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Vol.00 日本橋内藤新宿

(7.8km)


2018年 1月20日(土)

 いよいよ五街道最後の街道:甲州道中を歩きます。甲州道中は日本橋から中山道下諏訪宿までと知られていますが、当初は慶長9年(1604)1番目の宿場である下高井戸宿より順次に宿駅が設置され、甲府まで整備されたのがはじまり。下諏訪宿まで延長されたのは慶長15年(1610)。本ページは日本橋から四谷見附辺りまで。ほかの街道と違い、江戸城と武家屋敷の間を通り、街道っぽくない風景を堪能します。(^-^;

画像01 元標の広場から見る日本橋
画像02 日本国道路元標のレプリカと東京市道路元標
 いよいよ甲州道中四十五次を歩く! 五街道の起点日本橋から出立するのはこれで4度目。2001年に東海道、2010年に中山道、2015年に日光道中奥州道中、そして今年は五街道最後の甲州道中を歩きます。日本橋スタートというのはこれで最後となるので、今まで東京駅から歩いてきたけど、今回は記念に日本橋駅を利用しました。(^-^;
 さて、東海道は高札場跡の南詰西側から出立しました。そして、中山道は魚河岸跡の北詰東側、日光道中(奥州道中)は晒し場跡の南詰東側。甲州道中は北詰西側からのスタートだけど、ここは何の跡だろう? 現在は元標の広場という愛称で、昭和47年(1972)に橋の中央に埋め込まれた日本国道路元標のレプリカと、入れ替わりで移設された東京市道路元標が置かれている。ということで、20代目となる日本橋を6:45スタート。
 日本橋をスタートして東海道と一緒に南下するけど、甲州道中は日本橋交差点ですぐ右折。ビックリするのは国道20号だけじゃなく、国道1号まで付いて来る。国道1号が日本橋を出たらすぐ東海道から離れてしまい、合流するのが東海道神奈川宿の青木橋というのは知っていたけど、こんなに早く離れちゃうのね。
画像03 6:50 一石橋の親柱と一石橋迷子しらせ石標
画像04 迷子しらせ石標の几号水準点
 日本橋交差点から呉服橋交差点まで進んだら左折するんだけど、早くも寄り道。交差点を渡って右折すると日本橋から2本上流に架かる一石(いちこく)。江戸初期に架けられた古い橋で、大正11年(1922)に鉄骨コンクリート花崗岩張りの橋として架け替えられた時の、一石橋の親柱が南詰に残されている。区民有形文化財。親柱の隣りに一石橋迷子しらせ石標。安政4年(1857)に造られた迷子探しの告知石碑で、正面に「まよひ子のしるへ」と刻まれ、さらに「へ」の下には(き)号水準点も刻まれている。へ〜、日光道中草加宿の瀬崎浅間神社神明神社や、奥州道中白沢宿の感恩報コ碑や喜連川宿の大黒天などにもあったね〜。都指定有形文化財。
 甲州道中は日本橋を南下してから、日本橋交差点を右折、呉服橋交差点を左折、JR東京駅を横断して丸の内に入る。それなら呉服橋から都道405号「外堀通り」をGO!となるけど、外堀通りはその名の通り、外堀跡なのでNG。往時の甲州道中は呉服橋交差点の角に建つ鉄鋼ビルディングのど真ん中を通る。甲州道中が中央区と千代田区の境だったようで、鉄鋼ビルの所在地は千代田区丸の内だけど、ビル自体は中央区と千代田区の区境に建っている。
画像05 7:00 鉄鋼ビルディングと丸の内トラストシティの間をGO!
