とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.53
〜大津宿→三条大橋〜
11.7km

画像2004年10月24日(日)
いよいよ東海道五十三次最後の宿。 石部・草津・大津の三宿は何故か?茶屋の絵が続いている。 広重だって餅や団子を食べた〜い。 名物を食べた〜い。 清水が噴水のように湧き出る走井は月心寺で見られる。

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07:45 旅籠前のイチョウ

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07:50 煌めき大津賞の民家

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08:15 北国海道の道標

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08:35 金堂で除幕式の準備

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09:05 三井の“朝”鐘?

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09:55 坂の途中に大塚本陣

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10:05 時雨燈籠を撮うろう!

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10:15 逢坂一丁目交差点

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10:20 台風に折られた鳥居

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10:30 開削された逢坂峠

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10:30 正面からは撮れない!

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10:45 レールみたいな車石

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10:55 走井のある月心寺

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11:15 追分の柳緑花紅道標

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11:30 デッカい小関越道

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11:40 徳林庵の六角堂

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12:15 熱々のタンシチュー

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12:50 五条別れ道標

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13:05 天智天皇山科陵

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13:15 路地裏の旧東海道

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13:20 亀の口から井戸水

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13:35 車に気をつけて!

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13:45 旧舗石の車石

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13:50 日ノ岡峠の眺め

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14:25 格子戸の家屋

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14:30 高山彦九郎之像

 東海道最後の宿泊は朝食無料の旅籠スーパーホテル(京町3-2-7/077-522-9000)。 おらが初めて利用した時はパンだけだったけど、今はご飯もあるのでご飯党の喜多さんは大喜び。
 旅籠を出ると、市指定天然記念物のイチョウが青空に映える。 7:50中央大通りの名もない交差点をスタート。 今日は旧東海道歩きの記念すべき最終日。 澄み渡った青空の下で大津宿を出発できるなんて、感激のあまり大つ、ぶの涙。 …。

 左手の徳永用品店屋に明治二十四年(1891)来日中のロシア皇太子ニコライが斬りつけられた大津事件跡。 右手の吉田医院に“旧京町”の標柱。 旧道左側は「京町」だけど、右側は住居表示で「中央」になってしまったので、怒って作ったのかな?
 京町一丁目交.を渡ると札の辻高札場跡。 大津市道路元標もある。 路面電車の線路が複線なのでビックリ!

 8:05三井寺に寄り道のため東海道を左折しないで、札の辻を起点とする北国海道を進む。 鮒ずしの阪本屋花登筺誕生之地を横目に突き当たりを右折。 左手の新築の民家にノッポな道標が! 周りの民家も新築で建物が奥まっているので、道を広げるんだね。 旧道の景観が変わってしまうのでもったいない。

 琵琶湖疏水に架かる北国橋を渡って、交差点を左折すると大門通り。 左手の桶の中にある子安地蔵を横目に緩やかな上り坂を進むと、正面に三井寺(園城寺)。 「近江八景」の1つ三井の晩鐘で有名だけど、正式名の方がカッコ書き…。
 元は大友皇子の皇子大友与多王が父の霊を弔うために創建した氏寺で、朱鳥元年(686天武天皇より「園城」の勅願を賜わったことが園城寺の始まり。 境内には天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われたという霊泉があり、「御井の寺」から「三井寺」と呼ばれるようになった。 慶長四年(1599北政所(ねね)によって建立された金堂が国宝で、その他の国宝や重文などは書ききれないため、詳しくは地元の方にお任せする。(^_^;

 昨日の石山寺のように、境内で一番高い観音堂に上って大津市街と琵琶湖を眺望。 イイ風吹くんだこれが。
 石段を下りて、風月堂(園城寺246)茶屋で三井寺力餅(420円)を食べて20分休憩。 キレイな景色に美味い和菓子。 思いっきり“観光”しているけど、楽しい観光を敢行しよう。 …。(^_^;

 9:50札の辻に戻り、1時間45分の寄り道。 左側の歩道を歩く。 路面電車は京阪京津線でフツーの私鉄なんだね。 赤信号で車と一緒になって停まっているのでカワイイ。
 線路が右に折れると左手に大塚本陣跡明治天皇聖跡碑。 明治元年(1868)明治天皇の東幸&還幸の際に宿泊したとある。 御幸町交.で右側に移動してふと左手を見ると、ありゃ、千寿髪結屋の前にも大津宿本陣跡の大津市案内板がある。

 JRの跨線橋を渡ると、右手に大正十年(1921)に完成したレンガ造りの新逢坂山トンネル。 歩道では、「東海道一人旅」BBSで話題になったK家のおじいさんと思われる男性が仁王立ちしている! ドキドキしながらすれ違…あれ?声はかけられなかった…。
 京津線の踏切の先に、弘仁十三年(822)関明神として創建したと伝えられる関蝉丸神社(下社)。 時雨燈籠の写真を撮うろう! …。 鎌倉時代のものだそうで国指定重要文化財。

 民家が減って急に山の中の景色。 逢坂一丁目交.でR1に合流すると、車がガンガン走っている。 歩道が左側にしかないけど、次は右手に用があるので右側の路側帯を歩く。 狭い。 大津市街に向かう車がウインカーを出しておらたちに向かって来るのでおっかない。 両側の山が押し迫って壁のようだけど、道の左側には民家が建ち並び、人々の生活が営まれている。

 右手に突然常夜灯関蝉丸神社上社の石柱。 ありゃ、こんな所に信号があるので左側の歩道を歩けばヨカッタ…ガクッ。 スゴく怖かったよぅ。 8月に上陸した台風15号で折れた赤い鳥居がバラされて置かれてある。 境内を掃除しているおじさんと少し会話。 狛犬も倒れた鳥居に倒されたというのでビックリ!

