近藤勇と新選組隊士供養塔 デカい
中山道歩きの2日目。出発の前に、前回寄り忘れた
近藤勇と新選組隊士供養塔に立ち寄る。ひっそりと建っているのかと思っていたら結構デカい。区指定有形文化財。
慶応4年(
1868)近藤勇は板橋宿の手前にあった
平尾一里塚付近の刑場で官軍に斬首された。胴体がこの地に埋葬され、供養塔の横に当初の墓石が残っている。首級の方は三条大橋で晒された後、東海道の赤坂宿と藤川宿の間にある
法蔵寺に埋葬された。
8:40板橋駅東口入口の名前のない交差点を出発。「赤羽線
仲仙道踏切」で板橋区となる。「中仙道」という表記はよく見かけるけど、「仲仙道」ってのは初めて。踏切を渡ると板橋駅西口に「旧中山道」の標識。ここから
いたばし縁むすび通りで、「
平尾宿」と書かれたペナントが並んでいる。出発した板橋駅東口の通りは狭かったけど、西口は歩道があって賑やか。
8:40 仲仙道踏切
平尾宿ペナント
2段重ねの首都高が見えると板橋3丁目交差点。ここが
川越街道&
富士大山道の
追分。大山道を歩く旅人としては、いつかこの道も歩いてみたいね〜。しかし、国道17号で手前の平尾宿は板橋宿の中宿・上宿と分断されているのでお気の毒。国道を渡ると「これより板橋宿」の案内板とゲート。何故か?ウサギがキャラクターになっている。
8:50 板橋宿平尾追分 空が狭い…
8:55 東光寺の石仏群 お地蔵さまは椿に隠れてよく見えません(^-^;
宇喜多秀家供養塔
「これより板橋宿」を進む前に、手前の路地に入って
東光寺に寄り道。境内に
石仏群。寛文2年(
1662)製で区指定有形文化財の
寛文二年庚申塔や、区登録有形文化財の
石造地蔵菩薩坐像及び台座などが並んでいる。
しかし、明治時代に子孫が建てたという
宇喜多秀家供養塔が見当たらない。喜多さんが墓地で宇喜多家の墓を見つけたけど、新しいのでアヤシい。寺の人に尋ねたら、供養塔は石仏群の並びで本堂の前…。デカいのに気がつかなかった…ガクッ。やはり、分からないことは人に聞かないと。
9:10 寛文元年庚申塔
旧道に戻って「板橋宿」をてくてく。コンクリートのブロックを敷き詰めた
板橋宿不動通り商店街。
観明寺に寛文元年(
1661)製で区指定有形文化財の
寛文元年庚申塔がある。青面金剛像が彫られたものとしては都内最古ということで、大事にされている。
銭湯
花の湯を横目に進むと再び「板橋宿」のゲート。ゲートの上にいるウサギがおらたちに手を振っている。バッハッハ〜イ。
旧中山道仲宿交差点で
王子新道を渡ると
中山道板橋宿碑。ここから板橋宿の中心で
中宿。
仲宿商店街を進むと
遍照寺。境内が
馬つなぎ場だったそうだけど、往時の面影はない。
9:35 飯田本陣跡から見る板橋宿の風景
緩やかな下り坂。ライフ屋の手前、飯田不動産屋に板橋宿本陣跡。飯田本陣の跡で、ちょうど店の前でご主人がバイクを洗っているので尋ねてみると、往時はライフ屋まで本陣の敷地だったそうで、結構広〜い。向かいの石神医院は旧水村玄洞宅で高野長英ゆかりの地。脱獄して逃亡中の長英をかくまった。
9:40 板橋ならぬ、2代目のコンクリ橋
石神井川 桜の季節はキレイだろうね〜
2軒目の銭湯で
水神湯を過ぎると、宿場名の由来となった
板橋。中世にはもう板橋と呼ばれていたらしい。江戸時代の板橋は太鼓橋で、長さ9間(16.2m)幅3間(5.1m)と、けっこうデカい。自動車の普及に対応するため、残念ながら昭和7年(
1932)にコンクリート橋となる。現在のコンクリ橋は2代目。板橋が架かる
石神井川(しゃくじいがわ)も、川岸や河床がコンクリートで固められ、川というよりデッカい用水路みたいなので、見ていて痛ばしい。…。
9:50 和宮を回り道させた縁切榎
板橋を渡ると
板橋本町商店街で、アスファルト舗装となる。上り坂になると公園に何故か?櫓。ベンチがあって憩いの場になっている。並びの交番に
中山道板橋宿碑が建ち、この付近が
上宿。左手の細い路地が、文久元年(
1861)降嫁のため下向した
和宮一行の回り道。
縁切榎前交差点の角に和宮一行を迂回させた区登録文化財
縁切榎。一里塚のように枝ぶりが立派なエノキを想像していたけど、思ったより小っちゃい。3代目だって。
都道318号環状7号線をくぐると商店街がだんだん寂しくなってくる。知らない間に板橋宿が終わってしまった…。う〜む、どこが境目なんだろう?
