中山道歩きの9日目。9:05
久芳(ひさよし)橋をスタート。そして下野尻交差点。この交差点は歩道橋があるけど、横断歩道もあるのでイイ交差点。今日は4時起きでもう腹が減っているので、セブン茶屋安中バイパス店で早くもお八つ。(^-^;
見慣れた中山道標識があると思ったら
下ノ木戸跡。ここは伝馬町。その路地を入ると突き当たりに
熊野神社。永禄2年(
1559)安中忠政が安中城を築いた時に、鬼門の守護神として熊野三社を勧請したのが始まり。小っちゃい神社だけど
社殿の彫刻が見事で、市の重要文化財に指定されている。境内の
大欅も市指定天然記念物。
9:30 熊野神社社殿
9:40 西広寺のツバキ
旧道と熊野神社の間に西広寺。石段を上ると、樹齢300年という県指定天然記念物の西広寺のツバキ、市指定史跡の柏木義圓の墓・太山融斎の墓などがある。狭い境内だけど文化財がいっぱい。
安中郵便局が
須藤本陣跡だけど、案内板はない。立ち去る時に、喜多さんが振り返って見つけてくれた。郵便局の左の隅に標識&碑が建っている。これでは京から歩いてくる旅人じゃないと気がつかない。(>_<)
9:45 安中宿の街並み 門のあるお宅から4軒先が本陣跡の郵便局 オレンジの看板見える?
安中市は城下町で、飯盛女が置かれたのが嘉永7年(1854)と遅く、宿場の規模は小っちゃい。1つ手前の板鼻宿には旅籠屋が54軒もあるのに、安中宿はその1/3ほどの17軒ぽっち。これから奉行役宅や武家長屋などに立ち寄るので、やはり安中宿は宿場町というより城下町のイメージがあるね〜。
伝馬町交差点を右折すると、市指定重要文化財
旧碓氷郡役所。郡役所は明治11年(
1878)に開庁され、初めは旧須藤本陣に置かれた。現在地に新庁舎が建てられたのは明治21年(
1888)。しかし、残念なことに、明治43年(
1910)に原因不明の出火により全焼。現在の建物は翌明治44年(
1911)に再建されたもの。
9:50 旧碓氷郡役所 約100年前の建物!
今回も前回同様
萩さんが参加。遅れてきた萩さんと郡役所で合流。ホントはこの先の武家長屋辺りと思っていたけど、あちこち寄り道していると進むのがゆっくりなので、予定より手前で落ち合うことになりました。(^-^;
旧碓氷郡役所の並びに
安中教会。明治11年(
1878)
新島襄から地元の信徒が洗礼を受けて創立された、日本初のキリスト教会。大谷石の
日本基督教団安中教会教会堂(新島襄記念会堂)は、大正8年(
1919)に新島襄召天30周年を記念して建てられた礼拝堂で、国登録有形文化財。さっき立ち寄った
西広寺に眠る柏木義圓は、安中教会の5代目牧師で、新島襄記念会堂建設に尽力した。
9:55 安中教会の新島襄記念会堂
10:05 ひっそりと安中城址碑
郡役所と教会の前に延びる直線道路は大名小路で、並びの安中小学校は安中城跡。今どきの小学校は大抵校門が閉まっているものだけど、当校はオープンになっている。入ってみると、安中城址碑があるだけで、案内板はない。
大名小路の先に
旧安中藩郡奉行役宅(旧猪狩家)。入館料を払って見学。係の人がいろいろ説明してくれる。県内では珍しい
曲がり屋で、
上段の間、
土間、
式台付きの玄関、
茅葺き屋根など、当時の姿が復元されている。市指定重要文化財。前回
上豊岡の茶屋本陣で、有料にすると金があると思われて、真っ昼間から強盗に襲われる!という話があったけど、当館の係の人はガッチリとした体格の男性なので、強盗が来ても大丈夫。(^-^;
