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Vol.16 松井田宿坂本宿

(9.5km)


広重「松井田」 宿場

2010年12月11日(土)

 旧中山道は、1日中、山道。日本橋から武蔵野台地は平坦だったけど、安中宿から緩やかな上り坂。松井田宿の入口となる大坂はかなり開削されて、険しい山道だったと分かります。松井田宿は江戸廻米の中継地で、「米宿」と呼ばれて賑わっていたそうです。
浮世絵ポイント 画像00

 中山道歩きの10日目。今回の道中も喜多さん+萩さんの3人。JR信越本線松井田駅に降り立つ。前回は午後&曇りで妙義山が霞んでいたけど、今日は午前中&快晴なので眺めがイイね! これから石段を下りて、碓氷川を渡って、路地を上って松井田宿に出るんだけど、何で?松井田駅ってこんな不便なところにあるんだー!
画像01 電線がジャマだけど、ハッキリクッキリ妙義山 右手には雪が積もった浅間山
画像02 現在地に移転してから48年の松井田駅
 調べてみました。松井田駅は明治18年(1885)開業。開業当時はスイッチバックの駅で引き込み線があり、松井田宿の西のはずれ、現在の松井田東中学校付近にあった。昭和37年(1962)高崎〜横川間が電化され、現在地に移転。スイッチバックは廃止。しかし、沿線住民の反対運動があり、昭和40年(1965)に西松井田駅が開業。へ〜、そんなわけで、こんな近いところに2つも駅があるんだね。住民説明会とかしていなかったのかな? 始めっから西松井田駅の場所に松井田駅を移せばイイのにね。
画像03 下町交差点の手前が案内板①下木戸跡
 出発の前に、早くも寄り道。明治7年(1874)創業のたわらや。人気の味噌まんを買うつもりだったけど、夏の季節商品なので、この季節にはないんだって…。ガ━(゚Д゚;)━ ン !!!
 寄り道ついでに、前回場所が分からなかった下木戸跡を探す。やはり下木戸跡は案内板の①。ということで、案内板の①〜⑤は以下の通り。
①下木戸跡地・ももんが堀(木戸東外)
②脇本陣(字下町 徳右衛門 屋敷)跡
③崇徳寺(西上州14番札所)
④陳道斎の外郎店屋敷[虎屋]跡
⑤金井本陣(字仲町 藤右衛門 屋敷)跡
この時はガイド・マップ『松井田宿まち歩き』を持っていなくて、外郎店の場所が分かりませんでした。(>_<) 東海道小田原宿の老舗:ういろう(外郎)の分家というので残念(金井本陣のはす向かいで、現在の山城屋酒店_| ̄|◯)。
画像04 仲町交差点の畑中医院&松井田町道路元標
画像05 榛名道道標&御成婚記念道路碑
 松井田駅を降り立って1時間弱。あちこち立ち寄って、ようやくスタート地点の仲町交差点。なかなかイイ雰囲気の建物は畑中医院。交差点の角に松井田町道路元標が建つ。
 道路元標が建っている路地は榛名道で、突き当たりに榛名道道標が置かれている。文政6年(1823)製で、「右 榛名道 左 大戸/川うら 道」と刻まれている。道標の隣に建つデカい碑は大正13年(1924)製で、「御成婚記念道路」と刻まれている。当時皇太子だった昭和天皇の結婚記念に榛名道を改修したみたい。
 仲町交差点を11:40スタート。左手に「まちなか にぎわい広場」。ここでガイド・マップ『松井田宿まち歩き』をGET! そして、右手に⑥松本本陣跡@クリーニングオオツキ・⑦お休み処みなとや・⑧不動寺と続く。
画像06 11:50 不動寺の石塔婆
画像07 不動寺の仁王門
画像08 昔懐かし箱ブランコ
