とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.16
〜由比宿→興津宿〜
9.1km

画像2002年 2月16日(土)
“夜之雪”に続き広重の名作“さった嶺”。 当時と変わらない風景ならこのまま後世に残して欲しい。 しかし「さった(薩+土偏に垂)」が表現できないのはちょっとねぇ。 地名・人名は日本の歴史・文化なんだから。

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11:35 サクサク桜えび定食

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12:35 ばったり床几

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12:45 振り向くと旧道

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13:00 二宮豊積神社

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13:30 倉沢の家並み

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13:55 鞍佐里神社

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14:05 本陣跡&茶屋跡

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14:10 一里塚跡&望嶽亭

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14:45 たまご餅で一服

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15:00 名勝さった

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16:05 小っちゃい水神社

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16:35 身延山道道標+

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16:40 興津一里塚跡

 11:15東海道広重美術館の見学後、早いけど昼食。 裏口から飯田八幡宮の階段を上ると本殿奥がゆい桜えび館(由比673-1)。
 館内の桜えび茶屋で、おらは桜えび定食(1,260円)、喜多さんは桜えび茶屋定食(1,365円)を注文。 さらに桜えびアイス(315円)を食べ、宅配便で送ってまでお土産に桜エビを買っているので、もう理想的な観光客だ(笑)。
 桜エビ漁は明治二十七(1894)偶然に獲れたことから始まった。

 由比本陣跡に戻り12:30スタート。 由比宿も蒲原宿のように案内板が充実していて、宿全体がテーマパークのようになっている。 右手に問屋場跡。 並びに脇本陣羽根ノ屋跡。 左手のベンチに何故か案内板が…と思ったら、ばったり床几という簡易店舗で珍しいらしい。 1袋100円のミカンを載せないと…。

 昨年8月完成でピカピカの由比川橋を渡ると左から細い道が合流してくる。 あっ!旧東海道だ! ばったり床几が置いてある場所から枡形に折れていたんだ。 ガクッ。
 右手のたまご餅(650円)で有名な春埜(北田92)に寄る。 失礼と思いながらも、女将さんが85歳というので尋ねてみると、子供の頃は由比川橋がまだなくて道が枡形に折れていたそうです。

 町屋原右手に駿河国の二宮豊積神社。 参道には大きな切り株が2本。 境内には御神木の立派なイチョウがある。 延暦十六年(797)大晦日に征夷大将軍、坂上田村麻呂が戦勝報告に立ち寄ったという延喜式内社で、毎年正月に行われるお太鼓祭はそのお祝いらしい。 約1,200年間も!

 13:25JR由比駅。 構内でパンフ類を探したけどなかった。 駅を過ぎると緩やかな上り坂。 旧道はK396(旧R1)にぶつかるので右側の寺尾歩道橋で横断すると、タイムスリップした感じで古い民家が数多く残っている。 道幅も当時のままで家並みが美しい。 上り坂だけじゃなくて時の流れも緩やか。 ただ旅人が多い。
 倉沢は景色のよさとは裏腹に崖崩れ危険地区で、斜面が分厚いコンクリートで覆われている。 昔の生活は大変だったでしょうね。
 東海道名主の館「小池邸」は人だかりで、見学はパス。

 ずっと先の山の斜面に神社が見えるけどイヤな予感。 日本武尊ゆかりの鞍佐里神社で、険しい山道を駆け上がった時に、破けた鞍を置いて行ったという伝承「鞍去り」から名前が付いたそうだ。 「倉沢」の地名の由来にもなったという。
 この付近の旧東海道は古代からの官道なので感動だ。 …。

 右手にパンフてんこ盛りの民家(ありがたい)、左手に川島本陣跡茶屋柏屋跡など、たっぷり間の宿・倉沢の景観を楽しんだ。

 さらに寛政九年(1797)刊行の『東海道名所図会』に掲載されている望嶽亭藤屋。 慶応三年(1867)官軍に追われる山岡鉄舟を舟で逃がしたという逸話も残っている。 向かい側は西倉沢一里塚跡。 ここから急な“登坂”。 ふぅ。 しかも滑らないようにコンクリート道で、倉沢が立場として賑わったのがよく分かる。

