2004年10月24日(日)
いよいよ東海道五十三次最後の宿。 石部・草津・大津の三宿は何故か?茶屋の絵が続いている。 広重だって餅や団子を食べた〜い。 名物を食べた〜い。 清水が噴水のように湧き出る走井は月心寺で見られる。
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07:45 旅籠前のイチョウ
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東海道最後の宿泊は朝食無料の旅籠スーパーホテル(京町3-2-7/077-522-9000)。 おらが初めて利用した時はパンだけだったけど、今はご飯もあるのでご飯党の喜多さんは大喜び。 旅籠を出ると、市指定天然記念物のイチョウが青空に映える。 7:50中央大通りの名もない交差点をスタート。 今日は旧東海道歩きの記念すべき最終日。 澄み渡った青空の下で大津宿を出発できるなんて、感激のあまり大つ、ぶの涙。 …。
左手の徳永用品店屋に明治二十四年(1891)来日中のロシア皇太子ニコライが斬りつけられた大津事件跡。 右手の吉田医院に“旧京町”の標柱。 旧道左側は「京町」だけど、右側は住居表示で「中央」になってしまったので、怒って作ったのかな? 8:05三井寺に寄り道のため東海道を左折しないで、札の辻を起点とする北国海道を進む。 鮒ずしの阪本屋、花登筺誕生之地を横目に突き当たりを右折。 左手の新築の民家にノッポな道標が! 周りの民家も新築で建物が奥まっているので、道を広げるんだね。 旧道の景観が変わってしまうのでもったいない。
琵琶湖疏水に架かる北国橋を渡って、交差点を左折すると大門通り。 左手の桶の中にある子安地蔵を横目に緩やかな上り坂を進むと、正面に三井寺(園城寺)。 「近江八景」の1つ三井の晩鐘で有名だけど、正式名の方がカッコ書き…。
昨日の石山寺のように、境内で一番高い観音堂に上って大津市街と琵琶湖を眺望。 イイ風吹くんだこれが。
9:50札の辻に戻り、1時間45分の寄り道。 左側の歩道を歩く。 路面電車は京阪京津線でフツーの私鉄なんだね。 赤信号で車と一緒になって停まっているのでカワイイ。
JRの跨線橋を渡ると、右手に大正十年(1921)に完成したレンガ造りの新逢坂山トンネル。 歩道では、「東海道一人旅」BBSで話題になったK家のおじいさんと思われる男性が仁王立ちしている! ドキドキしながらすれ違…あれ?声はかけられなかった…。 民家が減って急に山の中の景色。 逢坂一丁目交.でR1に合流すると、車がガンガン走っている。 歩道が左側にしかないけど、次は右手に用があるので右側の路側帯を歩く。 狭い。 大津市街に向かう車がウインカーを出しておらたちに向かって来るのでおっかない。 両側の山が押し迫って壁のようだけど、道の左側には民家が建ち並び、人々の生活が営まれている。 右手に突然常夜灯と関蝉丸神社上社の石柱。 ありゃ、こんな所に信号があるので左側の歩道を歩けばヨカッタ…ガクッ。 スゴく怖かったよぅ。 8月に上陸した台風15号で折れた赤い鳥居がバラされて置かれてある。 境内を掃除しているおじさんと少し会話。 狛犬も倒れた鳥居に倒されたというのでビックリ! 懲りずに右側を歩く(笑)。 カーブの先に歩行者がいるのでドライバーがビックリしているけど、おらもビックリしながら歩いているんだよぅ。 弘法大師堂に寛政六年(1794)製の逢坂常夜灯。 ここから右側にも歩道ができたのでホッ。 峠の頭上には東海自然歩道の逢坂山歩道橋があるので、昔はかなりの急坂だったんだね。 旧道入口に逢坂山関跡&また寛政六年(1794)製の逢坂常夜灯。 いつ頃関が設置されたのかは分からないけど、延暦十四年(795)に廃止されたことがあるので歴史は古い。 しかし案内板がないどころか、故障中の電気工事車両が停まっているので、写真撮るのにジャマ!(T-T) 石垣に腰掛けて10分休憩。
鰻店かねよ茶屋を横目に蝉丸神社。 おや?轍の溝が刻まれた車石が置いてある。 案内板によると、安永八年(1778)には牛車の通行が年間15,894輌もあったそうだ。 箱根の石畳が小田原宿〜三島宿の30数kmも敷き詰められたというのでビックリしたけど、車石も文化二年(1802)大津宿札の辻〜三条大橋の約12kmに敷き詰められたというのでビックリ! 大変な坂道が続くので、車石が敷かれる前は牛もさぞかし大変だったろうね。
