とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.49
〜土山宿→水口宿〜
10.5km

画像2004年 9月12日(日)
鈴鹿馬子唄で「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と歌われるけど、午後から晴れてイイ天気。 土山町は東海道に力が入っていて、間の宿猪鼻から水口町境まで民家に屋号が掲げてある。 拍手。

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11:15 緑色の土山茶うどん

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イイね!土山宿の家並み

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11:50 土山一里塚跡

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12:10 土山宿ジオラマ

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12:25 土山本陣跡

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12:35 常明寺のシイノキ

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12:45 御代参街道道標

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12:55 松尾の渡し跡

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13:30 垂水斎王頓宮跡

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14:10 反野畷の松並木

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15:10 今在家一里塚跡

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15:50 水口宿東見附跡

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16:00 高札場跡を左

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16:20 合流地点の三筋の辻

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おはじき? NO!蟹が坂飴

 今日の道中は食べる所が少なそうなので、ちょっと早いけど道の駅あいの土山で昼食。 メニューの写真を見て“お茶漬けうどん”だと思っていたら、麺が緑色の土山茶うどん(500円)。 さすが関西系の味で、見た目よりもつゆが美味いので侮れない。
 蟹が坂飴土山茶を持ってレジに並んだら、駅長自らレジ打ちしている。 おらの首から提げている青いデジカメに興味を示しているので、「旧東海道を歩いている」と自慢したら(笑)、近江歴史回廊のガイド・マップをいただいた。 ありがとうございます。

 45分の休憩で11:35出発。 旧道はすぐに右に折れて、デカい案内板から土山宿の始まり。 R1が宿場を逸れたおかげで格子戸の民家が多く、宿場町らしい家並みになっている。
 関宿のように新しい建物まで和風に造り替えた家並みもイイけど、土山宿のように新しい建物が続く家並みの中に、格子戸の民家が混じっているのも、現代としては自然でリアリティがあってイイ感じ。 しかも土山宿は「旅籠跡」にまで石柱が建っている。 宿場によっては本陣跡でさえ場所が分からないのに親切だ。
 「東海道一人旅」で人気1位というのはうなずける。 できる限り今の状態を残してほしいね。

 右手の民家の玄関先に土山一里塚跡。 左手の白川神社でトイレを拝借。 承応三年(1654)に復興された土山祇園祭花傘神事が県選択無形民俗文化財となっている。

 旅籠跡が固まって、賑やかだったと思われる場所に森白仙終焉の地。 並びに二階屋脇本陣跡。 向かいが東海道伝馬館
 入口に問屋場のセットがあるけど、何故?問屋場って腰掛けられないほど床が高いんだろう? 入ってみると切り絵・盆景など、ひと味違う展示物が飾ってあり、別棟の蔵には大名行列のミニチュアがある。 20分の見学で土山宿ガイド・マップをGET。

 旧道に戻ると、右手に問屋場跡・成道学校跡。 並びに問屋宅跡。 そして、寛永十一年(1634徳川家光上洛の際に設置された土山本陣跡。 明治元年(1868明治天皇が東幸の際、土山本陣で誕生日を迎え、第1回天長節が行われた。
 さらに、土山本陣の控本陣として指定され、何故か?鳥居のある大黒屋本陣跡高札場跡。 向かいは天和三年(1683)に設置された陣屋跡。 御役町らしく、宿の重要施設でいっぱい。

 左手に常明寺。 和銅年間(708〜714)の建立とされ、正平四年/貞和五年(1349)京都の鈍翁了愚が再興した古刹で、デッカいシイノキが目立つ。 寺蔵の大般若経27帖が、和銅五年(712長屋王願経の写経として国宝となっている。
 並びの食料品店阿波屋は、江戸時代から「阿波屋」のままで営業している! ぜひ「創業○○年」と宣伝してほしい。

 南土山交.でカラー舗装は終わり。 R1を横切ると、多賀大社へ向かう御代参街道との追分で、道標が建っている。 R1左手には旅籠つる屋跡。 まだまだ土山宿は終わっていないんだね。

 右手に旧道。 十字路に案内板。 この先行き止まりなので「左折してR1へ」とあるけど、おらたちは行ける所まで行く! 変電所・材木工場を抜けると下り坂となり、お地蔵さまを横目に野洲川。
 松尾の渡し跡の目印になる物はなく、川幅が広いのでヤスヤスとは渡れない。 …。 ふと見ると川沿いにあぜ道があるので、R1に出られるかな〜?と探検したけど、途中で途切れてしまった。 ガックリと十字路まで戻って、味気なく10分休憩。
 R1に合流。 13:20GS(シェル)と東海モータース屋の間を左に進むと歌声橋。 渡しのあった場所は川原だったけど、こちらは谷になっている。 野洲川右岸の旧道を割愛して旧東海道に合流すると、合流地点に立派な案内板が! ちょっと複雑な心境…。 たった今歩いてきた道は明治十三年(1880)に開かれた東海道新道

