2001年 6月30日(土) |
09:15 芭蕉句碑はプチ公園
| 今日は雨。 どうせ小雨で、午後には雨も止むだろと思って予定通り決行。 JR川崎駅から地下街を通って京急川崎駅に向かう。 地上に出たら方向を見失ったけど、左に進む。 8:45中の本陣跡、砂子一丁目交.よりスタート。 リュックに入れてある“教科書”の出し入れが面倒なので、今回から自作の順路表『とらガイド』をプリントしてきたのに、佐藤本陣跡を見つけられずパス(泣)。 JR川崎駅から延びるK101を越えると旧道らしく静かで、風景も市街地から住宅地に変わる。
京急の線路が見えると、右手に屋根付の芭蕉句碑。 そして東海道は何と!踏切で旧道が切断されていて、たいした距離ではないんだけど、踏切を渡って旧道に戻るのがちょっと痛々しい。 左手のJR南部線&京急八丁畷駅に地名の由来が書いてある。
市場上町から舗道がなくなり旧道らしくなった。 日本橋から初めての一里塚、市場一里塚跡。 ホントは5里目の一里塚なんだけど、都内や川崎市内ははげしく開発されていて、この付近にならないと“跡”すら残ってないんだ。 はす向かいにローソン茶屋があるので20分休憩。
R15を横断するとJR鶴見線国道駅。 ガードをくぐるとアーチ状の構内が見える。 駅を過ぎるとなんだか生臭い。 ああ魚屋があったんだ、と納得して歩いていると、おっ!また魚屋、その隣も魚屋! 生麦魚河岸通りってのは“跡”じゃなくて現在のことだったんだ! 50軒ほど並んでいるのは圧巻。 貝専門店ってのも!
生麦一丁目交.でR15に合流すると左手に、文久二年(1862)に起きた生麦事件の碑。 久しぶりにR15の歩道と化した東海道を歩く。 R15は片側2車線道路。 道路を拡幅する時に街道沿いの民家・商店を立ち退かせているはずなので、あまり見るものはないと思っていたけど、新子安から子安にかけてマンション(大長屋?)のかたわらに古井戸があったり、古い民家が何軒か残っている。
神明宮と東光寺の間にある神奈川小学校の壁に、『東海道分間延絵図』の神奈川宿が描かれている。 ちょうど自販機があったので缶コーヒーを飲みながら眺める。 10分休憩。 浦島伝説で有名な慶運寺は、上り電車でJR横浜駅を出るとすぐ右に見える、お墓のある寺だった。 車内から見慣れた風景でも歩いて訪ねると違った雰囲気が楽しめる。 さすが“浦島寺”と呼ばれているだけあって石柱の台座が亀だし、この付近の車止めも亀の甲を模している。 帰りは滝之川沿いを歩いてR15を右折。 右手に神奈川本陣跡。 滝の橋を渡り右折して、さらに路地を左折すると坂道右手に、文久元年(1861)ヘボンが診療所を開設した宗興寺。 今は本堂がコンクリート製で教会みたい。
滝の橋交.を横断して、勝海舟設計で万延元年(1860)完成の神奈川台場跡へと向かう。 石垣の上は今や駐車場。 案内板の地図によると、今立ってるところは当時は海! それなのにR15と台場跡との間にお稲荷さんが2ヶ所もあるので、町がどうやって形成されるのかって興味がわくね。
歩道橋を渡ると右手に宮前商店街の看板。 当時の道幅が残っている旧道でホッとする。 日本橋から道中を共にした?R15とはこれでおさらば。 右手洲崎大神の案内板によると、神社正面(京に向かって左手)が神奈川湊の荷揚場。 するってーと、目の前の茶色い大長屋は海の中ってわけ?
13:50京急神奈川駅。 鶴見区も神奈川区も案内板が充実していて、東海道中楽しかった。 『膝栗毛』では弥次喜多の2人は戻り馬に乗ってサッサと神奈川宿に着いちゃったので、代わりにおらたちが神社仏閣巡りをやらかしてやったぜ。 とにかく歩いた。 川崎宿〜神奈川宿間の旅はここで終わり。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 5時間05分(約4時間35分) |
万歩計の歩数 | 18,833歩 |
喜多さんの歩数 | 19,971歩 |
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