 不動寺は寛元元年(1243)に開創され、西上州13番札所。正式な山号寺号は龍本山松井田院不動寺で、松井田の地名の由来となっている。参道に石塔婆が3基並んでいる。自然石の板碑で、3基のうち1つに観応三年という北朝の年号が刻まれている。仁王門は江戸時代初期に改築されたもので、桃山時代の作風がイイみたい。石塔婆と仁王門はどちらも県指定重要文化財となっている。境内には昔懐かし箱ブランコ。今は危険だからとあちこちで撤去されているので、久しぶりに見たな〜。
 旧道に戻ると、⑨脇本陣跡(字上町 安兵衛 屋敷)@オーツカヤ・⑩高札場跡@アメリカンベーカリー。松井田歩道橋を過ぎて、高橋商店が⑪上木戸跡で、案内板下の用水路が立が堀。そして、高橋商店の路地を入ると⑫松井田八幡宮。
画像09 12:00 脇本陣跡@オーツカヤ
画像10 高札場跡@アメリカンベーカリー
 松井田八幡宮は建久8年(1197)に源頼朝が立ち寄ったという記録がある古社。『吾妻鏡』は建久7〜9年(1196〜98)3年間の記事が欠落しているのでマジか!とビックリしちゃうけど、頼朝は信濃国の善光寺に参詣しているそうだし、これから立ち寄る碓氷神社の近くに頼朝ゆかりの「御所平」という地名があるし、頼朝って松井田に来ているんだね。寛永年間(1624〜44)に建てられたという本殿が県指定重要文化財。境内には神社では珍しい八角円堂が建ち、神仏混淆の面影を残している。中をのぞくと聖徳太子像が納められている。
画像11 12:05 松井田八幡宮本殿
画像12 松井田八幡宮八角円堂
 旧道に戻ると、安中市松井田商工会の建物がなかなかイイ。昭和14年(1939)に建てられた旧松井田警察署で、洋風建築なのに和風な屋根が施されている独特な外観。国粋主義の時代の和洋折衷建築。
画像13 12:20 旧松井田警察署@安中市松井田商工会
画像14 12:35 「関左法窟」の補陀寺
 宿場内では緩やかだった上り坂も、宿場を出ると坂が急になってくる。西松井田駅前交差点を過ぎると補陀寺(ふだじ)。山門の扁額にあるデカい「関左法窟」は「関東一の大道場」という意味。山門の横には松井田城址のデカい案内板。後ろの山の尾根が城跡だけど、当山も城の一角だったらしい。境内に入ると本堂の屋根がデカい。境内が駐車場になっているようで殺風景だけど、冬桜が咲いている。
 補陀寺を出ると左に旧道。自然石の道祖神や蔵。旧道らしくてイイね〜。
画像15 12:45 左に旧道 旧道らしいイイ道です
 左の茂みに新堀一里塚。正面から撮ると、タダの茂みにしか見えない。近くに路地があるので回ってみると、モッコリとした塚になっている。
 中山道は信越本線にぶつかって線路と並行して進むけど、製糸踏切の先にホントの旧道が残っている。喜多さんが、踏切にアプト式のレールが埋まっている!と、感激している。へぇ、アプト式のラックレールって初めて見たけど、ノコギリみたいな歯に車輪の歯車を噛み合わせて急勾配を走るんだね。へ〜。
画像16 12:50 日本橋から32里目の新堀一里塚
画像17 12:55 製糸踏切のアプト式ラックレール
 製糸踏切に中山道の緑の標識が立っている。ホントの旧道を進むと3匹?の犬がものスゴい勢いで、ワン!ワン!BOW!WOW! あー!うるさい! そんなにおらのこと嫌い? う〜む、あまりにも騒がしくて進めない。崖で途切れる旧道の現況を見たかったけど、喜多さんにあきらめて先に進もうと促され、後ろ髪を引かれる思いで線路と並行する旧道…ってゆーか、迂回路に戻る。
画像18 製糸踏切の先に残る旧道 犬のバカー!
