とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.40
〜鳴海宿→宮宿〜
6.5km

画像2004年 3月13日(土)
間の宿・有松は知立・鳴海間が長く、途中で追いはぎが出るほどだったので、治安のため慶長十三年(1608)設置された。 尾張藩の移住政策で知多郡から移り住んだ竹田庄九郎が有松絞りを考案して大ヒット。

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有松絞りのハンカチ

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10:55 井桁屋服部家

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11:10 振り向いて有松

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11:30 平部町常夜灯

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11:40 信長の中島砦跡

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12:10 最古の芭蕉供養塔

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12:35 芭蕉自筆の千鳥塚

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13:10 笠寺一里塚

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13:35 笠覆寺の多宝塔

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14:05 呼続の富部神社

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14:30 年魚市潟勝景跡碑

 有松鳴海絞会館併設の茶房ありまつ(有松町有松60-1橋東南)茶屋でコーヒーを注文したら、10:30まではコーヒー代でモーニングのトースト&ゆで卵が付くんだって! YATTA!
 店内は座布団・暖簾・店員のエプロンから、トイレットペーパー・ホルダーまでが有松絞り。 眺めていたら気に入ったので、奥の売店で有松絞りのハンカチを購入。 弥次喜多も手拭いを買ってるしね。 来館ノートに“とらぞう”名義で記帳しました。 10:55出発。

 間の宿・有松には格子戸のある民家やなまこ壁の蔵がありまつ。 …。 昭和五十九年(1984)名古屋市の町並み保存地区第1号に指定された。 電柱は焦茶色に統一されているけど、やはり電線が気になる。 でも一番気になるのは車! 交通量多い。
 向かいの県指定有形文化財井桁(服部家)には1月に車が飛び込み、最近まで修繕していたそうで、しみじみと眺めていたら有松絞りの老舗だった。 うっ、こちらで買えばヨカッタ…予習不足。
 少し進むと左手に市指定有形文化財の竹田家・関家・小塚家。 どちらも立派な純和風住宅で“県指定”の服部家との違いは分からない。 有松のはずれに差しかかり、右手の祇園寺に入ろうとしたら、境内の幼稚園がイベント開催中なので入れなかった。 間の宿・有松、この風景はいつまでも残っていてほしい。 また訪れたい。

 フツーの風景に戻り、名鉄名古屋本線踏切付近では名古屋環状2号線の大規模な工事。 まだ鉄骨の橋脚しかできていないけど、ICまでできるそうなので、保存地区・有松とのギャップがスゴい。
 鎌研橋を渡ると路側帯に東海道ルネッサンスの弥次喜多プレートが埋め込まれていてる。 四本木交.を渡ると右手に名残の
 平部交.を渡ると左手に文化三年(1806)に設置された平部町常夜灯。 ここが鳴海宿東の入口で、有松ほどではないけど、宿内には古い民家が点在する。

 左手の砦が見つからないまま中島橋に到着。 路地に入り手越川の下中橋手前に案内板。 左折すると家庭菜園の中に中島砦跡。 碑の周りは木が生えているので遠目からは分からない。 永禄二年(1559)織田信長によって今川義元の侵攻に備えて築かれた。
 旧道に戻り中島橋を渡ると右手に瑞泉寺。 宝永六年(1756)に建立された立派な山門は県指定有形文化財。

 問屋場跡を探したけど見あたらないので、枡形を進み本町交.を右折して庚申坂を上ると天神社。 永禄三年(1560)桶狭間の戦いで落城して、天正十八年(1590)に廃城になった鳴海(根古屋)城跡と、新しめの芭蕉句碑が3基。
 道路を横断してはす向かいに誓願寺。 境内の芭蕉堂左側に最古の芭蕉供養塔。 元禄七年(1694芭蕉が没した翌月の10月如意寺に建立されたものが、当寺に移された。 市指定史跡。

 旧道に戻り左手のばん野かでん屋手前に鳴海宿本陣跡。 右手の如意を過ぎ、三叉路の作町交.を右に旧道。 右手に寛政四年(1792)に設置された丹下町常夜灯。 鳴海宿西の入口。
 鳴海宿から左側が元海岸、右側が丘陵という地形がずっと続くけど、右手の千鳥塚でクライマックス。 芭蕉がまだ存命中の貞享四年(1687)に建立された唯一の翁塚で市指定史跡。 文字は芭蕉の自筆。 12:35千句塚公園でグッタリと15分休憩。 当時海岸沿いだった旧道を眺めると…う〜ん、海はどこ行った?

 三王山交.を渡ると道幅が広がり歩道が付いた。 3車線の車道は中央線が時間帯で移動して、片側1車線になったり2車線になったりするシステムで、走るのが難しそう。 工事中の天白橋を渡り、左手のサークルK茶屋で飲物を購入。
 キレイな通りの右手に笠寺一里塚。 塚の榎は枝振りもよく、根っこも立派で塚をシッカリと掴んでる。 …。 「東海道一人旅」BBSで知り合った長屋の若旦那さん手作りの宮宿マップが、案内板の裏に貼り付けてあった。 ありがとうございます。 感激して15分休憩。

 緩やかな坂を上ると、右手に尾張四観音の1つ笠寺観音・笠覆。 元は天平八年(736)善光が開基の小松寺という荒れ果てた寺で、鳴海長者の下女がずぶ濡れになった本尊の観音様に、笠をかぶせたことが藤原兼平に見初められ、妻となり玉照姫と呼ばれたことが縁で、現在の名前になった。
 太鼓橋を渡って境内左手に多宝塔。 右手奥に芭蕉句碑、延享元年(1744)宮本武蔵百回忌に建立された武蔵顕彰碑。 西門向かいの玉照姫を祀る泉増院、隣の西方院を見学して名古屋環状線にぶつかると、あれ?十字路になっていない…道を間違えた! 戻って笠寺商店街から進み直して笠寺西門交.を渡る。

 名鉄名古屋本線踏切を渡り、十字路を右折すると東海道道標。 呼続の住宅地を進むと左手に富部神社。 慶長十一年(1606)に建立された本殿が国指定重要文化財(拝殿しか見えないけど…)。 広い境内で犬を連れたおばさんが「昔はもっと海が近かったのよ〜」と説明してくれた。

 旧道に戻り東海道&鎌倉街道碑を右に湯浴地蔵尊。 神社ではないのに狛犬のようにカエルの石像がペアで並んでいる。 先日の八橋よりも道幅の狭い鎌倉街道を左に進むと白毫。 本堂左側に年魚市潟勝景跡碑。 寺は丘の上に建っていて、眼下に広がる遠浅の海岸「あゆち」潟が「愛知」の県名の由来になった。 茂みで周りの景色は見えない。
 旧道に戻ると右手に熊野三社。 松が有名なんだと思って境内の松を撮ったけど、後日調べたら、有名なのは「松巨嶋」と彫られている手洗石だった。 誰かおらの敵をとって!

 山崎坂を下ると工事中の山崎橋。 橋は車用と歩行者用と別れていて手前に道標。 橋を渡ると旧道は左折して、14:50祠のある小っちゃい公園で鳴海宿の旅は終わり。 いよいよ宮宿。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)3時間55分(約3時間25分)
万歩計の歩数15,730歩
喜多さんの歩数15,070歩

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