とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.36
〜赤坂宿→藤川宿〜
8.8km

画像2003年 9月21日(日)
大橋屋は赤坂宿だけじゃなく東海道を代表する「史跡」で、今も続く旅籠。 現在の建物は約290年前の正徳六年(1716)のもので町指定文化財にもなっている。 セットじゃないよ、ホンモノだよ。

画像


画像
階段から座敷を見下ろす

画像
奥が芭蕉の泊まった部屋

画像
06:25 今日も雨かぁ…

 今回一泊お世話になった大橋屋(音羽町赤坂127紅里/0533-87-2450)はホントの旅籠で慶安二年(1649)創業と古く、当時の屋号は伊右ヱ門鯉屋

 前日の夕食後、TVを観ながらうたた寝をしている19代目のご主人を奇襲して、いろいろ話を伺った。 ありがとうございます。
 伊右ヱ門鯉屋は遊女がいる上旅籠で、「鯉屋」の“鯉”は“生きがイイ”という意味。 以前2階の格子は鯉の彫刻のある欄干だった。 間口9間×奥行き63間で現在の建物よりも広く、2階は旧道側5部屋+宮路山側2部屋=7部屋だったけど、火事で焼けて旧道側の3部屋だけになる。 旧道から見て左側の部屋(当時の5部屋の内の真ん中の部屋)は松尾芭蕉が泊まったそうです。
 またご主人が子供の頃は旧道沿いに水路があり、天然ウナギが捕れたそうです。 今でも結構自然に恵まれた環境だけど、時間を少しさかのぼると古き良き時代が見えてくる。
 『膝栗毛』みたいなアツアツの新婚さんはいない(笑)けど、憧れの芭蕉が泊まった部屋で寝るなんてコーフンするなぁ。

 さて朝起きると今日も雨…。 天気予報では前日より気温が下がるというし、靴は濡れたまま。 楽しいはずの旧道歩きが“苦行”になってしまうので断念することになりました。 翌日には台風15号が上陸するという状況で、週間予報では晴れだったけど、無茶だったかなぁ? 宿泊ノートに“とらぞう”名義で「残念」と記す。
 朝7時出発予定で朝食抜きの宿泊だったので、グッタリと豊橋駅ビル「カルミア」のフラマグ茶屋豊橋店で朝食。 昼頃に戸塚駅着。 車内の冷房が寒く、体が冷え切ってしまったので近所のスーパーでカップ麺を買って帰宅(悲)。

ΔTOP

経費(吉田宿〜赤坂宿分交通費含む)
往路:JR戸塚駅→豊橋駅
往路:豊鉄市内線駅前駅→札木駅
4,620円
150円
帰路:名鉄名古屋本線名電赤坂駅→豊橋駅
帰路:JR豊橋駅→戸塚駅
340円
4,620円
大橋屋宿泊料(朝食抜き)9,450円

画像2004年 2月28日(土)
当時は本陣が3軒もあり、意外と大きな宿場の赤坂宿。 吉田宿・御油宿・赤坂宿の3宿は旅籠の数がほぼ同数なのでビックリ。 現在の赤坂はというと、名電赤坂駅から見渡せばのどかな里山の風景。

画像

画像
07:00 尾崎屋の軒行燈

画像
07:25 杉森八幡社夫婦楠

画像
07:55 長沢一里塚跡

画像
08:25 山口の家並み

画像
08:40 意外と賑やかR1

画像
09:00 間の宿・本宿記念碑

画像
09:20 近藤勇胸像

画像
09:45 本宿一里塚跡

画像
09:55 本宿の松並木

画像
10:55 山中八幡宮

画像
11:10 鳩ヶ窟で危機一髪

 今回の赤坂宿リベンジの旅は高速バスを利用して、まだ暗いうちに豊橋駅前に到着。 6:26名電赤坂駅に到着して待合室で朝食。 バス内では思ったよりも寝られず、徹夜明けの時のように胃の調子が悪い。 今日の最低気温が0℃なので霜が降りている。
 路地裏を歩くと関川神社に出て、7:05大橋屋前から出発。

 大橋屋右側に赤坂陣屋入口址。 右手に高札場跡。 左手に平成十四年(2002)オープンの音羽町立赤坂休憩所よらまいかんがあり、正面にデカい赤坂宿石柱。 右側に赤坂陣屋跡三河県役所跡。 並びには格子戸のある民家にオブジェが並ぶ…イタズラされないの? 右手に見附跡。 はす向かいに十王堂跡
 音羽中の手前で、右手の杉森八幡社を見過ごしたことに気付いて道を戻る。 境内にはデッカいクスノキ夫婦楠。 案内板の樹齢年月が消されてホントの樹齢が分からない。 奥には赤坂の舞台

 旧道に戻ると右手に音羽中学校。 通学路のためか歩道があり、植え込みには平成十一年(1999)に東海道ネットワークの会が植樹した若い松。 左手栄善寺の参道は平安様式という自然石の石段で、崩れ具合に趣があってイイ。 並びの八王子神社の入口に寛政十二年(1800)製の常夜灯
 八王子橋を渡り三河湾オレンジロードをくぐると、左手の田んぼをバックにポツンと長沢一里塚跡。 この付近はのどかで田植え後の新緑や紅葉の風景がキレイだろうね。