10:10 旧安中藩郡奉行役宅 長屋門と母屋があります
名前のない交差点を挟んで
旧安中藩武家長屋。この四軒長屋は安中藩では一般的な規模のもので、住んでいたのは中位の身分の藩士。長屋といっても今の市営住宅くらいの間取りがあるので、なかなかの文化住宅だ。庭は玉砂利を敷いて公園のようになっているけど、本来は畑だった。こちらも市指定重要文化財。
10:25 四軒長屋の旧安中藩武家長屋
大名小路から奥に進むと、安中市文化センターに突き当たる。その左手に
安中藩安政遠足之碑&
日本マラソン発祥の地碑。安政2年(
1855)安中藩が藩士の心身鍛練を目的として、50歳以下の藩士98名を安中城内より碓氷峠の熊野権現まで、7里余の中山道を走らせたのが始まり。正式名称は「安中御城内御諸士御遠足」。遠足は「えんそく」ではなく、「とおあし」と読む。
10:35 安中藩安政遠足之碑&日本マラソン発祥の地碑
旧道に戻ると上り坂。坂の上の
サカウエ薬局屋がイイ感じ。看板は「サカウエ薬局」と「清水商会」の2つ掲げてある。安中宿は武家屋敷はあっても、宿場らしい家並みが残っていないので、この店屋はいつまでも残ってほしいね〜。
10:40 坂の上のサカウエ薬局
醤油醸造の蔵元
有田屋。天保3年(
1832)創業の老舗で、店の向かいが市指定史跡
便覧舎跡。有田屋の現在のご主人は7代目だけど、3代目の
湯浅治郎が、明治5年(
1872)日本で最初の私設図書館「便覧舎」を設立した。明治11年(
1878)
新島襄から地元の信徒が洗礼を受けたのはこの便覧舎で、
安中教会発祥の地でもある。ちなみに、治郎も新島襄よりキリスト教の洗礼を受け、安中小学校・新島襄記念会堂などの建設に尽力した。後妻の初子は
徳富蘇峰・
徳冨蘆花兄弟の実姉。
10:45 有田屋の便覧舎跡
醤油屋さんのしょうゆドーナツ
11:05 龍昌寺の「和合の鐘」
店内を覗いてみると、お!イートインがある!
しょうゆドーナツ158円で、思いがけずお八つの時間。15分休憩。蔵やレンガ煙突もGOOD。
便覧舎跡の並びの路地を入ると
龍昌寺(りゅうしょうじ)。参道の両側に108個の小っちゃい梵鐘:和合の鐘が並んでいる。当山は明治7年(
1874)新島襄が帰国後初めてキリスト教の講演をした寺院なので、お釈迦さまもビックリ!(◎o◎) しかし、宣教師として帰国した襄にとって、当山で講演したことが功を奏した。この4年後に便覧舎で地元の信徒に洗礼を授け、
安中教会の設立へとつながる。寺院での講演が人々の心にジイ〜ンと響いた。…。
旧道に戻ると、宝暦6年(
1756)創業の
丸田屋。生クリーム大福が売りというのだけど、生ものなのでNG。19代目のご主人のオススメで、
かりんとうまんじゅうを購入。道中のお八つとして買ったけど、食べる機会がなく、お土産となりました。
上野尻郵便局に「史蹟 安中大木戸趾」の石標。安中宿の入口に「下ノ木戸跡」と板書されていたけど、こちらは石碑で、何でこんなに違うの? 表記を統一するなら、
上ノ木戸跡でしょ。
かりんとうまんじゅう@自宅
11:30 新島襄旧宅
11:45 碓氷川の対岸を確認(笑)
今日は
新島襄ゆかりの地をいくつか立ち寄ったけど、いよいよ最後の
新島襄旧宅に寄り道。市指定史跡。元は100mほど離れた場所にあった建物を移築している。初めて見る家だけど、何か懐かしい造り。しかし、新島襄は江戸神田の生まれで、アメリカからの帰国後、安中には3週間くらいしか滞在していないので、旧宅というより「実家」でしょ?
