とらぞうのおかち日記
 1歩2歩散歩 
東日本編


Vol.03
〜保土ヶ谷道(金沢文庫→保土ヶ谷)〜
14.4km

画像 2004年 1月11日(日)
今回歩く保土ヶ谷道金沢八景と東海道・保土ヶ谷宿を結ぶ道で、元は鎌倉道下道。 江戸時代には、逆コースの保土ヶ谷宿と風光明媚な観光地・金沢八景を結ぶ金沢道として有名な街道でした。 おかげで意外と道筋が残っています。

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08:25 六国峠入口

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08:30 切り通しを“登る”

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08:40 金澤八景発祥の地

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09:10 いこいの街の大長屋

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09:30 崖からの景色

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09:45 旧道らしい風景

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10:25 住宅がビッシリ!

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11:05 病が治る鰻井戸

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11:35 車が少ないので安心

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11:55 青いのが目印

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12:20 結構目立ってる

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12:30 百番供養道標

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12:30 初詣ができました

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13:05 アツアツの天丼

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14:20 道標を兼ねた庚申塔

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14:30 ハァハァと息切れ…

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14:35 ヤッホ〜!アッホ〜!

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14:55 蓮華も高さ30cm!

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15:00 政子の化粧井戸

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15:05 お地蔵さまも泣いて…

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15:10 五返舎半九の墓

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15:15 金沢横町道標

 昔海だった金沢文庫駅を降りると前回の終点は目の前。 8:20金沢文庫駅前交.スタート。 R16左側の歩道を北上して、六国峠ハイキングコースの標柱がある丁字路を左折。 京急能見台第3踏切を渡ると丁字路に天保十年(1839)製の保土ヶ谷道道標。 今も現役で、「右」と刻まれてある通りに右折。
 右手Pの奥に「六国峠入口」の標柱。 六国峠は鎌倉の天園のことで、金沢市民の森を通り瑞泉寺まで約10kmで5時間のコース。

 初めは階段だけど、鎌倉道らしく往時を彷彿とさせる切通しになって、岩肌も見える。 息が切れて苦しいけど、鎌倉道特有の尾根道なので“登”った後は楽。 おかげで足下まで住宅地が迫っているものの、旧道の道筋が残っているんだね。 感動。
 しかし、旧道歩きなのか?ハイキングなのか?区別つかない道筋(笑)。 季節はずれのためか?旅人とは出会わなかった。

 途中左右の階段を無視して真っ直ぐ進むと、2つ目の広場右手の石段上に享和三年(1803)製の金澤八景根元地碑。 この一段高い広場が市地域史跡能見堂跡。 保土ヶ谷から来るとこの場所が風光明媚だったそうだけど、明治二年(1869)に焼失してしまった…。 木が生い茂ってよく見えないけど、現在住宅地や工場がギッシリと建っている場所は入江だった。 ふぃ〜。(@o@)

 森林浴を楽しみながら?進むと、右手に「低区配水池 能見台4丁目へ」標柱があるので、階段を上りハイキング・コースとサヨナラ。 能見堂緑地入口に出ると、目の前に大長屋群が! 能見台住宅地造成のため旧道はしばらく消滅。
 上り坂を進んで横浜横須賀道路を渡って丁字路を左折。 左手は無惨にも鉛筆の芯のように削られた山で、消滅した旧道はこの山の尾根を進んでいた。 右手の京急バス車庫を右折…と思ったら、左手に能見堂緑地の標柱! ありゃ、さっきの「能見台4丁目」標柱を1回スルーしてからハイキング・コースとサヨナラする方が、旧道の道筋に近いこの標柱の場所に出られるかも。

 京急ストア屋の横を左カーブして、京急幼稚園を右に見て、十字路を右折して丁字路を左折。 ふぅ。 両側の民家の庭の高さを考えると山の斜面だったのが分かる。 能見台北公園を突っ切った方が楽だけど、旧道は公園を右に見る位置で北上している。
 突き当たり氷取沢高校の校庭は、道路に比べるとかなり高い位置にある。 校庭の横を通って、右手の民家の間にある階段を上る。 振り返ると住宅地の奥にさっきの大長屋群。 尾根沿いに旧道があったことを考えると、造成時にかなり山を削ったんだね。

 下り坂で磯子区となり、右手の崖の上にNTT屋社宅。 上中里交.を左に見て進むと左側の笹下川に沿った道筋で、蛇行具合がイイ感じ。 古い民家はないけど、右側の崖からは清水が湧いていて、今日一番の旧道らしい風景。
 二叉を左に旧道。 笹下釜利谷道路に合流する手前に道標があるというので探したけど、見つけられなかった…ガクッ。

