とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.28
〜見付宿→浜松宿〜
16.4km

画像2002年12月29日(日)
旧東海道の難所といえば大井川だけど、現代の難所はやはり歩道のない天竜川橋と新天竜川橋でしょう。 高速道路や有料道路ではないのに、何故歩道がないのか? そうだ! 渡船しよっ! 豊田町長さんっ。

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09:55 善導寺大楠

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10:05 ゴン中山の足形

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10:40 宮之一色一里塚跡

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11:00 西之島学校跡

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11:40 天竜川渡船場跡

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12:05 熊野御前の墓前…

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12:30 難所の新天竜川橋

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13:05 安間一里塚跡

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13:15 薬師の松並木

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14:30 馬込一里塚跡

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15:00 秋葉街道大鳥居跡

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15:20 野面積みの浜松城

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鰻の代わり八百徳の名刺

 今回は実に6ヶ月ぶりの旧東海道。 前回初夏だったのにもう冬で、風も強く寒い。 旧街道の旅はアキないということで…。 9:28JR磐田駅到着。 3時間半も電車に揺られていたので?もうミスド茶屋で一服。 今回は「見付宿の巻」だけど、前回の袋井宿の巻で宿場内を歩いてしまったのでどうしたものか? 駅前に県指定天然記念物の善導寺大楠。 寺はどこ行った?

 駅前商店街「ジュビロード」はジュビロ磐田に合わせて水色が基調となっている。 歩道には選手たちの足形・手形のタイルが埋めてあるので、出発前に中山“ゴン中山”雅史をチェックするために右側を歩く。 岡部宿以来の仲だから(笑)。 前回建設中だった大長屋「D’グラフォート」がもう完成間近。 月日の流れを感じる。

 10:05ジュビロードから戻り旧東海道道標を右折してスタート。 おらにとってこのルートは旧東海道の謎の一つ。 何故見付宿で姫街道を通らずに左折して、この場所で右折するのか? 超デッカい枡形? 旧道は当時の道幅で雰囲気がイイけど、古い民家がありそうで、ない。 代わりに意外と交通量が多い。 右手に中泉の道しるべ。 そして大乗院坂道標があるけど由来が分からない。
 K261と合流して右側の歩道を歩く。 一言坂の案内板ができたてのピカピカだけど由来が分からない。 松4本のプチ並木があり、その中間に宮之一色一里塚跡。 右側はモニュメントになっているけど左側は標柱のみ。 この先の左手に屋形秋葉常夜灯。 そして片側だけの松並木と続く。

 森下でK261は右にカーブするけど旧道は真っ直ぐ進む。 右手若宮八幡宮の境内に西之島学校跡。 もうすぐ立場だけどトイレがあるので10分休憩。 長森の立場では長森かうやくが名物だったそうで、立場で休憩と思っていたけどフツーの住宅地でそんな雰囲気ではなかった。 交差点を右折して歩道のない旧道を北上。

 K312・R1を渡ると間の宿・池田。 中世の池田宿で、静かで落ち着いた家並み。 大掃除している民家が多い。 何故か路地の右や左に向かって、黄色い矢印が何ヶ所にも付いている。
 左側の路地を覗きながら進むと下之渡場天竜川渡船場跡の碑中之渡場に道しるべ、上之渡場に案内板など、渡船場が3ヶ所あった分それぞれにアイ・キャッチが設置されている。

 上之渡場から右に逸れると池田の渡し歴史風景館。 残念ながら年末年始で休みだった。 この先には延久元年(1069)に創建された行興の境内に、熊野御前の手植えという天然記念物の熊野の長藤。 国指定1本、県指定5本と天然記念物がテンコ盛りでんねん。 …。 オンシーズンに来てみたい。
 建久九年(1198)に亡くなった熊野御前は平清盛の三男、宗盛の寵愛を受けた白拍子。 母親の墓と並んでいる。

 難所の新天竜川橋を渡るために、やはり歩道のない堤防を南下。 橋の右側を歩くのでトラックが向かってくるのはおっかない。 しかも風が強くてなかなか前に進まない(汗)。 長い15分だった。
 浜松市となる対岸を右折して、R1をくぐって堤防を南下すればいいんだけど、車の多さにちょっとウンザリ。 少し先の階段を下りてR1・K312をくぐって、民家の路地裏を進んで旧東海道に合流。

