2004年10月10日(日)
広重が描いたかんぴょうは水口宿の特産品。 大岡山にあった岡山城主長束正家が作らせ、江戸時代に下野国壬生藩に伝わったそうだ。 かんぴょう干しは初夏の風物詩というので、季節を選ばないと見られない。
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07:30 ひっそりと大岡寺
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台風22号が来ていたけど、上陸後に素早く去ってくれたので出かけることができた。 5:30約1ヶ月ぶりの関バスセンター。 薄暗い中進むと、突き当たりを左折したら右手に鈴鹿駅家跡! 前回気がつかなかった。 ミニストップ茶屋に寄ってから6:13関駅出発。 前回土山町・水口町を歩いたのは市町村合併前だったけど、今回は甲賀市が誕生して10日目なので、甲南駅に「祝甲賀市」と電飾が飾ってある。 お祝いムードに触れて、歩く前からテンションが上がってくる。 でも貴生川駅北口には祝いの看板がなかった…ガクッ。 水口駅にもなかった…ガクッ。 いきなりの寄り道で古城山(大岡山)を回って大岡寺。 白鳳十四年(686)行基によって大岡山山頂に創建され、享保元年(1716)現在地に再建された古刹。 木造千手観音立像・木造阿弥陀如来立像が国指定重要文化財だけど、本堂の屋根が塗炭なので寂しい…。 そんなことより芭蕉句碑を撮り忘れてしまった…ガクッ。 元町歩道橋から路地に入って高札場跡に出る。 前回と同じ道を進むのも何なので、平行に走る三筋の通りを見学。 8:20石橋をスタートして、西水口商店街を進む。 湖東信金両替屋の丁字路を右折して、突き当たりを左折。 城下町らしく枡形を進むと十字路。 ここから寄り道で、南下すると右手に中央公民館。 おお!できたばかりの甲賀市合併記念碑がピカピカ。 並びに県指定史跡水口城。 はじめは寛永十一年(1634)徳川家光上洛の際に設置された御殿だった。 15分の寄り道。
十字路に戻り、道なりに左カーブすると右手の角に水口石。 “教科書”の角を曲がる数が違うので困るけど、右折する。
左折して右折すると、旧道らしくひたすら真っ直ぐの旧東海道。 この付近に西見附があった。 美冨久酒造屋を過ぎると視界が広がり、北脇縄手に若い松並木。 9:05田んぼが広がり、道祖神が点在する風景がイイ感じなので、10分休憩。
泉の集落を過ぎると左手に再び若い松並木。 泉縄手では慶応二年(1866)の検地で、松が南側293本・北側248本あった。 今はまだ小っちゃい松だけど、立派な松並木に育ってね。 旧道に戻ると、正面に県指定史跡横田の渡し跡があり、野洲川が横タわっている。 …。 明治二十四年(1891)板橋の横田橋が架けられるまで、渇水期は土橋、それ以外は舟渡だった。 しかし目立つのは、文政五年(1822)鈴鹿峠と同じく万人講によって建立された町指定文化財横田渡常夜燈。 感心して15分休憩。
泉西交.でR1に合流。 ここから甲賀市と同じく10月1日に誕生した湖南市。 左側を歩いていたら、横田橋には歩道がない! 橋の手前の歩道橋で右側に移らなければならなかったみたい…。 そのまま橋を渡り切って(汗)、階段を下りると正面に三雲駅。
10:35三雲駅に戻る。 田川の立場なので昼食と思っていたけど、まだ早いので先へ進む。 荒川橋を渡ると道標3基。 三雲小学校を過ぎると一里塚跡があるらしいので、ウロウロしたけど見あたらない。 運良く庭仕事をしているおじいさんに尋ねると、「心当たりがある」と言って案内してくれた。 塚の上におじいさんの言う祠「愛宕さん」が載っている。 その向かいには、石柱の跡! これはやっぱり夏見一里塚跡でしょう。 ありがとうございます。 後日湖南市に問い合わせたら、その通りだって! YATTA! 2本目の天井川由良谷川。 右手の新田道道標を横目に、明治十九年(1886)に開通した由良谷川隧道の横を上ると枯川…。 あ!大沙川は水が流れていたのに、弘法杉の撮影に手間取って、川の流れを撮り忘れちゃった。 ガックリと10分休憩。
