2004年 9月11日(土) 地図では分からなかったけど、亀山宿は坂の街。 高台に建つ亀山城は遠くからも見えて、“天空の城”だったろうね。 正保年間(1644〜47)に築かれた多門櫓は、県内で唯一残る城郭建造物として三重県史跡。
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06:00 鈴鹿の峰々
| 3ヶ月ぶりの東海道。 こんなに空ける予定はなかったんだけど、7月は台風10号、8月も雨で中止(泣)。 名前も「あめぞう」となって、青春18きっぷを使うために用意していたムーンライトながら号の指定席券は、全部売る羽目になってしまった(辛)。
今回は高速バスで、5:40関バスセンター着。 夜からの雨は何とか止んでくれたので、ホッ。 準備体操をしてから、R25「名阪国道」をくぐって坂を下ると、遠くにシャープ屋の工場。 左手には鈴鹿の峰々。 “廃線跡”をくぐり木崎町交.を進むと上り坂…。
慌ててR1に戻り、関駅に向かうと右手にミニストップ茶屋。 関駅の始発は6:48なので、一転してのんびり朝食。
R1を歩道橋で超えて丁字路を左折すると川合の集落。 右手に法悦の題目塔。 左手に市指定文化財で元禄三年(1690)製の和田の道標。 ここが城下町へ進む神戸道との追分だった。
緩やかに上り坂。 右手に延暦十五年(796)新熊野三社の神宮寺として開創されたという石上寺。 今は開削してあるけど、山深い寺だったと思う。 紙本墨書石上寺文書が県指定文化財。
少し進むと打田釣具店屋に茶屋町さかんや跡。 まだ見附の手前だけど、もう宿場が始まっていて、軒先に屋号が吊されている。 城の形をした衣城しもむら屋に鍋町さかなや跡。 格子戸の民家が点在する東新町の家並み。
東町商店街ではアーケードの柱に屋号が掲げられていて、民芸店ま〜ちゃん屋に椿屋脇本陣跡。 店名が分からないけどシャープの店に樋口本陣跡。 東町の問屋場跡が見つからなかったけど、信号のある交差点で山形屋酒店屋に高札場跡。
8:50宿場の家並みを開削して造られたと思われる十字路に出る。 右折してちょっと寄り道。 バス通り右側の池が池の側で、左手に3本ある松並木は1本枯れて茶色くなっている。
9:10旧道に戻ると左手に西町問屋場跡。 民家を眺めながら進むと西谷家に「とんや場跡」。 東町は本陣の樋口家、西町は若林家が問屋業務を担当していたそうだけど、たまたまご主人がいたので尋ねてみると、この場所が問屋場跡だそうです。
西新町でカラー舗装が終わり、右カーブして突き当たりを左折。 大きな枡形。 ここから下り坂となり右手に京口門跡。 寛文十二年(1672)に築かれ、広重の「亀山」はこの場所。
格子戸の民家が点在する野村の家並み。 左手のヤマザキショップ茶屋で飲物を買うと、並びに本堂が建設中の慈恩寺。 国指定重要文化財の木造阿弥陀如来立像は亀山市歴史博物館に預けられているそうで、代わりに薬師如来を撮影。 平地なので忘れていたけど、高台を歩いているので左手の鈴鹿川沿いの田んぼが一望できる。 丁字路を右に旧道。 東海道の案内がなかったら、気がつかないで真っ直ぐ進むところだった。 ありがたい布気の集落。 左手の布気神社は式内社だけに結構デカく、常夜灯が並ぶ参道も長い。 この付近は立場だったそうで、神社のはす向かいに道心坊能古茶屋跡があり、芭蕉も立ち寄っている。
転げ落ちるような急な下り坂を進んで、JR関西本線跨線橋を渡ると直線の大岡寺畷で桜並木。 この先のR25「名阪国道」隣を走る東名阪自動車道・亀山ICと伊勢自動車道・伊勢関ICを結ぶ高架橋工事のためか警備員が所々に立っている。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 3時間25分(約3時間) |
万歩計の歩数 | 15,106歩 |
喜多さんの歩数 | 13,512歩 |
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