とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.13
〜原宿→吉原宿〜
11.7km

画像2001年12月30日(日)
城下町ゆえにジグザグに進む沼津宿とは違って原宿はひたすら一本道。 米作りが困難だったという浮島ヶ原は干拓されて、今はもう面影がないけど、当時は富士山の麓に“釧路湿原”があったって感じ?

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08:40 二代目の摺鉢

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09:30 松並木見たかった

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09:55 要石神社の要石

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11:05 立円寺の望嶽碑

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11:20 涙の昭和放水路

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11:25 沼田新田一里塚

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12:25 毘沙門天妙法寺

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12:35 田子の浦の富士山

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12:50 JR線路手前の旧道

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13:30 左富士の松ぼっくり

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14:05 平家越えの碑

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15:05 1宿ずれて太いそば

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厚紙タイプの切符

 8:12JR原駅到着。 出発前に再度松蔭寺に寄って、摺鉢の鉢を見学。 見つけられなかった渡辺本陣跡も交番と地元の人に聞いて、交番のはす向かい、渡辺精肉店屋ということが分かった。 ありがとうございます。

 セブン茶屋で一服して、9:25駅前交.よりスタート。 とにかく旧道はかたくなに真っ直ぐ。 宿の西のはずれで道幅が広がっているのは松並木の名残らしい。

 民家もだんだんまばらになってきた。 左手の小池薬局屋を左折して軽トラが1台やっと通れるくらいの道を進み、突き当たりK380(旧R1)を右折して左側に要石神社。 小っちゃい…と思ったら、鳥居はあるけど社殿がない! 祠後ろの地面に出ている石が要石
 10:15右手に三社宮。 この付近は松並木のあった旧東海道沿いなのに、地名が一本松ってのは何故? 隣町の桃里は昔浮島ヶ原だった辺りだけど昔の面影はない。 でも目をこらすと左手には千本松原が見えるし、今日は雲がかかって見えないけど右手には富士山。 贅沢な旅じゃない?

 かたくなに真っ直ぐな旧道がJR踏切で切なくねじれてる。 K380と合流する東柏原交.で「東海道57次」のゼッケンを着けた団体とあいさつを交わしたけど、彼らは走って先へと行ってしまった。 この後依田橋まで、何人もの“57次ランナー”に追い越される。
 おらたちはマイペースで右手の沼川・和田川・潤井川が合流する渕、“三股”に住む龍に生け贄を捧げたという「三股の伝説」がある六王子神社にJR東田子の浦駅、左手茶屋本陣柏屋などを見学。 間の宿・柏原で案内板が充実している。
 はす向かいには山門が立派な立円寺。 境内に入ると文化五年(1808)尾張藩の侍医、柴田景浩が建立したという望嶽碑。 当時は富士山の手前に浮島沼があったし…今日は山頂に雲がかかって、おらたちにとってイイ景色ではなかった。

 11:15右手に大正三年(1914)製の常夜灯。 神奈川県内ではあまり見かけなかった常夜灯も、静岡県に入ると数が増えた。
 昭和放水路を過ぎると左手に増田平四郎の像。 明治二年(1869大排水路を完成させた(しかし同じ年の高波で全壊する)浮島沼干拓の功労者で、現在の昭和放水路は同じ場所に建設された。 そのためこの付近には「○○新田」っていう地名が多い。

 そして並びに沼田新田一里塚跡。 向かいのフジ生コンクリート屋敷地には一里塚を模して、石垣で囲った砂山があるので面白い。
 右手愛鷹神社向かいにK380がR1だった時の名残「日本橋より138q」の標柱。 交差点で旧道が左に分かれるけど妙な分岐になっていて、空から見ると計量スプーンのように見える…かな?