 どうして中山道は崖を下って上るのか? 迂回路と平行して走る線路の先は崖で、視界が開けている。渡る踏切が思いがけず第十中仙道踏切。往時は崖の斜面を通行していても、信越本線が開業した明治18年(1885)には、この踏切を通る街道が中山道と認識されていたんだよね? さて、金剛寺に立ち寄る予定だったけど、道端に標識がなく、入口が分からず素通りしてしまった。
画像19 13:05 第10中仙道踏切を過ぎたところで撮り鉄(^-^;
 ふと気がつくと、おらたちの後ろに旅人の集団が。いつものことだけど、いずれ追い越されちゃうんだよね。湘南電車が走ってきたので、みんなでパチリ。
 迂回路を進んで丁字路を左折すると、製糸踏切から崖を下って松の木坂を上ってきた旧道と合流。今度は国道18号で分断される。この先の交差点まで迂回しなくちゃいけないと思ったら、旧中山道の標識があり、ガードレールが途切れている。う〜む、これは国道を横切ってイイ!ということなのかな? ということで、走って渡る。よい子は真似しないで!(^-^;
画像20 13:15 国道18号の向こうに旧道が延びる
 右手の路地に高札場跡の案内板。その先のお東踏切を渡ると五料の茶屋本陣がある。茶屋本陣があるということは、五料は間の宿なんだね。お!旅人の集団が間近に迫っている。混雑するので早く入らなくちゃ。受付のあるお西へGO!
画像21 13:20 五料の茶屋本陣お西
 五料の茶屋本陣は敷地内に2軒あり、どちらも中島家で、本家がお西・分家がお東と呼ばれている。お西は代々名主を務めていたけど、天保7年(1836)から明治5年(1872)までは、お西・お東が1年交代で名主を務めた。現在の建物は、両家とも文化3年(1806)の大火で焼失し、その年に再建されたもの。寄贈された年代が違うためなのか?お西・お東それぞれが県指定史跡となっている。
画像22 お西の素晴らしい借景庭園
 まずはお西。あれ?『中山道分間延絵図』の解説篇に載っている「上州櫓」と呼ばれる高窓がない! 受付で尋ねると、高窓は明治時代に盛んだった養蚕のための換気用の窓で、お西もお東も養蚕をしていたので以前は高窓があったけど、天保期に再建された当時の様式に復元修理したので、高窓はなくなった。ただし、お西は明治11年(1878)明治天皇の北陸東海行幸の際に小休所となり、その時に改修した部分はそのまま残されている。玄関を入るとすぐ風呂。おらは普段風呂先なので、「玄関開けたら2秒でおフロ」なんて理想的だね♪ 上段の間や2階を見学。庭園がキレイ。正面に妙義山が見えてなかなかの景色。お殿さまも明治天皇もこの風景を眺めながらお茶を飲んだんだね〜。
画像23 五料の茶屋本陣お東 出し梁になっています
画像24 菜っぱ饅頭&酒まんじゅう
 続いてお東。お東は明治天皇の小休所にならなかった分、お西よりも江戸時代の様式を残している。2階が出っ張っている出し梁だったり、馬屋があったり、天井が竹床だったり、お西とビミョ〜に違う。しかし、お東も玄関開けたら2秒でおフロ♪ 明治天皇が休まなかっただけで、ちゃんと上段の間もある。こちらは縁側の景色がイイよ〜。
 そうそう、お西を出るとお東との間に東屋の休憩所があります。ポットが置いてあるのでお茶がいただけます♪ せっかくなので、出発前に立ち寄ったたわらやで購入した菜っぱ饅頭酒まんじゅうで10分休憩。休憩含めて55分の滞在。
 旧道に戻る。信越本線にぶつかると、線路の先に旧道が延びている。ありゃ、榎踏切だって。緑の中山道標識もある。信越本線開業当時は榎踏切のすぐ手前に第11中仙道踏切があったんだろうね。
画像25 14:25 夜泣き地蔵&茶釜石
