2004年 3月13日(土) |
有松絞りのハンカチ
| 有松鳴海絞会館併設の茶房ありまつ(有松町有松60-1橋東南)茶屋でコーヒーを注文したら、10:30まではコーヒー代でモーニングのトースト&ゆで卵が付くんだって! YATTA! 店内は座布団・暖簾・店員のエプロンから、トイレットペーパー・ホルダーまでが有松絞り。 眺めていたら気に入ったので、奥の売店で有松絞りのハンカチを購入。 弥次喜多も手拭いを買ってるしね。 来館ノートに“とらぞう”名義で記帳しました。 10:55出発。
間の宿・有松には格子戸のある民家やなまこ壁の蔵がありまつ。 …。 昭和五十九年(1984)名古屋市の町並み保存地区第1号に指定された。 電柱は焦茶色に統一されているけど、やはり電線が気になる。 でも一番気になるのは車! 交通量多い。
フツーの風景に戻り、名鉄名古屋本線踏切付近では名古屋環状2号線の大規模な工事。 まだ鉄骨の橋脚しかできていないけど、ICまでできるそうなので、保存地区・有松とのギャップがスゴい。
左手の砦が見つからないまま中島橋に到着。 路地に入り手越川の下中橋手前に案内板。 左折すると家庭菜園の中に中島砦跡。 碑の周りは木が生えているので遠目からは分からない。 永禄二年(1559)織田信長によって今川義元の侵攻に備えて築かれた。
問屋場跡を探したけど見あたらないので、枡形を進み本町交.を右折して庚申坂を上ると天神社。 永禄三年(1560)桶狭間の戦いで落城して、天正十八年(1590)に廃城になった鳴海(根古屋)城跡と、新しめの芭蕉句碑が3基。
旧道に戻り左手のばん野かでん屋手前に鳴海宿本陣跡。 右手の如意寺を過ぎ、三叉路の作町交.を右に旧道。 右手に寛政四年(1792)に設置された丹下町常夜灯。 鳴海宿西の入口。
三王山交.を渡ると道幅が広がり歩道が付いた。 3車線の車道は中央線が時間帯で移動して、片側1車線になったり2車線になったりするシステムで、走るのが難しそう。 工事中の天白橋を渡り、左手のサークルK茶屋で飲物を購入。
緩やかな坂を上ると、右手に尾張四観音の1つ笠寺観音・笠覆寺。 元は天平八年(736)善光が開基の小松寺という荒れ果てた寺で、鳴海長者の下女がずぶ濡れになった本尊の観音様に、笠をかぶせたことが藤原兼平に見初められ、妻となり玉照姫と呼ばれたことが縁で、現在の名前になった。 名鉄名古屋本線踏切を渡り、十字路を右折すると東海道道標。 呼続の住宅地を進むと左手に富部神社。 慶長十一年(1606)に建立された本殿が国指定重要文化財(拝殿しか見えないけど…)。 広い境内で犬を連れたおばさんが「昔はもっと海が近かったのよ〜」と説明してくれた。
旧道に戻り東海道&鎌倉街道碑を右に湯浴地蔵尊。 神社ではないのに狛犬のようにカエルの石像がペアで並んでいる。 先日の八橋よりも道幅の狭い鎌倉街道を左に進むと白毫寺。 本堂左側に年魚市潟勝景跡碑。 寺は丘の上に建っていて、眼下に広がる遠浅の海岸「あゆち」潟が「愛知」の県名の由来になった。 茂みで周りの景色は見えない。 山崎坂を下ると工事中の山崎橋。 橋は車用と歩行者用と別れていて手前に道標。 橋を渡ると旧道は左折して、14:50祠のある小っちゃい公園で鳴海宿の旅は終わり。 いよいよ宮宿。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 3時間55分(約3時間25分) |
万歩計の歩数 | 15,730歩 |
喜多さんの歩数 | 15,070歩 |
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