 懲りずに右側を歩く(笑)。 カーブの先に歩行者がいるのでドライバーがビックリしているけど、おらもビックリしながら歩いているんだよぅ。 弘法大師堂に寛政六年(1794)製の逢坂常夜灯。 ここから右側にも歩道ができたのでホッ。 峠の頭上には東海自然歩道の逢坂山歩道橋があるので、昔はかなりの急坂だったんだね。

 旧道入口に逢坂山関跡&また寛政六年(1794)製の逢坂常夜灯。 いつ頃関が設置されたのかは分からないけど、延暦十四年(795)に廃止されたことがあるので歴史は古い。 しかし案内板がないどころか、故障中の電気工事車両が停まっているので、写真撮るのにジャマ!(T-T) 石垣に腰掛けて10分休憩。

 鰻店かねよ茶屋を横目に蝉丸神社。 おや?轍の溝が刻まれた車石が置いてある。 案内板によると、安永八年(1778)には牛車の通行が年間15,894輌もあったそうだ。 箱根の石畳が小田原宿〜三島宿の30数kmも敷き詰められたというのでビックリしたけど、車石も文化二年(1802)大津宿札の辻〜三条大橋の約12kmに敷き詰められたというのでビックリ! 大変な坂道が続くので、車石が敷かれる前は牛もさぞかし大変だったろうね。
 しかし、蝉丸神社は天慶九年(946蝉丸を主神として祀られたそうだけど、さっきの関蝉丸神社2社との関係はどーなってんの?

 旧道部分はすぐ終わり、歩道橋で京津線の線路を渡ってR1に合流。 左側の歩道を歩く。 車輪が立て掛けられている民家。 慶長十七年(1612)から製造を始めた大津算盤の始祖片岡庄兵衛邸跡?で、一里塚の近くで「今一里町」に店があったそうだ。 並びの月心寺で水が湧き出る走井を見学。
 この付近に一里塚があったらいしので、こんな狭い所に?とキョロキョロしていたら、右手の京津線の信号に「一里町」の標識! そして歩道の脇に道標が! う〜む、「右一里丁 左大谷町」と刻まれているので紛らわしい。 大津市街には案内板がたくさん設置されているのに、市内の一里塚跡で案内板があるのは月輪池だけ。 鳥居川(粟津)・大津(石場)・大谷(走井)の3ヶ所には大津市の案内板も標柱も何もないので、おお!つ、めたい。 …。

 狭く大きい谷にR1・京津線・名神高速と交通網が固まって通っているので、赤坂宿〜藤川宿の本宿を思い出す。 名神高速をくぐるとR1の歩道歩きも終わり、交番のある路地を左に旧道。 格子戸の民家が点在する追分の家並み。 右手が崖なので空が広い。
 二叉に追分道標。 レプリカだそうだけど「みきハ京ミち」と刻まれている通り、右の道を進む。 左は東海道五十七次(京街道)・奈良街道で伏見・大阪・奈良方面。

 緩やかな下り坂。 右手の閑栖に再び車石。 並びのランプ道の塀にあるピカピカの上横木地蔵尊旧藤尾小学校跡を横目に歩道橋でR1を渡ると、右手に文政五年(1822)製の小関越道標。 こんな所に三井寺の近道があるなんて、逢坂山関の役目は…。

 もうすでに京都府だと思っていたら、かいせいドラッグ屋を過ぎた小川でやっと府境。 まだ山科区だけど、いよいよ三条大橋のある京都府。 四宮駅を過ぎると右手に徳林庵。 六角堂山科廻地蔵は、保元二年(1157後白河天皇によって京の街道入口6ヵ所に建てられた六角堂に、伏見六地蔵にあった六地蔵を分置したうちの1つ。 六角堂の左側には「伏見六ぢざう」と刻まれた元禄十六年(1703)製の道標、奥の十禅寺人康親王がある。
 諸羽神社の鳥居を横目に山科駅。 駅前で人通りも車も多い。

 旅籠ホテルブライトンシティ京都山科の植え込みに明治天皇御遺跡がポツン。 明治元年(1868)と二年(1869)に明治天皇が3回も休んだ奴茶屋跡で、山科は立場だったんだね。
 せっかく立場なので、おらたちも昼にする。 山科京極商店街を抜けて、F143の信号を渡ってすぐ左の炎の池(竹鼻竹ノ街道町43)茶屋。 人気店のようで満席。 タンシチュー+ライス(1,250円)を注文して、すっかりるるぶ気分でいると(笑)、ケータイにメールが! 「もう三条大橋に着いた?」だって。 ガーン!

