とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.14
〜吉原宿→蒲原宿〜
11.1km

画像2002年 1月20日(日)
宿場の移転が続き、かたくなに真っ直ぐだった東海道の道筋が北に大きく膨らんだため、名所「左富士」が生まれた。 災害さえなかったら、わが神奈川県茅ヶ崎市南湖の「左富士」が東海道唯一だったのに…。

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09:00 静かさや吉原商店街

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09:15 歩道にはプレート

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09:20 鯛屋は創業320年

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10:00 ドーンと袂の塞神

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10:35 鶴芝の碑

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10:45 本市場一里塚跡

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11:25 駅弁「竹取物語」

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12:40 左?東海道の追分

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12:50 高い長いデカい雁堤

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13:35 渡船上り場常夜灯

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13:45 キノコ型常夜灯

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14:45 常盤家の土間と畳

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14:55 岩淵一里塚

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15:50 富士山見える?

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16:05 蒲原一里塚跡

 年末に来た時は人通りの少なさにビックリしたけど、今日も日曜日の朝なので少ない。 9:00岳鉄吉原本町駅前からスタート。

 吉原商店街のサイトからダウンロードした吉原宿の地図を持って来たので、左手の脇本陣跡(ノグチカメラ屋)、右手の下本陣跡(薬のコンドウ屋)、左手の脇本陣跡(おもちゃのキムラ屋)、右手の脇本陣跡(オオイカメラ屋)、並びの問屋場跡(メガネのヤナセ屋)、少し進んで上本陣跡(パチンコの富士見会館屋)、向かいの脇本陣跡(和菓子の南岳堂屋)をサクサクとチェック。

 石柱や案内板がないのでサミシーと思っていたら、左手の鯛屋旅館の前で写真を撮るのに、舗道に案内板がはめ込んであることに気が付いて、見てきたばかりの商店街を再度確認(汗)。
 鯛屋旅館は天和二年(1682)創業の旅籠鯛屋與三郎で料金が一泊5,500円(税別)、素泊まり3,980円(〃)で安い!
 静岡両替屋の角に旧東海道の案内板があり左折。 突き当たりの妙祥寺道標を右折。 城下町でもないのに何故直角に曲がるのか? そして右手に西木戸跡。 依田原新田交.を左折すると旧道は分断されていて、青葉通りの交差点右手に真っ直ぐな旧道が見える。 右手の植え込みに石碑

 青葉通りを横断すると再び静かな通り。 左手に道祖神。 青島交.を右折して、潤井川橋の手前を右に旧道。 地図を見ると、この付近は中吉原から続く道との追分だったんだろうね。 そして十字路を左折して富安橋。 複雑だ、ふぅ。 住宅地の中を歩く。
 右手のブロック塀の中に「袂の塞神」と呼ばれている蓼原単体道祖神。 デカくて風化もせず、形がハッキリしてるのは珍しいかも。 塔の木交.右手セブン茶屋で10分休憩。
 交差点横断中に右手を見ると、富士山もデカくてハッキリしてる。

 県総合庁舎を過ぎて左手荻野家の玄関脇に、文政三年(1820間の宿・本市場「鶴の茶屋」に建立された鶴芝の碑。 振り向くと富士山がキレイだけど、どの部分が鶴に見えるのか悩む…。
 この先に行き止まりのような丁字路?と思ったら、今が旬の椿が咲く、目隠し代わりの生け垣の先に旧東海道。 横断歩道はないので生け垣の切れ目を走る(よい子は…許す!)。 何故新しい道路を作るのに、わざわざ旧東海道を切断するのか(憤)! 十字路でもイイじゃん! 生活者&旅人のために横断歩道を作って欲しい。

 K396(旧R1)を渡ると道幅が狭くなる。 左手に榎が植えてある本市場一里塚跡。 右側は大長屋で跡形もない。 旧道沿い左側は川で、対岸は王子製紙屋の工場の塀なのに、橋が幾つも架かっていて不思議な風景。

 10:55富士本町商店街に出る。 JR富士駅に向かい、ペデストリアン・デッキを上り、改札前のオレンジハウス屋に駅弁「竹取物語」(950円)のディスプレイ。 でも売り切れ(汗)。 ガイド本のTELに電話したら、駅ホームの売店に在庫があるというので改札口まで持って来てもらう。 わがままな旅人のためにありがとうございます。
 めでたくデッキの上でお昼。 ご飯はピーナッツおこわで、具は桜エビ・ホタテ・とり肉・栗など寄り道した甲斐があった。 20分休憩。
 芭蕉句碑・トイレがある平垣公園経由で旧道に戻る。

