2001年12月30日(日) 城下町ゆえにジグザグに進む沼津宿とは違って原宿はひたすら一本道。 米作りが困難だったという浮島ヶ原は干拓されて、今はもう面影がないけど、当時は富士山の麓に“釧路湿原”があったって感じ?
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08:40 二代目の摺鉢
| 8:12JR原駅到着。 出発前に再度松蔭寺に寄って、摺鉢松の鉢を見学。 見つけられなかった渡辺本陣跡も交番と地元の人に聞いて、交番のはす向かい、渡辺精肉店屋ということが分かった。 ありがとうございます。
セブン茶屋で一服して、9:25駅前交.よりスタート。 とにかく旧道はかたくなに真っ直ぐ。 宿の西のはずれで道幅が広がっているのは松並木の名残らしい。
民家もだんだんまばらになってきた。 左手の小池薬局屋を左折して軽トラが1台やっと通れるくらいの道を進み、突き当たりK380(旧R1)を右折して左側に要石神社。 小っちゃい…と思ったら、鳥居はあるけど社殿がない! 祠後ろの地面に出ている石が要石。
かたくなに真っ直ぐな旧道がJR踏切で切なくねじれてる。 K380と合流する東柏原交.で「東海道57次」のゼッケンを着けた団体とあいさつを交わしたけど、彼らは走って先へと行ってしまった。 この後依田橋まで、何人もの“57次ランナー”に追い越される。
11:15右手に大正三年(1914)製の常夜灯。 神奈川県内ではあまり見かけなかった常夜灯も、静岡県に入ると数が増えた。
そして並びに沼田新田一里塚跡。 向かいのフジ生コンクリート屋敷地には一里塚を模して、石垣で囲った砂山があるので面白い。
元吉原、今井町に入ると瓦屋根の民家が目立つ。 12:10右手に古そうな常夜灯があるので感激していると、持ち主のご主人が出てこられ、思いがけず世間話になった。 「旧東海道を歩いてる」と自慢したら(笑)、「さっき突いたばかり」という安倍川餅をご馳走になった。 まだ暖かくて柔らかい。 ありがとうございます。 やはり最近は旧東海道を歩く旅人が多いそうです。 ちなみに“古そうな常夜灯”は昭和八年(1933)製だそうでちょっとガッカリ。 海が近いので寺を抜け田子の浦の海岸に出てみる。 やっと雲が晴れて富士山の姿が見えたので声を上げたら、海風が強くて口の中に砂が入るし、帽子は飛ばされるしヒドい目にあった。 沼津から千本松原が続いているけど、防風林のありがたさが身にしみる。
歩道のない旧道に戻り、左手のファミマ茶屋のある丁字路を無視して真っ直ぐ進みたいけど、その先に線路があるので無理。 右折してJR踏切を越えて大昭和製紙屋工場沿いに進む。 JR吉原駅前で何か食べようと思い吉原駅交.を左折。 しかし駅前には何もなくタクシーが並ぶだけ…。 しかも左手のラーメン屋が閉まってる! ガーン! サンプルにある「カツラーメン」が気になる…。
R139(旧1R)に合流すると道が複雑。 1R(富士由比バイパス)&新幹線の高架をくぐって交差点右手が旧道で中吉原。 再び瓦屋根の民家が並ぶ風景にホッとしてると、左手に左富士神社。 何故か狛犬が3体あり、アブナい三角関係になっている。 しばらく真っ直ぐな道が続き、13:45左手のセブン茶屋で15分休憩。 旧道はこの先の平家越え橋を左に折れる。 その右脇には、歩いてると正面にあるように見える平家越えの碑。 和田川は川幅が狭くて、治承四年(1180)源氏vs平氏による富士川の合戦があったなんて想像できないけど、地図を見ると富士川が潤井川と合流して田子の浦港に注いでいても不思議じゃない。 それより信号機の1つが、道のない川下に向かっているので不思議。
橋を渡ると新吉原、吉原宿。 右手が東木戸跡で、はす向かいの大長屋付近が問屋場跡。 14:25岳鉄吉原本町駅前踏切で今日の旅は終わり。 これから遅い昼食。 帰りは15:39の岳鉄。 切符が昔ながらの厚紙タイプで感激! 駅員に頼んでお土産にしました。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 5時間00分(約4時間45分) |
万歩計の歩数 | 20,283歩 |
喜多さんの歩数 | 20,659歩 |
経費 | |
往路:JR戸塚駅→原駅 | 1,620円 |
帰路:岳鉄吉原本町駅→吉原駅 帰路:JR吉原駅→戸塚駅 | 200円 1,890円 |
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