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Vol.15 安中宿松井田宿

(9.6km)


広重「案中」 宿場

2010年11月13日(土)

 城下町の安中宿。広重の絵は安中宿のどこなのか?不明。中山道のアイドル:てっしー(勅使川原郁恵)の浮世絵ポイントは碓氷川だけど、浮世絵には家並みが続いているので、凹んでいる土地は川じゃなくて窪地でしょ。ということで、おらの浮世絵ポイント@安中宿は原市で〜す。(^-^;
浮世絵ポイント 画像00

 中山道歩きの9日目。9:05久芳(ひさよし)をスタート。そして下野尻交差点。この交差点は歩道橋があるけど、横断歩道もあるのでイイ交差点。今日は4時起きでもう腹が減っているので、セブン茶屋安中バイパス店で早くもお八つ。(^-^;
 見慣れた中山道標識があると思ったら下ノ木戸跡。ここは伝馬町。その路地を入ると突き当たりに熊野神社。永禄2年(1559)安中忠政が安中城を築いた時に、鬼門の守護神として熊野三社を勧請したのが始まり。小っちゃい神社だけど社殿の彫刻が見事で、市の重要文化財に指定されている。境内の大欅も市指定天然記念物。
画像01 9:30 熊野神社社殿
画像02 9:40 西広寺のツバキ
 旧道と熊野神社の間に西広寺。石段を上ると、樹齢300年という県指定天然記念物の西広寺のツバキ、市指定史跡の柏木義圓の墓太山融斎の墓などがある。狭い境内だけど文化財がいっぱい。
 安中郵便局が須藤本陣跡だけど、案内板はない。立ち去る時に、喜多さんが振り返って見つけてくれた。郵便局の左の隅に標識&碑が建っている。これでは京から歩いてくる旅人じゃないと気がつかない。(>_<)
画像03 9:45 安中宿の街並み 門のあるお宅から4軒先が本陣跡の郵便局 オレンジの看板見える?
 安中市は城下町で、飯盛女が置かれたのが嘉永7年(1854)と遅く、宿場の規模は小っちゃい。1つ手前の板鼻宿には旅籠屋が54軒もあるのに、安中宿はその1/3ほどの17軒ぽっち。これから奉行役宅や武家長屋などに立ち寄るので、やはり安中宿は宿場町というより城下町のイメージがあるね〜。
 伝馬町交差点を右折すると、市指定重要文化財旧碓氷郡役所。郡役所は明治11年(1878)に開庁され、初めは旧須藤本陣に置かれた。現在地に新庁舎が建てられたのは明治21年(1888)。しかし、残念なことに、明治43年(1910)に原因不明の出火により全焼。現在の建物は翌明治44年(1911)に再建されたもの。
画像04 9:50 旧碓氷郡役所 約100年前の建物!
 今回も前回同様萩さんが参加。遅れてきた萩さんと郡役所で合流。ホントはこの先の武家長屋辺りと思っていたけど、あちこち寄り道していると進むのがゆっくりなので、予定より手前で落ち合うことになりました。(^-^;
 旧碓氷郡役所の並びに安中教会。明治11年(1878)新島襄から地元の信徒が洗礼を受けて創立された、日本初のキリスト教会。大谷石の日本基督教団安中教会教会堂(新島襄記念会堂)は、大正8年(1919)に新島襄召天30周年を記念して建てられた礼拝堂で、国登録有形文化財。さっき立ち寄った西広寺に眠る柏木義圓は、安中教会の5代目牧師で、新島襄記念会堂建設に尽力した。
画像05 9:55 安中教会の新島襄記念会堂
画像06 10:05 ひっそりと安中城址碑
 郡役所と教会の前に延びる直線道路は大名小路で、並びの安中小学校は安中城跡。今どきの小学校は大抵校門が閉まっているものだけど、当校はオープンになっている。入ってみると、安中城址碑があるだけで、案内板はない。
 大名小路の先に旧安中藩郡奉行役宅(旧猪狩家)。入館料を払って見学。係の人がいろいろ説明してくれる。県内では珍しい曲がり屋で、上段の間土間式台付きの玄関茅葺き屋根など、当時の姿が復元されている。市指定重要文化財。前回上豊岡の茶屋本陣で、有料にすると金があると思われて、真っ昼間から強盗に襲われる!という話があったけど、当館の係の人はガッチリとした体格の男性なので、強盗が来ても大丈夫。(^-^;
画像07 10:10 旧安中藩郡奉行役宅 長屋門と母屋があります
 名前のない交差点を挟んで旧安中藩武家長屋。この四軒長屋は安中藩では一般的な規模のもので、住んでいたのは中位の身分の藩士。長屋といっても今の市営住宅くらいの間取りがあるので、なかなかの文化住宅だ。庭は玉砂利を敷いて公園のようになっているけど、本来は畑だった。こちらも市指定重要文化財。