 ターミネーターのように建物をぶち壊してまで進めないので、やはり外堀通りを進まなくちゃと思ったら、ありがたいことに、鉄鋼ビルと丸の内トラストシティの間に歩道がある! しかし、ビル街の路地裏歩道は行き止まり! ありゃ、こんなことなら、初めからトラストシティ側の歩道を進めばヨカッタ。(^-^;
 トラストタワーN館に北町奉行所跡。慶長6年(1601)呉服橋門内に初めて設置された。何回か移転した後、文化3年(1806)再びこの地に戻り、幕末に至る。発掘調査で発見された下水溝の石組が復元されている。都指定旧跡。ちなみに南町奉行所跡は意外と近い有楽町駅前。
画像06 遠山の金さんで有名な北町奉行所跡
画像07 当時の石垣が残る江戸城外堀の石垣
 東京駅方面に進むと、トラストタワー本館に、寛永13年(1636)に築かれた江戸城外堀の石垣。外堀をイメージして再現した石積みの中に、本物の石垣が混じっている。近代的なビルの谷間にひっそりと江戸時代の遺構が残る。
 丸の内トラストシティから東京駅八重洲北口へ。ちょっとその前に、角のグラントウキョウノースタワーに、また北町奉行所跡碑。こちらは、以前大丸の通用口にあったものだね。駅の構内に入るとGPSが気が狂って、ログが滅茶苦茶になるのがイヤなので、息を止めて一気に通り抜ける(笑)! 真っ直ぐ進むと改札なので、右に左にコキコキ曲がる。あ〜、息が続かない(笑)。
画像08 東京駅八重洲北口の手前にも北町奉行所跡碑
画像09 息を止めて東京駅八重洲北口へ(笑)
 丸の内北口に出るとドームのレリーフが美しい。東京駅丸ノ内本屋(駅舎)は、日本の玄関口「中央停車場」として明治41年(1908)に着工され、大正3年(1914)東京駅と改称されて開業。中山道歩きで立ち寄った日本銀行本店(旧館)とともに辰野金吾の代表作。平成24年(2012)に開業当時の姿に復原されて6年経つけど、まだピカピカ。国指定重要文化財。いや〜、実は復原された東京駅を見るのは初めてなので、しっかり観光しました。(^-^;
画像10 7:20 開業当時の姿に復原された東京駅丸ノ内本屋
 甲州道中は、東京駅丸の内北口から西に向かうと、江戸城跡である皇居に突き当たる。内濠(和田倉濠)には復元された和田倉橋が架かっている。ここから内濠に沿って時計回りに進む。100mほどで日比谷濠の角にある日比谷公園。公園の中に日比谷見附跡があり、石垣の一部が残っている。隣の心字(しんじ)は内濠の跡。
画像11 7:45 日比谷見附跡@日比谷公園
画像12 伊達政宗終焉の地
 心字池の先に案内板があるので行ってみると、伊達政宗終焉の地仙台藩外桜田上屋敷跡で、政宗は江戸参勤の寛永13年(1636)に死去。案内板を見ると、千代田区のものではなくて、仙台市が設置したもの。お〜!さすがお膝元!政宗LOVE♥
画像13 8:05 旧江戸城外桜田門 皇居ランニングコースを走るジョガーのみなさんが吸い込まれています
画像14 渡櫓門の几号水準点
 往時には架かっていなかった祝田門を横目に桜田門交差点。お濠の先に国指定重要文化財旧江戸城外桜田門。この外桜田門とは別に本丸近くにある桔梗門を内桜田門と呼ぶそう。万延元年(1860)大老井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に暗殺された桜田門外の変が有名だけど、暗殺された場所は現在の警視庁の前辺り。
 外桜田門は外桝形という防御性の高い城門で、外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造となっている。高麗門よりデカい渡櫓門の内側には、最初に立ち寄った一石橋迷子しらせ石標にあったような几号水準点が刻まれている。いや〜、桜田門の正式名称が「外桜田門」ってのは知らなかったな〜。さて、国道20号と並走していた国道1号は、この桜田門交差点で左折するので、アッという間にお別れ。
 井伊直弼が暗殺された警視庁の前を横目に先を進む…ってゆーか、その向かいに建つ、左手の煉瓦造りの法務省旧本館が気になる。明治28年(1895)司法省の庁舎として建てられたもので、元は米沢藩上杉家江戸屋敷跡。関東大震災や東京大空襲などの災難に遭ったものの、改修されて国指定重要文化財となっている。
画像15 8:15 法務省旧本館
画像16 8:20 国会議事堂
 日本橋からずっと平らだったけど、桜田門から緩やかな上りの三宅坂。ジョガーが多い。国会前交差点で横断歩道を渡る。この辺りは広島藩浅野家江戸上屋敷跡国会議事堂は意外にも有形文化財とかに指定されていない。昭和11年(1936)に建設されたものなので、新しすぎるのか?