家棟川橋から甲西駅が見えるので昼食だ! 川沿いに甲西駅に出たけど、駅周辺には食べる店がないので、R1に出てココス茶屋。 帰りに湖南市代官所となった旧甲西町代官所に寄ると、レンガ造りの建物は立派だけど、「祝湖南市」ってなモノはなかった…ガクッ。 みよし酒店屋の角を左折して、うつくし松を見に行く。 杉林を抜けて上り坂を進むと、住宅地のはずれに国指定天然記念物平松のウツクシマツ自生地。 葉っぱを見ると確かに松だけど、幹のない巨木が並ぶ不思議な景観。 森の中を散策すると、湿度が高いようで遊歩道が苔生している。 7人の小人やマッシュルームの王様が出てきそうなおとぎの世界。 車道を隔てた反対側の斜面には生えていないので不思議。(◎o◎) 何故だー? 40分の寄り道。
14:05落合川橋を渡ると左手に石部宿の看板。 並びに立派な屋根が付いている道祖神。 屋根付きのお地蔵さまはよく見かけるけど、大事にされているんだね。 石部中央交.角の道の辺広場に高札場跡。 休憩しようと思ったけど東屋に先客がいたので先を進む。 その先客というのは何と!ももんがさん一行。 ガーン! きっと美味いものを食べていたはずなので、乱入して分けてもらえばヨカッタ(笑)。
石部中央交.を渡ると右手に問屋場跡、並びに三大寺本陣跡。 新しい木製案内板が続いていたけど、本陣跡の案内板はない。 三大寺本陣は寛永五年(1628)から本陣職を242年務めた。 右カーブ、ってゆーか枡形の1つ目の角に田楽茶屋。 休憩だ! ありゃ?お茶や団子を売っているのかと思いきや、日曜日なのに誰もいないので寂しい…。 う〜む、これじゃあ田楽茶屋“跡”じゃん。 ふて腐れて寝っ転がって10分休憩。 吉姫神社とペアになっているという吉御子神社を見学。 茶屋の裏にある長めの参道を進む。 慶応元年(1865)京都上賀茂神社の旧本殿を移築したもので、国指定重要文化財の本殿には入れず、拝殿から眺めると金銀の狛犬が! 森の精に出会って「おまえの狛犬は金?銀?どちらだ?」と尋ねられたら「木の狛犬ですっ!」と言わなければ、全て失ってしまうので気をつけないと…。
枡形を進むと急に夕立! 周りは青空なのに、石部宿の真上だけ真っ黒い雲があったので気になっていたけど、とうとう降り出した。 傘を差したものの、時々激しく降るので民家の軒先で雨宿りする。
15:20右手の石部駅をちょっと過ぎた、若い松並木がある東屋で終点。 あ〜あ、まだ水口宿の巻なのに石部宿が終わってしまった(よくあることだけど…)。
銭湯の帰りに晩食と思って草津駅周辺をウロウロしたけど、飲み屋ばかりで飯屋は少ない。 銭湯の途中にあった箱寿司の宗兵衛(大路2-2-1)に寄る。 普段は昼に出しているモノで、基本の鱧もないというのを無理矢理作ってもらったけど、箱寿司って押し寿司なのね…。 生け簀の鰯がそそられるけど、箱寿司一筋でビール! |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 7時間(約5時間25分) |
万歩計の歩数 | 30,190歩 |
喜多さんの歩数 | 28,316歩 |
経費 | |
草津温泉入浴料 | 350円 |
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