2003年 9月21日(日) |
階段から座敷を見下ろす
| 今回一泊お世話になった大橋屋(音羽町赤坂127紅里/0533-87-2450)はホントの旅籠で慶安二年(1649)創業と古く、当時の屋号は伊右ヱ門鯉屋。
前日の夕食後、TVを観ながらうたた寝をしている19代目のご主人を奇襲して、いろいろ話を伺った。 ありがとうございます。
さて朝起きると今日も雨…。 天気予報では前日より気温が下がるというし、靴は濡れたまま。 楽しいはずの旧道歩きが“苦行”になってしまうので断念することになりました。 翌日には台風15号が上陸するという状況で、週間予報では晴れだったけど、無茶だったかなぁ? 宿泊ノートに“とらぞう”名義で「残念」と記す。 |
経費(吉田宿〜赤坂宿分交通費含む) | |
往路:JR戸塚駅→豊橋駅 往路:豊鉄市内線駅前駅→札木駅 | 4,620円 150円 |
帰路:名鉄名古屋本線名電赤坂駅→豊橋駅 帰路:JR豊橋駅→戸塚駅 | 340円 4,620円 |
大橋屋宿泊料(朝食抜き) | 9,450円 |
2004年 2月28日(土) 当時は本陣が3軒もあり、意外と大きな宿場の赤坂宿。 吉田宿・御油宿・赤坂宿の3宿は旅籠の数がほぼ同数なのでビックリ。 現在の赤坂はというと、名電赤坂駅から見渡せばのどかな里山の風景。
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07:00 尾崎屋の軒行燈
| 今回の赤坂宿リベンジの旅は高速バスを利用して、まだ暗いうちに豊橋駅前に到着。 6:26名電赤坂駅に到着して待合室で朝食。 バス内では思ったよりも寝られず、徹夜明けの時のように胃の調子が悪い。 今日の最低気温が0℃なので霜が降りている。 路地裏を歩くと関川神社に出て、7:05大橋屋前から出発。
大橋屋右側に赤坂陣屋入口址。 右手に高札場跡。 左手に平成十四年(2002)オープンの音羽町立赤坂休憩所よらまいかんがあり、正面にデカい赤坂宿石柱。 右側に赤坂陣屋跡&三河県役所跡。 並びには格子戸のある民家にオブジェが並ぶ…イタズラされないの? 右手に見附跡。 はす向かいに十王堂跡。
旧道に戻ると右手に音羽中学校。 通学路のためか歩道があり、植え込みには平成十一年(1999)に東海道ネットワークの会が植樹した若い松。 左手栄善寺の参道は平安様式という自然石の石段で、崩れ具合に趣があってイイ。 並びの八王子神社の入口に寛政十二年(1800)製の常夜灯。
右手の長沢小学校を過ぎると旧道の道幅が狭くなり、歩道がなくなる。 8:10トイレがあるので右手の誓林寺で10分休憩。
いよいよR1に合流して左側の歩道を歩く。 山間で寂しい風景を想像していたけど、R1の右側には名鉄名古屋本線、東名高速道路と並んでいて、ひっきりなしに車・トラック・電車が走るので全然寂しくない。 そして歩道には何と!歩行者用とは別に農作業車専用道があるので、耕作時期なるともっと賑やか。
本宿町深田交.に間の宿・本宿記念碑。 案内板によると、ここは長沢村境四ッ谷で峠の立場。 ここから岡崎市。
旧道らしい風景に変わり、左手に徳川家康ゆかりの寺で行基の開基と伝えられる法蔵寺。 境内左手の斜面に近藤勇首塚。 慶応四年(1868)板橋の刑場で斬首され、三条大橋で晒された後埋葬された。 うっかり首塚を撮らずに隣の近藤勇胸像だけ撮って満足してしまった。 ガクッ。 向かいに松平一族の墓もあり、右から2番目が家康の父・松平広忠の墓。 左手に本宿陣屋跡と奥にある富田病院に代官屋敷跡。 右手に1本ポツンと松。 そして寛政十年(1798)製の常夜灯。 左手に欣浄寺、十王堂跡と続き、右手に本宿一里塚跡。
十字路を過ぎると左手に1本松。 本宿駅前の住宅街なのに格子戸のある古い民家がよく残っている。 左手に宇都野龍碩邸跡&長屋門。 本宿の松並木を通って本宿町沢渡交.でR1に合流。 交差点脇に本宿村案内板。 本宿は宿場ではないけど「国道一号本宿地区東海道ルネッサンス事業委員会」「郷土史本宿研究会」の案内板が充実していて楽しく歩けた。
舞木町西交.でR1と合流すると、向かいの田んぼの中にデッカい常夜灯。 さすが岡崎市だけに、本日2つ目となる徳川家康ゆかりの山中八幡宮の参道で、ちょっと寄り道。 約25分の寄り道でR1に戻ると右手に名鉄舞木検車場。 市場町交.を過ぎると左に旧道。 又のところに藤川宿道標と市場村案内板。 11:30旧道を進むと正面に藤川宿東棒鼻跡。 赤坂宿の旅はここで終点。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 4時間25分(約3時間55分) |
万歩計の歩数 | 17,951歩 |
喜多さんの歩数 | 17,338歩 |
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