 10:05栗木交.で環状3号を渡ると右手に旧道があるけど、線路で分断されて進めない。 JR根岸線をくぐって、すぐ右折して旧道に復帰。 すぐK22「杉田新道」に合流すると、すぐ片側1車線となった笹下釜利谷道路と合流。 すぐ右に旧道で、すぐ右手の馬頭観音が目印。 ふぃ〜。(@o@) 旧道の雰囲気はイイんだけど、右手の崖を開削して、続々と新しい民家が建っている。
 港南区となり、新川交.で再びK22と合流。 左手の高台にあるIHI屋笹下団地が笹下城跡。 10:35マック茶屋で25分休憩。

 打越交.で環状2号をくぐると、右手の昨年11月に廃店になった湘南信金両替屋左側に鰻の井戸。 文永年間(1264〜75)金沢実時が金沢で病に倒れた時、「西北に2里ほど離れた、頭に斑紋があるウナギがいる古井戸の水を飲めばよくなる」と観音さまに夢告げされたので、家来に取り寄せさせて飲むと一晩で全快したそうだ。

 しばらく県道の歩道歩き。 横浜刑務所の手前右手に道標があるというので探したけど、見つけられなかった…ガクッ。 その先に日産屋の社宅。 旧道は社宅を通る区間が消滅している。
 “関所の下”である関ノ下交.でK21の「鎌倉街道」と交差する。 歩道橋を渡って一方通行の超連続枡形(スラローム)を進む…ってゆーか、上大岡駅前のグリーン商店街のプロムナード。 港南区の中心街で突如高層ビル街となる。 途中からさかえ通りと名前が変わり、慰霊堂入口交.でK21と合流。
 慰霊堂入口交.を左折すると、かながわ平和祈念館の向かいに元禄九年(1696)製の弘明寺道道標がある。

 右側の歩道に移り、大岡川最戸橋手前で右に旧道。 南区になった途端、右手に「旧鎌倉街道」の標柱。 沿道には大岡通り商店街があるし、中央線のある道路は車の交通量が多いので、あまり旧道を歩いているような感じがしない。 おらとしては、道幅が狭くて所々一方通行だった磯子区の上中里や、栗木・田中付近が旧道らしいので、「旧鎌倉街道」標柱を設置してくれるとウレシいなぁ。

 旧道入口交.でK21と合流。 「保土ヶ谷道」兼「鎌倉道下道」を歩いているおらたちにとっては、“出口”なんだけど…。 “出口”正面ではデッカいシイノキが通せんぼしている。 弘明寺交.右手の横浜国大付属中学校前に鎌倉街道碑。 昭和三十七年(1962)製で新しい。 しかし『横浜の古道』によると、この付近から旧道消滅…。

 弘明寺は駅名になっているほど有名な古刹なので、ここで昼飯を兼ねて寄り道。 県道を横切って、アーケードがウレシいかんのん通りを進むと、突き当たりに弘明寺。 仁王門の右側に文政元年(1818)製の百番供養道標がある。

 弘明寺は寺伝によると、養老五年(721)インドの僧善無畏三蔵法師が渡来した際に開創され、本尊の木造十一面観音立像(弘明寺観音)が国指定重要文化財となっている。 板東三十三所観音霊場第十四番札所でもある。
 石段を上って観音堂で初詣。 新年が明けて10日ほど経つけどまだ込んでいる。 寛政十年(1798)製の梵鐘が市指定文化財。 帰りの石段で、平成十三年(2001)京急から寄贈された身代地蔵に行列ができているので、つい並んで撫でてしまった。(^_^;

 お参りが済んだら昼食だ! かんのん通りのどん吉(弘明寺270)茶屋で天丼504円。 今日は喜多さんが4人(笑)で、注文はやはりバラバラなので割愛。(^_^; 食後のドトール茶屋を含め、55分休憩して旧道に戻る。 1時間35分の寄り道。

