2002年 3月 3日(日) 本来歩行渡しの興津川も、冬季は仮橋が架けられタダで渡れたそうで、心なしか広重の興津川が小川に見える。 昔は“東海名区”清見寺から美保の松原が見えたそうだけど、今見えるのはコンテナ倉庫群。
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08:35 西本陣跡
| 今日は曇りで日が差さない分寒く、3月だけどまだまだ冬だね。 8:20興津駅前交.出発。 蒲原・由比に比べると平地が多いせいか、宅地化されて古い民家はあまり残っていない。 R1沿いだし。
R1は右側の歩道を歩き、右手清水両替屋左2軒目の民家に東本陣跡。 はす向かいに宮様まんじゅうの潮屋。 『膝栗毛』の弥次喜多は興津宿で“糠団子”なんてものを食べている。 ペッペッ。 並びの鈴与屋研修センターに水口屋脇本陣跡。 敷地内の水口屋ギャラリーは10時〜16時の間に開放されている。 右手の山梨自転車商会屋右側に西本陣跡。
そのまま右側を歩くと、奈良時代の創建という清見寺。 手前のP脇に清見関跡。 斜面の中腹にある山門の周りは開削されて、境内との間にJRが通っている。 不思議な景観。
寺を出ると向かいに古い民家が並び雰囲気がイイ。 波多打川の真上が静清バイパスで空が狭い。 あっ!右側を歩いたばっかりに膏薬屋跡、坐魚荘跡を見過ごした。 さっきの民家の所だったのか? 引き返すのも何なので、左折して井上馨銅像がある清見潟公園。 ポツンと1本、河津桜が咲いている。
JR横砂踏切を通ると山から下ってきたR1と合流。 交差点右手の延命地蔵尊&常夜灯に「袖師ふるさとの路(20)」と表示があり、この付近はハデな開発がなく、歴史と現代が上手く共存している。
すぐ先の交差点から道幅が広くなる。 さては松並木の名残? 右手に松が1本ポツンと生えている。 庵原川橋を渡ると今度は左手にもう1本。 いつ頃まで松並木があったんだろう?と考えていたら、右手公民館の敷地に「袖師ふるさとの路」案内板と袖師ヶ浦の道しるべ。 ああ、埋め立てられているので気が付かなかったけど、昔は海岸沿いに旧東海道があったんだね。
しばらくすると辻交.を右に旧道で、9:55又の所に細井の松原跡。 案内板によると、元禄十六年(1703)の検地では松が206本あったけど、太平洋戦争時に航空機燃料の松根油の原料として伐採されたとある。 この付近が宿場の東端で昔ながらの辻町商店会が続く。 途中左折してR1沿いのミニストップ茶屋で15分休憩。
清水銀座のはずれ、稲荷神社の鳥居が見える交差点を左折すると稚児橋。 慶長十六年(1611)橋が架けられ、渡り初めの時に河童が先に渡ってしまったので名前が付いたそうだ。 いくら昔のことだからってこんなフィクションな言い伝えでイイの?と思ったけど、橋の親柱4ヶ所に河童のブロンズが飾ってあり、4体とも表情が豊かで微笑ましい。 昨年8月に架け替わったばかりでキレイ。
11:00興津宿の旅はここで終わり。 橋手前の地名が江尻、向こう岸は入江、橋手前の交差点付近が魚町なので、海は見えないけど昔は巴川の河口付近だったんでしょ? |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 2時間40分(約2時間25分) |
万歩計の歩数 | 10,104歩 |
喜多さんの歩数 | 9,491歩 |
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