とらぞうのおかち日記
 1歩2歩散歩 
東日本編


Vol.05
〜佐屋路 その2(東神守→桑名)〜
18.7km

画像 2004年 4月 4日(日)
佐屋路の後半で、津島市と佐屋町を歩く。 終点の佐屋からは三里の渡しがあったけど、明治五年(1872)熱田と前ヶ須新田(元弥富町)を結ぶ新道が開通して役割を終えた。 というわけで桑名まで歩きました。

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08:25 式内社憶感神社

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09:25 埋田の追分

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09:45 突き当たりの風景

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10:00 町屋造りの堀田家

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10:05 津島神社の楼門

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11:15 モーニングで30分

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12:05 佐屋街道址碑

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12:25 芭蕉句碑水鶏塚

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12:35 心の本陣跡

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12:40 三里之渡碑

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13:05 海部幹線水路

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13:40 服部家の長屋門

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14:10 やっと見つかった

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15:40 長島の東海道碑

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16:05 長島城山門

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16:10 農家の石垣

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16:40 長良川河口堰

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17:25 大塚本陣跡

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17:25 七里の渡し碑

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名古屋みそかつ弁当

 一泊お世話になった旅籠、オーシャン名古屋(中村区則武1-11-9/052-451-1953)はコッペパン&ゆで卵の朝食付き。
 目が覚めると昨日と一転して雨…。 出発の金曜になって夕刊の天気予報が雨だった。 それはないよー! 名鉄バスセンターからバスで東神守。 8:20神守町下町交.を出発。

 神守宿の入口で大きく枡形になっている。 万場宿と佐屋宿の間が長すぎるため、正保四年(1647)神守宿が設置された。 突き当たりが本陣跡神守の宿場跡。 右手に六角形の屋根が立派な地蔵堂と、舞殿・衝立のある式内社憶感神社
 旧道に戻ると日曜日の雨の朝でしっとりとしている宿場町。 左折すると右手に舞殿のある穂歳神社。 越津町交.でK68に合流するとしばらく県道の歩道歩きとなる。

 8:55日光橋を渡ると日光大橋跡。 古川交.を過ぎると古川の家並み。 県道が右カーブすると左の旧道を進み、埋田町交.古川歩道橋で旧道が消滅するので、県道で迂回して次の路地を左折。 県道と平行している1本目の路地が旧道。
 少し進むと埋田の追分で左手に佐屋道道標がポツン。 その後ろが津島神社一の鳥居跡で、常夜灯鳥居跡石柱がそれぞれペアで並んでいる。 鳥居手前で佐屋路は左折。 往時は立場として賑わっていたんだろうけど、土地改良のために消滅してしまった。

 9:30追分を左折しないで津島神社に寄り道。 名鉄尾西線高架橋をくぐり突き当たりを右折。 4車線に広がったK68を進むと行き止まりで、格子戸のある民家や蔵が並ぶ。 将来はこの風景を壊してK68が延びるんだね。 目に焼き付けておかないと。
 南北に横切る巡見街道を右に進むと、橋詰三叉路に明治二十九年(1896)製の津島神社参宮道道標。 左折して橋詰商店街を抜けると天王川公園。 津島湊跡天王川旅所。 佐屋湊のサブ的存在で、参拝客が多い割にはあまり振るわなかったみたい。

 津島神社の鳥居に出る。 雨でも参拝客が多い。 天正十九年(1591豊臣秀吉が寄進したという楼門は国指定重要文化財で、慶長十年(1605)に建立された本殿も重文。 佐屋路を歩いてみるまで津島神社なんて知らなかったけど、立派な建築物や周辺の家並みを見ると、往時はかなり繁栄していたんだね。
 10:15自販機コーナーで15分休憩。 もっと散策したいけど、少し路地裏を歩いてから、来た道を戻る。 1時間25分の寄り道。

 10:55埋田の追分から南北に延びる車道を進む。 追分を過ぎてすぐにあった下街道一里塚跡を見過ごしてしまったけど、佐屋路にも追分直後に一里塚があった。 起点が日本橋なので、それぞれの場所で残っていれば、近くなので名所になったのにね。
 11:05左手にコメダ珈琲店茶屋。 岡崎宿付近からよく見かけていたので、気になって入ってみると満席! 何と!この時間でもまだモーニングがあるんだって! 恐るべき名古屋の喫茶店。