 静岡中央両替屋12:05スタート。 旧道は交通量が少なく静かで歩きやすい。 途中卵の自販機があって珍しい。 右手常夜灯、左手札の辻と続き、旧道右側が用水路でイイ雰囲気の家並み。
 JR身延線架道橋の先、ミニストップ茶屋のある交差点を右折したら間違いだった。 引き返してその次の信号を右折。 道の分岐点に常夜灯と「左に東海道」(何故左?)の道標があるので注意。

 歩いていると正面に、延宝二年(1674)古郡重高・重政・重年の親子孫三代が約50年かけて完成した。 上ってみると高い!長い!デカい! 富士山もデカい! 右手には人柱となった僧侶を祀った御所神社。 昔は吉原宿の先まで蛇行していた暴れ川だったので、当時は大変だったのね。
 旧道に戻り四丁河原歩道橋でK396と合流。 その先の信号右に苺の自販機。 富士川の手前右手に水神社。 入口の渡船場跡には常夜灯富士山道道標

 水量タップリの富士川を渡ると、右手に慶長十二年(1607)富士川舟運を開いた角倉了以紀功碑渡船上り場常夜灯。 向かいのローソン茶屋の左並びに旧道入口があるはずなので、交通量の多いK10を走って横断(よい子は真似しないで!)。 案内板もなく目立たないので通り過ぎてしまったけど、戻って左クリーニング屋&右魚屋の間の坂を上る。

 暴れ川の河岸段丘を上ると間の宿・岩淵。 時間が止まったような静かな家並みで、キノコのような形の常夜灯が点在している。 宿内ではキノコというより、雨後のタケノコのように常夜灯が生えていて(笑)、思いがけずイイ感じの旧道。 度重なる水害のため、宝永四年(1707)12月から3ヶ月かけて現在の場所に移ったそうで、遠く原宿・吉原宿から岩淵宿まで水との戦いの歴史がある。

 左手に地図が貼ってある休憩所花みずき。 無料の甘酒につられて中に入り、ボランティア(助郷?)のおばさんたちに昔話や向かいの小休本陣常盤家の話を聞く。 女優常盤貴子の父親の実家で、ガイド本にも載ってないので得した気分(笑)。
 40分の休憩後、常盤家を見学。 2年前まで持ち主が住んでいたそうだけど、中はキレイ。 表に出ると敷地のはずれに常夜灯
 すぐ先の十字路からは抜け道になっているらしく、急激に車の量が増えて歩道が無い分おっかない。

 トボトボ歩いていると正面に岩淵一里塚。 立派な榎が立っている。 左側は二代目なのでちょっと小振り。 久々の2つ揃っているペア塚。 富士川第1小学校の校庭でトイレを借りる。
 左に常夜灯。 その先に左手生け花教室、右手紙工場の十字路を右折なんだけど、案内板・目印もなく、またも通り過ぎて郵便局まで来てしまった。 道標がなくてどうひよう! …。 こんな時に「夢舞台」道しるべがあればなぁ。 真っ直ぐ進むとJR富士川駅。

 戻って電柱の「中部電力」の看板を目印に旧道へ。 この付近の字名が新町本町(すごい地名)で、道端の所々に無人のミカン売り場ならぬ、売り台があり1袋100円。
 だんだん山道になってくる。 東名高速をくぐると三叉路で左に旧道。 続いて新幹線をくぐる。 のんびり山道ハイキング。
 再び東名高速にぶつかり急な上り坂。 しばらく東名と平行するんだけど、ホントの旧道は開削された高速道路の真上。 当時はあの空中の部分を歩いていたんだと喜多さんと苦笑い。 新坂橋を渡ると左手の富士山(ん?左富士?)がキレイ。 天保十四年(1843)に新坂が新設されてここから下り坂なので、この付近は当時峠で茶屋もあって賑わったんだろうね。

 左手の光蓮寺は「海前院」と表札にあるくらいで、坂を下ると正面が海! 手前に日本軽金属屋の工場があっても景色がイイ。 丁字路を右折すると左手に蒲原一里塚跡。 家並みに埋もれている。
 右手に諏訪神社。 16:15そして東木戸跡。 駅まで少し距離があるけど、今日の旅はここで終わり。
 JR新蒲原駅は改札が海側1ヶ所だけで、駅前はイオンタウン屋。 マック茶屋で一服して17:28の熱海行で帰る。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)7時間15分(約6時間05分)
万歩計の歩数21,165歩
喜多さんの歩数21,756歩
経費
往路:JR戸塚駅→吉原駅
往路:岳鉄吉原駅→吉原本町駅
1,890円
200円
帰路:JR新蒲原駅→戸塚駅1,890円

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