2002年 6月 9日(日) 今回の島田宿・見付宿間の旅は見どころが多く、掛川宿は宿場としての遺構はないけど、城下町としての見どころがある。 しかも掛川宿・袋井宿間は前日の日坂宿・掛川宿間と違い松並木が多い。 メモリーがピンチ!
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07:15 大手門は城の玄関
| 一泊お世話になった旅籠桃源郷(連雀1-1/0537-22-4431)は食事処も営んでいて、肉・魚・野菜のボリュームたっぷり。 面白いのは料理の味付けに比べ、みそ汁だけがやけに塩っぱい。 女将さんに聞いたら、この地方のみそ汁は塩辛いんだって。 塩の道の近くだから? ああ、食文化がこんなに違うほど遠い場所にいる。
7:15桃源郷を出るとはす向かいに掛川信金両替屋。 その奥に控えている大手門に合わせた造りの建物になっている。 掛川市は「城下町」を前面に出して観光地化しているらしく、大手門周辺だけでなく、城の周りは和風な建物になっていてテーマパークみたい。
城内を散策後桃源郷前に戻り、7:50スタート。 右手連雀沢野屋本陣跡と、連雀西交.を渡って中町商店街左手の中町浅羽屋本陣跡両方の場所が分からない…掛川市頼む〜、標柱作って。
旧道の道幅が狭くなり、右カーブすると右手の掛川信金両替屋横に常夜灯。 地名が十九首になり、左側に右手を指して平将門十九首塚道標。 サニー髪結い屋の路地を入ると、おじさんが公民館の脇にあった塚は「奥に引っ越した」と教えてくれた。
旧道に戻り、長いつき合いだった逆川の逆川橋を渡ると、二瀬川交.でR1に合流して左折。 R1沿いだけど古い民家が並び心が和む。 広重でおなじみの倉真川大池橋を渡ってすぐ左折。 ここは秋葉道の追分で道しるべがある。 周りは住宅地で、町内会の人たちがドブ掃除をしている。 すがすがしい日曜日の朝。
細田では旧道の両側に松並木。 じきに道幅が狭くなり、古くから営業しているのだろう、右手の造り酒屋、柴田酒店屋のある辺りがイイ感じ。 でも歩道もなくなるのですれ違う車がおっかない。
垂木川善光寺橋を渡ると、右手に延暦九年(790)坂上田村麻呂が東征の際に建立したという善光寺。 「ここは東海道真ん中のお寺です」というデッカい案内板の仲道寺と並んでる。 突き当たりを左折。 同心橋交.地下道に入り、R1の左側に出て原野谷川同心橋を渡る。 対岸はもう袋井市で、階段を下りると右側に可睡三尺坊道標と常夜灯。 ホントの旧東海道は同心橋の北側から南下してくるんだね。 旧道と合流して西に向かう。 周りは住宅地で、左手に駕籠の形をした名栗の花ゴザの案内板…と思ったらゴミ集配所だった。 この先市内で時々見かける。 ここから松並木が続く。 土塁まで再現されていてかなり立派。 K253で車のための松並木で、人は右側の歩道を歩くしかないけど、北側になるので木陰が涼しくてありがたい。 しかも所々に若い松も植えてあり、ますます立派な松並木になる予定。 松並木を将来に残そうと並々ならぬ強い意志を感じる。 イイぞっ!袋井市! 途中右手の富士浅間宮赤鳥居がちょっとしたアクセント。
左手に元弘二/正慶元年(1332)に建立された妙日寺。 ここは日蓮の両親の出身地。 並びの袋井小校内に久津部一里塚跡。 面白いのが校門の右側に「袋井市立東小学校」のプレートがあるけど、左側には「東海道五十三次どまん中東小学校」と板書してある。 袋井宿がどちらから数えても五十三次のちょうど中間・27番目の宿場だったため、旧東海道にも力が入ってるんだ。 小学校を過ぎると右側に用水路のある住宅地。 松並木の代わりに油山寺、法多山などの道標が点在している。 10:35右手デイリー茶屋で10分休憩。 再び松並木が現れ右手に七ッ森神社。
松並木が終わると道幅が狭くなりR1と合流。 そのまま左側を歩いていると、右側にあるはずの常夜灯が左手に! 11:20天橋を左折すると右手のどまん中茶屋に到着。 広重の版画を意識して作られた。 掛川宿の旅はここで終わり。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 3時間30分(約3時間00分) |
万歩計の歩数 | 15,930歩 |
喜多さんの歩数 | 14,824歩 |
経費 | |
桃源郷宿泊料 | 6,830円 |
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