 40分の昼休憩で旧道に戻る。 もう一頑張りすれば三条大橋! 左手に宝永四年(1707)製の五条別れ道標。 市登録史跡で「右ハ三条通」と刻まれている。 道が少し蛇行するのがイイね。

 ゆるやかな下り坂でF143に合流。 JRの架道橋をくぐると左手の遊歩道に冠木門。 東海道入口? あれ?京津線の線路がない! ここはどこ?おらはだれ? タイミングよく右手に交番があるので、天智天皇陵と東海道の入口を尋ねる。
 天皇陵は隣(笑)で、東海道はこの先のはす向かいにある路地。 京津線の線路が見当たらないわけは、平成九年(1997)京都市営地下鉄東西線開通に伴い相互乗り入れになったから。 冠木門のある遊歩道は廃線跡というのでビックリ!
 天智十年(671)に崩御した天智天皇山科陵。 墓だから何もないのは知っているけど、有名人の墓なので写真撮らないと(笑)。

 山科陵から東海道へはF143を渡るんだけど、横断歩道がない。 車を途切れるのを待っていたら、車が道を譲ってくれた! 関西は車の運転が乱暴というイメージがあるけど、親切なドライバーがいるのでウレシい! ありがとうございます!
 気をよくして東海道を進もうとしたら、道幅の狭い路地! 車やっと1台通れる幅で、これじゃ参勤交代できない! ホントに旧東海道なのか? 不安いっぱいで住宅地の中を進むと上り坂。

 急な坂道をヘロヘロと上っていたら、左手に亀の水不動があるのでホッ。 日ノ岡峠の改修工事が3年がかりの元文三年(1738)に完了した養阿が営んだ梅香庵跡で、道路管理を兼ねた接待所。 現代のおらたちもありがたく、ここで10分休憩。

 あと一頑張りすれば三条大橋! 出発すると左手に「右 明見道」と刻まれた妙見道道標と、隣に「右 かさんいなり道」と刻まれた小っちゃい花山稲荷道道標が並んでいる。 日ノ岡の家並みはイイ感じなんだけど、道が狭いのに抜け道になっているようで交通量が多い。 右手の空き地に旧東海道道標

 F143に合流。 歩道には京津線の軌道跡を拡げてF143が4車線になった記念に、車石や牛車道を模したモニュメントが置かれてある。 合流付近に刑場跡があったらしいので、左手の墓地まで行ったけど見当たらない…ガクッ。
 右側の歩道に移ると石垣に車石。 その後も石垣の所々に車石がまだらにはめてある。 轍を全部つなげれば面白かったのにぃ。 道を広げてくれたおかげで歩道も広くて歩くのが楽。

 日ノ岡峠には東山ドライブウェイの花鳥橋が架かっていて、大津宿側の逢坂峠のようにかなり開削されている。 橋に上ってみると眺めがイイ。 きっと茶屋があって繁盛していたと思うよ。
 蹴上浄水所を横目に坂を下ると東山区。 三条大橋はもうすぐ! 二叉の蹴上交.で旧道は大きく左カーブ。 信号が長いので焦れったい。 右手に南禅寺があるせいか?湧き出たように人が増える。 今回の東海道歩き最終日は、気持ちが競って前回の草津宿着から2週間しか経っていない。 時間がなくて山科までしか予習できなかったので、京都市街の立ち寄り場所が分からない(笑)。

 蹴上交.を渡ると京の七口の1つ粟田口で、左手の佛光寺本廟入口にノッポな。 三条神宮道交.左に知恩院、右に平安神宮。 人だけじゃなく店屋も増え、まさに大観光地「京都」。 旧道を歩いている雰囲気じゃない。 おらの居場所を知っているのか?ケータイに到着の確認や踏破祝いのメールが入る。 ありがとうございます。 終点の三条大橋が一歩一歩近づいている。
 東山三条交.で三条通りの左側に移動。 左手の大将軍神社でちょっとタンマ。 もういよいよ三条大橋なので、心の準備(笑)。

 昨日今日と石山寺や三井寺で散々道草しているけど、京都に入ってから有名な神社仏閣の前を通っているのに、足が勝手に真っ直ぐ進んでしまう。(^_^; かなり緊張してる。(^o^;
 うわーっ! 信号の向こうに三条大橋が見えるーっ! うわーっ! 歩道の左側で高山彦九郎皇居望拝之像が京都御所に向かって土下座拝礼している! 信号待ちの向こうはとうとう三条大橋っ!

 信号が青になって、夢に見た三条大橋を渡る。 1歩…2歩…と踏みしめて進むと、弥次喜多像の背中が見える。

14:35━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ゴール!!!!

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)6時間45分(約4時間25分)
万歩計の歩数25,381歩
喜多さんの歩数24,693歩
経費
スーパーホテル大津駅前店宿泊料4,980円
三井寺入山料500円

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