 右手の路地を折れてR1に出ると、向かいの茶畑に斎王頓宮跡の石柱。 R1は交通量が多くてなかなか渡れない。 茶畑の中を進むと、こんもりとした杜が国指定史跡垂水斎王頓宮跡。 伊勢神宮まで群行する斎王が宿泊した仮宮で、神社のようで神社でない。

 ここからはもう何もないと思っていたら、屋号を掲げる民家があるので、まだ土山宿。 左手に国選択無形民俗文化財の「ケンケト踊り」が珍しい瀧樹神社。 そして垂水頓宮御殿跡、右手に市場一里塚跡、元禄十六年(1703)に完成した大日川堀割と続く。
 大日川橋を渡ると久しぶりの松並木。 新しい松だけど、やっぱりここで休憩でしょ、と15分休憩。 喜多さんが団子をくれた。
 長〜いあぜ道反野畷を進んで、14:40大野交.の歩道橋でR1を横断。 まだ屋号を掲げる民家がある!ので、まだまだ土山宿!ってゆーか、間の宿・大野で焼き鳥が名物だった。

 大野西交.から水口町となり、屋号を掲げる民家とお別れ。 R1を渡ると旧R1のK549。 GS(モービル)の角を右に上ると旧道。 左手に今在家一里塚跡。 当時塚の上に桜が植えられていたそうで、ベンチがあるので休憩したいけど、ちょうど飲物がなくなってしまったので、スルーして自販機を探す。
 “教科書”では「真っ直ぐ」進むことになっているけど、道の駅でいただいたマップでは一里塚跡がある角を左折しているので、つい県道に下りてしまった。 今まで道が違っていても“教科書”通りに進んでいたのに…でも、すぐに「真っ直ぐ」の道と合流。
 また蛇行する旧道を右に進んで県道に合流すると、やっと左手に商店が! 自販機でPET茶を買う。 右側の歩道に戻ると右に旧道なんだけど、15:25旧道の付け根にある岩神社で10分休憩。

 三叉路を右に進むと上り坂。 秋葉北交.・山川橋を渡って、また坂を上ると右手に東見附跡

 久しぶりにカメラの容量がピンチ! 家並みの風景がイイ感じなんだけど、左手の、明治二年(1869)東京へ戻る明治天皇の宿泊を最後に、元和元年(1615)から続く本陣の歴史を閉じた鵜飼本陣跡や、旧東海道がフォークのように3本に分かれる三筋の通りや、叉の所にある高札場跡も撮らなくちゃいけないので、今まで撮った写真を間引して(涙)、空きを増やして撮る!撮る!撮る!
 次の二叉を右に進むと三筋の通りの“中道”=本水口商店街で、左手に問屋場跡。 そして、右手のからくり時計を横目にアーケードがある本町商店街…シャッター街なので寂しい。
 途中に信号のない横断歩道があるけど、車道は抜け道になっているようで交通量が多い。 横断歩道の両側に歩行者が数人ずつ立っているのに、なかなか車が停まってくれない…。 細かいことをいうと、道路交通法第38条「横断歩道等における歩行者等の優先」違反で、3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金に相当するんだけど…。 仕方がないので、手を挙げながら道路に飛び出して車に停まってもらった。 この煩わしさがシャッター街になる原因の1つでしょ。 よい子は真似しないで!
 ドライバーの交通マナー向上を期待したいけど、歩行者が安心して横断歩道を渡れるように、早く信号を設置してほしい。 え?お…おらの交通マナーはどうなのかって?…う〜む、GOOD JOB(汗)。 もう「水口町」では間に合わないけど、来月甲賀市になったら、最初に“イイ仕事”してほしいね〜。

 三筋の通りの合流地点三筋の辻からくり時計。 16:20水口石橋駅の手前、駅名の由来になっている石橋が本日の終点。

 フォーク道の“南道”を戻って、清水湯(本町2-5-10/16:00-22:00/水曜定休)で一風呂浴びてから、水口石橋駅17:23出発の貴生川行に乗る。 帰りは川崎から東海道を歩きに来たという旅人、S夫妻と一緒になって、旅は道連れ。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間45分(約4時間10分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間)8時間30分(約7時間)
万歩計の歩数(今日1日の歩数)22,582歩(+13,735歩=36,317歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数)21,191歩(+12,574歩=33,765歩)
経費(亀山宿〜土山宿分交通費含む)
往路:JR戸塚駅→横浜駅
往路:三交バス横浜駅東口→関バスセンター
往路:JR関西本線関駅→井田川駅
210円
6,620円
230円
帰路:近江鉄道水口石橋駅→貴生川駅
帰路:JR草津線貴生川駅→京都駅→JR戸塚駅
帰路:新幹線指定席特急券京都駅→新横浜駅
230円
8,320円
5,220円
清水湯入浴料355円

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