 そして、国会前庭(北庭)が彦根藩井伊家江戸上屋敷跡。元は熊本藩加藤清正の屋敷だったが、2代目の忠広の時に改易され、井伊家が拝領。井伊直弼が暗殺された外桜田門まで、ほんの500mくらいの距離しかない。前庭に入ると、すぐ都指定旧跡桜の井。元は国会前交差点にあったものを、昭和43年(1968)道路工事のため現在地に移された。往時は名水井戸と知られ、江戸城を訪れる通行人に水を提供していたそうだけど、今は涸れ井戸。♪大学ノートの裏表紙に〜さなえちゃんを描いたの〜♪←そ…それは古井戸
画像17 ポツンと江戸の名水「桜の井」
画像18 ポツンと日本水準原点標庫
 国会前庭は斜面になっていて、石段を上ると石造りの倉庫が建っている。明治24年(1891)製の日本水準原点標庫で都指定有形文化財&区特別登録文化財。この地に参謀本部陸地測量部があったので、国内の高さの基準となる日本水準原点が置かれている。設置された時の東京湾平均海面からの標高は24.5000m。その後、大正12年(1923)関東大震災の地殻変動で沈下したため24.4140mに改定され、平成23年(2011)東日本大震災でも沈下して、現在は24.3900mとなっている。また巨大地震が起こると標高が変わるのね。(+_+) 地図学の聖地巡礼。
 街道復帰して上り坂の三宅坂。とにかくジョガーが多い。皇居外周のジョギングが人気と聞いていたけど、多いね〜。濠側がジョガー、車道側が歩行者と、線引きされているわけではないけど、左側通行で棲み分けができている。そのためか?お濠の写真を撮るのに濠側に立っていると、ジョガーに舌打ちされた。舌打ちしたいのはおらの方だよ! ジョガーにすれば歩行者はジャマかもしれないけど、歩行者側から見るとジョガーがものスゴくジャマ! しかも、坂を下りてくるジョガーのみなさんは、速いスピードで向かって来るのでおっかない。もしぶつかったりでもしたら、歩行者の衝撃は大きいので、交通安全&共存共栄でお願いします。
(´-`).。oO(ホントはマラソンランナーのように車道を走ってほしい…)
画像19 8:35 三宅坂交差点の三宅坂小公園は田原藩三宅家江戸屋敷跡
 三宅坂交差点に最高裁判所。元は三宅坂の由来となった、田原藩三宅家江戸屋敷跡。交差点の角に三宅坂小公園があり、その裏手に渡辺崋山誕生地の案内板がひっそりと立っている。寛政5年(1793)藩邸の長屋で崋山誕生。三宅坂交差点を左に進む道は青山通りで、江戸時代はすぐ突き当たりになるけど、この先に青山通り大山道(大山街道)の起点となる赤坂見附がある。崋山は青山通り大山道を歩いたことがあるので、おらも早く歩かなくちゃな〜。(^-^;
画像20 8:45 三宅坂を上ると半蔵門とその土橋
画像21 一般人は通行禁止の半蔵門
 三宅坂を上りきると半蔵門桜田門の辺りは濠の水面が近かったけど、半蔵門では景色が一変。お濠が深い谷のよう。標高が坂下の桜田門交差点が6.6m、坂上の半蔵門交差点が28.5mなので、1.3kmほどの間に22mも上っている。半蔵門の名は、門外に服部半蔵(正成)の組屋敷があったとか、警備をしていたからということだけど、桜田門だと地名の桜田郷から付いた名前なので、江戸城の施設に個人名が付いているということは、それだけ信頼が厚かったんだね。今は半蔵に代わって、皇室の警備で警察官が立っている。
 甲州道中は半蔵門交差点を左折して西へ向かう。今まで江戸城の濠に沿って武家屋敷の間を通ってきたけど、ここから麹町で町屋が始まる。現代の町屋はギッシリと並ぶビル街で、急に空が狭くなった。何だか日本橋より半蔵門交差点の方が甲州街道の起点っぽく感じる(笑)。最初は真っ直ぐだった道も、次の麹町1丁目交差点を過ぎると左カーブとなり、麹町四丁目交差点を過ぎると右カーブとなり、緩やかに蛇行している。4車線道路になっても旧道らしくてイイね!
