とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.42
〜桑名宿→四日市宿〜
12.5km

画像2004年 6月 5日(土)
「その手は桑名の焼きはまぐり」っていうフレーズは超有名だけど、桑名宿のことはあまり知らない。 城跡があり神社仏閣も多いので大宿場だったみたい。 それにしても桑名市内で焼きはまぐりを食わないと。 …。

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07:25 薩摩義士墓所

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07:50 九華公園の花菖蒲

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08:10 250両で建てました

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08:30 吉津屋見附枡形跡

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08:55 馬繋ぎの竹内家

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09:00 矢田立場火の見櫓

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09:20 安永の家並み

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09:45 縄生一里塚跡

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09:50 いつまでも見守って

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10:40 長明寺の環濠跡

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11:00 富田一里塚跡

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11:35 善教寺前の家並み

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12:00 羽津の2本1本松

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12:25 三ツ谷一里塚跡

 高速バスに乗って6時前に名古屋駅着。 駅前にコンビニ茶屋が見あたらないので、佐屋路の時に利用した旅籠近くのローソン茶屋まで朝食の買い出し。 駅に戻ってJR関西本線ホームで時刻表を見たら次の電車が6:40…6時台の電車は1本だけ! ガーン! …近鉄を利用すればヨカッタ。 ガックリとホームで朝食。
 7:07桑名駅着。 八間通りを進み、佐屋路の帰りに暗くて市指定文化財の薩摩義士墓所が撮れなかった海蔵寺。 朝早いせいか閉まっている。 ガーン! 隣の茶屋の入口から墓所を撮影。

 さらに進んで九華公園。 桑名城跡やオンシーズンの花しょうぶ園を見学。 本多忠勝を横目に、8:05七里の渡し跡を出発。

 左手に舟会所跡問屋場跡。 石畳の舗道の上に桑名御用水通り井跡。 地下水に海水が混じるため、寛永三年(1626)町屋川から水を引いた。 丹羽本陣跡の場所は分からなかった。
 八間通りを横断すると右手に春日神社青銅鳥居。 鋳物産業が盛んで寛文七年(1667)に建立された。 「勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居に二朱女郎」と謡われた県指定文化財。 鳥居左側に明治十八年(1885)建立のしるべ石は人捜しの伝言板。

 左手の東海道を模した公園の奥に三之丸堀石垣。 当時の石垣が残っている。 突き当たりを左折すると、右手の履物店ふくおか屋並びに京町見附枡形跡。 枡形はもう残っていないので、丁字路を左折してよつや通りを進む。 左手にレプリカの指差し道標
 右手に超枡形が残っている吉津屋見附枡形跡。 数軒並ぶ民家の周りを右・左・左とコの字に進む。 桑名宿は城下町らしく道筋が複雑だけど、道標・案内板が充実しているのでありがたい。

 十字路を右折して神社仏閣が並ぶ通りを進むとK613に合流。 日進小前交.を右折すると右手に天武天皇社。 天武元年(672)壬申の乱の際に天武天皇が宿営した場所に建立された国内唯一の神社なのに、2度も移転しているなんて! 向かいの本願寺梅花佛鑑塔は寺の名前が地名にもなっているのに、見過ごすなんて! 右手に鍛冶の神様を祀る一目連神社指差し道標
 おお!鐘が転がっている民家がある!…と思ったら中川梵鐘屋。 矢田町交.でR1を渡ると竹内家。 桑名宿内は古い地名は残っているものの古い民家が少なかったけど、宿場を離れたら格子戸の民家が多くなり、旧道の雰囲気が残ってイイ感じ。

 突き当たり右手に平成三年(1991)に再建された矢田立場火の見櫓。 立場だけどベンチも日陰もないので休憩するのはヤダ!と休まず左折。 …。 何故か旧道は右に左に大きく折れたけど、ここからは東海道らしく真っ直ぐ進む。 松原跡を過ぎても東海道らしく真っ直ぐ進む。 R258高架橋には地下道があるんだけど、信号を見計らって東海道らしく?真っ直ぐ走る。 よい子は真似しないで!

