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Vol.01 板橋宿蕨宿

(9.0km)


英泉「板橋之驛」 宿場

2010年 3月13日(土)

 中山道1つ目の宿場は板橋宿。英泉の浮世絵は巣鴨の立場で、王子道との追分です。庚申塚交差点付近。板橋宿は、平尾宿・中宿・上宿の3つのエリアで構成され、20町9間(約2.2km)と、長い宿場。現在もいくつもの商店街でつながっています。
浮世絵ポイント 画像00

画像01 近藤勇と新選組隊士供養塔 デカい
 中山道歩きの2日目。出発の前に、前回寄り忘れた近藤勇と新選組隊士供養塔に立ち寄る。ひっそりと建っているのかと思っていたら結構デカい。区指定有形文化財。
 慶応4年(1868)近藤勇は板橋宿の手前にあった平尾一里塚付近の刑場で官軍に斬首された。胴体がこの地に埋葬され、供養塔の横に当初の墓石が残っている。首級の方は三条大橋で晒された後、東海道の赤坂宿と藤川宿の間にある法蔵寺に埋葬された。
 8:40板橋駅東口入口の名前のない交差点を出発。「赤羽線仲仙道踏切」で板橋区となる。「中仙道」という表記はよく見かけるけど、「仲仙道」ってのは初めて。踏切を渡ると板橋駅西口に「旧中山道」の標識。ここからいたばし縁むすび通りで、「平尾宿」と書かれたペナントが並んでいる。出発した板橋駅東口の通りは狭かったけど、西口は歩道があって賑やか。
画像02 8:40 仲仙道踏切
画像03 平尾宿ペナント
 2段重ねの首都高が見えると板橋3丁目交差点。ここが川越街道富士大山道追分。大山道を歩く旅人としては、いつかこの道も歩いてみたいね〜。しかし、国道17号で手前の平尾宿は板橋宿の中宿・上宿と分断されているのでお気の毒。国道を渡ると「これより板橋宿」の案内板とゲート。何故か?ウサギがキャラクターになっている。
画像04 8:50 板橋宿平尾追分 空が狭い…
画像05 8:55 東光寺の石仏群 お地蔵さまは椿に隠れてよく見えません(^-^;
画像06 宇喜多秀家供養塔
 「これより板橋宿」を進む前に、手前の路地に入って東光寺に寄り道。境内に石仏群。寛文2年(1662)製で区指定有形文化財の寛文二年庚申塔や、区登録有形文化財の石造地蔵菩薩坐像及び台座などが並んでいる。
 しかし、明治時代に子孫が建てたという宇喜多秀家供養塔が見当たらない。喜多さんが墓地で宇喜多家の墓を見つけたけど、新しいのでアヤシい。寺の人に尋ねたら、供養塔は石仏群の並びで本堂の前…。デカいのに気がつかなかった…ガクッ。やはり、分からないことは人に聞かないと。
画像07 9:10 寛文元年庚申塔
 旧道に戻って「板橋宿」をてくてく。コンクリートのブロックを敷き詰めた板橋宿不動通り商店街観明寺に寛文元年(1661)製で区指定有形文化財の寛文元年庚申塔がある。青面金剛像が彫られたものとしては都内最古ということで、大事にされている。
 銭湯花の湯を横目に進むと再び「板橋宿」のゲート。ゲートの上にいるウサギがおらたちに手を振っている。バッハッハ〜イ。
 旧中山道仲宿交差点で王子新道を渡ると中山道板橋宿碑。ここから板橋宿の中心で中宿仲宿商店街を進むと遍照寺。境内が馬つなぎ場だったそうだけど、往時の面影はない。
画像08 9:35 飯田本陣跡から見る板橋宿の風景
 緩やかな下り坂。ライフ屋の手前、飯田不動産屋に板橋宿本陣跡飯田本陣の跡で、ちょうど店の前でご主人がバイクを洗っているので尋ねてみると、往時はライフ屋まで本陣の敷地だったそうで、結構広〜い。向かいの石神医院は旧水村玄洞宅で高野長英ゆかりの地。脱獄して逃亡中の長英をかくまった。
画像09 9:40 板橋ならぬ、2代目のコンクリ橋
画像10 石神井川 桜の季節はキレイだろうね〜
 2軒目の銭湯で水神湯を過ぎると、宿場名の由来となった板橋。中世にはもう板橋と呼ばれていたらしい。江戸時代の板橋は太鼓橋で、長さ9間(16.2m)幅3間(5.1m)と、けっこうデカい。自動車の普及に対応するため、残念ながら昭和7年(1932)にコンクリート橋となる。現在のコンクリ橋は2代目。板橋が架かる石神井川(しゃくじいがわ)も、川岸や河床がコンクリートで固められ、川というよりデッカい用水路みたいなので、見ていて痛ばしい。…。
画像11 9:50 和宮を回り道させた縁切榎
 板橋を渡ると板橋本町商店街で、アスファルト舗装となる。上り坂になると公園に何故か?櫓。ベンチがあって憩いの場になっている。並びの交番に中山道板橋宿碑が建ち、この付近が上宿。左手の細い路地が、文久元年(1861)降嫁のため下向した和宮一行の回り道
 縁切榎前交差点の角に和宮一行を迂回させた区登録文化財縁切榎。一里塚のように枝ぶりが立派なエノキを想像していたけど、思ったより小っちゃい。3代目だって。
