があった所なので、きっと立場だっただろうと、沈丁花の甘い匂いに包まれて10分休憩。辻2丁目交差点の角に辻一里塚跡&弁財天。案内板によると、往時この付近は湿地帯で、水難から守るために弁財天を祀った。しかし、後日『中山道分間延絵図』を見ると、辻一里塚は立場ではなくて、この先の熊野神社の手前だった…ガクッ。
東京外環自動車道をくぐって、
熊野神社を横目に、蛇行具合を楽しみながら進む。再び国道17号を横切って名前のない交差点を左に旧道。さらに名前のない交差点から
焼米坂で急な上り坂。往時は焼米を売る茶店が人気だったそうで、歩道橋の下に
焼米坂碑が建っている。
15:50 焼米坂 交通量が多いので撮影が大変(^-^;
ここがNHK「街道てくてく旅」で中山道を踏破した中山道のアイドル:てっしー(勅使川原郁恵)の浮世絵ポイント@浦和宿。おらも浦和宿の浮世絵ポイントにしようと思っていたら、副読本『広重・英泉の木曾街道六拾九次旅景色』に、「絵に見えるような土橋は浦和宿にはなく、宿の遙か北方、見沼代用水の一支流に架かる高台橋の手前」と書いてある。なるほど確かに浮世絵の中央に太鼓橋が描かれている。明治時代の陸軍が作製した迅速測図を見ても、焼米坂と浦和宿との間には太鼓橋(土橋)が架かるような川はなく、北上してやっと現在のさいたま新都心駅付近で川が中山道を横切っている。ということで、てっしーと同じ場所でないのは残念だけど、おらの浮世絵ポイント@浦和宿は大宮宿の手前にある
六国見の立場ということに決定!
てっしーの浮世絵ポイント@浦和宿をパチリ♥
浦和区となり、16:10に式内社
調(つき)神社。お参りしようとしたら、ありゃ?拝殿が閉まっている! 社務所も閉まっている! 何故か?境内に警備員がいるので尋ねると、16時閉門だって。ガーン! 今まで神社の拝観時間なんて気にしたことないので、閉門時間は“調”べておかないと。…。
16:15 調神社拝殿 夕方には気をつけなくちゃ(>_<)
東海道の時は興味がなかったけど、中山道からは御朱印を集めるのが密かな楽しみ。わざわざ緑色の集印帖まで買って、初日の神田明神、今回の和樂備神社と2社の御朱印をいただいたけど、3社目で早くもNG(涙)。しかも、わざわざカミングアウトしているので、密かな楽しみが顕わな楽しみになってしまった…ガクッ。
16:20 浦和宿 駅前なので込んでます
ガックリと肩を落として先を進む…。旧道は渋滞…。も−、どーでもイイっ。(T-T) 左手に中山道浦和宿碑が建ち、浦和宿にとっつにゅ〜。歩道にゃ浦和宿のタイルがはめ込まれてるじゃ〜ん。
今日は大宮宿の手前:さいたま新都心駅まで歩く予定だったけど、三学院に寄り忘れちゃったしぃ、調神社は閉まっているしぃ、喜多さんの1人が足が痛いのでリタイヤしたいと言っているしぃ、今日の日の入りは17:45だしぃ…モチベーションが下がってしまって、もうやめたヤメタやめたヤメタやめたヤメタやめたヤメタやめたヤメタやめたぁ。ということで、16:25浦和駅西口交差点で本日の旅は終わり。ということで、調神社は次回出発の時にまた寄っちゃお。(^-^;
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