 息を切らしながらミカン畑の中の旧道を歩…いや登る! 所々に梅が咲いている。 ビワ、桜もある。 箱根東坂を体験しているので余裕だと思ったけど、やっぱり疲れる。 石畳と違って車も通るので注意。 さった地蔵道標は止めてある車がジャマで撮れなかった。 気を遣わないドライバーにはキップ切っとくれ!
 さった越えは上道・中道・下道の3ルートあって、Pを寄らずに真っ直ぐ進むと上道、左折してPを通って崖沿いの道が明暦元年(1655)朝鮮使節を迎えるために開削された中道、さっきの西倉沢一里塚跡から下る古道が下道。 中道を進む。
 Pからは広重の風景はもちろん、正面に伊豆半島でなかなかの絶景。 道を進めると、夕焼けの富士山を狙ってるんだろうか?カメラマンがビッシリと並ぶ。 人気が少なくなった所に休憩所。 景色を眺めながらたまご餅を食べる。 15分休憩。

 さらに進むとさった峠碑。 ここが峠? でも清水市のお墨付き。 崖の斜面が分厚いコンクリートで固められ、道が二手に分かれる。 上の道はホントの旧東海道なんだけど、崩落して行き止まりなので下の道を下る。 雨が降ったら滝になってしまうような“けもの道”を下ると墓地。 道を間違えたのかと不安になるけど、造成地のはずれに左に下道、右に中道の標柱。 ホッ。
 右折して造成地の中を歩くけど何ができるのか? 本来は左手に山があって迂回する道なんだろうけど、削られて鉛筆の芯のようになって見る影もない。 崩れて消えた旧東海道に芯の山…昔はどんな景観だったんだろう?

 芯の山を回るように歩いていると、15:20左手に瑞泉寺。 入口に七面常夜燈。 道が合ってたのでホッとした。 おきつ川通りに出て川沿いに歩くと右手工事中の興津東町公園に川会所跡
 JRをくぐり丁字路を右折。 興津川を渡って、右手の階段を下りる。 対岸の川会所跡を見ようと思ったらJR線路で行き止まり。 そのまま線路沿いの旧道を進み、県営興津団地を右折して寄り道。 川西踏切を渡り、今度は線路沿いを東に向かって歩く。
 興津川の土手に立つと広重の風景。 寄り道した甲斐はある。 上流に向かって歩くと興津川渡し場・古戦場跡碑。 案内板はないけど、これって永禄十一年(1568武田信玄vs今川氏真の“興津川の戦い”のこと? ついでに水神社に寄りたいけど見あたらない。 道路工事で気が付かなかったけど、小さくても神社だから木が目印だと反省。 約30分の寄り道。

 旧道に戻りR1に合流。 興津中町交.を過ぎると右手に女体の森の標柱。 町名の由来となる奥津島比売命を祀っているだけあって、デッカい宗像神社
 興津中町歩道橋右に身延山道道標ひげの題目碑。 案内板が碑の後ろに建てられているので、字が隠れて最後まで読めない。

 右手の元運送屋左端に小っちゃい石柱興津一里塚跡。 運送業はご主人が体をこわして廃業したそうです。

 16:45興津駅前交.で今日の旅は終わり。 駅前をウロウロした後、乗り換えのない17:48横浜行に乗ろうと、“教科書”に載っている喫茶店みくら(興津中町227-15)茶屋で時間待ち。
 コーヒーを頼んだけど、さくらえび丼(750円)が気になる。 女将さんと話をしていたら予定の時間を過ぎてしまったけど、昔のみくら茶屋や高速道路ができる前のさった峠などの写真を見せてくれた。 富士山の写真をいただいた。 ありがとうございます。
 18:02熱海行に乗る。 切符を買う時に戸塚駅の1つ手前、大船駅で途中下車した方が運賃が安いことに気が付いたので、話のネタに大船駅で乗り換える。 距離計算の不思議。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間15分(約4時間00分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間)8時間30分(約6時間50分)
万歩計の歩数(今日1日の歩数)17,372歩(+7,532歩=24,904歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数)17,562歩(+7,412歩=24,974歩)
経費(蒲原宿〜興津宿分交通費含む)
往路:JR戸塚駅→新蒲原駅1,890円
帰路:JR興津駅→大船駅
帰路:JR大船駅→戸塚駅
(JR興津駅→戸塚駅ダイレクトの場合)
1,890円
150円
(2,210円)

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