ところで、さっき買い物した丸田屋は和菓子屋になる前は材木商だった。碓氷川の対岸まで丸田屋の土地だったというので、碓氷川が見えるところで見てみると、スゴい距離! 向こう岸の河岸丘まで遠い! 今いる場所も河岸丘の上だけど、ずいぶん上ってきたんだね〜。
旧道に戻ると安中総合学園高校交差点。ここから上り坂となり、その先に杉並木が見える。ところで、てっしーの浮世絵ポイント@安中宿は碓氷川。しかし、絵の凹みは川じゃなくて窪地でしょ。国土地理院の地形図を見て、松井田宿に近い郷原だろうと思っていたけど、実際は絵になるような窪地はありません。その点、安中総合学園高校交差点は窪地。交差点の左手に『中山道分間延絵図』に描かれている
矢頭溜井と思われる池もあるし、ここでしょ! ということで、おらの浮世絵ポイント@安中宿(
TOPの画像)は安中総合学園高校交差点に決定!\(^-^)/
安中総合学園高校交差点を過ぎると緩やかな上り坂。中山道では東海道みたいな松並木はなく、やっと並木があると思ったら、ドカ〜ンと国指定天然記念物の
安中原市の杉並木。さて、この付近に一里塚があったんだけど、ガイド本には載っていない。う〜む、『中山道分間延絵図』から推測すると、杉並木が始まって、歩道が広がる辺りに
原市一里塚があったと思います。
12:00 原市一里塚があった辺りから見る安中原市杉並木
「天然記念物安中原市杉並木」石標
杉並木が終わると、少し離れて「天然記念物安中原市杉並木」の石標。石標の並びの一区住民センターから歩道がなくなり、道が狭くなる。そういえば、安中総合学園高校交差点の手前、
新島襄旧宅入口近くの安中消防署付近から歩道が広くなっていた。はっ!Σ(゚д゚lll) 安中原市の杉並木って、昔は安中消防署から一区住民センターまであったんだね! 消防署の向かいにも石標があるので、写真に撮っておけばヨカッタ。(>_<)
安中原市の杉並木の杉の数は、天保15年(
1844)に732本、昭和7年(
1932)では321本。昭和8年(
1933)に国の天然記念物に指定されたものの、枯死のために杉が激減! 昭和42年(
1967)安中分の並木が指定解除され、杉並木の石標だけ取り残されてしまった…。原市分の杉も現在は十数本にまで減っている。地図で計測すると、安中消防署〜一区住民センターは約1.5kmだけど、現在の杉並木は500mにも満たない。このまま杉は減ってしまうのか? 杉並木の行く末が心配。(>_<)
原市村戸長役場跡を横目に
原市茶屋本陣跡。原市は
間の宿で、茶屋本陣は五十貝
(いそがい)家が務めた。明治11年(
1878)
明治天皇の北陸東海巡幸の際に休憩所となり、
明治天皇原市御小休所の碑が建っている。
高札場跡でもある。
12:15 原市茶屋本陣跡
12:20 真光寺の鐘
坂を上ると
真光寺。祠のような本堂の隣りにある、天明元年(
1781)製の
真光寺の鐘が市指定重要文化財となっている。戦時中の供出をよく免れたね。ここで歴史に詳しい地元の方が現れる。マニアック過ぎて、話が難しくてよく分からないけど、ありがたく拝聴しました。(^-^; 真光寺を過ぎるとセンターラインがなくなり、道幅が狭くなる。
安中市立第二中学校の半田善四郎胸像を横目に
八本木地蔵堂。本尊の
地蔵菩薩像が市指定重要文化財。ここは
八本木の立場で、地蔵堂の向かいが
八本木旧立場茶屋の
山田屋。緩やかな上りが続いていたけど、ここから下りとなる地形。ちょうど峠のようになっているので、立場になったのかな? せっかく立場なので10分休憩。茶屋跡の西側に防風林
樫久根(かしぐね)がある。かかあ天下と空っ風。
12:45 八本木地蔵堂
振り向くと、旧立場茶屋(山田屋)の樫久根
500円の生姜焼きランチ
松井田に入ったところで昼食にしようと思っていたけど、予定より遅くなって、昼食難民になりそうな予感…。「\500ランチ」ってな看板に惹かれて、にこにこ茶屋へ。ホントに500円で生姜焼きランチをいただく。女将さんと話が弾んで、サービスのお焼きなどをいただいたりして、1時間20分も休憩。(^-^; お腹ポンポコリン♪ しかし、お腹が満足したら、歩くモチベーションが激減。磯部駅から帰ろうと思ったら、萩さんから「松井田まで歩こう!」と叱咤激励されて、急遽萩さんがリーダーとなってスタコラ。おらが喜多さんとなって、萩さんの後ろをヨロヨロとついて行くことに(笑)。