画像08 10:25 四軒長屋の旧安中藩武家長屋
 大名小路から奥に進むと、安中市文化センターに突き当たる。その左手に安中藩安政遠足之碑日本マラソン発祥の地碑。安政2年(1855)安中藩が藩士の心身鍛練を目的として、50歳以下の藩士98名を安中城内より碓氷峠の熊野権現まで、7里余の中山道を走らせたのが始まり。正式名称は「安中御城内御諸士御遠足」。遠足は「えんそく」ではなく、「とおあし」と読む。  
画像09 10:35 安中藩安政遠足之碑&日本マラソン発祥の地碑
 旧道に戻ると上り坂。坂の上のサカウエ薬局屋がイイ感じ。看板は「サカウエ薬局」と「清水商会」の2つ掲げてある。安中宿は武家屋敷はあっても、宿場らしい家並みが残っていないので、この店屋はいつまでも残ってほしいね〜。
画像10 10:40 坂の上のサカウエ薬局
 醤油醸造の蔵元有田屋。天保3年(1832)創業の老舗で、店の向かいが市指定史跡便覧舎跡。有田屋の現在のご主人は7代目だけど、3代目の湯浅治郎が、明治5年(1872)日本で最初の私設図書館「便覧舎」を設立した。明治11年(1878)新島襄から地元の信徒が洗礼を受けたのはこの便覧舎で、安中教会発祥の地でもある。ちなみに、治郎も新島襄よりキリスト教の洗礼を受け、安中小学校・新島襄記念会堂などの建設に尽力した。後妻の初子は徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟の実姉。
画像11 10:45 有田屋の便覧舎跡
画像12 醤油屋さんのしょうゆドーナツ
画像13 11:05 龍昌寺の「和合の鐘」
 店内を覗いてみると、お!イートインがある! しょうゆドーナツ158円で、思いがけずお八つの時間。15分休憩。蔵やレンガ煙突もGOOD。
 便覧舎跡の並びの路地を入ると龍昌寺(りゅうしょうじ)。参道の両側に108個の小っちゃい梵鐘:和合の鐘が並んでいる。当山は明治7年(1874)新島襄が帰国後初めてキリスト教の講演をした寺院なので、お釈迦さまもビックリ!(◎o◎) しかし、宣教師として帰国した襄にとって、当山で講演したことが功を奏した。この4年後に便覧舎で地元の信徒に洗礼を授け、安中教会の設立へとつながる。寺院での講演が人々の心にジイ〜ンと響いた。…。
 旧道に戻ると、宝暦6年(1756)創業の丸田屋。生クリーム大福が売りというのだけど、生ものなのでNG。19代目のご主人のオススメで、かりんとうまんじゅうを購入。道中のお八つとして買ったけど、食べる機会がなく、お土産となりました。
 上野尻郵便局に「史蹟 安中大木戸趾」の石標。安中宿の入口に「下ノ木戸跡」と板書されていたけど、こちらは石碑で、何でこんなに違うの? 表記を統一するなら、上ノ木戸跡でしょ。
画像14 かりんとうまんじゅう@自宅
画像15 11:30 新島襄旧宅
画像16 11:45 碓氷川の対岸を確認(笑)
 今日は新島襄ゆかりの地をいくつか立ち寄ったけど、いよいよ最後の新島襄旧宅に寄り道。市指定史跡。元は100mほど離れた場所にあった建物を移築している。初めて見る家だけど、何か懐かしい造り。しかし、新島襄は江戸神田の生まれで、アメリカからの帰国後、安中には3週間くらいしか滞在していないので、旧宅というより「実家」でしょ?
 ところで、さっき買い物した丸田屋は和菓子屋になる前は材木商だった。碓氷川の対岸まで丸田屋の土地だったというので、碓氷川が見えるところで見てみると、スゴい距離! 向こう岸の河岸丘まで遠い! 今いる場所も河岸丘の上だけど、ずいぶん上ってきたんだね〜。
 旧道に戻ると安中総合学園高校交差点。ここから上り坂となり、その先に杉並木が見える。ところで、てっしーの浮世絵ポイント@安中宿は碓氷川。しかし、絵の凹みは川じゃなくて窪地でしょ。国土地理院の地形図を見て、松井田宿に近い郷原だろうと思っていたけど、実際は絵になるような窪地はありません。その点、安中総合学園高校交差点は窪地。交差点の左手に『中山道分間延絵図』に描かれている矢頭溜井と思われる池もあるし、ここでしょ! ということで、おらの浮世絵ポイント@安中宿(TOPの画像)は安中総合学園高校交差点に決定!\(^-^)/
