2004年 6月 6日(日) 元和二年(1616)四日市宿と亀山宿間の距離が長いために設置された石薬師宿。 意外と本陣が3軒もあるけど旅籠が15軒だったそうなので、元々小っちゃい宿場で当時も現在のようにひっそりとしていたんだろうね。
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夢
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08:10 雨の中を出発!
| 朝起きると雨。 木曜日の時点で土日晴れだったのに、土曜日夜ホテルのTVで「明日は雨」と言われても…。 最近日曜日に歩くと雨なので不運が続いている。 ふぅ〜ん。 …。 一泊お世話になった旅籠トウエイホテル(鵜の森1-11-1/0593-51-5833)も朝食付き。 前日に時刻表をチェックしていたので、あまり待たずに内部駅。 8:10小古曽三丁目交.でR1を横断して出発。 内部川でR1をくぐり、左側の歩道を歩いて内部橋を渡ると左に旧道。 日曜日の雨の朝なのでひっそりとして車も通らない采女の集落。
枡形のように右カーブして丁字路を左折すると、壁のような山に県指定史跡の杖衝坂。 せっかくだから石畳にして欲しいけど、生活道路なのでムリだね。 ◎模様のコンクリート道路。 碑の隣に宝暦六年(1756)に建立された芭蕉句碑。 貞享四年(1687)に詠まれた季語がない珍しい句なんだって。 句碑の前の缶に釆女町発行の説明書が入っている。 ありがたいことです。
坂を上りきると左手に鳥居と祠だけの血塚社。 出血した足を洗っただけで血塚社が、キャンプしただけで天武天皇社ができたりと、天皇家の威厳はスゴい。 藤枝宿には左車神社なんてあるしね。
右手のGS(出光)左側に采女一里塚跡。 R1は片側2車線で中央線がガードレールになっているけど、右折車がGSに入れるように途切れているので、日曜日の朝でまだ交通量が少なく、走らなくても歩いて横切れる。 横断歩道がないので、よい子は…今年流行りの「自己責任」で渡ってちょ。 戻りも歩きでOKだった。
9:25国分町交.で鈴鹿市となり、左に旧道。 しかし旧道は交差点手前からゆっくりと左に逸れていく。 右手の延命地蔵尊を過ぎると小谷の集落。 下り坂となり、木田町大谷交.の地下道でR1を横断。 延長上の道を進む…と思ったら、道を間違えた。
並びの石薬師小学校を過ぎると佐佐木信綱生家&資料館。 案内板によると、作詞した『夏は来ぬ』に出てくるように卯の花が好きだったんだって。 宿内の所々に卯の花が植えられている。 寺を出ると正面に蒲冠者範頼之社道標。 御曹司社を右折すると県指定天然記念物の蒲桜。 寿永年間(1182〜84)源範頼が平家追討のため西国へ向かう途中、石薬師寺に戦勝祈願した際、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿したら芽を出してこの桜になったという。 確かに地面から直接枝が生えているように見える。 旧道に戻ると緩やかな下り坂。 雨に濡れしっとりとした家並みがイイね。 高い堤防の蒲川橋を渡ると左手に県指定史跡の石薬師一里塚跡。 ホントの東海道は一里塚を右に見て進むんだけど、線路のおかげで旧道が付け替えられたそうだ。
JR関西本線をくぐって線路沿いの農道を歩くと、車や人の往来もなくの〜ど〜か。 …。 田植えが終わったばかりの日本の風景。 R1をくぐると昔からの道筋となり、思いっきり田園風景が続く。 R1がジャマで松並木もないけれど、この風景は昔から変わらないんだろうね。 橋を渡ってふと地面を見ると、カタツムリがゆっくりと道路を旅してる。 車が通らないので彼らも安心だ。
庄野町北交.を右折して信号のある十字路交差点を左折すると、田園地帯に急にドーン!と現れる庄野宿。 右折すると加佐登駅。 11:25十字路交差点には入口らしく庄野宿石標&案内板が建っている。 石薬師宿の旅はここで終わり。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 3時間15分(約2時間40分) |
万歩計の歩数 | 14,291歩 |
喜多さんの歩数 | 13,394歩 |
経費 | |
トウエイホテル ネット予約宿泊料 | 4,536円 |
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