 元吉原、今井町に入ると瓦屋根の民家が目立つ。 12:10右手に古そうな常夜灯があるので感激していると、持ち主のご主人が出てこられ、思いがけず世間話になった。 「旧東海道を歩いてる」と自慢したら(笑)、「さっき突いたばかり」という安倍川餅をご馳走になった。 まだ暖かくて柔らかい。 ありがとうございます。 やはり最近は旧東海道を歩く旅人が多いそうです。 ちなみに“古そうな常夜灯”は昭和八年(1933)製だそうでちょっとガッカリ。
 左手の高台に妙法寺。 「妙法寺」という表記より「毘沙門天」の方が多い。 高崎・深大寺と並ぶ日本三大ダルマ市で有名だそうで旧暦1月7〜9日の開催。 境内には何故かインドの神様を祀っているせいか原色が多くて派手。

 海が近いので寺を抜け田子の浦の海岸に出てみる。 やっと雲が晴れて富士山の姿が見えたので声を上げたら、海風が強くて口の中に砂が入るし、帽子は飛ばされるしヒドい目にあった。 沼津から千本松原が続いているけど、防風林のありがたさが身にしみる。

 歩道のない旧道に戻り、左手のファミマ茶屋のある丁字路を無視して真っ直ぐ進みたいけど、その先に線路があるので無理。 右折してJR踏切を越えて大昭和製紙屋工場沿いに進む。 JR吉原駅前で何か食べようと思い吉原駅交.を左折。 しかし駅前には何もなくタクシーが並ぶだけ…。 しかも左手のラーメン屋が閉まってる! ガーン! サンプルにある「カツラーメン」が気になる…。
 原宿からほぼ並行に流れていた沼川を越えると正面に4車線の広い道。 左手の道が旧道で右側に1本だけが…。 歩道の広さを考えると昔は立派な松並木だったんだろうね。

 R139(旧1R)に合流すると道が複雑。 1R(富士由比バイパス)&新幹線の高架をくぐって交差点右手が旧道で中吉原。 再び瓦屋根の民家が並ぶ風景にホッとしてると、左手に左富士神社。 何故か狛犬が3体あり、アブナい三角関係になっている。
 流砂や高波のため寛永年間(1624〜44)に元吉原からこの中吉原に移ったそうで、海岸からはかなり遠い気がするけど再び大潮の被害にあったため、天和二年(1682)にもっと内陸の新吉原に宿場を移したというのでビックリ。
 13:25交差点で信号待ちしてたら旧道の左側に。 旧東海道で茅ヶ崎の南湖と、たった2ヶ所しかない左富士。 1本だけ残った老松だけど見上げると松ボックリがビッシリ。 お盛んですな、ってゆーか子孫をより多く残そうと頑張っている。 自然の驚異。
 案内板を過ぎると旧道は左にカーブして、右富士に戻っちゃう。

 しばらく真っ直ぐな道が続き、13:45左手のセブン茶屋で15分休憩。 旧道はこの先の平家越え橋を左に折れる。 その右脇には、歩いてると正面にあるように見える平家越えの碑。 和田川は川幅が狭くて、治承四年(1180)源氏vs平氏による富士川の合戦があったなんて想像できないけど、地図を見ると富士川が潤井川と合流して田子の浦港に注いでいても不思議じゃない。 それより信号機の1つが、道のない川下に向かっているので不思議。

 橋を渡ると新吉原、吉原宿。 右手が東木戸跡で、はす向かいの大長屋付近が問屋場跡。 14:25岳鉄吉原本町駅前踏切で今日の旅は終わり。 これから遅い昼食。
 次回歩く分の旧道沿いで食事処を探すけど、晦日の日曜なのに人気のない商店街。 規模を考えると寂しすぎる。 だいぶ歩いて右手の喫茶店飛行船(吉原2-5-17)茶屋で「駿河おろし」(700円)というそばを食べる。 かき揚げは注文後に揚げていたので感激!

 帰りは15:39の岳鉄。 切符が昔ながらの厚紙タイプで感激! 駅員に頼んでお土産にしました。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)5時間00分(約4時間45分)
万歩計の歩数20,283歩
喜多さんの歩数20,659歩
経費
往路:JR戸塚駅→原駅1,620円
帰路:岳鉄吉原本町駅→吉原駅
帰路:JR吉原駅→戸塚駅
200円
1,890円

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