 都道318号環状7号線をくぐると商店街がだんだん寂しくなってくる。知らない間に板橋宿が終わってしまった…。う〜む、どこが境目なんだろう?
 歩道の上に何故か?石垣。歩道が途切れている!…と思ったら、志村一里塚。都内に「跡」が付かない一里塚があるなんてビックリ!(◎o◎) しかも、ペアで残っているなんて奇跡だね。そのおかげで?国指定史跡となっている。手前の店屋といい、旧道の風景らしくてイイね〜。国道17号は片側2車線で広いけど、往時も中山道ってこんなに広かったの? 左塚で10分休憩。隣のGS(ESSO)でトイレを借りました。ありがとうございます。  
画像12 10:20 日本橋から3里目の志村一里塚
画像13 西塚(京に向かって左手)
画像14 東塚(京に向かって右手)
画像15 10:40 大山道道標 ここから大山へGO!
 志村坂上交差点を左斜めに旧道。上り坂。丁字路にある民家の玄関脇に道標が2基。2基とも大山道道標なのでスゴいことだ。左側の道標は寛政4年(1792)製で、正面に「是より/大山道并(ならびに)ねりま川こへみち」と刻まれている。右側の庚申道標は万延元年(1860)製で、左面に「是ヨリ/富士山大山道」と刻まれている。どちらの道標も志村坂上富士大山道道標・庚申塔として、区登録歴史資料となっている。この志村追分もさっきの平尾追分と同じく富士大山道の追分だけど、こちらの道もいつか歩いてみたいね〜。
 清水坂碑から下り坂。車を通すために開削されていても、かなりの急坂で、往時の難所。坂を下るとまた清水坂碑。この付近に志村の立場があった。
画像16 10:45 坂の下の清水坂碑
 真っ直ぐ進んでふとGPSを見ると、これから合流するはずの国道17号からどぅぉんどぅぉん離りぇていりゅ! ふぅ…アブナイあぶない。ログ取りのためにGPSを利用しているけど、ちゃんと役立っているね〜。(^-^; 旧道って真っ直ぐ進むことが多いけど、ここは例外で、坂の下の清水坂碑を右折…ってゆーか、道なりに右カーブ。
 都営地下鉄三田線をくぐると国道17号に合流…ってゆーか、斜めに交差するけど、志村3丁目交差点で旧道は一部途切れている。おらは写真を撮るために歩道橋で渡るけど、喜多さんたちは横断歩道で渡る。
画像17 11:05 志村3丁目交差点からの旧道 喜多さんたちは隅っこで休憩中(笑)
 交差する都道311号環状8号線は渋滞で、信号待ちのトラックやトレーラーが動くのを待っていたら、写真を撮るのに5分もかかっちゃった…。(^-^; 楽しい旧道部分は短くて、すぐ国道17号に合流。しばらく味気ない国道の歩道歩き。
 舟渡交差点から歩道がなくなるので右側の脇道を進む。もう荒川なので、「舟渡(ふなと)」ってな地名がイイね〜。しかし、戸田橋を渡る手前で階段を上ることになるけど、車椅子の人が戸田橋を渡るにはどうしたらイイの?
画像18 11:30 戸田橋 いよいよ埼玉県に突入〜
 戸田橋荒川を渡ると埼玉県戸田市となり川岸1丁目交差点。やはり荒川なので、「川岸」ってな地名がイイね〜。交差点を渡ると「歴史のみち中山道」の案内板。裏に回ると地図があるのでありがたい(…と思ったら、↓注意)。
 案内板の地図通りに階段を下りると丁字路から中山道。あれ?戸田渡船場跡碑がブロック塀の上に建っていて、碑が背中を向けている! 階段もない! 何てこった! 丁字路までは中山道ではないので、こんなことなら案内板の通りには進まないで、車道を歩いた方がイイ。とらガイドでは車道を進んで、渡船場跡碑を左に見るようにします(車には気をつけてね)。
画像19 11:40 後ろ姿の戸田渡船場跡碑
画像20 石碑だけの水神社
 仕方がないのでこの先にある信号を折り返し、車道を進んで碑の前まで行くことにする。左手に水神社。祭礼の時に飾られる獅子頭が市指定文化財。渡船場跡碑も、案内板も、ないよりはマシだけど、こんな不親切な場所に建てるなら、荒川の土手にでも建ててほしかったな〜。そんなわけで、11:45荒川の土手に上って板橋宿の旅は終わり。

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 3時間05分(2時間55分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間) 7時間45分(5時間55分)
万歩計®の歩数(今日1日の歩数) 13,028歩(26,792歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数) 11,468歩(23,126歩)
寄り道含めたGPSの距離(今日1日の距離) 10.4km(20.9km)

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