2002年 6月 8日(土) 2宿続けて大井川の風景。 見た目が「小田原宿」に似ているけど、金谷宿は洪水を避けて山の中にある。 この後は菊川や、難所だった小夜の中山と、中世から続く旧道には見どころがいっぱい。
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12:20 緑映える茶そば
| 富士見屋(金谷2078-2)茶屋で茶そば(630円)を注文。 ご主人が大鉄の元機関士で店内は達筆なPOPでいっぱい。 話しかけられたので旧東海道歩きを自慢したら、金谷宿のパンフをいただいた。 帰りはわざわざ歩道まで見送ってくれた。 ありがとうございます。
12:40一里塚跡の角を出発。 ガードをくぐると左手に長光寺。 芭蕉句碑があるというので階段を上ると本堂が工事中だった。 句碑は本堂左手。 旧道に戻り金谷駅駅舎を背中に進むとコンクリートの不動橋。 昔は土橋だった。 この付近が西木戸があった場所らしい。 その代わりなのか左手に常夜灯。
ちょっと進むと金谷坂石畳。 右手に石畳茶屋があり12:55早くも休憩。 抹茶アイス(250円)を買って、縁側でのんびり…しすぎて30分も休憩してしまった(汗)。 イイ風吹くんだそれが…。 芭蕉句碑があるはずだと思いながら進むと、右手に国指定史跡諏訪原城跡の案内板。 あらま。 句碑は尾根に着いたらすぐ左折して右側だった。 林の中を進むと大手口に諏訪神社があり、城跡はもっと奥。 箱根西坂の山中城跡が一面芝だったのに対し、諏訪原城跡は杉が植えられていて、案内板がなければとても城跡だなんて分からない。 天正元年(1573)武田勝頼によって築城された。 途中で茶畑に出てPを抜けて旧道に戻る。
左手に「石畳菊川坂助郷伝説」プロジェクトで、昨年復元されたばかりの菊川坂石畳約611m。 町内外だけでなく、県内22の宿場からも応援があったそうで、素晴らしい。 石畳の左側は花壇になっている。 途中にある案内板によると、残り1/3くらい(ふもと付近)には江戸時代の石畳があるそうで、素晴らしい。
宿内で散歩中のおじいさんに話しかけられる。 旧東海道歩きを自慢したら、「上まで“登る”」と指さされたその先は、山の上にある「間の宿菊川」の看板。 ガーン! ここはどっちに行っても山。
いよいよ旧道は左折して「上まで“登る”」箭置坂! 実は石畳って歩きづらいと思っていたけど、アスファルトの急坂はもっとキツい。 ゴメンナサイ、おらが間違ってました。 でも登り始めると周りの景色が絶景! 一面茶畑で目に優しい緑のジュータン。 やっとの思いで右手に久延寺。 向かいには接待茶屋跡。 境内には慶長五年(1600)掛川城主山内一豊が徳川家康を接待した茶亭跡。 残念ながら家康手植えの五葉松は二代目。 夜泣き石は弟分?で、ホントの石はR1沿いの小泉屋にあるそうだ。
並びに子育て飴で有名な扇屋(掛川市佐夜鹿299)。 この付近は当時立場で20分休憩。 喜多さんが子育て飴(100円)を買う。 扇屋の来客ノートにも“とらぞう”名義でサインしてきました。 これで尾根沿いの道になって楽だ。 小夜の中山公園を過ぎると左手にピカピカの佐夜鹿一里塚。 ここの佐夜鹿は掛川市だけど、同じ地名が金谷町にもある。 間の宿がある菊川も金谷町で、菊川町とは別だし…複雑。 左手に鎧塚。
旧道は下りで茶畑の中の一本道。 左手に松尾芭蕉ゆかりの涼みの松。 向かいに妊婦の墓。 少し下った左手に夜泣き石跡。
視界が開けたら日坂バイパス越しに日坂宿。 坂が終わる左手に「狂歌入り東海道」の描かれた広重絵碑。 はす向かいには飲み屋のお品書きのように屋号が書かれた板が並んでいる。 木戸跡? 坂が終わるとK415(旧R1)を渡…横断歩道がない! 走れ! ここで金谷宿の旅は終わり。 もう16:15だけど、今日の終点は次の掛川宿だよ〜ん(汗)。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 3時間35分(約2時間45分) |
万歩計の歩数 | 12,244歩 |
喜多さんの歩数 | 10,750歩 |
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