 11:35茶屋を出ると右に旧道。 西愛宕町交.に出るとまた旧道は消滅して、K105右手2本目の路地で旧道復活。 歩道代わりの暗渠を南下すると突き当たりで旧道消滅。 右折して田んぼの中の一本道。 名鉄尾西線踏切を越えて内佐屋交.を左折するとさっきの巡見街道で、左手にポツンと佐屋街道址碑。 旧道を求めて歩く求道の旅で佐屋路復活。 …。

 集落手前で歩道がなくなると、右手浄法寺鐘楼が道路に飛び出している。 須依交.を右折すると佐屋宿。 本陣2軒・旅籠31軒とあるので東海道興津宿・石部宿と同じ位の規模だった。
 車が減って静かな宿内。 左手に水鶏塚道標。 路地を入ると右手に享保二十年(1735)建立で町指定文化財の水鶏塚。 元禄七年(1694芭蕉最後の旅の途中、佐屋宿に立ち寄る。

 旧道に戻ると右手にクリーニング川村屋。 「高級西洋洗濯クリーニング」ってな看板がイイ感じ。 佐屋路では「本陣跡」の案内板が少ないので、決めた!ここがおらの心の佐屋宿本陣跡。
 左手に左さや舟場道碑。 はす向かいに代官所跡。 右隣には寛永十一年(1634御殿が建立されたり、承応二年(1653舟番所、元禄八年(1695奉行所、天明元年(1781代官所が設置されたそうなので、この付近はオフィス街だったのね。

 12:40佐屋交.左手の広場に三里之渡趾碑。 ここが佐屋路の終点で、旅人は渡しで桑名に向かった。 慶長二十年(1615)徳川家康が大坂夏の陣の際に佐屋湊から船出したそうだ。 「絶対船はイヤ!」という旅人は美濃路経由で中山道を歩くことになる。
 ここまで津島神社の寄り道を含め、4時間20分(約3時間35分)18,083歩、喜多さん17,225歩の道のり。 屋根付きベンチで満開の桜を眺めながら、往時を思い浮かべて10分休憩。

 12:50佐屋路は終わってしまったけど、「さ、野次行くぞ!」と言い聞かせて「三里の渡し」部分を出発。 …。 西へ進んで、今は無き佐屋川の代わり、海部幹線水路を右手に南下する。 左手が一面の田んぼ、右手が水路&遠くに山脈と、あまり風景が変わらない。 飽きたので左折すると突き当たりの交差点でK458。

 13:25丁字路交差点を左折して寄り道。 名鉄五ノ三駅を横目に、しばらくすると右手に服部家住宅。 17世紀に建てられた鳥居建形式住宅なんだそうで国指定重要文化財。

 次の目的地が見つからない! 30分近くウロウロして付近の工場で尋ねても分からないので、あきらめて戻ろうと思ったら地元のおじさんが! 通り道というのでありがたく付いて行く。 服部家手前の路地を左に入ると、集落の中に町指定史跡柴ヶ森。 なるほど源氏ゆかりの地なので八幡神社なんだ。 ふぅ。
 平治元年(1159)平治の乱で敗れた源義朝が知多半島に逃げる途中、「二之江」に上陸したので「荷之上」と呼ばれるようになった。 おじさんは字名「柴ヶ森」は知っていても、“義朝ゆかりの地”というのは知らなかったというので、もっと宣伝して弥富町!
 14:25戻りは「旧道」だと教えてくれた十字路を南下して、右斜め方向に進んでK458に出る。 1時間の寄り道。

 14:45イオンタウン屋で昼食。 今日はパン続きだし地名が鯏浦なので、廻転寿司アトムボーイ茶屋に入る。 30分の休憩で7皿。 喜多さんは11皿で食欲旺盛。 でもネタにウグイはなかった…。
 尾張大橋東交.を右折してR1尾張大橋。 塗装工事中のため海側を歩けず右側の歩道を歩いていると、やっと雨が止む。 木曽川の中程で愛知県・三重県の県境で尾張国・伊勢国の国境。 対岸の長島町は木曽川・長良川に挟まれた中州で文字通り長い島。

 又木交.を過ぎて右手の蓮正寺に寄り道と思ったら、道に迷う。 戻り道でおばあさんに道を尋ねたら、又木交.を右折して1本目の路地を左折すればすぐだった。 ガクッ。 長島城山門は明治九年(1876)長島城の大手門を移築したもので町指定文化財。

