とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.27
〜袋井宿→見付宿〜
5.8km

画像2002年 6月 9日(日)
袋井宿は旧東海道の中でも元和二年(1616)に設置された新しい宿場。 広重を意識したどまん中茶屋は平成十二年(2000)に袋井市が設置して、助郷(ボランティア)の方々が常駐している接待茶屋。

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12:25 東本陣跡

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12:35 高札場跡

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14:00 復元木原一里塚

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14:35 三ヶ野の松並木

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14:45 江戸の古道

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15:25 遠州鈴ヶ森

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15:40 阿多古一里塚跡

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15:50 宣光寺の釣鐘

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16:05 失意の姫街道追分

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16:10 見付宿木戸跡

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16:25 遠江国分寺跡

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16:45 旧東海道道標

 どまん中茶屋は囲炉裏を囲んで10人も座れば一杯になってしまう広さだけど、お土産も売っている。 89歳になるおばあさんが漬けたお新香・梅干しをお茶請けに、何と!助郷の1人で東海道ネットワークの会会員でもある鈴木さんと東海道談義に花が咲いて、10分のつもりが1時間も休憩してしまった。 巻物(パンフ)までいただいて、ありがとうございます。

 12:20スタート。 民家の軒下に屋号を吊してある。 小さい宿場なのですぐ右手に東本陣跡。 どまん中茶屋と同じ年にできたばかりの公園なのでピカピカでキレイ。 正面に門だけ飾ってあり、赤穂浪士一行が宿泊したと板書してある。
 はす向かいに袋井宿場公園。 噴水やトイレがあり休憩できる。 信号のある交差点を渡ると左手民家のPに問屋場跡。 右手袋井宿案内板の左隣の民家に西本陣跡。 その並びに凧屋。 御幸橋の手前左手に西木戸跡高札場跡。 案内板も兼ねている。

 住宅地の中を進むと川井IC交.でK413と合流。 左手の電気屋でメモリーを買おうと寄ったけど、欲しい容量がなかった。 12:55右手のすかいらーく茶屋で昼食。 ドリンク駆けつけ3杯。 ぷはぁ。
 50分休憩して県道の右側を歩き、松橋を渡ると右に旧道。 右手農家の脇に木原一里塚跡の標柱。 はす向かいに昨年3月に復元された一里塚が堂々と建っている。
 右手に許禰神社。 入口に徳川家康の腰掛け石がコンクリートで固めてある。 境内には樹齢500年のクスノキ。 神社の奥が元亀三年(1572武田信玄vs徳川家康、「三方ヶ原の戦い」の前哨戦となる木原綴古戦場跡

 木原交.西側でK143と合流。 しばらく何もないと思っていたら、左手の長屋「アヴァンセ」に高札場跡。 文字が消えかかっている。
 西木橋を越えると磐田市。 左側を歩き三ヶ野橋を渡って、階段を下りるとポツンと。 右側はGS(九州)で、横断歩道のない道を横切ると正面に三ヶ野の松並木があり、久しぶりの木陰。

 松並木が終わると二俣の上り坂があり、左手が明治の道と右手が大正の道。 明治の道を進むと左手直角に江戸の古道道標。 森の中なのに足下のレンガ道がオシャレすぎるので違和感あるけど、江戸の古道を歩く。 丘の上に着くと案内板があり、明治の道との合流地点に車井戸跡鎌田山薬師道道標
 右手に三ヶ野の立場の案内板。 やっぱり丘の上には上って疲れた分、茶屋が繁盛するんだ。 現在の茶屋はというと、プチ並木を過ぎて、15:00十字路左手のセブン茶屋で10分休憩。 旧道は下り坂となり今度は松並木。 上り坂となってR1と合流。

