2002年 6月 1日(土) 岡部宿は手前の“麻利子”宿と同様『吾妻鏡』に載っているほど歴史が古く、「蔦の細道」は平安時代から続く古道。 京都に向いてないけど写真は岡部宿側の登り口。 険しい…。 左は旧東海道、右は蔦の細道。
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09:30 ゴン中山の実家
| 前回喜多さんがサッサと進み過ぎて内野本陣跡を見過ごしたというので、今回は手前のバス停「岡部北口」で降りて、前回ヘトヘトな割には早足で通り過ぎた岡部宿内を再び歩く。 本陣跡を確認して旧道を左折。 前回気が付かなかったけど右手に高札場跡。 そして静かな旧道沿いの民家にドーンと横断幕! 中山“ゴン中山”雅史(ジュビロ磐田)の実家が岡部町にあると同僚が言ってたけど、こ・こんな所に…。 おお!ガンバレ日本! 民家の軒下にはツバメの巣が多く、親鳥がヒナに餌をやっているシーンを撮ろうとしたら、親鳥に威嚇されて撮れなかった。 旧道を左にはずれ、寛政十二年(1800)木喰が岡部宿滞在中に残した聖徳太子立像がある光泰寺を眺める。
岡部役場前交.を渡り、10:00スタート…と思ったら、交差点の向かい、文具の寒玉堂屋の角に枡形跡の標柱を発見! だから旧道が折れてるんだ。 前回気が付かなかったので戻ってチェック。 ここから先の旧道は直線に延び、街並みも工業団地になっていて味気ない。 でも道路の右側には松並木があり、岡部宿は新旧の顔を持っていて面白い。 松並木が終わるとすぐ先に岡部宿入口の現代版見附でキノコ型常夜灯もある。
内谷新田交.でR1藤枝バイパスをくぐると右手に旧道。 右手に岩村藩領榜示杭が建っていて、パンフも置いてある。 この付近の民家の軒には屋号?ってゆーか何を営んでいたのかを板書して吊してあるので、横内って立場だったの? 丸子宿同様あまり歯抜けになっておらず、人々の生活が江戸の昔から連綿と続いている。 高札場跡と陣屋跡は見過ごしたけど…。
再び岩村藩領榜示杭がある仮宿交.を渡ると左手に松。 法の川に架かる法の橋(名前の由来が気になる)の横に田中藩領傍示石蹟。 この先旧道がR1に合流しそうだけどかするだけで、左カーブする左手の中古車屋にあったものを移したものだった。 旧道を進むと右手にプチ並木。 今日のルートは所々に松並木が残っていて、旧東海道を歩いているって実感がする。 八幡橋を渡り右折してしばらくすると右手に鳥居。 須賀神社と思って寄り道したら、この付近の地名の由来になった大きな森の青山八幡宮。 旧道に戻ると今度はホントの須賀神社で、境内には県指定天然記念物の大きなクスノキ。 並びに『膝栗毛』で詠まれている鐙ヶ淵があるけどひっそりとした公園。 この先松並木を残した旧道はS字カーブとなりR1にぶつかる。 水守交.を横断すると両側に歩道があり、右側を歩く。 だんだん賑やかになってくると東木戸跡がポツン。 並びに旧左車神社。 建長四年(1252)鎌倉幕府六代将軍宗尊親皇が鎌倉へ向かう途中、壊れた御所車の左輪を埋めた跡に建立したとあるけど、そんなことで神社って造られるの? 今は成田山新護寺。
本町交番の前で10分休憩。 ボーっと歩道を眺めていたら案内板代わりのタイルが埋めてあるのでありがたい。 キョロキョロと探さなくてイイ。 向かいの問屋場(上り)跡は元商店だったのは分かるけど、車庫代わりの店内に自動車が止まってる! 続いて長楽寺商店街になるとアーケードがなくなりちょっと寂しい。 右手に蓮正寺。 一の谷の合戦で平敦盛を討ち、その後出家した蓮正(熊谷直実)が開山となって建久6年(1195)に創建された。 入口の常夜灯は四つ足なので珍しい。 境内には市指定天然記念物のイブキがある。
蓮華寺池公園の入口を捜して旧道を西へと進み、左手に旅籠、池野屋旅館がある交差点を右折。 緑色の舗道を進み、公園で10分休憩。 大きい池で対岸には市の花である藤棚が並んでいる。 1ヶ月早く着ていれば薄紫色のカーテンが見ることができたのにね。 |
おまけ | |
所要時間(休憩除いた正味時間) | 2時間25分(約2時間05分) |
万歩計の歩数 | 9,562歩 |
喜多さんの歩数 | 9,086歩 |
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