 安中総合学園高校交差点を過ぎると緩やかな上り坂。中山道では東海道みたいな松並木はなく、やっと並木があると思ったら、ドカ〜ンと国指定天然記念物の安中原市の杉並木。さて、この付近に一里塚があったんだけど、ガイド本には載っていない。う〜む、『中山道分間延絵図』から推測すると、杉並木が始まって、歩道が広がる辺りに原市一里塚があったと思います。
画像17 12:00 原市一里塚があった辺りから見る安中原市杉並木
画像18 「天然記念物安中原市杉並木」石標
 杉並木が終わると、少し離れて「天然記念物安中原市杉並木」の石標。石標の並びの一区住民センターから歩道がなくなり、道が狭くなる。そういえば、安中総合学園高校交差点の手前、新島襄旧宅入口近くの安中消防署付近から歩道が広くなっていた。はっ!Σ(゚д゚lll) 安中原市の杉並木って、昔は安中消防署から一区住民センターまであったんだね! 消防署の向かいにも石標があるので、写真に撮っておけばヨカッタ。(>_<)
 安中原市の杉並木の杉の数は、天保15年(1844)に732本、昭和7年(1932)では321本。昭和8年(1933)に国の天然記念物に指定されたものの、枯死のために杉が激減! 昭和42年(1967)安中分の並木が指定解除され、杉並木の石標だけ取り残されてしまった…。原市分の杉も現在は十数本にまで減っている。地図で計測すると、安中消防署〜一区住民センターは約1.5kmだけど、現在の杉並木は500mにも満たない。このまま杉は減ってしまうのか? 杉並木の行く末が心配。(>_<)
 原市村戸長役場跡を横目に原市茶屋本陣跡。原市は間の宿で、茶屋本陣は五十貝(いそがい)家が務めた。明治11年(1878)明治天皇の北陸東海巡幸の際に休憩所となり、明治天皇原市御小休所の碑が建っている。高札場跡でもある。
画像19 12:15 原市茶屋本陣跡
画像20 12:20 真光寺の鐘
 坂を上ると真光寺。祠のような本堂の隣りにある、天明元年(1781)製の真光寺の鐘が市指定重要文化財となっている。戦時中の供出をよく免れたね。ここで歴史に詳しい地元の方が現れる。マニアック過ぎて、話が難しくてよく分からないけど、ありがたく拝聴しました。(^-^; 真光寺を過ぎるとセンターラインがなくなり、道幅が狭くなる。
 安中市立第二中学校の半田善四郎胸像を横目に八本木地蔵堂。本尊の地蔵菩薩像が市指定重要文化財。ここは八本木の立場で、地蔵堂の向かいが八本木旧立場茶屋山田屋。緩やかな上りが続いていたけど、ここから下りとなる地形。ちょうど峠のようになっているので、立場になったのかな? せっかく立場なので10分休憩。茶屋跡の西側に防風林樫久根(かしぐね)がある。かかあ天下と空っ風。
画像21 12:45 八本木地蔵堂
画像22 振り向くと、旧立場茶屋(山田屋)の樫久根
画像23 500円の生姜焼きランチ
 松井田に入ったところで昼食にしようと思っていたけど、予定より遅くなって、昼食難民になりそうな予感…。「\500ランチ」ってな看板に惹かれて、にこにこ茶屋へ。ホントに500円で生姜焼きランチをいただく。女将さんと話が弾んで、サービスのお焼きなどをいただいたりして、1時間20分も休憩。(^-^; お腹ポンポコリン♪ しかし、お腹が満足したら、歩くモチベーションが激減。磯部駅から帰ろうと思ったら、萩さんから「松井田まで歩こう!」と叱咤激励されて、急遽萩さんがリーダーとなってスタコラ。おらが喜多さんとなって、萩さんの後ろをヨロヨロとついて行くことに(笑)。
 八本木戸長役場跡を横目に進むと村社日枝神社。拝殿の前に神楽殿が建ち、その神楽殿をくぐって参詣するという珍しい様式。
画像24 14:40 珍しい社殿の日枝神社
画像25 郷原自性寺の宝篋印塔
 日枝神社の隣は自性寺(じしょうじ)。境内に2基ある郷原自性寺の宝篋印塔が市指定重要文化財。左側が応永3年(1396)製で、右側が嘉吉3年(1443)製のもの。
 県道216号をてくてく進むと磯貝雲峰旧宅跡。この付近に一里塚があったはずだけど、やはりガイド本には載っていない。しかし、安中市の『旧道日和』に「原市小郷原分校の西側約50mに一里塚の跡」! ということで、原市小学校郷原分校から約50m先の民家が郷原一里塚跡…ってゆーか、さすがにフツーの民家の写真は撮っていない! その代わり?原市小郷原分校の東側約100m…つまり、郷原一里塚跡から150m手前の画像を貼っておきます(笑)。