 東大久保歩道橋を渡り右側に移ると、右手の急階段の上に遠州鈴ヶ森。 石柱が2基あるだけで草ボーボー。 こんな所で延享四年(1747)日本左衛門の首が晒されたんだ。 右手に旧道。 富士見町東交.の横を進むと三本松橋で「別名なみだ橋」とある。
 そういえばここは富士見町。 ホントに富士山が見えるのか?と振り返ると…笑っちゃう。 見えた! 茶色いビルの右横にうっすらと黒いシルエット。 今日は快晴でホントによかった\(^o^)/。

 住宅地を下り始めると右手の民家の間に天神堂道標があり、まだ見付宿の手前だけど期待しちゃう。 2車線道路と合流する付近が東坂町で、右手に見付宿木戸跡、左手に阿多古山一里塚跡
 階段を上ると愛宕神社だけど、岡部宿の竹山を登った時の恐怖が甦り、上るのはパス。 道路合流地点左手に「見附」のモニュメントが設置してあり、見付宿の入口だということをアピールしている。

 宿内は右側を歩く。 JA屋の前に高札場跡がある!と思ったら宿場の案内板だった。 途中右折して、天正十五年(1587)徳川家康が寄進した釣鐘がある宣光寺に向かうと、路地沿いに古い民家がある。 見付宿は街並みがキレイ過ぎて旧道の面影がないと思ったけど、一歩入るとこんなに違う。

 旧道に戻ると静岡両替屋に問屋場跡。 はす向かいのピザーラ屋に脇本陣跡。 交差点を渡って立正佼成会に本陣跡。 この並び淡海國玉神社前の常夜灯付近が高札場跡
 この奥が明治八年(1875)開校の国指定史跡旧見付学校だったのに、写真を撮ってすぐ進行方向を向いてしまい見過ごしてしまった(泣)。 そんなわけで旧見付学校を探しながら姫街道入口まで来ちゃった…。 ということは芭蕉句碑のある見性寺も! ガーン!
 気を取り直して姫街道との追分。 しかし周りを見渡しても姫街道道標が見あたらない。 少し姫街道を歩いてみても、ない! 見付で道標が見つけられないのはどうひようもない。 …。 …。

 失意のまま進路を南に変え、加茂川橋を渡ると見付宿木戸跡。 右手に西光寺。 K56の両側には例によって「見附」のモニュメントがあり、見付宿が終わってしまった。 HP上ではこのページはまだ「袋井宿の巻」なのに…。 終点となる磐田駅がこの先だからねぇ。 見付宿内で一泊できるように日程調整してたんだけど、喜多さんと休みが合わず今日になってしまったのでした。

 加茂川交.歩道橋でR1を横断し、左側を歩く。 上り坂の途中で左に旧道。 何故?と思ったら、右手の大長屋の奥に山を開削した跡があり、旧道は山の縁を迂回していたんだね。 合流地点の磐田郵便局の隣りに「さわやかハウス」という名のトイレがあり、用を足すとBGMが流れる。 珍しいので10分休憩。
 右手に遠江国分寺跡。 かなり広い。 古代はどんな建物が建っていたんだろう? 旧道に戻る途中、礎石をくり抜いて作ったという手洗石を見て「もったいない」と思うのはおらだけか?
 はす向かいに天平年間(729〜48)遠江国司として赴任した桜井王が建立したという府八幡宮。 こちらもかなり広い。 寛永十二年(1635)に建立された楼門は県指定文化財。

 磐田駅前交.の1つ手前の交差点右手の本多屋前に旧東海道道標。 16:45今日の旅はここで終わり。 駅前には銭湯はなく、せわしないけど珍しく一服もしないで16:59沼津行で帰る。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間25分(約3時間15分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間)8時間55分(約6時間15分)
万歩計の歩数(今日1日の歩数)13,642歩(+15,930歩=29,572歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数)12,877歩(+14,824歩=27,701歩)
経費(島田宿〜見付宿分交通費含む)
往路:JR戸塚駅→島田駅2,940円
帰路:JR磐田駅→戸塚駅3,570円

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