 道幅が狭くなると安永の立場。 右手の安永餅元舗、文政元年(1818)製の伊勢神宮常夜灯里程標と続くと、員弁川で行き止まり。 員弁川=町屋川なので、桑名っ子はこの川の水を飲んでいたんだね。 寛永十二年(1635)に架けられた町屋橋跡で、大きなクスノキを眺めながら10分休憩。
 迂回してR1の町屋橋を渡ろうとしたら、常夜灯の足下にせぎ跡が3本も! 背が高いと思ったら常夜灯は堤防の上にある。

 町屋橋を渡ると朝日町。 町内の大字名が個性的で縄生小向・柿と進む。 縄生側の堤防にもせぎ跡が2本あるので、員弁川も暴れ川だったんだね。 点在する古い民家を眺めながら歩くと左手に山口誓子句碑。 並びに縄生一里塚跡

 近鉄朝日駅を過ぎると名残の1本松ならぬ1本。 枝を切られて埴輪みたいで気の毒だけど、300年の長きにわたり旧道を見守っている。 右手に小向神社石柱。 この付近は立場で鳥居が建っていたんだろうけど、車が減速しないでビュンビュン走るのでおっかない。 ここも焼きはまぐりが名物だったんだって…ふぅ。
 左手に県指定史跡の橘守部誕生地遺跡案内板。 路地に入っても何も見あたらず、代わりに犬と遊んでしまった。 道なりに左カーブする場所にある標識が、一緒に左に折れているのがイイね。

 柿では民家が途切れて松並木の代わりに桜並木。 追いはぎが出るほど寂しい場所だったらしいけど、周りが田んぼでイイ風吹くんだこれが。 朝明川の手前右手に弘化三年(1846)製の常夜灯
 伊勢湾岸自動車道をくぐって朝明橋を渡ると四日市市。 標識が三重県の青系から茶系のものに代わり、民家にも木札の「東海道」標識が飾ってあるので旅人に優しい。 右手に長明寺
 左手に鏡ヶ池跡。 案内板によると天平十二年(740聖武天皇が伊勢国行幸の際に立ち寄り、天皇の笠が落ちた池という。

 JR関西本線踏切&三岐鉄道架道橋を渡ると道幅が広くなり左カーブ。 近鉄&三岐鉄道架道橋を渡ると道幅が狭くなり、右手に県指定史跡の富田一里塚跡。 日陰がないけど10分休憩。 ここも焼きはまぐりが名物だったんだって…ふぅ。
 駅と駅に挟まれ、だんだん商店が増えて賑やかな間の宿・富田。 しかも車が減ったのでの〜んび〜り歩ける。

 丁字路の電柱に手作りの案内「右折」とあるので、ありがたく直角に曲がると中町通り。 右手のを撮っていたら、向かいの文房具店紅葉屋のご主人が出てきて富田宿の解説をしてくれた。 11:25左手に善教寺。 国指定重要文化財の阿弥陀如来像は見えないけど、トイレがあるのでまたも10分休憩。
 突き当たりに力石。 枡形のように左折右折して進む。 上も下も道路で2段になっている交差点を渡ると、米洗川手前に常夜灯

 『さんさくマップ』によると、羽津に2本のがあるはヅなのに、もう1本しかない。 …。 手前の民家には椰子の木が4本もあるというのに…。 民家といえば、軒下やPの屋根下にタマネギがズラッと並んでいる光景を見かけるけど、何かのおまじない?
 またも枡形のように左折右折して、片側1車線で渋滞しているR1に合流。 R1が渋滞するために東海道が抜け道になっているんだね。 しかもR1なのに歩道がないので路側帯を歩く。
 横浜市内も湘南も渋滞のメッカなのでヨソのことは言えないけど、四日市市は日本有数の工業都市なのに意外と道路事情が悪い。 でも歩道の工事をしているみたいなので、もう少しの辛抱です。

 左に旧道。 今日は川の手前で常夜灯をよく見かけたけど海蔵川にはない。 その代わり?左手に平成十三年(2001)に建立された三ツ谷一里塚跡。 案内板によると海蔵川の川幅を広げたので、ホントの一里塚があった場所はもう川の中?なんだって! 12:25もう四日市のビル街が見えるので、桑名宿の旅はここで終点。

 桑名宿では気軽に焼きはまぐりを食べられないようなので、代わりに焼き甘栗でも食べようと思っていたけど、桑名駅前の八間通りを逃したら、R1合流地点のココストア茶屋までコンビニ茶屋がない!
 しかも渋滞や工事に気を取られて「甘栗むいちゃいました」を買いそびれてしまった(人のせいにする)…ふぅ。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間20分(約3時間50分)
万歩計の歩数20,576歩
喜多さんの歩数18,883歩

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