 13:55弘明寺交.の鎌倉街道碑からK21を北上。 途中で左側の歩道に移り、休日急患診療所入口交.の次の名前のない交差点を左折。 県道向かいの南口商栄会が目印。
 弘明寺交.の鎌倉街道碑からしばらく消滅していた旧道は、大岡川蒔田橋から復活。 蒔田橋を渡って、三叉路の蒔田橋交.を右に旧道。 名前のない交差点左手に市地域史跡井土ヶ谷事件の跡。 生麦事件翌年の文久三年(1863)フランス士官3人が浪人体3人によって殺傷された事件。
 案内板左手には元禄二年(1689)に建立され、天保十二年(1841)に再建された庚申道標。 左右の面に地名がたくさん刻まれて、道標というより観光案内みたい(笑)。

 南税務署入口交.でK218を横断すると、ほどよい道幅で旧道らしい風景。 K218を右折すると大光寺に道標があるのに、イイ感じの風景に見とれて、つい真っ直ぐ進んで寄り忘れてしまった。(^_^; 始めは緩やかな上り坂だけど、切通しになっている京急の架動橋をくぐると、だんだん急坂になってくる(汗)。

 右手に山(頂上?)がモッコリしている清水ヶ丘公園。 昭和四十九年(1974)保土ケ谷区常盤台に移転した横浜国立大学経済学部の跡地で、頂上からの眺めがイイ! 南側では眼下に井土ヶ谷・上大岡や、遠く磯子の高台に建つ旅籠屋・横浜プリンス、北側ではみなとみらいが見える。 ぼんや〜りと10分休憩。

 車道は清水ヶ丘公園に沿って右カーブするけど、旧道は真っ直ぐ進んで保土ヶ谷区。 本来旧道は首都高速狩場線を斜めに横切るんだけど、首都高に架かる出逢橋が直角に架けられているので、旧道は空中にある。 橋からは富士山、丹沢山系大山が見える。
 尾根道を進み、峠となる交差点の左手に享保二年(1717)製で市地域文化財北向地蔵尊。 高さ150cmもあるデッカい金沢道道標の上にお地蔵さまが載っかっていて、その横には無惨にも折れて小っちゃくなった金沢道道標が置かれている。

 左手の横浜清風高校を過ぎると石難で、急勾配のためアスファルトから◎印のコンクリート舗装に変わる。 両側の民家が切通しの上にあるほどの急坂だけど、「キツい」なんて言ワナいで。 …。
 左手に市地域史跡御所台の井戸。 案内板によると、北条政子がここを通りかかった時に、この井戸水を化粧に使用したそうだけど、この坂は鎌倉道なのかな? 保土ヶ谷宿の苅部(軽部)本陣も将軍が休息した時に御膳水として使用したそうだ。

 はす向かいの石段を上ると御所台地蔵尊。 上ってビックリ! 荒れ果てて、いくつかある石仏の1基が土砂崩れで倒れている。 ボロボロの幟には昭和五十八年(1983)と六十年(1985)と、20年ほど前の日付が…。 都市化で地域コミュニティが崩壊しているのかな? 何とかならないの?

 並びに建武二年(1335)に開創された福聚。 十返舎一九の弟子五返舎半九墓があるというのでコッソリ探したけど、見つけられずに墓地の中をウロウロ…。 寺の人に尋ねたら、本堂の裏まで案内してくれました。 ありがとうございます。  喜多さん曰く、本堂の家紋は北条氏のものだって。

 R1の交差点を横断してJR上岩間踏切・金沢橋を渡ると、15:15旧東海道保土ヶ谷宿の追分金沢横町が本日のゴール。 東海道歩きで立ち寄って以来、2年半ぶりの金沢横町道標。 4基の道標は市登録文化財で、左から順に、
弘化二年(1845)製の富岡芋明神道標
文化十一年(1814)製の杉田梅林句碑道標
天和二年(1682)製の金沢道道標
天明三年(1783)製の圓海山道標
 今日は「保土ヶ谷道」として金沢文庫駅前交.から出発したけど、「鎌倉道下道」を歩いたとして、前回の寺前八幡神社から換算すると、約15.3kmで万歩計25,138歩、喜多さん24,435歩。

 帰る前にカフェ・ド・クリエ茶屋で一服。 今日はコーヒーを3杯も飲んだので夜眠れないかも。(^_^;

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 6時間50分(約5時間20分)
万歩計の歩数 23,909歩
喜多さんの歩数 23,232歩
経費
往路:横浜市営地下鉄戸塚駅→上大岡駅
往路:京急上大岡駅→金沢八景駅
230円
230円
帰路:JR横須賀線保土ヶ谷駅→戸塚駅 160円
 
参考図書
『旧鎌倉街道 探索の旅【下道編】』芳賀善治郎
『横浜の古道』横浜市教育委員会

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