2004年 3月13日(土) 宮宿は七里の渡しと佐屋路・美濃路の追分があり、五十三次で一番規模のデカい大宿場で賑やかだった。 広重が描いている熱田神宮は日本武尊ゆかりの大宮で、三種の神器の1つ、草薙の剣が御神体。
|
15:10 復元された松田橋
| 山崎橋のたもと、川岸に祠のある公園で休憩後、15:00出発。
右カーブすると真っ直ぐ延びる八丁畷。ブラザー屋の工場から道幅が広がり歩道も付いた。 今まで住宅地だったのに、アッ!という間にビル街。 太いあぜ道だったなんて想像できない。 塩入町交.を右折して浜神明社に向かう。 でも見つからない。 神社といえば御神木なんだけどビル街では目立たない。 ウロウロしていたら100円ショップの裏でビルに囲まれ窮屈そう…。 境内の西行腰掛け石は鳥のフンにまみれている。 糞害に憤慨。 …。 しかも塩入町交.よりも手前の松田橋交.から1本目の路地を右折した方が早かった…テンション下が〜る。
R1はJR・新堀川を越えるため内浜交.から陸橋になるけど、歩道がないので歩道橋で左側に移り、側道を歩く。 JR踏切を渡ると左に『さんさくマップ』に載っている“旧道風”の道。 奥に古い民家が見えるので、知らないと吸い込まれるように左折しちゃうね。 おらたちは真っ直ぐで殺風景な道を進む。 新堀川にぶつかるので、左手の“旧道風”の道にある熱田橋で迂回してR1と合流。 枡形の上に建っている名鉄常滑線高架橋を斜めにくぐると“旧道風”の道と合流して、左手に一里塚跡(“旧道風”の道から見ると右手)の案内板。 右折してすぐ左手に裁断橋跡&姥堂。 天正十八年(1590)18歳の我が子を小田原の陣で亡くした母親が、菩提を弔うために橋の架け替えを行い、擬宝珠に彫られた文が母が子を思う銘文として有名になった。 橋の下を流れていた精進川は大正十五年(1926)完全に埋め立てられて姿を消した。
K225角左手に標示はないけど白本陣跡。 横断歩道がないので右手の伝馬町交.で迂回。 伝馬町商店街では焦茶色の車止めが旧東海道の道しるべを兼ねている。
追分を左折するとR247で分断されるので歩道橋を渡る。 帰りに立ち寄る予定のあつた蓬莱軒屋のPに赤本陣跡。 店の前では客が1組待っている。 ってことは準備中? ガーン! 休憩しようと思ってベンチに向かうと、道路の向こう側に脇本陣格の旅籠伊勢久だった丹羽家と左側に熱田荘。 共に市指定有形文化財。 ついでに熱田魚市場跡を見学しようと野球場まで行ったけど、電車の時間が心配になって引き返す。 16:35あきらめていたあつた蓬莱軒(神戸町503)屋の夜の営業が16:30からだったので、4組目の客となる。 注文したひつまぶし®(2,415円)が席に運ばれる頃には満席になっていた。
帰りは追分からほんの少し佐屋路・美濃路を歩き、“熱田さん”に向かう。 すぐR1で分断されるのでまた歩道橋を渡る。 尾張国になってから歩道橋が多い。 高齢化社会が進んで電動カートだらけになったら、歩道橋はツラいのでバリアフリーがイイね。
帰りは熱田駅から隣の金山駅経由でお土産のういろうを買っていたら、今日中に帰宅できる18:00の快速に間に合わず、18:30の快速に乗車。 浜松・沼津で乗り換え、23:41戸塚駅着で、東海道歩きの帰宅時間を更新して午前様になってしまった。 でも00:26大船駅出発で“18きっぷ”を有効に使った充実の旅でした。 |
おまけ | |
所要時間(写真撮影が休憩時間?) | 1時間15分 |
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間) | 9時間45分(約7時間55分) |
万歩計の歩数(今日1日の歩数) | 5,203歩(+15,195歩+15,730歩=36,128歩) |
喜多さんの歩数(今日1日の歩数) | 5,081歩(+14,563歩+15,070歩=34,714歩) |
経費(知立宿〜宮宿分交通費含む) | |
往路:JR戸塚駅→刈谷駅「青春18きっぷ」 (JR戸塚駅→刈谷駅普通運賃) 往路:ムーンライトながら指定席券 往路:名鉄三河線刈谷駅→知立駅 | 2,300円 (5,250円) 510円 220円 |
寄道:JR熱田駅→金山駅「青春18きっぷ」 (JR熱田駅→金山駅普通運賃) | 途中下車につき0円 (140円) |
帰路:JR金山駅→戸塚駅「青春18きっぷ」 (JR金山駅→戸塚駅普通運賃) | 途中下車につき0円 (5,460円) |
Vol.40 鳴海宿← | 2001年夢中の旅 MENU | →Vol.42 桑名宿 └→佐屋路 |
Copyright (C) 2004 TORAZOU, All Rights Reserved.