八本木戸長役場跡を横目に進むと村社
日枝神社。拝殿の前に神楽殿が建ち、その神楽殿をくぐって参詣するという珍しい様式。
14:40 珍しい社殿の日枝神社
郷原自性寺の宝篋印塔
日枝神社の隣は
自性寺(じしょうじ)。境内に2基ある
郷原自性寺の宝篋印塔が市指定重要文化財。左側が応永3年(
1396)製で、右側が嘉吉3年(
1443)製のもの。
県道216号をてくてく進むと
磯貝雲峰旧宅跡。この付近に一里塚があったはずだけど、やはりガイド本には載っていない。しかし、安中市の『旧道日和』に「原市小郷原分校の西側約50mに一里塚の跡」! ということで、原市小学校郷原分校から約50m先の民家が
郷原一里塚跡…ってゆーか、さすがにフツーの民家の写真は撮っていない! その代わり?原市小郷原分校の東側約100m…つまり、郷原一里塚跡から150m手前の画像を貼っておきます(笑)。
14:50 郷原一里塚跡から150m手前…ってゆーか、磯貝雲峰旧宅の前から撮った風景(^-^;
『旧道日和』は
旧碓氷郡役所でいただきました。すぐリュックの中に入れちゃったので『旧道日和』を見ながら歩いてはいないけど、ホームページを作成する時に役立ちました。これはオススメ。
何本目かの中山道標柱を過ぎると国道18号との合流地点。名もない交差点の向こう側に文化5年(
1808)製の
郷原の妙義道常夜燈。常夜燈は道標を兼ねていて、台座に「
是ヨリ妙義道」と刻まれている。市指定重要文化財。元は東へ50mの、中山道から妙義道への入口にあったものを、現在地に移転した。振り返るとセブン茶屋。ここがてっしーの浮世絵ポイント@松井田宿。何故?こんな所が…。
15:05 合流地点の向こう側に郷原の妙義道常夜燈
15:15 国道の下に明治天皇道
名もない交差点から国道18号の歩道歩き…ってゆーか、国道の右側には歩道があるけど、左側にはない! 後ろから車がビュンビュン通るのでおっかない。開削されて石垣が積んである小山は山城の跡で、山城跡を過ぎるとやっと歩道が現れる。う〜む、『中山道分間延絵図』には「大坂」と書いてあるので、往時ここは急坂で、旧道は国道の右側を蛇行していたんだろうね。
緩やかな上り坂から、坂を下る小径の又に
郷原木戸長役場跡。国道の下を進む小径は、明治11年(
1878)
明治天皇の北陸東海巡幸の際に造られたバイパス。国道よりは旧道っぽいので、明治天皇道を歩きたい衝動に駆られるけど、国道を進む。右手に赤い鳥居の
神明社。『中山道分間延絵図』では諏訪明神になっているけど、謎。ここがおらの浮世絵ポイント@松井田宿だけど、2宿連続でてっしーの浮世絵ポイントと場所が違うので残念。(>_<) 中山道は安中宿から上り坂となり、本格的な山道はこの大坂からだからね〜。
松井田交差点から県道33号に入り、しばらくすると松井田宿。下町交差点の手前が
下木戸跡だけど、案内板や標識は見当たらない。下町交差点を過ぎて、2階に欄干のある民家を撮っていたら、何と!フェンスに案内板が!
脇本陣跡(徳右衛門屋敷)だって! ②とあるので、①は木戸跡なのかな? 案内板といえば、五角形で家型の板に棒を付けて、地面に突き刺しているものだと思っているので、フェンスにくくりつけているとは…。
15:35 松井田宿の徳右衛門脇本陣跡
フェンスに取り付けられた案内板
15:45 金井本陣跡の仲町公会堂
今度は仲町交差点の手前が本陣跡だけど、案内板や標識は見当たらない。探してみると、何と!街路灯の支柱に案内板が! う〜む、案内板といえば、五角形で家型の…。しかも、⑤となっているので、③④が何だったのか?気になるところ。さて、案内板に「この路地を南へ入ると本陣が一部残存する」とあるので、路地に入ると
仲町公会堂。う〜む、この建物が
金井本陣跡だけど、いちぶずゎんず
をんって…いちぶずゎんず
をんって…いちぶずゎんず
をんって
一体何なの?
金井本陣の件は謎のまま、15:50仲町交差点で本日の旅はおしまい。路地を下って碓氷川を渡り、石段を上ると松井田駅。駅はひっそり。駅員が切符の手配に慣れていないのか?萩さんが新幹線の切符を買うのに20分もかかったのでビックリ! 駅のベンチで
丸田屋のかりんとうまんじゅうを食べようと思っていたけど、時間がなくなり、お土産になったとさ。(^-^;
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