旧道部分はすぐ終わり、歩道橋で京津線の線路を渡ってR1に合流。 左側の歩道を歩く。 車輪が立て掛けられている民家。 慶長十七年(1612)から製造を始めた大津算盤の始祖片岡庄兵衛邸跡?で、一里塚の近くで「今一里町」に店があったそうだ。 並びの月心寺で水が湧き出る走井を見学。
狭く大きい谷にR1・京津線・名神高速と交通網が固まって通っているので、赤坂宿〜藤川宿の本宿を思い出す。 名神高速をくぐるとR1の歩道歩きも終わり、交番のある路地を左に旧道。 格子戸の民家が点在する追分の家並み。 右手が崖なので空が広い。 緩やかな下り坂。 右手の閑栖寺に再び車石。 並びのランプ道の塀にあるピカピカの上横木地蔵尊、旧藤尾小学校跡を横目に歩道橋でR1を渡ると、右手に文政五年(1822)製の小関越道標。 こんな所に三井寺の近道があるなんて、逢坂山関の役目は…。
もうすでに京都府だと思っていたら、かいせいドラッグ屋を過ぎた小川でやっと府境。 まだ山科区だけど、いよいよ三条大橋のある京都府。 四宮駅を過ぎると右手に徳林庵。 六角堂の山科廻地蔵は、保元二年(1157)後白河天皇によって京の街道入口6ヵ所に建てられた六角堂に、伏見六地蔵にあった六地蔵を分置したうちの1つ。 六角堂の左側には「伏見六ぢざう」と刻まれた元禄十六年(1703)製の道標、奥の十禅寺に人康親王墓がある。
旅籠ホテルブライトンシティ京都山科の植え込みに明治天皇御遺跡がポツン。 明治元年(1868)と二年(1869)に明治天皇が3回も休んだ奴茶屋跡で、山科は立場だったんだね。 40分の昼休憩で旧道に戻る。 もう一頑張りすれば三条大橋! 左手に宝永四年(1707)製の五条別れ道標。 市登録史跡で「右ハ三条通」と刻まれている。 道が少し蛇行するのがイイね。
ゆるやかな下り坂でF143に合流。 JRの架道橋をくぐると左手の遊歩道に冠木門。 東海道入口? あれ?京津線の線路がない! ここはどこ?おらはだれ? タイミングよく右手に交番があるので、天智天皇陵と東海道の入口を尋ねる。
山科陵から東海道へはF143を渡るんだけど、横断歩道がない。 車を途切れるのを待っていたら、車が道を譲ってくれた! 関西は車の運転が乱暴というイメージがあるけど、親切なドライバーがいるのでウレシい! ありがとうございます! 急な坂道をヘロヘロと上っていたら、左手に亀の水不動があるのでホッ。 日ノ岡峠の改修工事が3年がかりの元文三年(1738)に完了した養阿が営んだ梅香庵跡で、道路管理を兼ねた接待所。 現代のおらたちもありがたく、ここで10分休憩。 あと一頑張りすれば三条大橋! 出発すると左手に「右 明見道」と刻まれた妙見道道標と、隣に「右 かさんいなり道」と刻まれた小っちゃい花山稲荷道道標が並んでいる。 日ノ岡の家並みはイイ感じなんだけど、道が狭いのに抜け道になっているようで交通量が多い。 右手の空き地に旧東海道道標。
F143に合流。 歩道には京津線の軌道跡を拡げてF143が4車線になった記念に、車石や牛車道を模したモニュメントが置かれてある。 合流付近に刑場跡があったらしいので、左手の墓地まで行ったけど見当たらない…ガクッ。
日ノ岡峠には東山ドライブウェイの花鳥橋が架かっていて、大津宿側の逢坂峠のようにかなり開削されている。 橋に上ってみると眺めがイイ。 きっと茶屋があって繁盛していたと思うよ。
蹴上交.を渡ると京の七口の1つ粟田口で、左手の佛光寺本廟入口にノッポな松。 三条神宮道交.左に知恩院、右に平安神宮。 人だけじゃなく店屋も増え、まさに大観光地「京都」。 旧道を歩いている雰囲気じゃない。 おらの居場所を知っているのか?ケータイに到着の確認や踏破祝いのメールが入る。 ありがとうございます。 終点の三条大橋が一歩一歩近づいている。
昨日今日と石山寺や三井寺で散々道草しているけど、京都に入ってから有名な神社仏閣の前を通っているのに、足が勝手に真っ直ぐ進んでしまう。(^_^; かなり緊張してる。(^o^; 信号が青になって、夢に見た三条大橋を渡る。 1歩…2歩…と踏みしめて進むと、弥次喜多像の背中が見える。 14:35━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ゴール!!!! |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 6時間45分(約4時間25分) |
万歩計の歩数 | 25,381歩 |
喜多さんの歩数 | 24,693歩 |
経費 | |
スーパーホテル大津駅前店宿泊料 | 4,980円 |
三井寺入山料 | 500円 |
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