 12:45六所神社と歩道のない堤防との間に天竜川船橋跡木橋跡の標柱が並んでいる。 旧道は神社を回り込んでから左折して西へ。 交通量は少なく静かだけど、ギョウザ店かめ屋、ウナギの中川屋なんてあり、意外と商店街だった。 中野町は当時立場で、『膝栗毛』に五十三次の“振り分け”の地なので「中の町」とある。
 軽便鉄道跡を通り左手民家のPにかわんば高札場跡。 並びに金原明善記念館と向かいに生家。 明治八年(1875)天竜川治水事業に私財を投じた地元の名士。 K312合流地点右手に安間(あんま)一里塚跡。 金網の中にあるので目立たない。 向かいは民家。 浜松から見付に向かう旅人用の旧東海道道標もある。

 安間橋を渡ると左手に仲間を失ったが1本ポツン。 R1陸橋をくぐると左手に松並木。 今日歩いてきたルートに残っている松たちは全て道の左側。 右側は北になるので南側の松の日陰になり、育ちが悪くて枯れるのか? それとも民家を日陰にしてしまうので切られてしまうのか? 13:25左手のセブン茶屋で20分休憩。
 出発するとやはり左側にプチ並木。 でも新しい切り株があるので、南側でも生き延びるのは大変だ。

 そのまましばらく左側を歩く。 浜松市は史跡に丸太風の標柱を設置していて土橋、子埋橋、六軒茶屋って続くけど、標柱だけで案内板がないので由来が分からない。 源範頼の創建という子安神社を見て、行き交う自転車につられ地下道を通らずに交差点を横切る(よい子は真似しないで!)と、史跡じゃないけど「赤ちゃんデパート」なんて名前の郊外店。 インパクトあるね。
 NTT屋&浜松東署を過ぎると左手に馬込一里塚跡。 白い角材の標柱で何故ここだけ形状が違う? そして旧掛塚街道道標。 向かいには案内板まである旧笠井街道入口

 馬込橋の手前左手に外木戸跡。 町の名前も木戸町。 だからという訳ではないだろうけど、橋を渡ると再開発の工事だらけで急に大都市の表情になる。 さすが静岡市・清水市が合併するまでは、静岡県第1の都市だけあってすこぶる賑やか。 右手のビルの谷間に幟が立ち並ぶ夢告地蔵尊。 心和む。
 板屋町交.歩道橋を渡ると商店街で急に人があふれ出す。 遠鉄の高架橋をくぐると緩やかな上り坂。 喜多さんが急にトイレというので右手の上新電機屋前で待っていたら、ひっそりと…でも立派な秋葉街道大鳥居跡の案内板。 左側を歩いていたのでトイレに寄らなかったら見過ごした。 10分休憩。

 15:10連雀交.で今日の旅は終わり。 次回はこの交差点を左折して進む。 時間があるので徳川家康ゆかりの浜松城まで足を伸ばす。 野面積みの石垣が当時の面影を残す。 家康は元亀元年(1570)引馬を改修し、岡崎城(29歳)を出て駿府城(45歳)に移るまでの17年間を過ごした。

 15:50JR浜松駅前の八百徳(板屋町252だけど本日は仮店舗)茶屋で、本日のメイン・イベント?の「お櫃鰻茶漬け」(2,415円)を注文。 しかしデジカメで撮ろうと思ったら電池切れ! 予備と取り替えても電池切れ…前日充電したはずなのに何故だー? ショックでうな茶をうなだれて食べる。 …。
 年明けにケータイを買い換える予定なので、絶対カメラ付きにしてやるぅ。 あ〜あ、17:00熱海行に乗り、車内でふて寝しました。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)5時間05分(約4時間25分)
万歩計の歩数23,658歩
喜多さんの歩数23,382歩
経費
往路:JR戸塚駅→磐田駅3,570円
帰路:JR浜松駅→戸塚駅3,890円

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