 R1沿いの風景が田んぼとなり、農家が丸石を積み上げた石垣の上に建っている。 大河に挟まれ洪水が多いための生活の知恵。 生け贄だけでは生活できないもんね。 16:10右手に又木茶屋。 長島町の無料休憩所で3年前に建てられた。 15分休憩。

 長良川では伊勢大橋の海側を歩けたけど、歩道が鉄板なので滑りやすい。 左手に長良川河口堰。 何と!橋の中程に中堤入口交.があり、中州の北側にK106が延びるているので面白い。
 揖斐川では遠くに桑名宿が見えるのに、デジカメが電池切れ! ふっふっふ、浜松宿の教訓で、こんな時のために買ったカメラ付きケータイ…あれ?アイコンが“要充電”になってる。 NO!
 対岸の桑名市に着くと伊勢大橋西詰交.を左折。 K613は交通量が多い割に歩道がないので堤防の上を歩くと景色がイイ。 長良川河口堰は長島側からでは“UFO”が並んでいるように見えたけど、桑名側からでは“蛤”が並んでいるように見えるから不思議。
 遙か遠く名古屋駅にそびえ立つセントラルタワーも見える。 こんな距離をよく歩いて来たものだ。 撮影できないのが残念。

 17:10六華苑の手前右手の殿屋(太一丸22-4)茶屋に単三電池が置いてあるのでラッキー!だけど、メルヘンチックな建物が見える国指定重要文化財&名勝の六華苑自体は、17時を過ぎて閉まっているのでアンラッキー! う〜ん、よくあるパターン。
 橋を渡ると左手にピカピカの日吉神社。 堤防工事のために移動したそうで、新しすぎて有り難味が感じられない。 交差点を左折すると桑名宿。 左手に大塚本陣跡の船津屋、脇本陣駿河屋跡の山月と、この一画だけ旧道の雰囲気が残っている。

 右カーブの角に七里の渡し碑。 17:25カーブを曲がって左折すると県指定史跡の七里の渡し跡。 堤防が邪魔で海は見えないし、思っていたより狭くて伊勢神宮一の鳥居が窮屈そう。 堤防を歩いている時に城の一部と思っていた建物は水門統合管理所で、桑名城の51ある隅櫓の1つ蟠龍櫓を復元したもの。
 佐屋路の旅はここで終わり。 今日は長距離のうえにほとんど雨だったのでかなりヘロヘロだけど、当初電車移動の予定だった宮宿〜桑名宿を自分の足で歩けたので大満足。

 船津屋の並びにある七里のわたしゆ(船馬町26/平日15:00・日10:00-23:30/火曜定休)で一風呂浴びるともう薄暗い。
 桑名駅へ向かう広い通りは八間通りで、立ち退きが必要なかったようで古い建物が点在している。 右手に海蔵寺。 市指定文化財で、木曽川・揖斐川・長良川の宝暦五年(1755)完成の治水工事に携わった薩摩義士墓所の撮影は、暗くてNG。
 焼きはまぐりの店は見あたらないので、駅前の総本家貝新新七商店(有楽町57)でお土産の志ぐれ蛤を購入。 串焼きでイイから、誰か焼きはまぐり始めませんか?
 桑名駅に「はまぐり弁当」ってな駅弁もなかったので、名古屋駅で「名古屋みそかつ弁当」(850円)を買い、20:01のこだま。 今回はちゃんと小田原乗り換えで帰ったんだけど、出発日の金曜日が最高気温20℃だったのに、戸塚駅の気温が2℃で寒っ。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 9時間05分(約7時間25分)
万歩計の歩数 40,496歩
喜多さんの歩数 38,467歩
経費
行路:名鉄バス名鉄バスセンター→東神守 440円
帰路:JR関西本線桑名駅→JR東海道本線戸塚駅
帰路:新幹線自由席特急券名古屋駅→小田原駅
6,090円
3,250円
オーシャン名古屋ネット予約宿泊料(ツイン割り勘) 4,000円
七里のわたしゆ入浴料 300円
 
参考図書&LINK
『佐屋路 歴史散歩』日下英之
姫街道を歩く(http://www.tees.ne.jp/~himeroad/)

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