とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.29
〜浜松宿→舞坂宿〜
10.8km

画像2003年 7月20日(日)
見付宿から歩いて来ると、薬師の松並木付近から見え始めて少しずつ大きくなってくる浜松の顔、アクトタワーはスゴくデカい! 空に突き刺さってる。 広重の版画の松と同じで、ざざんざの松の色なんだなきっと。

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10:25 梅屋本陣跡

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10:40 杉浦本陣跡

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10:55 子育て地蔵尊

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11:40 若林一里塚跡

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11:45 二つ御堂北のお堂

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11:50 若林の松並木

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13:25 タヌキがいっぱい

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13:35 篠原の立場本陣跡

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13:40 篠原一里塚跡

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14:45 舞坂の松並木

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14:50 太鼓をたたく波小僧

 昨年6月見付宿着。 半年後の12月浜松宿着。 さらに半年以上空いて、また夏に戻ってしまった。 遠江国だけに随分遠い…。
 浜松宿は本陣が6軒あり箱根宿と並ぶ大規模な宿場町。 本陣跡をチェックするのに4車線のR257を右や左に行き来できないので、京に向かって左側となる歩道を先に歩いて前回の終点まで進む。
 平田通りを進み旅篭町交.を右折。 番所跡は案内板はなく小さな石柱のみ。 伝馬町交.に賀茂真淵が婿入りした梅屋本陣跡。 画材の緑屋装堂屋に佐藤本陣跡。 連尺交.の地下道をくぐって、対角線上の歩道に上がるとGS(エネオス)前に浜松城大手門跡。 再び地下道をくぐって、10:35連尺交.右側の歩道をスタート。
 9:40JR浜松駅着なのにスタートこんなに遅いの♪何でだろ〜?何でだろ〜? 途中で迷子になったからさ(汗)。

 いきなり書店谷島屋に高札場跡。 浜松信金両替屋に敷地面積272坪(約900m2)で6軒ある本陣の中で最も古くて広い杉浦本陣跡、UFJ両替屋に最も新しい川口本陣跡と続く。
 戦時中空襲があって平塚宿のように昔の姿は残っていないけど、街の規模が違うのによく場所が分かるものだと感心。 今はビルが建ち並ぶ大都市なのに伝馬町・連尺町・紺屋町など、昔の地名が残っているのがウレシい。 大工町・旅籠町・塩町ってのもある。

 成子町の由来となったという泣き子地蔵尊跡を過ぎ成子交.を右折。 菅原町交.を左折するとデニ茶屋の前に今度は子育て地蔵尊。 ここからはビル街もなく道路も細くなって静か。 途中両側に舗道。 しかも右手にはSLが置いてある。 何度か見た軽便鉄道の軌道跡かと思ったら、JR浜松工場の引き込み線跡みたい。

 JRをくぐり再び4車線のR257にねじ曲がって合流すると殺風景な歩道歩き。 左側を歩く。 今度は新幹線をくぐって鎧橋。 浜松市との合併以前で可美村時代の案内板があり、鴨江寺が比叡山の僧兵と戦ったとある。 突然平安時代が出てきてビックリ。 セブン茶屋で10分休憩。 GS(太陽)手前にひっそりと若林一里塚跡

 三叉路の交差点右手の左右に二つ御堂。 道端にあるとは思わなかった。 道路を拡張したからなのか?
 京へ出向いている藤原秀衡が“大病”と聞いた愛妾が、京へ上る途中、この地で秀衡死去の誤報を聞き、菩提を弔うために北のお堂(阿弥陀如来)を建て、病気が回復した秀衡が帰国の途中その話を聞き、南のお堂(薬師如来)を建てたという美しき男女愛。
 案内板には天治年間(1124〜26)創建とあるけど、秀衡が保安三年(1122)生まれ?なのでそれは困る。 ペアのうち右側の御堂には高札場跡、秀衡の手植えという旧秀衡松の案内板。

 車線が2車線となり、左手に松並木。 歩道の右側を歩くとポツンと高札場跡の標柱。 屋形常夜灯を過ぎて熊野神社鳥居の左側に高札場跡。 そして堀江領境界石。 “跡”が付いていないので石柱があるのかと思って探したけど、ない! 長屋「ラ・ルーシュ」に高札場跡と秋葉燈籠跡。 二つ御堂からもう4つ目の高札場跡で数が多い。 勝手にR257を「高札場街道」と名付けよう。

 舞坂宿のうなぎ屋で昼食の予定だったけど、JR高塚駅入口付近で「舞阪7km」の表示板を見てあきらめ、12:30左手松3本のプチ並木の中にあるメチャ混みのマック茶屋で50分休憩。
 計画とかけ離れているのは、何でだろ〜?何でだろ〜♪ 昨年の計画では浜松で一泊する予定だったので、朝から歩けば舞坂宿でちょうど昼なのさ。 浜松宿で泊まると幽霊が怖いからねぇ(笑)。

 13:20スタート。 R257は左カーブするけど、旧道は真っ直ぐ進み歩道のないK316となる。 叉のところに篠原の道しるべ。 バス停が「立場」なのでこの付近が篠原の立場。 左手の格子戸の民家に立場本陣跡。 標柱が朽ちかけて字が消えかかっているので、浜松市が旧可美村の標柱を新調してくれるといいね。 この付近は国道と分かれたおかげで古い民家や蔵が残っている。

 右手の小野田家に篠原一里塚跡の「浜松市」の案内板。 最近発見されたの? バス停が「札木」なので、もしや?と思ったら右手に高札場跡。 バス停って字名を採用することがあるので、地図に載っていない埋もれた地名が発見できる。
 右手にある愛宕神社稲荷神社の前には屋形常夜灯。 篠原小学校を過ぎると左手に1本。 この先古い民家はないけど屋形常夜灯が多い。 浜松は凧揚げが有名なだけに海風が強いんだ。 しかも松並木は旧道の左側に多いけど、屋形常夜灯は右側ばかりなので面白い。 勝手にK316を「常夜灯街道」と名付けよう。

 左手に仲山浜通り、右手に稲荷通り。 海が近い。 坪井東では道がふくらんでいるので最近まで松並木があったんじゃないの?と思ったら、左側に砂に埋もれた古い切り株があった。 14:15右手に屋形常夜灯引佐山大悲院観音堂聖跡。 10分休憩。
 バス停「馬郡東」に「松並木クリニック」なんてある。 右手の広い春日神社角から舞坂の松並木。 700mの間に約330本の松が並ぶ。 正徳二年(1712)には920mの間に1,420本あったという。 並木の左側には東海道五十三次のプレート、右側には十二支の石像が並び、途中右手に舞坂橋跡
 松並木の東側右手には、JR品川駅が東京都品川区じゃなくて港区にあるみたいに、境界線ギリギリ浜松市馬郡町のJR舞阪駅。

 14:50舞阪新町交.手前のポケット・パークでゴール。 波小僧像が目印。 “教科書”には浜松宿前後の記述が少ないけど、思ったよりも見どころがある。 浜松担当の方はバスを勧めているけど、歩けばそれなりに面白いよ。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)4時間15分(約3時間05分)
万歩計の歩数17,221歩
喜多さんの歩数16,553歩

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