 踏切を渡ると急な上りの丸山坂。眺めがイイ。石仏群を横目に上ると、峠に赤いちゃんちゃんこを着たお地蔵さま2体。右の背の高いお地蔵さまが夜泣き地蔵。左側のお地蔵さまは頭の部分に丸い石が載っているけど、ホントの頭は足元に転がっているのでかなり不気味。そして、テーブルのような茶釜石。茶釜石の上には小さな石が載っているけど、多くの旅人が叩いているようで、粉まみれになっている。
 峠を下るとのどかでイイ感じ。道は車を通すように開削されてはいるけど、往時からあまり変わってないんじゃないの?と思われる風景。紅葉が終わった12月なのでちょっと寂しい雰囲気だけど、梅や彼岸花が植えられているので、2月や9月は華やかだろうね。しかし、12月なのにタンポポが咲いている。(+_+)
画像26 14:30 梨子木の集落に向かう旧道 蛇行具合がイイ感じ
画像27 14:40 御所平(上り)踏切
 一度下ったのにまた上って梨子木(なしのき)の集落。往時は立場があった。梨子木は峠道なので立場だったんだろうね。民家が途切れると急な下り坂…ってゆーか、転げ落ちるような梨子木坂。イイ景色だな〜と、しみじみと下ると線路沿いに出る。本来は「第12中仙道踏切」を渡って国道を横切り、向かいの臼井の集落を進むはずなのに、今は踏切はな…あれ?踏切があるじゃんと思ったら、御所平(上り)踏切で、(下り)踏切ってのはない! えー!やはり残念ながら国道には出られない…ガクッ。しかし、畑の所有者専用の踏切?なんて、初めて見た。
 線路沿いの迂回路を進むと村社碓氷神社。両部鳥居が立派。碓氷峠の熊野神社を分祀した社で、熊野神社の里宮。案内板によると、建久年間(1190〜99)に源頼朝が立ち寄り、境内に御所を置いたので「御所平」という地名になったそう。へ〜、さっきの松井田八幡宮に源頼朝が建久8年(1197)に立ち寄ったとあったので、同じ年のことなんだろうね。
画像28 碓氷神社の屋根が付いた赤い神明両部鳥居とうつ伏せの道標
 案内板の横に石柱が倒れている…ってゆーか、道標が大きな石の上にうつ伏せの状態で置かれている。昭和2年(1927)製で、正面に「北 碓氷神社ヨリ 東 立野/西 高墓」、左面に「松井田停車場一里/妙義町ヘ一里二丁」と刻まれている。
 熊谷宿で、教育委員会に道標の問い合わせをしたところ、久下権八公園に倒れた道標があったんだけど、嬉しいことに、その後立て直してくれました。しかし、この道標は安中市に問い合わせてはいないので、これからもずっとうつ伏せのままなんだろうな。気の毒なので、碓氷神社道標と名付けて、忘れないでいよう。
 高墓踏切を渡り、国道18号を少し戻って旧道に入る。入口に旧中山道標識が立っている。ちょうどみかん電車が走ってきたので、喜多さんが写っている写真を採用(笑)。ということで、臼井の集落。昔なら碓氷郡臼井村で、おなじ「うすい」なのに、漢字表記が違うのは何故? 臼井小学校を過ぎると菊が咲いている。撮影していたら、萩さんと地元の方と花談義になって、おらはチンプンカンプン。
画像29 14:50 臼井の集落入口 喜多さんとみかん電車(湘南電車)
 国道18号に合流して小山沢橋を渡る。眼下の小山沢は険しい谷になってるけど、『中山道分間延絵図』によると、小山沢の前後が坂道なので、往時の小山沢橋は谷の下の川面近くに架けられていたんだろうね。往来が大変。小山沢交差点で再び左に旧道。左手に妙義道道標。彫りが浅くて読みづらいけど「□めうぎ道」と刻まれている。国道に合流する手前に百合若大臣の足痕石。百合若大臣という伝説の人物が弓を射る時に踏ん張ったら凹んじゃったという気の毒な石(笑)。
画像30 15:00 ひっそりと妙義道道標
画像31 百合若大臣の足痕石
 再び国道18号に合流すると左側はものスゴい崖。往時は険しい道のりだったんだね〜。下横川交差点で第十五中仙道踏切で信越本線を渡る…。へ? 信越本線の踏切が第10中仙道踏切から第15に飛んでいる!(◎o◎)
画像32 15:10 第十五中仙道踏切