 右手の長沢小学校を過ぎると旧道の道幅が狭くなり、歩道がなくなる。 8:10トイレがあるので右手の誓林寺で10分休憩。
 寛政十年(1798)製の常夜灯を過ぎると、格子戸の民家が残る山口の家並み。 右手の畑の中に観音堂跡磯丸歌碑。 関屋交.でR1に合流しそうになるけど、千束川沿いに旧道が残る。

 いよいよR1に合流して左側の歩道を歩く。 山間で寂しい風景を想像していたけど、R1の右側には名鉄名古屋本線、東名高速道路と並んでいて、ひっきりなしに車・トラック・電車が走るので全然寂しくない。 そして歩道には何と!歩行者用とは別に農作業車専用道があるので、耕作時期なるともっと賑やか。
 左手のドライブインまんぷく茶屋Pに貝の化石いっぱいの岩石が置いてある。 道路工事の時に出てきたものなのか?

 本宿町深田交.に間の宿・本宿記念碑。 案内板によると、ここは長沢村境四ッ谷で峠の立場。 ここから岡崎市。
 途中R1に合流する道路があるのでその先を見たら、新箱根入口交.右側に続きの道路があるので、旧道が蛇行しているんだね。 9:05蛇行している右側から道路が合流してきて左に旧道。 右手に「左東海道 右国道一号」と東海道ルネッサンス道標

 旧道らしい風景に変わり、左手に徳川家康ゆかりの寺で行基の開基と伝えられる法蔵寺。 境内左手の斜面に近藤勇首塚。 慶応四年(1868)板橋の刑場で斬首され、三条大橋で晒された後埋葬された。 うっかり首塚を撮らずに隣の近藤勇胸像だけ撮って満足してしまった。 ガクッ。 向かいに松平一族の墓もあり、右から2番目が家康の父・松平広忠の墓。
 帰り際おじさんが話しかけてきて、パンフをくれると言うので待っていたら、NHK大河ドラマ「新撰組!」の影響で来訪者急増のためなくなってしまったそうだ。 ガクッ。 首塚だったらエンディングで紹介されるはずなので、タップリ用意しておかないと。
 本堂右手には市指定天然記念物のイヌマキ、家康手植えのヤマザクラ(でも二代目)。 門前には立場があったそうだ。

 左手に本宿陣屋跡と奥にある富田病院に代官屋敷跡。 右手に1本ポツンと。 そして寛政十年(1798)製の常夜灯。 左手に欣浄寺十王堂跡と続き、右手に本宿一里塚跡

 十字路を過ぎると左手に1本。 本宿駅前の住宅街なのに格子戸のある古い民家がよく残っている。 左手に宇都野龍碩邸跡&長屋門。 本宿の松並木を通って本宿町沢渡交.でR1に合流。 交差点脇に本宿村案内板。 本宿は宿場ではないけど「国道一号本宿地区東海道ルネッサンス事業委員会」「郷土史本宿研究会」の案内板が充実していて楽しく歩けた。
 しばらくR1の歩道歩き。 途中地下道で右側に移動。 しばらくすると階段を下りて右に旧道。 ほどよい道幅で静か。 10:20十字路右手に踏切があり、無人駅の名電山中駅で20分休憩。 またもホームで、朝食べきれなかったパンの残りを食べる。
 駅を過ぎると民家が減り、下り坂になると松が2本のプチ並木。 旧道は右にカーブして、舞木橋を過ぎると左側に松並木

 舞木町西交.でR1と合流すると、向かいの田んぼの中にデッカい常夜灯。 さすが岡崎市だけに、本日2つ目となる徳川家康ゆかりの山中八幡宮の参道で、ちょっと寄り道。
 常夜灯を右折すると、市指定天然記念物のヒメハルゼミ生息地で、鬱蒼とした社叢の中央に赤い鳥居。 鳥居には注連縄がしてあり、手入れがイイと思ったらPP紐の加工品なのでビックリ。 境内には市指定天然記念物で市内第2の大きさというクスノキ。 石段を上ると、社殿の左手に束ねたように生えている御開運竹
 後ろの小道を進むと、家康が永禄六年(1563)一向一揆の時に隠れて難を逃れたという鳩ヶ窟。 家康が源氏の子孫と言い張っていたので、源頼朝が石橋山の合戦で洞窟に隠れて難を逃れた故事にあやかったのでは?と、喜多さんと意見が一致。

 約25分の寄り道でR1に戻ると右手に名鉄舞木検車場。 市場町交.を過ぎると左に旧道。 又のところに藤川宿道標市場村案内板。 11:30旧道を進むと正面に藤川宿東棒鼻跡。 赤坂宿の旅はここで終点。

ΔTOP

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間25分(約3時間55分)
万歩計の歩数17,951歩
喜多さんの歩数17,338歩

<<前のページに戻るΔTOP

Vol.35 御油宿 2001年夢中の旅 MENU Vol.37 藤川宿

Copyright (C) 2004 TORAZOU, All Rights Reserved.