とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.45
〜庄野宿→亀山宿〜
7.8km

画像2004年 6月 6日(日)
庄野宿は石薬師宿よりも遅い寛永元年(1624)に設置された。 伊勢参りの旅人が通らない場所なのに、何故か2つの宿は近すぎ! 広重の版画は傑作の1枚だけど、宿場は本陣1軒・旅籠15軒でやはり小規模。

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11:40 しっとりと庄野宿

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11:45 庄野宿資料館

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12:15 川俣神社の長老

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12:35 女人堤防の碑

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12:40 中冨田一里塚跡

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12:50 麦だ!麦だ!麦だ!

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13:30 手打街道そば

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14:00 “跡”のモニュメント

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14:00 何本あるのか?親柱

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14:15 名残の松“跡”

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日永のなが餅でホッ

 やっと雨が止む。 広重の庄野宿はタイトルが『白雨』なのでちょうどヨカッタかも? しかし周りが濡れているので座る場所がなく、立って休憩…休んだ気がしない。 11:40庄野宿石標を出発。

 左手に市指定文化財の庄野宿資料館。 油問屋を営んでいたという小林家住宅を改装して平成十年(1998)から開放している。 展示してある高札は近くで見るとかなりデカい。 文字が浮き上がっているので彫ってあるのかと思って「スゴい技術」だと唸っていたら、ニカワで書いてあるので浮き上がっているんだって。
 係の人に「横浜から来て、桑名宿から歩いてきた」と自慢したら、三重県作成のウォーキング・マップをいただいた。 「数が少ない」そうなのでありがたいことです。 約20分の見学。

 右手の倉田家に問屋場跡、集会所に本陣跡高札場跡、美濃部家に脇本陣跡郷会所跡など案内板が充実している。 宿場をはずれて通るR1は4車線と広いおかげで、宿場が抜け道にならずにひっそりと残っているんだね。
 右手の川俣神社境内に県指定天然記念物のスダジイ。 宿場が小っちゃくて、12:20もう西のはずれで庄野宿石標

 汲川原交.でR1を横断。 左側に渡ると旧道が一部廃道になっている。 田んぼの中に汲川原の集落。 宿場らしい格子戸のある家並みから、農家の瓦屋根が目立つ家並みの対比が面白い。
 左手に女人堤防の碑。 神戸藩から禁止されていた堤防造りを、夜間コッソリと女性だけで完成させた記念碑。 向かいに山の神。 集落の外れのためか?石仏がまとめて置いてある。

 左手に2社目の川俣神社。 本殿が旧道に背中を向けて、そっぽを向いている。 鳥居右側には、平成十三年(2001)に建立された中冨田一里塚跡領界石がセットで並んでいる。 案内板によると、一里塚&「従是西亀山領」と彫られている領界石はもう少し庄野宿寄りにあったとある。
 冨田の読みは間の宿・富田と同じ「とみだ」だけど、四日市市富田が「ウ冠」で鈴鹿市冨田が「ワ冠」なのは、何故なのか思い浮カンばないし、難しくて分カンない。 …。

 緑の中に黄金色の稲穂。 麦だ! 普段麦酒を愛飲しているのに麦の穂を生で見るのは初めて。 緑と黄のコントラストがキレイ。 西冨田の集落は小っちゃい道標が点在している。
 13:00安楽川にぶつかると左手に3社目の川俣神社。 境内に和泉橋親柱、神戸城主織田信孝が愛飲したという無上冷水井跡、そして緯度経度標柱。 「北緯34度52分14秒・東経136度30分25秒」とあるけど、何のための石柱?
 やはり気になるのは本殿の向き。 この社も本殿が旧道に背中を向けている。 当時より下流に架けられている現在の和泉橋から振り返ると、川俣神社がこちらに向いている! 後日調べたら、向いているのは鈴鹿川と安楽川が合流する“川の俣”。 生け贄を出さないで、川俣神社が氾濫源を抑えているんだね。

 和泉橋を渡ると左手に2本。 向かいの公民館に和泉橋親柱。 13:10並びにうお徳(和泉町12-1)茶屋。 昼食だ!ラッキー! 今日は食べる場所がないと思って非常食のパンを買っておいたけど、思いがけず「手打街道そば」(750円)が食べられた\(^o^)/。
 来客ノートに記帳してご主人・女将さんと世間話。 2001年は旅人が多かったけど今は大分減ったそうです。 場所柄東海道を歩く旅人がよく来店するんだって。 とらぞうのお薦め! 45分休憩。

 13:55スタートすると緩やかな上り坂で、高台から遠くの田んぼが見える。 和泉の集落も小っちゃい道標が点在している。
 右手に地福寺。 その手前に観音堂…あれ?お堂はなく、平成九年(1997)製のモニュメントしかなくて、もう“跡”になっている。
 庄野宿資料館でいただいたマップにはお堂の写真が載っているので、火事で焼けたのか?と思って、後日発行元の県に問い合わせたら、平成七年(1995)に老朽化のために取り壊したそうです。

 やはり気になるのは“跡”右側にある和泉橋親柱! 旧和泉橋の親柱3本をそれぞれ3ヶ所で発見しているので、最後の1本がどこにあるのか気になる。 後日調べたら、「旧東海道夫婦旅」のサイト内に「西冨田一里塚跡の台座」とある。 全然気がつかなかったのでビックリ。 親柱4本の場所が分かってスッキリ。

 坂を下って車道と合流。 松並木の代わりのガクアジサイを横目に、関西本線海善寺踏切を渡ると亀山市。 “本線”というのに単線なのでビックリ。 2車線の道が急に旧道の幅となり、右手に屋根の壊れた地蔵堂。 道幅が元に戻ると左手に井田川駅。
 駅を過ぎると左手に名残の松…あれ?ない! 1本松を今日の終点にしようと思っていたのに…ない! 14:15不本意ながら、はす向かいの旧井田川小学校跡で今日の旅は終わり。
 呆然としていたらおばさんが歩いてくるので尋ねてみると、名残の松は「2年前の暑い夏」に枯れてしまったそうです(T-T)。 松の写真もマップに載っていたので観音堂の件と一緒に問い合わせしたんだけど、平成十四年(2002)12月に伐採!だって…。 合掌。

 関西本線が単線でビックリしたばかりだけど、井田川駅も無人駅なのでビックリ! 電車も昼間は1時間に1本で、14:55まで電車がない。 先に進んで亀山駅まで行っておけばヨカッタと思いながらも、最初の予定より遠くまで歩けたので良しとする。 今回は初日の名古屋駅から電車の時間待ちが多い旅だった。
 16:33のこだま。 車内で昨日お土産に買った「なが餅」をつまみ食い。 最近の傾向として帰宅時間がだんだん遅くなっていたけど、今回は20時台なので翌日が楽。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)2時間35分(約1時間55分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間)6時間 5分(約4時間35分)
万歩計の歩数(今日1日の歩数)7,729歩(+14,291歩=22,020歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数)7,775歩(+13,394歩=21,169歩)
経費(桑名宿〜庄野宿分交通費含む)
往路:JR戸塚駅→横浜駅
往路:京急バス横浜駅東口→名古屋駅前
往路:JR関西本線名古屋駅→桑名駅
210円
5,750円
330円
帰路:JR関西本線井田川駅→JR戸塚駅
帰路:新幹線自由席特急券名古屋駅→小田原駅
6,300円
3,250円

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