画像33 小山沢橋梁をくぐる旧道
画像34 信越本線に沿う現在の中山道
 第10と第15の間は榎・御所平・高墓の3カ所で、榎の手前が第11、高墓・御所平の手前が第12と、分かりやすい。そして、第13・第14は小山沢。小山沢に架かる信越本線の小山沢橋梁には両側の橋台の下それぞれに小径が延びている。探検はしていないけど、上流で小山沢を渡って、道がつながっているんだろう。江戸時代の中山道は小山沢の谷を上り下りしていたと思うけど、信越本線が開業した明治18年(1885)には等高線に沿うように道が付け替えられたんだろうね。
 第十五中仙道踏切からの旧道は右側が開削されてスゴい崖。今は線路に沿って真っ直ぐだけど、ホントは線路や国道の方まで蛇行していたんだろうね。さて、新堀一里塚から地図で計測すると、第15中仙道踏切を過ぎた辺りが横川一里塚。しかし、『中山道分間延絵図』には横川一里塚は載っていない。中山道って今までも一里塚がなかったり、ルートが付け替えられていたりするので、横川一里塚はもともとなかったんだろう。
 次の坂本宿の巻でも述べるけど、横川の碓氷関所が現在の場所に設置されたのは元和9年(1623)。その前は「関長原」というところにあったらしい。関所と街道はセットになっているので、関所が移転したということは、街道も一緒に付け替えられたということ。鴻巣宿の巻で古中山道に原馬室一里塚が取り残されているように、横川地区の北側にも古中山道があると思うけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^; 古中山道には横川一里塚の代わりに「高墓一里塚」とかあったらイイね〜。
 あ、大宮宿の巻で氷川神社一の鳥居を過ぎた辺りが大宮一里塚跡と言ったけど、氷川神社参道が古中山道なので、一里塚は参道にあったか、神社の参道に一里塚というのは畏れおおいので、元々なかったかもしれません。訂正します。m(_ _)m
 信越本線に真っ直ぐ沿っていた旧道は、横川の集落が始まるところから本来の姿に戻ったようで、線路から離れる。蛇行具合がイイ! 15:25丁字路のおぎのやで本日の旅はおしまい。
画像35 15:25 峠の釜めしでお馴染みのおぎのや(荻野屋)
 電車の時間を調べると、おぎのやで食事する余裕があるので、15時過ぎてやっと昼食。当店は釜飯弁当が有名だけど、元は坂本宿の荻野屋。信越本線高崎駅〜横川駅が開業した明治18年(1885)に弁当屋を創業。駅弁「おむすび」の販売をスタート。昭和33年(1958)から発売開始した峠の釜めしが大ヒットして今日に至る。店内ではざるそばをいただき、お土産に峠の釜めし。おぎのやと一心同体の横川駅は、プレハブみたいな質素な建物だけど、関東の駅百選認定駅となっている。
画像36 関東の駅百選の横川駅
画像37 おぎのやといえば峠の釜めし
 乗り換えの高崎駅。湘南新宿ラインの時間まで余裕があるのでお茶しようと思ったら、改札内コンコースにはカフェがない!(◎o◎) さっき蕎麦を食べたばかりだけど、湘新ラインのグリーン車で駅弁の峠の釜めしを♪(^-^; 今日は距離こそ短かったけど、アフター歩きも楽しめ、充実した旅でした。\(^-^)/

 松井田宿では、新堀一里塚を過ぎて、信越本線製糸踏切の先で途切れる中山道の旧道を目の前にして、ものスゴい勢いで吠える犬に負けた…。il||li _| ̄|◯ il||l しかし、旧道の途切れた姿を確認できなかったモヤモヤが続いて、後日再訪しました。(^-^; どうしてこの犬たちは、これほどまでに吠えるのか? 街道歩きの旅人を笑顔で迎えてほしいね〜。
 ということで、中山道は碓氷川の段丘崖で消滅。車道には紅白の車止めが…。碓氷川の向こう岸からこちら見ると屏風が立っているような急斜面に、何故?中山道が通っていたんだろう?