画像26 14:50 郷原一里塚跡から150m手前…ってゆーか、磯貝雲峰旧宅の前から撮った風景(^-^;
 『旧道日和』は旧碓氷郡役所でいただきました。すぐリュックの中に入れちゃったので『旧道日和』を見ながら歩いてはいないけど、ホームページを作成する時に役立ちました。これはオススメ。
 何本目かの中山道標柱を過ぎると国道18号との合流地点。名もない交差点の向こう側に文化5年(1808)製の郷原の妙義道常夜燈。常夜燈は道標を兼ねていて、台座に「是ヨリ妙義道」と刻まれている。市指定重要文化財。元は東へ50mの、中山道から妙義道への入口にあったものを、現在地に移転した。振り返るとセブン茶屋。ここがてっしーの浮世絵ポイント@松井田宿。何故?こんな所が…。
画像27 15:05 合流地点の向こう側に郷原の妙義道常夜燈
画像28 15:15 国道の下に明治天皇道
 名もない交差点から国道18号の歩道歩き…ってゆーか、国道の右側には歩道があるけど、左側にはない! 後ろから車がビュンビュン通るのでおっかない。開削されて石垣が積んである小山は山城の跡で、山城跡を過ぎるとやっと歩道が現れる。う〜む、『中山道分間延絵図』には「大坂」と書いてあるので、往時ここは急坂で、旧道は国道の右側を蛇行していたんだろうね。
 緩やかな上り坂から、坂を下る小径の又に郷原木戸長役場跡。国道の下を進む小径は、明治11年(1878)明治天皇の北陸東海巡幸の際に造られたバイパス。国道よりは旧道っぽいので、明治天皇道を歩きたい衝動に駆られるけど、国道を進む。右手に赤い鳥居の神明社。『中山道分間延絵図』では諏訪明神になっているけど、謎。ここがおらの浮世絵ポイント@松井田宿だけど、2宿連続でてっしーの浮世絵ポイントと場所が違うので残念。(>_<) 中山道は安中宿から上り坂となり、本格的な山道はこの大坂からだからね〜。
 松井田交差点から県道33号に入り、しばらくすると松井田宿。下町交差点の手前が下木戸跡だけど、案内板や標識は見当たらない。下町交差点を過ぎて、2階に欄干のある民家を撮っていたら、何と!フェンスに案内板が! 脇本陣跡(徳右衛門屋敷)だって! ②とあるので、①は木戸跡なのかな? 案内板といえば、五角形で家型の板に棒を付けて、地面に突き刺しているものだと思っているので、フェンスにくくりつけているとは…。
画像29 15:35 松井田宿の徳右衛門脇本陣跡
画像30 フェンスに取り付けられた案内板
画像31 15:45 金井本陣跡の仲町公会堂
 今度は仲町交差点の手前が本陣跡だけど、案内板や標識は見当たらない。探してみると、何と!街路灯の支柱に案内板が! う〜む、案内板といえば、五角形で家型の…。しかも、⑤となっているので、③④が何だったのか?気になるところ。さて、案内板に「この路地を南へ入ると本陣が一部残存する」とあるので、路地に入ると仲町公会堂。う〜む、この建物が金井本陣跡だけど、いちぶずゎんずんって…いちぶずゎんずんって…いちぶずゎんずんって一体何なの?
 金井本陣の件は謎のまま、15:50仲町交差点で本日の旅はおしまい。路地を下って碓氷川を渡り、石段を上ると松井田駅。駅はひっそり。駅員が切符の手配に慣れていないのか?萩さんが新幹線の切符を買うのに20分もかかったのでビックリ! 駅のベンチで丸田屋のかりんとうまんじゅうを食べようと思っていたけど、時間がなくなり、お土産になったとさ。(^-^;

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 7時間15分(5時間)
万歩計®の歩数 22,060歩
喜多さんの歩数 20,172歩
寄り道含めたGPSの距離 16.3km
経費
往路:JR東海道本線戸塚駅→JR高崎線熊谷駅「ホリデー・パス」
JR高崎線熊谷駅→JR信越本線安中駅
(戸塚駅→安中駅普通運賃)
2,300円
950円
(2,520円)
帰路:JR信越本線松井田駅→JR高崎線熊谷駅
JR湘南新宿ライン熊谷駅→戸塚駅
(松井田駅→戸塚駅普通運賃)
グリーン料金
1,110円
フリーパスのため0円
(2,940円)
750円
旧安中藩郡奉行役宅・旧安中藩武家長屋 共通観覧券 210円

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