画像22 8:50 麹町1丁目交差点 信号待ちの車がジャマだけど、緩やかな左カーブになっています
画像23 梵鐘と庚申塔&↑カーソルを合わせると↑水盤
 麹町六丁目交差点を過ぎて路地を入ると心法寺(しんぽうじ)。元は三河国宮崎村の秦宝寺で、慶長2年(1597)徳川家康の命によって移転。今では千代田区内で唯一墓所のある寺院となっている。境内にはお宝がいっぱい。本尊の木造阿弥陀如来坐像をはじめ、延宝4年(1676)製の銅製梵鐘、宝暦2年(1752)製の庚申塔、そして万延2年(1861)製の水盤などが区指定文化財。帰りがけにふと見ると、塩まみれのお地蔵さま(塩地蔵)が! 足下に塩の容器が置かれ、自分の具合の悪いところに塗りつけると治るそう。こんなクールな都会の真ん中でも、昔ながらの民間信仰が続いているんだね〜。
 心法寺を出ると、いよいよ四ツ谷駅。教科書『今昔三道中独案内』では、駅前の四ツ谷駅前広場を斜めに突っ切って四谷見附跡に出る道筋となっているけど、四谷見附は枡形になっているので、現在の車道に沿って進むのが正解。ちょっとその前に、広場に四谷駅前公衆便所があるのでありがたい。中山道では聖堂際公衆便所白山坂上公衆便所、日光道中では南千住駅ガード下公衆便所を利用したけど、23区内は公衆トイレが多いので安心。(^-^; それにしても、駅名は「四ツ谷」なのに、交差点やトイレ名は「四谷駅前」となっている。何故?
画像24 9:10 公衆トイレのある四ツ谷駅前広場
 ということで、四ツ谷駅麹町口に四谷見附跡。さっき立ち寄った日比谷見附跡と同じような、石垣の一部が残っている。約30年にわたる江戸城建設の締めくくり?として寛永13年(1636)に外濠が開削され、枡形門の四谷見附が設置された。江戸城の外濠は総延長約14km。そのうち、四谷門を含む赤坂門〜牛込門の約4kmが、江戸城外堀跡として国の史跡となっている。
画像25 枡形門の四谷見附跡
画像26 四ツ谷駅ホームの上を通る
 外濠を越えると新宿区。四谷見附北交差点を左折。四谷見附跡の石垣を眺めながら日本橋の巻を終えようと思っていたのに、四谷見附北交差点を通り越して、ズルズルと四谷見附交差点まで来ちゃった。この交差点を右折して国道20号を進むと、もう内藤新宿だよ! ということで、9:20甲州道中日本橋の巻はこれでおしまい。ふぅ。慌ただしくてヘロヘロ。(^-^;
画像27 9:20 四谷見附交差点で日本橋の巻はおしまい
 甲州道中は内藤新宿の巻となって四谷見附交差点から再び西に向かう。当日は気がつかなかったけど、後ろを振り向けば四谷見附橋という名の橋が架かっている。現在の四谷見附橋は平成3年(1991)に架けられた2代目で、大正2年(1913)に架けられた初代四谷見附橋が、八王子市に現存している。長池見附橋と名前を変えているけど、平成5年(1993)多摩ニュータウンの長池公園に移設再建された。何故こんなところに?とビックリするけど、大正ロマン漂うアーチ橋が現代的な大型団地に巧く溶け込んでいるね〜。
画像28 大正ロマン漂う初代四谷見附橋@多摩ニュータウン長池公園
画像29 『御府内沿革図書』の絵図@四谷門案内板
 これは、後日ちゃらぽこ散歩会 改元記念特別企画「万葉の道・多摩よこやまの道を歩く!」に参加して知りました。四谷見附橋は甲州道中の道筋ではないけど、感激したので載せておきます。いや〜、2代目の四谷見附橋の写真を撮っていないのがホント残念。(^-^;
 さて、江戸時代に何もなかった場所に架けられた橋が四谷見附橋なら、往来のあった四谷見附に架かる橋名は何だろう?と調べたら、何と!「新四谷見附橋」だって。え!見附跡の橋の方が新しいの?と、またビックリ! 案内板の絵図を見ると、四谷門には木橋や石橋などは架かっておらず、半蔵門と同じように土橋で外濠の上を通っている。へぇ、土橋って名前がないのかぁ…。

おまけ
所要時間 2時間35分
今日1日の所要時間 9時間30分
万歩計®の歩数(今日1日の歩数) 11,270歩(34,592歩)
寄り道含めたGPSの距離(今日1日の距離) 11.4km(31.6km)

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