画像38 崖の上で消滅する中山道((((;゜Д゜)))
画像39 鳥居坂に残された石仏群
 旧道は途切れた車道の右手を下りて、石仏群の前を通って竹藪の中に消える。崖を下る坂は鳥居坂。中山道が整備された江戸初期は段丘崖の上を通っていたけど、天明6年(1786)碓氷川の洪水で段丘崖が崩壊。明治18年(1885)開業の信越本線には第十中仙道踏切があるので、洪水から100年後には新道が開通しているものの、文化3年(1806)完成の『中山道分間延絵図』では鳥居坂と五料側の松の木坂をムダに下って上って、崩れた崖を通っている。新道の開通がいつ頃なのか?分からないけど、旅人や馬が長い間不便な思いをしていたんだね〜。
 さて、おらが鳥居坂周辺を調査している間ずっと犬たちが吠え続けているんだけど、いよいよご主人が登場。とたんに犬たちが静かになった(笑)。ご主人は戦後に東毛地域から引っ越してこられたそう。当時の家の前は小川だったので、車が通れるように町に舗装してもらったとのこと。何と!ここって暗渠? 確かに崖から塩ビ管が出ている。碓氷川の谷底の田んぼを通る真っ直ぐの道は水道道、鳥居坂の竹藪を無理やり通って行った旅人を見たことがあるなど、いろいろ教えていただきました。ありがとうございます。m(_ _)m
 鳥居坂で消滅した旧道が確認できて満足。続いて気になる松井田宿の金井本陣跡へ。金井本陣は安中宿の巻だったけど、案内板に書いてある「一部残存」って何? 仲町公会堂に着くと、何と!駐車場で掃除をしている方が! 関係者に違いないと話しかけてみると、シューワールドヨシダのご主人。金井家の店子で敷地の管理をしているとのことで、一部残存を見せていただきました。\(^-^)/ 金井本陣のいちぶずゎんずんとは、何と!上段の間
画像40 仲町公会堂に残存する金井本陣上段の間!
画像41 庭園・井戸・土蔵が残存する松本本陣
画像42 建物の下に残存する松井田宿の堀割
 金井本陣の次は思いがけず松本本陣松本本陣は見たの?と尋ねられ、クリーニングオオツキと答えたら、松本本陣は残っているということで、案内していただきました。\(^-^)/ 本番の時は、案内板に「庭園、井戸、土蔵が残存」とあるものの、クリーニングオオツキには庭がない…。路地を入り、ご近所さんの庭からパチリ。顔の広いご主人のおかげで写真が撮れました。
 最後にひとつ。宿場や街道は車を通すために往時よりも道幅が広くなっていることが多いけど、松井田宿は逆に道幅が狭くなったというのでビックリ! 何と!松井田宿は道の端を流れていた堀割が残っていて、その堀割の上に建物が建って、往時より道幅が狭くなっている。建物の隙間から水の流れが見える(笑)。そういえば、案内板①にももんが堀、⑪に立が堀のことが書いてあったけど、堀割も残存しているのね。『中山道分間延絵図』でも、安中宿の道幅が3〜4間、松井田宿が3間半〜6間半で、意外にも城下町の安中宿より松井田宿の方が広い。
 シューワールドヨシダのご主人にはいろいろとお世話になりました。m(_ _)m こんなに親切なご主人のいるお店なら買い物も安心でしょう。履き物のことなら、ぜひシューワールドヨシダをご利用ください!

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 3時間45分(3時間35分)
万歩計®の歩数 15,836歩
喜多さんの歩数 12,690歩
寄り道含めたGPSの距離 10.7km
経費
往路:JR東海道本線戸塚駅→JR信越本線松井田駅「青春18きっぷ」
(戸塚駅→松井田駅普通運賃)
2,300円
(2,940円)
帰路:JR信越本線横川駅→JR東海道本線戸塚駅
(横川駅→戸塚駅普通運賃)
フリーパスのため0円
(2,940円)
五料の茶屋本陣入館料 210円

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