歩道の上に何故か?石垣。歩道が途切れている!…と思ったら、
志村一里塚。都内に「跡」が付かない一里塚があるなんてビックリ!(◎o◎) しかも、ペアで残っているなんて奇跡だね。そのおかげで?国指定史跡となっている。手前の店屋といい、旧道の風景らしくてイイね〜。国道17号は片側2車線で広いけど、往時も中山道ってこんなに広かったの? 左塚で10分休憩。隣のGS(ESSO)でトイレを借りました。ありがとうございます。
10:20 日本橋から3里目の志村一里塚
西塚(京に向かって左手)
東塚(京に向かって右手)
10:40 大山道道標 ここから大山へGO!
志村坂上交差点を左斜めに旧道。上り坂。丁字路にある民家の玄関脇に道標が2基。2基とも
大山道道標なのでスゴいことだ。左側の道標は寛政4年(
1792)製で、正面に「是より/大山道
并(ならびに)ねりま
川こへみち」と刻まれている。右側の庚申道標は万延元年(
1860)製で、左面に「是ヨリ/富士山大山道」と刻まれている。どちらの道標も
志村坂上富士大山道道標・庚申塔として、区登録歴史資料となっている。この
志村追分もさっきの
平尾追分と同じく
富士大山道の追分だけど、こちらの道もいつか歩いてみたいね〜。
清水坂碑から下り坂。車を通すために開削されていても、かなりの急坂で、往時の難所。坂を下るとまた
清水坂碑。この付近に
志村の立場があった。
10:45 坂の下の清水坂碑
真っ直ぐ進んでふとGPSを見ると、これから合流するはずの国道17号からどぅぉんどぅぉん離りぇていりゅ! ふぅ…アブナイあぶない。ログ取りのためにGPSを利用しているけど、ちゃんと役立っているね〜。(^-^; 旧道って真っ直ぐ進むことが多いけど、ここは例外で、坂の下の清水坂碑を右折…ってゆーか、道なりに右カーブ。
都営地下鉄三田線をくぐると国道17号に合流…ってゆーか、斜めに交差するけど、志村3丁目交差点で旧道は一部途切れている。おらは写真を撮るために歩道橋で渡るけど、喜多さんたちは横断歩道で渡る。
11:05 志村3丁目交差点からの旧道 喜多さんたちは隅っこで休憩中(笑)
交差する都道311号環状8号線は渋滞で、信号待ちのトラックやトレーラーが動くのを待っていたら、写真を撮るのに5分もかかっちゃった…。(^-^; 楽しい旧道部分は短くて、すぐ国道17号に合流。しばらく味気ない国道の歩道歩き。
舟渡交差点から歩道がなくなるので右側の脇道を進む。もう荒川なので、「舟渡
(ふなと)」ってな地名がイイね〜。しかし、戸田橋を渡る手前で階段を上ることになるけど、車椅子の人が戸田橋を渡るにはどうしたらイイの?
11:30 戸田橋 いよいよ埼玉県に突入〜
戸田橋で荒川を渡ると埼玉県戸田市となり川岸1丁目交差点。やはり荒川なので、「川岸」ってな地名がイイね〜。交差点を渡ると「歴史のみち中山道」の案内板。裏に回ると地図があるのでありがたい(…と思ったら、↓注意)。
案内板の地図通りに階段を下りると丁字路から中山道。あれ?
戸田渡船場跡碑がブロック塀の上に建っていて、碑が背中を向けている! 階段もない! 何てこった! 丁字路までは中山道ではないので、こんなことなら案内板の通りには進まないで、車道を歩いた方がイイ。とらガイドでは車道を進んで、渡船場跡碑を左に見るようにします(車には気をつけてね)。
11:40 後ろ姿の戸田渡船場跡碑
石碑だけの水神社
仕方がないのでこの先にある信号を折り返し、車道を進んで碑の前まで行くことにする。左手に水神社。祭礼の時に飾られる獅子頭が市指定文化財。渡船場跡碑も、案内板も、ないよりはマシだけど、こんな不親切な場所に建てるなら、荒川の土手にでも建ててほしかったな〜。そんなわけで、11:45荒川の土手に上って板橋宿の旅は終わり。
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